どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 体罰先生と家庭教育  −学校はいまピースの欠けたジグソーパズル−





◆往復びんた…というのがあった


 ありのままに、話そう。


 ぼくは労働者の町川崎から、中高一貫教育の、東京の私立男子校に行った。
 教育熱心な家庭の親子が、よりよい学校への“進学”を目指しはじめた頃だった。
 試験に“合格”するのは、うれしいというよりホッとすることだった。


 入学式の挨拶で校長先生が、体罰による不祥事があったことを詫びた。
 去年、教師から受けた制裁がもとで、生徒がひとり亡くなっていた。自殺ではない。
 くわしいことは、わからなかった。
 熱心な先生が手を挙げた、あたりどころが悪かったのか、生徒の体調もよくなかったらしい…。
 新入生は噂話をしあったが、とくに動揺はなかったと思う。


 ぼくらは戦後世代のはじまりだった。“団塊の世代”がすぐ後につづく。
 先生たちは“聖職”からの解放を望み、教師もふつの人間、労働者だと叫んだ。
 (それまで聖職だった教職が…先生たちにイヤがられてから教育現場は混迷し、そのままずっと迷路から抜け出せないでいると…ぼくには思える)
 いまより(たしかに)自由で、(そのぶん)乱暴なところもあった。
 

 罰として教室外の廊下に立たされる制裁があり、体罰もあった。
 平手で、横っ面〔つら〕をひっぱたく。「びんた」といった。一発よりキツイのが「往復びんた」。
 「殴る」のは握り拳、平手打ちとは違う。そうして、殴り合いは喧嘩、体罰は平手(びんた)。ぼくらの頃は、そうだった。
 ついでに言えば、喧嘩で殴られるより、「びんた」をくらう方が、はるかに屈辱的であった。
 (日本の第二次世界大戦帝国陸軍時代の戦争映画を見ると、凄まじいばかりの往復ビンタ場面に嫌悪感を覚える…それに比べたらてんで軽いものだったが、ビンタの腕力をふるう精神の、底に潜む執念深さにおいては変わるところがない気がする)
 いたずらが人生修業みたいな子どもにとって、親からの体罰だけが“想定”されたことだった。
 これは、きわめてたいせつなこと、であると思う。


 ぼくも「往復びんた」をくらった覚えがある。
 始業のベルが鳴って、騒がしい教室を静めようとしていた、ボクは級長だった。
 (戦後民主主義で級長は、原則、1学年1学期で交代することになっていた)
 担任のホームルームの時間、先生がガラッと戸を開けた瞬間…ウソみたいにシンとなった教室に、ボクだけが立って大声を張り上げていた。ヤベ…。
 きっと、担任もムシの居どころがわるかったのだろう、教壇に呼びつけられ、いきなり「往復びんた」がきた。
 我慢がならなかったぼくは、反射的に向うの腹を殴りつけ、教室を飛び出して家に帰ってしまった。
 放課後、友だちが連れだってランドセルを届けてくれ、「おまえ学校休んじゃえ…な」と唆〔そそのか〕した。
 結局、学校を休んだのはその日だけになった。親に叱られたし、学校に行かないと(みんなにも会えない)からだった…。


 中学・高校時代に、体罰はなかった。
 ぼくは、部活のバスケで文化祭の招待対校試合に敗れ、先輩たちからコートに正座を命じられたことがある、程度だった。
 (アスファルトの屋外コートだったから膝頭に血が滲んだけれど)
 だから…


◆ぼくに体罰癖はなかった…ろうか


 大学の全共闘時代にも、ついにゲバ棒を握ることなく。
 

 そうして、仕事で部下に指導する立場になったとき、ぼくはハッとした。
 軽い口調ではあったが「暴力はいやダ」といわれた。
 ぼくには、親しさを表現するのに相手の身体をたたく癖があったのだった。
 ボクはボディー・ランゲージのつもりだったが…相手は乱暴な仕打ちと受けとめていた。


