どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 小正月の鎌倉  −“どんど焼”とお礼参り−






◆初詣と左義長の一石二鳥ねらい


 昨年末の大晦日〔おおつごもり〕前日から、うっかり引き込んでしまった風邪っぴきのオカゲさまで、望んでもここまでの徹底はできなかったろう寝正月になった2013年。
 もともと、いったん風邪にかかれば長びくクセがあるのは承知していたから、あきらめてゲホゲホ、グスグスに身を任せ、早々に新年の計を修整した。これも年の功というやつだろう。
 「三日おくれの便りをのせて…」船が波浮の港に行ったのは、都はるみ『あんこ椿は恋の花』。
 ぼくの、こんどの正月初めは二週間(もあればたいがい間にあうだろうと踏んで)遅れの15日、小正月の日と決めた。
 そうと決まれば、気楽なもので…。


 目算どおりに日にちはすぎたけれども、さすがに直前の大雪という天変まではヨミきれなかった。
 爆弾低気圧とやらが、気象庁の予報を嘲笑うかのごとくに暴れまわったせいで、郊外の町田あたりでは積雪が10センチ近くなった。
 翌早朝、懸念されたとおり雪道は凍結、とてもまともには歩けそうにない。タクシー会社に電話したくても、回線が混んでつながらない。まだバスが動きだす時間でもない。
 初詣に行こうと思う鎌倉というまち〔・・〕が、クルマの邪魔なところであった…。


 なんとはなしに気ぬけがして、しばらくはぼんやりと、外の雪景色を眺めていた。
 利便この上ない大都会ぐらしが身についてしまうと、危機意識などすっかり麻痺して、縁辺部には谷〔やつ〕坂道の多い町田あたりでも、ほとんどのマイカーにチェーンの装備すらない。それならこんなときは大人しくしているか…というと、なかなかそうでない。暮らしの知恵や世故に長けたはずの年寄りなんかまで、怖いもの知らずのわがまま顔でヨチヨチ迷い出てくるから、どうにもならない。あげく、なんでそんなに気が急くのか滑ったり、転んだり、道をふさいだり迷惑なことで、ピーポピーポ救急車輛が駆けずりまわる騒ぎになるのだ。
 こんな日にも律儀に、犬を散歩に連れて歩く人が通る。いつもとちがうのは、犬の方がしっかり飼い主のようにも見えて、おかしかった。
 

 そうしてとどのつまりは、バスの始発から30分ほどしてボクもでかけた。
 いちど修整した正月行事の再修正はできかねる、やむにやまれぬ小正月の日でもあった。


 鎌倉の、鶴岡八幡宮への初詣は、粋がっていたころの定番。
 友と語らって駅前の喫茶店で落ちあい、参道の真ん中“段葛”の砂利道を踏んでパンパンと手を合わせたら、江ノ電に乗って湘南の海に初日の出を迎え、江ノ島の料理屋で祝い酒…というのが文句なしによかった。途中、慣れない着物の角帯が解けかかって慌てて路地に駆けこんだ想い出など、いまも鮮明だ。
 小正月左義長神事“どんど焼”。火祭り好きのぼくは、じつをいうと初詣との一石二鳥をもくろんでいた。源氏池の畔で行われる鶴岡八幡宮左義長は、青竹を円錐形に(二つ)束ね立てた中に門松や書き初めなどを持ち寄り、周りに七五三縄〔しめなわ〕を飾りまわして焼く。古式を伝える格調があったからだが…。


 雪道に出遅れ、バスや電車も軒並に遅れては、とても朝7時からの神事には間にあわない。
 全国的に名高い鶴岡八幡宮でも“どんど焼き”ばかりは、(どこでもおなじ)住民本位の土着行事であった。


 見上げる本宮の屋根瓦に、迫りだし消えのこった雪のかたまり二つ、八幡さまのシンボルマーク鳩に見たてられるのを吉兆に、初詣。


◆荏柄天神のこぢんまり“左義長”に親しむ


 八幡さまの脇から雪ノ下の路地に出て、雪道を荏柄〔えがら〕天神社へと歩く。
 道すがら、鎌倉に“かまくら”を見つけて、ヨロコブ。雪室に水神さまを祀って遊ぶ子ども行事の“かまくら”も、元は秋田県南地方の左義長神事である。
 さらに行くと、小ぶりの雪だるまがいくつも、笑い転〔まろ〕ぶように溶けかかって、愛らしい。
 赤い丸ポストの似あう路地道でもあった。


