どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 奥日光の春の色  −ズミの白とシャクナゲの紅−







(2012年)6月なかごろ…久しぶりの日光


 ぼくの日光は、もっぱら“いろは坂”より上の中禅寺湖畔から、戦場ヶ原など“奥日光”と呼ばれる世界のことになる。
 東照宮も、左甚五郎の“ねむり猫”も、ガキのじぶんの遠足かナニかで観て「ははぁ…へぇ…」ですんでいた。
 「東照宮ですか、あの金ぴか趣味の、どこがいいんですかネ」といわれれば、(そうですねェ)という気分なのだった。
 超有名なホテルに泊ってもみたが、ぜんたい、さほどには思えなかった。
 田母沢〔たもざわ〕御用邸記念公園にしても、そこに薫っていたのはむかしの皇室。
 再訪したいところというと、郊外といっていい霧降高原の方へとやっぱり外れてしまう…。


 “いろは坂”を登る。
 運転手さんの背中の傾き、両腕の動きを見、道路脇のカーブ標識(たしか表記は“屈曲”だった)に目を走らせながら、「いーっ」「ろーっ」「はーっ」…と大声で合唱しながら揺さぶられて上って行った記憶は、やはりガキのころの想い出だ。
 1954(昭和27)年に有料道路(まだ珍しいものだった)になった“いろは坂”は、下の馬返から上の明智平まで、わずか15.9kmの間に48のカーブが畳み込まれて、まさに羊腸、これぞ葛折(つづらおり)、しかも片側一車線の対面通行は難儀なことだった。バスなどの大型車輛がカーブで擦れ違うときには、たがいに道を譲りあわねばならず、いちいち車掌が降りてピッピッと笛で誘導する場面も珍しくない、噪〔はしゃ〕ぐのが商売みたいな子どもたちでさえ、車体が大きく谷の外へと張り出すたびにグッと固唾をのんでいたものだし、乗り物酔いになやむ人も少なくなかった。
 これによる渋滞緩和と通行時間短縮のため、カーブが徐々に30へと修整されてゆき…。
 根本解決は1965(昭和40)年、新たに登り専用の第二いろは坂(「い」から「ね」までの20カーブ)が造られ、古顔の第一いろは坂(「な」から「ん」までの28カーブ)は下り専用になって…さすが<けっこう>な有名観光地、1984(昭和59)年には無料開放されたのだった。
 ぼくが“いろは坂”と馴染みになったのは、定年後の父が中禅寺湖畔の会社の保養所管理の職につき、母と共に住み込んだからだった。


 “いろは坂”終点の明智平。ケーブルカーで上る展望台は、眼下に中禅寺湖、正面に男体山を仰ぐ佳境。湖畔への晴朗なハイキング道ある。
 華厳滝を通って、中禅寺湖畔。
 ぼくは、そぞろ歩く観光客の数をさっと観察する目になっている…のに気づく。
 かつて、中禅寺湖畔は春から秋までの観光地で、冬はまるで稼ぎにならない。だから夏場に一年分を、一挙に稼ぎだそうとする気風が、極端につよかった。
 みやげ物店が軒を並べる湖畔では、ライバルの隣り近所に負けまいと、強引な客引きで競りあう姿が、顰蹙をかうほどの凄まじさ。これは子どもたちの情操にもよくない影響をおよぼす。親たちのそんなありようを(いやだな…)と内心では思いつつも、自分たちはその稼ぎのおかげで食べることができ、学校にも行ける…のだった。
 ぼくの両親などは、しょせん他所者の給料取りと思われていたし、つましい性格でもあったから、周囲を配慮する気疲れがひどかった。
 浅ましいまでの態たらく、客筋からの不評を憂うる良心派は、しかし数少なくて、罵声を浴びせられるのがオチ…そうして評判の地に堕ちていくさまを、ぼくも痛く見せつけられてきたからだった。
 それから世情はうつり、観光業者の世代交代も進んだおかげで、いまの湖畔の様相はすっかり様変わりしているのだけれど。


 父母が管理人をしていた保養所は華厳滝の落ち口側、東岸の立木観音堂ちかく。
 歌ヶ浜にボート乗り場があったりしてなかなかの景勝地ながら、冬は戦場ヶ原方面からの西風さえぎるものなく、ときに烈風となって吹きつけ人跡を阻む。中禅寺湖入口バス停からの道がどうにも歩めず、這うようにして行ったこともある。
奥日光の冬、2月の平均気温は−4℃であったか…札幌なみの寒さになり、中禅寺湖を吹き抜けてくる風の冷たさは想像を絶した。