 結婚して、初めてかみさんに手を挙げたときに、ドキッとすることをいわれた。
 「親にもぶたれたことがないのに…」
 いきなり冷や水を浴びせられた気分だった。


 いいわけは、しない。
 ぼくには、そいうところがあった。


 家庭内暴力の環境に育った者が、その後、みずからが持った家庭でもそれを繰り返す。心理学で、そういわれる。
 ボクのは(それとはチガウだろう)と思うし、あるいは遺伝子レベルのことかも知れないが。
 そういう防衛本能とか、補償行為とかいわれるような類いのことが、あるのかも、ワカラナイ。 


◆センセイはどこへいったのか…


 転じて、いまどきの子らと学校について、ありのままに言う。


 自治会の役目でお祭り行事を仕切ったとき。
 盆踊りのヤグラでのアトラクションに、地元小学校の和太鼓グループを招いたのだが。
 大勢の観衆を待たせておいて、いつまでもモタモタ、グズグズまるで埒が明かない。
 引率の先生が、生徒たちに「どうするの」なんて寝惚けたことをいっている。
 みんないいかげん白けきった頃になって、やっとこさ始まった…。


 あとでセンセイに聞けば「子どもたちの自主性を…」などという。
 バカをいっちゃイケナイ、自主性というのがどういうもので、どういう責任をともなうことなのか、教えてあげないで自主性など育つものか。
 指導者の指導が先…である。


 子どもたちに、覇気というか、はりきったところがない。
 ごくたまにチャンバラ遊びを見かけるが、ちょっと刀(のつもりの枝)が触れたくらいで「あっごめん、だいじょうぶ?」なんて、尻ごみなんかしちゃってる。
 それで、チャンバラ遊びはもうオシマイである。
 持続力がない、飽きっぽい。
 

 子どもの木工教室では、刃物での怪我をまず心配した。いうことを聞かないやつもいるだろうと思ったが。
 とんでもない、「やりなさい」といわれるまでオトナシク待っている、「ちょっと待ったぁ」なんて叫ばされる場面もない。
 運動会など見ると、整列ができない、真っ直ぐに立っていられない。


 それでいて、イジメはある、けっこうネチネチ陰湿らしい。
 ぼくは子どもたちに教える「イジメるのは卑怯だ、イジメられたら大声で卑怯者…って叫べ」と。
 古いコトバだが、子どもたちが親しむ漫画の世界ではケッコウこの手の古い漢字表現が多用されていて、慣れ沁みついてもいるのだ。
 後で聞いたら「ウマくいった」そうだ。いまの子は大声も苦手である。


 いまの子どもたち、学力(使える頭という意味で)の方も怪しいもんだが、明らかに人間(生態系の頂点に立つ存在)として衰退している…と思う。
 (ぼくの見ろところ、ニッポンでは人間的に成長してきたのは明治人まで、その後の人格は下り坂、ぼくら戦後生まれもその衰退期にあり、いまはその傾向がかなり破滅的なところまできている、気がしてならない)
 いまの在り様を人間の進歩というなら、恥かしいくらい貧しいもんだ。
 

 単細胞に「学校の問題だ」と、言っているわけではない。
 こんどの桜宮高校の体罰事件、生徒の自殺という“厳実”を前に、とりあえず(だれもがあまりに利己的にすぎるが)行政も、教育委員会も、切実な当事者の生徒やその親たちも、それぞれに声を上げ訴えているのに、肝腎要のセンセイたちの声だけが聞こえてこないのが、疲労・劣化した教育現場のいまを如実に物語る。
 悲鳴でもいい、泣き言でもいい、言い訳でもいいから、いまの思いをぶちまけてほしい。
 教育委員会が邪魔なら、そう言えばいい、いまなら言える、いましか言うときはない。
 目を逸らすな、耳を塞ぐな、アレは世間一般にいう傷害事件だったんだぜ。致死じゃないか。
 みんなで、きちんと現実を直視して、どうしたらいいのか、考えようじゃないか。


