どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 メケメケ・銀巴里・ヨイトマケ  −ゆらぎと美貌の美輪明宏−




◆寒波の年の瀬


 紅白で美輪が唄う、と聞いたときに(ヨイトマケ…)しかないと思った。
 デビューして60年、77歳での初出場は史上最年長とか騒がれたけれども、そんなことは、まぁ、いい。
 (若いときの)美輪の面影を想いうかべるときには、きっと、(自決する直前の)三島由紀夫の風貌がフッと一緒にゆらぐ。


 ぼくにとっての美輪のすべては、銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』にある。
 すぐ間近のステージに、衝撃のスポットライトを浴びる麗人…その頃のカレは、丸山明宏。だからボクのなかでの美輪は、ずっと丸山のままだ。
 銀巴里のもとめる美少年が颯爽とあらわれての専属歌手デビュー、というのも夢のようなハナシだった。
 さきに美貌があった。国籍・年齢・性別不詳、ユニセックスといわれ、「シスターボーイ」と呼ばれ、三島をして「天上界の美」とまで言わしめたのだが。
 その妖しいまでの美しさに「息をのむ」というのが、いちばんスナオではなかったか。


 唄は『メケメケ』だし、『ヨイトマケの唄』だった。
 (魂の)ゆるぎの歌唱が、これも息をのませた。
 メケメケ…と、ヨイトマケ…の、落差のおおきさにも息をのむ思いだった。
 (実家が長崎の丸山遊郭でカフェを営んでいたこと、自身に原爆被災の体験があることなどは、後で識ったのだけれど)
 ヨイトマケは、ぼくらの青春前期ころまではあった。
 土方(どかた=土木工事)の地固め仕事で、いまは機械まかせの重労働。おもに日雇いの、大勢が力をあわせるときの掛け声に由来する「お父ちゃんのためなら、えーーんやこら」には、たしかに上から庶民を見下す蔑みの語感があった…。


 シャンソン喫茶『銀巴里』は、フランスのかほり。
 ふところ寂しい青春には(ときたまにかぐ)贅沢な媚薬のようなものだった。
 ぼくらの頃(60〜70年代)には、石井好子ペギー葉山岸洋子高英男…らがいたが、なかで丸山明宏はひときわ艶冶〔えんや〕な光彩を放っていた。
 (丸山の後の銀巴里で、耳をかたむけさせたのは『別れのサンバ』の長谷川きよしだった)
 いまはない『銀巴里』の「さよならコンサート」(1990年)も、もちろん丸山(美輪)のステージだった。


 カレ…はまた俳優であり演出家でもあって、『黒蜥蜴』(江戸川乱歩原作、三島由紀夫脚本)や『毛皮のマリー』(寺山修司天井桟敷)で知られるけれど。
 芝居というものが恥ずかしくてならないボクは、カレの舞台を観ていない。
 
 そうして大晦日紅白歌合戦、かんじんの美輪の出番の頃には、ボクは酔い酔い白河夜船…。
 「いちばんの感動」という評判は、年が明けてから知った。
 ヨイトマケのなんたるかを知る由もない若い子たちが「すごかったねぇ」、ちゃんとワカッテくれたらしいのが妙にうれしくて、くすぐったいほどだった。