◆戦場ヶ原の春淡いズミの花

 
 湖畔を西へ。
 二荒山神社中宮祠は、山頂に奥宮を祀る男体山(2486m)が山裾を湖水に浸すところで、中禅寺湖がいちばんの広がりを見せる場所でもある。
 ぼくはこの湖畔である年の秋、土地人が「これだけの見ものは何十年に一度」という、紅葉のみごとな一大展覧に遭遇したことがある。
 天与のことであってみればとうぜんのことながら、ワインや日本酒とおなじように、紅葉のデキにも年によって違いがある。けっこうな暑さの夏があり、つづく秋にはかなり冷え込んで、昼夜の寒暖差にメリハリがゆきとどき、これらさまざまな要素、配合の妙が適当になったとき、はじめて「燃えるような紅葉」が現出するのだという。しかも、紅葉もまた桜とおなじく真の見ごろは数日しかない。
 今日がその一日、という僥倖にぼくは恵まれたのだった。
 そしてボクが(正直)そこに観じたのは、(たとえば築地本願寺などで営まれる)豪華絢爛の大葬儀風景、いっそう趣き奥深くしたもの。
 荘厳の美に比類はなかったけれども、それは涅槃の美、超俗の美であって、やはり生々流転であろうとも、ふつふつと湧きあがる新緑の美の嬉々にはかなわないと想われるのだった。
 静かに波光る湖水にはマス釣りの舟ポッカリしていた…。


 菖蒲ヶ浜で湖畔を離れた国道120号は、竜頭滝脇を駆けあがって戦場ヶ原にでる。
 赤沼の辺りで、たおやかな白い花群〔はなむら〕に迎えられ、にわかに見物スローダウンの車列ができる。
 車を停めて遊歩道に入ると、小ぶりの並木になった丈低い木の枝々に、清楚可憐な白い花が顔を寄せ合うように咲いている。桜に似て、桜よりも白い、少女の面影、空の青に溶けこみそうに淡い。
 土地の人に訊ねると「ズミの花」だと教えられた。戦場ヶ原にはたびたび訪れているが、この花にお目にかかるのは初めてだった。
 「ずみ」という語感から、古語の「染み・染む」あたりが語源ではないかと想った。あとで調べてみると予想したとおりだったが、「あなた色に染めて…」みたいな風情からきたのでは…という粋な連想は深よみにすぎたらしい、古くは樹皮を染料に用いたのだそうな。
 別名「コリンゴ」といわれてみれば、そうかなるほど桜より林檎の花に近いかも(おまけに小さな球の実をつけるという)…だが、やっぱりリンゴの花より白く淡い。
 またの名を「ヒメカイドウ」…これもそういわれてみれば「海棠」の花に似かよったところもあるが、しかしだんぜんカイドウの花よりずっと清げに白い。


 戦場ヶ原のすぐ上の空あたりが、湿原から日和に誘われてたち昇る水蒸気のせいだろうか、いくらか霞みがかっていた。
 遠望する戦場ヶ原の奥には、アザミの群落で知られる小田代ヶ原がある。
 夏のいちめん緑の草っ原に、すっくすっくと立ち上がって咲く赤紫のノアザミを見て、ぼくは初めてアザミの美しさを識ったといっていい。そして、春のアザミにしろまた秋のアザミにしろ、吹きっさらしの野っ原こそがいちばんにボーイッシュな素肌乙女には似あうことをも感得した。
 アザミは他の草にくらべてしゃっきり芯のつよいうえに、棘の発達した葉が花の愛らしさに反して際だつからだろうか評判がいまひとつ芳しくない。「薊」という字からして棘がある。
 おなじ棘でも、バラの場合には「美しい花にはトゲがある」というふうに鄭重なのに、アザミに対しては「トゲのある花」とにべもない。腹立たしいくらい、ひどく片手落ちである。
 ボクは、別名の「眉つくり」(花の形が眉刷毛に似て愛らしく丸い=俳句で春の季語)の方こそが、アザミの真実を表現しているように思うのだ…。


シャクナゲ色がよく似合う


 停まりは、休暇村日光湯元http://www.qkamura.or.jp/nikko/
 このところ休暇村づいている。いろいろな宿泊施設を利用してきて、やっぱり旅の宿には「心も軽く身も軽い」のがいちばんだ。
 

 6月中旬といえば、平野ではもう初夏の候だが、奥日光はようやく春だった。
 翌朝、若葉の木漏れ陽のなかに淡くただようものがあり、ぼくは雪虫かと思ったが、よく見るとなにかの植物の綿毛らしかった。
 林間にはまだ雪が残って、樹の根元まわりだけ円く斜めに溶けた雪面が生命の温もりを感じさせ、実際そこに手を差し入れてみるとしっとり柔らかな気を感じる。