 お待たせ…ここからがほんとうの、ホンネだ。


◆親は家庭教育を放棄するな

 
 たとえば…
 小学校に上がる前のぼくに、母はこう言った。
 「道で働いている人に出会ったら〈ありがとう、ごくろうさま〉と挨拶しなさい」
 それが最初にマナブことだというのだ。
 見知らぬ人に、なかなか言いづらかったが、言えるようになるとちょっとばかり成長した気がしたものである。
 一緒に通う友だちが「ねぇ、なんでそう言うの」、「言わなくちゃいけないの」と煩いのにはマイッタ。
 ぼくは「うん、あんがい気もちがちいいよ」としか応えようがなかった。
 父からは「先生のいうことをよく聴きなさい」といわれた。
 盲従せよ、というのではなく、まずきちんと聞いて、それから自分で考えろ、というのだ。
 じつは、それでいい、のだった。
 ぼくん家の家庭教育は、いま思うとヨカッタ。
 (恨んだり、馬鹿にしたりも、したけれど…) 
 この躾〔しつけ〕があったから、半端で調子っぱずれなボクのような人間が、なんとかここまで生きて来れたのだと思う。


 ぼくの友人の妻で、沖縄生まれのいい女〔ひと〕がいた。
 琉球〔かんざし〕という、先の尖ったの(あきらかに武器)を持っていて…
 「いざというときには、これで相手の胸を刺して、それから自分も死ぬの」といっていた。
 その彼女、家族そろってぼくん家へ遊びに来てくれたとき、幼い息子が甘えて言うことをきかなかった場面で、どうしたか。
 二度まで注意して堪〔こら〕えておいて、三度目には、いきなり敏速な手が飛んでいた。
 手の甲での烈しい張り手をくらって、息子はみごとに部屋の隅まで吹っ飛んだ。
 間髪を入れずに母親が叱る「あやまりなさい」。キョトンとした息子が、すぐに「ごめんなさい」といった。泣きもしない。
 みごとな気合い、みごとな愛…。これでいい。


 こんな情景、いまは、もうない…か、きわめて稀少。
 なにからなにまで学校任せで、親はモンスターペアレントに化けて平然としている。
 センセイたちが声を大にして言いたいのも、じつはこのことだろう。言いなさいよ、ハッキリと。


 少子化という。
 安心して子どもを産める環境は大切だし、「自分の時間がほしい」のもわかるが、家庭教育ができない親なら、ないほうがいい。
 それで滅ぶ民族なら、仕方ないだろう。
 はっきりいえば、滅びの美学、というのもあるのだ。


◆教師よ“聖職”にかえれ


 教師も人間だ。わかってる。
 その運動は一定の成果をあげ、まぁ目的も達したんだから、もういいじゃないか。
 文部省も。日教組も。荒廃した学校を尻目に、対立している場合ではなかろう。
 現実に、教壇に立ついいセンセイの多くが、じつは胸の奥に“聖職”意識を抱いている。
 人前では言えないだけだ。言えなくしちゃったからだ。
 ぼくみたいなカルチャーセンター講師にだって“聖職”気分は濃厚なのだ。
 だから、こまかい<ゆくたて>は省いて、いまこそ言う。
 教職はやっぱり“聖職”だ、実際そうなんだから“聖職”でいいじゃないか。
 (けっこういい待遇ですごしてきながら、退職金が減額になるなら早めに仕事ほったらかしてやめちゃうという、乾いた教師にだって一抹の“聖職”意識はあると信じる)


 まず家庭教育が先にある。足りないところを学校教育が補う。人格など心の面では、それがあたりまえだ。セイゾウ責任でもある。
 つぎに総体の智の育成などでは、学校教育が主となり、家庭(とその周辺)が足りないところを補う。教職はそれが専門の仕事である。
 このルールを、たがいにわきまえ、しっかり守る。


 そのうえで、“聖職”ではあっても全能ではないセンセイは、研鑽をつみ、工夫をかさねていく。
 生徒の側からの指導者評価はあっていいだろう。先生たちはそれを励みに、独善に陥らない戒めにすればいい。
 ただし、人気では測れない教養や人格もある。教育委員会とか校長には、それを見抜くだけのたしかな見識さえあれば、それだけでいい。
 児童の家庭は、こうした事情に配慮して“聖職”者を育てる意識をもつ。


 センセイが毅然と“聖職”者であり、家庭教育もしっかりまともであれば、体罰とか、イジメとか、そんな情けないことは霧消するだろう。
 完成できなくなったまま、放ったらかしにされてきたジグソーパズルの、欠落したワン・ピースのかたちは、はっきり見てとれる。