 石段を上る山裾の小さな社〔やしろ〕、荏柄天神さんには旧い友の家を訪ねたような親しみがある。
 なりは小柄ながらもこの天神さま、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに並び称される“日本三天神”のひとつ。地味に見える社殿も鎌倉最古の木造建築ということで、国の重要文化財なのだった。
 狭い境内地に小ぢんまりと神籬〔ひもろぎ〕が設けられ、神事の準備が進められていた。すぐ脇に据えられた竈からは、糯米〔もちごめ〕の蒸篭〔せいろ〕が湯気をたてている。
 住民たちから託されたものと見える正月飾りなどを、世話役たちがいちいち選別していた。
 「いまは、ねぇ…これですから」
 プラスチックの真っ赤な海老が針金で巻きつけられていたりして、燃せば害になりそうなものは取り除いておかなければならない。伝統の厄除け行事も面倒なことになってきたものだ。


 境内に穏やかな冬の陽だまりが広がる午前10時。
 観衆30人ばかりが見守るなか、神主さんによる神事が執り行われ、“どんど焼”の浄火が燃えた。手を合わせて拝むオレンジ色の炎は小さいようでも、いっとき身を焦がすほどの熱さになった。授業のある平日だったので子どもの姿は就学前の幼児が一人だけだったけれども、この子が木の枝に餅花にぎやかに咲かせた“まゆ玉”を手にしていた。付き添いのお母さんに声をかけると、時季になると作って売りに出す店がいまでもあるのだという。浄火にかざされた餅花はたちまち香ばしく焦げた。
 “どんど焼”の炎を背に、餅搗きが始まる。20キロの米をホッホと10臼ほどで搗きあげ、この祝い餅の授与までにはまだ一時…。


◆お礼参りの「お薬師さま」


 その間に(…といっては失礼ながら)、お礼参り。
 昨秋かみさんが心の臓の手術を受けたときに、お友だちが届けてくださった“病い平癒”のお守りが鎌倉覚園寺〔かくおんじ〕の「お薬師さま」のもの。おかげさまで無事にすんだから、近いうちに謝礼の参詣をと思っていたところだった。「ついでは、よいおり」ともいう。
 覚園寺は、雪ノ下のさき二階堂。鎌倉宮の脇から、小川の流れに沿ってしばらく上がった奥にある。名だたる社寺の多い鎌倉にあっては控えめながら、“建武の中興”で後醍醐天皇および足利尊氏勅願寺とされて栄えた名刹。「お薬師さま」のご利益を慕われてもいる。
 蓮の甕が並ぶ境内で、ご住職が雪かきをされていた。
 ふだんなら薬師堂を含む広い山内の要所を小一時間かけて案内してもらえるのだが、「きょうはこの雪で…」どうぞご勘弁をということで、せめてぬかるむ道を薬師堂まで。
 ぼくは仏像に詳しくはないけれど、左右に日光・月光の両菩薩を脇侍とする座高1.8メートルの薬師如来像は、おだやかに、ふくよかに、やさしい、いいお姿。左右に居並ぶ十二神将像までひっくるめて、お堂のすべてが国の重文だった。
 背後の尾根は天園ハイキングコース、西に行けば建長寺、東に辿れば水仙瑞泉寺へと至るが…。
 お礼のお守りを納め、かわりに新しく健康祈願のお守りをいただいて、辞去してきた。


 引き返して、荏柄天神では搗きたての黄粉餅と餡ころ餅をいただく。
 “どんど焼”の火はすでに細々とくすぶるだけになり、境内では梅の蕾がふくらんできていた。


 帰途、まち〔・・〕の八百屋さんの店先に、房総産の春の先駆け“菜花”を見かけた。
 けれども…帰宅して見ればまだまだ、まさに寒中の最中、工房の屋根には大きな雪庇が垂れ下がっていた。 
 

小正月は「いちごの日」


 ふと振り返ると、小正月はすでに遠い昔の風景のようだった。今年はこの言葉、ほとんど聞くことすらなかった気がする。
 「女正月」という小正月の習慣にしてからが、いまでは俳句の季語周辺だけの世界かとも思われる。たとえば…
 飛騨の古川には“三寺まいり”という、縁結びの伝統行事がいまもある。夜、ロウソクの火叢〔ほむら〕に揺れる川沿いの三つの寺を巡るもので、むかしは出稼ぎから帰った娘たちにとって稀少な男女出逢いの機縁。白壁土蔵の町に似つかわしい小正月の風景…だが。
 いま巷で1月15日は「いちごの日」だという。