どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 裸像彫刻の美か醜か…  −たしかに気もちワルくもあるよなぁ!−




 ニュースねたで、ときおり地方の話題にふと関心を惹かれることがある。
 最近では、全裸のダビデ像が気もちわるい…というのがあった。
 
ミケランジェロ作の美術品にパンツを…の声


 ところは島根県、人口1万5千人の奥出雲町。
 町民が集う憩いの広場、隣り合う二つの公園に「ダビデ像」と「ビーナス像」。レプリカとはいえ、巨匠ミケランジェロの作品である。
 入手した郷土の実業家が、町に寄贈したという。
 (わがいなか町を世界的な彫刻で飾る…よくありそうなハナシではないか)
 それが、鑑賞する側の町民たちから苦情フンシュツという、思いもよらぬ事態になった。
 いわく、不気味だ、気味が悪い、威圧的だ、恥かしい、パンツをはかせろ、など。芸術性うんぬんではなく置かれた場所が問題とされ、移転の訴えまで…。
 ついには町議会でよしあしを論じあう問題になり、これに海外メディアも注目。

 
 もうしわけないけれど、とてもオモシロく、興味ぶかいことだった。


◆雲州(亀嵩)算盤と“たたら製鉄”と『ゼロの焦点』の町


 そこは、なるほど〈出雲の奥〉。
 山陰本線宍道〔しんじ〕駅から岐れる木次〔きすき〕線が中国山地にかかる辺りに、七つの駅(出雲八代出雲三成亀嵩出雲横田、八川、出雲坂根三井野原)があり、その先は県境を越えて広島県芸備線備後落合駅に至る。
 斐伊川源流部に位置する山間の農山村だけれども、町域の多くは比較的ゆるやかな起伏に恵まれてもいる。
 いまは知る人も少ないが“雲州そろばん”とえば、和製計算器の名器として天下に知られた。
 それより以前は中国山地に特有の“たたら製鉄”主産地のひとつ、いまにつづき…。
 松本清張の長編推理小説砂の器』(1960年)では、亀嵩〔かめだけ〕が重要な舞台に設定され、その後の度重なる映画化・テレビドラマ化で話題になったこともある。
 …とまぁ、ざっと、そんな小さな、ふつうには滅多に注目されることのない町。


 だからこその騒ぎでもある。この町奥出雲の情景を、ちょっと想像してみてほしい。
 これが東京みたいにごちゃごちゃした大都会なら、なんのことはない、とくに目立ちもしない、誰も気にかけもしないだろう。
 しかし…どうしゃっちょこだちして見たって、とんでもない、てんで唐突、ミケランジェロも目を覆ってうつむく。
 また、よしんばミスマッチの可笑しさがあったとしても、それが(ムフフと)ウケる風土でもない。
 (パンツを履かせようなんて発想なんかもソレで、奥出雲ではワルい冗談、見っともないだけ…)
 そこに透けて見えるのは、むかしの〈お上〉意識や〈えらいさん任せ〉の風潮、いまどきもうぜんぜん古い。
 現代の庶民はみな一家言をもち、堂々と発言もする。
 あまかったな。それに……


ダビデの“ちんちん”喉につかえる


 正直に言う、ぼくもダビデの裸像はいやだ。
 どこで見たろう…たしか本物はイタリア(フィレンツェのアカデミア美術館)にあるのだから、複製だったと思うが見上げるような巨像の、立派な陽物〔いちもつ〕に“小便小僧”みたいな尿道穴がパックリ開いてるのには閉口した。
 肉体見本、筋肉見本として見れば別かも知れないが、断じて観賞したいとは露〔つゆ〕も思わぬ。
 ビーナス像の方はパリのルーブル美術館で本物を見たが、やっぱり感心しなかった。下腹のあたりなど、ひどく醜い。
 (ははぁ……そうか)と思ったまでのことだった。
 評論家の解説や、観賞の手引きは別もの。猥褻うんぬんも、別ものである。


 そもそもが、裸は見ちゃいられない、ものではないのか。
 だから、衣装とか化粧とか、なにか身につけて装わなければならない。
 生身の肉など、獣にしろ魚にしろ、貪〔むさぼ〕るほかにしようもない。
 不安定きわまりないものに、なんとか安定をあたえようとしたのが美術のはじまり…かと思う。
 それゆえ反面、美術はつねに「はぎとりたい」欲望を抱きつづけることになる。
 男性には、豊満な女体に撹乱された不能が多い。罪なことだ。


 そうして、こころみに、いろいろな人とこの話をしてみると、案外に同感の意見が多い。
 絵画でもそうだが、裸像はけっして賛美ときまったものではなく、むしろ恥かしさ極限の表現ではなかったか。
 おなじことで、もの食う姿態〔さま〕などというのも、恥かしいくらいエロチックで、あさましくさえある。
 つまるところ人の生きざまそのもが、見っともないほど恥かしい。
 そこを敢えて美に昇華させようともがくのが美術、なのかも知れない。


 あるいは…… 
 もしかすると草食系と肉食系とで、美に対する見方がちがうのか。
 たしかなことは、見たくもない芸術もある。見方でちがってくる芸術は、しかるべくかぎって見せるにしかずだ。
 奥出雲の裸像もしかるべきところに囲って移すのが正解か…と想う。