 このたびは、東北・北海道それも往復というロングドライブの帰途、休息が目的の奥日光立ち寄りであった。
 だから昼ごろまで、湯ノ湖の湖畔でのんびりすごすつもりだったのだが…。
 あたりに陽射しがキラキラしはじめると、やっぱりジッとしてはいられずに、湖畔をそぞろ歩きだしていた。
 周囲3キロほどの湯ノ湖(標高1480m)は、1時間もあれば巡れる手軽な散策コース。マス釣りの人たちの姿が湖中に立ち、あるいはボートから竿を振っている。
 湯滝の水飛沫にも、冷たさのなかから弾けだしてきそうな輝きが見てとれる。ここから流れ下る湯川がズミの花咲く戦場ヶ原を潤し、やがて竜頭滝を流れ下って菖蒲ヶ浜で中禅寺湖にそそぐことになるのだ。
 兎島のあたりで、日光湯元ビジターセンターの若い女性自然研究員の方から、いろいろな植物の名や特徴を教わった。聞いているときは「ははぁ…ふんふん」よくワカッタつもりで、しかし別れてしばらくすればもうアニャフニャ、「これ…ホラ、なんてったっけ」連れを振り返っても「…………」、ま、そんなものでアル。
 なかで記憶にのこったが、コヨウラクツツジとベニサラサドウダン。
 「瓔珞」というのは(どなたの記憶の隅っこにもあるんじゃないですかネ)、あのちょいと謎めいて難解ふうな仏教装飾世界の。まぁ、ごく簡潔には仏(像)さまの荘厳具といいますか、首や胸の飾りもの。珠玉や金で、多くは壺を伏せたような形に作られる。つまり「小」さな「瓔珞」に似た花のツツジということで、真〔まこと〕にそのように愛しげな、ほんのり紅色に縁どられた可憐な花であった。
 ドウダン(満天星)もツツジの仲間、花の瓔珞形も似かよっている。「紅」の「更紗」みたいに賑わいのある花…というのだろうが、ぼくにはいまひとつピンとこない、というよりボクのイメージする更紗とはどうもチガウらしいのだ。
 チガウといえば、古い小学唱歌に『すかんぽの咲く頃』というのがあって、ボクなんかも習った。
   土手のすかんぽ ジャワ更紗 昼は蛍が ねんねするhttp://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/sukanpo.html
 …というのだ。北原白秋作詞、山田耕筰作曲の、うきうきと弾むいい曲である。
 でもボクらガキの頃には、意味なんかわからずにただ大声はりあげて歌い歩いていた。
 長じて、スカンポはスイバ(酸葉)のことと知り、ジャワ更紗なるものをも知るに及んで、さて…この歌がワカッタかというと、やっぱりまだよくワカラナイままだ。そんなにミゴトなスカンポの群落には出逢ったことがないし、たぶんボクのイメージするジャワ更紗と白秋先生のそれとはチガウ気がする。


 ひと周り歩いて湖畔のレストハウスの庭に、アズマシャクナゲのすてきに高揚した花がいまを盛りと咲いていた。花びらの縁が紅をさしたばかりのような鮮やかさだった。
 ぼくは山を歩き始めたときから、この大柄で姿のいい、それでいて泰然と嫌味のない花が好きだった。
 ツツジの仲間でありながら、ツツジのようにわがままなところのないのがいい。ツツジ属は群落すると、絡まりあった小枝が強情で意地の悪い藪をなし、大きな動物さえ寄せつけないけれども、シャクナゲのしなやかな枝には人も身を寄せることができる。
 ぼくのこの好意は、「しゃくなげ」の語源が「避ける難儀」と知って、ゆるぎないものになった。


 シャクナゲといえば…「夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空」で始まる『夏の思い出』である。http://www.youtube.com/watch?v=mu8KdO7CbBg
 澄みきった高原の空気そのままのいい曲だけれど、
   石楠花(しゃくなげ)色にたそがれる
 と歌われると、ぼくはチガウと感じてしまう。色彩の表現としてはワカルけれども、無理があると想う。
 あるいはこれもまた、ぼくのシャクナゲとはチガウ…のかも知れない。


 標高2024m、冬期は閉鎖となる金精〔こんせい〕峠を群馬県側へと越え、沼田から関越道で帰京した。
 峠道からは戦場ヶ原、男体山中禅寺湖までが一望のもと。
 ぼくは、この眺めを(奥日光の見納めにする)のが好きだった。