どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

および腰自治体の、腰のひけた災害対策

★2013年10月28日(月曜日)
★《3.11》フクシマから →  962日
★オリンピック東京まで → 2461日

*心配した台風27・28号は、なんとか「お騒がせ」程度で通り過ぎてくれて、ひとまずヨカッタわけですが…*

*マーくん(田中将広)が負けない。プロ野球、日本シリーズで楽天が勝ち、1勝1敗のタイでアウェイの後楽園に乗り込む。それでも巨人の優位は動かないそうだけれども…もういちどホームの仙台に戻ることができれば…ワカラナイ*



◆あらためて災害列島ニッポンの“ゆるふん(緩褌)”世間話

 いまも行方不明の方々の捜索がつづく伊豆大島に、合掌、黙祷。
 町長はじめ町職員チョンボの行方はひとまず後のことにして、いかにヒドイ“緩褌”であったかの証言をふたつ。

 まず町長さん。
 26号惨禍の後の、27号接近予測を受けて(3日前に)避難指示について問われると、したり顔に言った。 
 「まだ様子を見ないと…いまから避難所生活じゃたいへんですから」
 ちょっと聞こえはいいようだけれども、この期におよんでも緊迫感が欠如していた。避難所生活の不便を思いやるより先に、しなければならないのは“命を守る”ことじゃないですか。なのに頭はそつのない答弁をすることの方にむいてしまっている。(この後、周囲の情勢におされて結局は全島に避難勧告をだすまでになるのだが)緊急事態に直面して模範解答など考えていられる場合か。

 もう一人は町長不在の間、代理を任されていた総務課長さんでしたっけ。
 26号台風の豪雨による土砂災害が憂慮される事態に対しても、「避難勧告など出す踏ん切りがつけられなかった、島民は土砂災害への警戒感が薄いこともあって、もしはずれた場合には苦情をいわれなければならないし」と涙声であったという。

 この人たちにとって、あの《3.11》はなんだったのだろう。
 やっぱり他所ごとか。それとも…
「あれ(3.11)からずっと海(津波)ばかり気になっていました」とでもいうのか。
 島の成り立ちであり、観光の一枚看板でもある活火山、“御神火”三原山のことを「忘れていました」なんて、それはないでしょ。
 
 似たような状況にある自治体が多いともいわれるが、国からの指示など待たず、それぞれに独自の考えと工夫で「住民の命を守る」ことを始めている自治体だって現にあるのだ。
 マスコミはもっと、こうした事実に焦点をあて掘り下げた報道をしてもらいたい。

◆「指示があってから…」ですか、命ひと任せですか

 つい最近はじまったばかりの便利社会にすっかり馴らされちまって…自分では黙ってナニもしないでいても誰かがナントカしてくれる、なんて考えにどうしてなれるんだろう。
 住民たちの災害に対する危機意識の低さも、はっきりいって“緩褌”どころか、締りなくずり落ちてしまいそうなところまでレベルダウンしてる。

 正直にいえば、ぼくも《3.11》までは緩んでた。
 “注意報”や“警報”が出てもせいぜい10~20センチの「津波」なら(それは津波じゃないだろう)と。
 むかしは「海嘯」と呼んだほどの、ほんとの「津波」とはやっぱり違うんじゃないかという違和感、名前を変えた方がいいんじゃないかとさえ思っていた。
 予報をだす気象庁はオオカミ少年だと思っていた。
 でも《3.11》でハッキリ目が覚めた。
 他人ごとだはない、他所ごとでもない。
 そうじゃないんだ(オマエも気が緩んでいたんだぞ)と気づかされた。
 そのさきの被災地行脚も、だから自然なことだった。

 ところが…その被災地で、こう呟く人がいた。
 「これでもうしばらくはないよね、1000年に1度の大津波ならさ」
 「オレは絶対にここ(なにもかも津波にもっていかれた浜辺)を動かん、死ぬときは死ぬまでさ、どうしても動かしてぇんなら担いでってみな」

 気になるのは、その後も頻発する災害現地からの報道で、インタビューに応える被災者の“笑顔”だ。
 もちろんそこには、カメラやマイクを向けられるとナゼか知らん顔はニコやかになってしまう、という心理がある。けっして心から自然な“笑顔”ではないこと、いうまでもないが、それにしてもその表情は(ご心配いただいてありがとう)以上のものに思える。
 気もちのどこかに「なんとかなる」、「なんとかしてくれるはずだ」の思いがにじむ気がする。
 言葉にはない余裕すらうかがえる…といったらいいすぎだろうか。

 ちょっと前までは、無遠慮に向けられるカメラやマイクに対して「(たいへんなのは)見ればわかるだろうが、バカなとをいうもんじゃねぇ」と、キッと怒りの目をむく人がいた。
 なにも(怒ればいい)というのではない、さほど(切迫はしていない)ことをいいたいだけだ。
 この国はたしかに、他所からくらべればマシかも知れないが、そんなに安心だろうか。
 
 伊豆大島についていえば……。
 火山灰土が、地盤と言えないほど緩く脆いことは、ちょっと地理に関心のある者、山歩きなどする人なら知っている。
 それを島人たちがホントに知らなかったとすれば、そうさせてしまった教育・行政関係者の罪は重いし、全体にそんな危なっかしい防災認識で観光客を呼び込んでいいものかどうか。
 もうひとつ、こういう場合の知恵袋でなければならないはずの、働き盛りの若い世代にかわって地域を守る立場でもあるはずの、年寄りたちはどうしてしまったのだろう。
 「警報とか避難指示とか、あればだけどねぇ」か。
 
◆アテにされてはいないようで、タヨリにはされている、のだろうか

 「科学万能」といわれ浮かれた時代があった。
 20“世紀末”のこの時代に、ぼくらは徹底的に地球をイジメた。
 青い「水の惑星」を穢した。

 それに“科学”がよろこんで手を染めた。
 “科学者”たちは、じつはワカラナイことだらけの自然を、科学でどうにでもできるように「偽った」とまでは言わないけれども、「科学は万能」だと思わせよう、信じさせようとした。
 (このあたり原発安全神話とやらのいきさつとよく似ている)
 信頼が売り買いできるものと、考え違えた。

 まんまとそれにノセられた、いい気な人々のボクも一人だった。
 わからないこと、できないことを、「近い将来にはきっと」という言い方で、糊塗・こと・コットン…とりつくろってきた。

 心からの信頼を得る道は、勇気をもって潔く“背伸び”がすぎたことを詫びる、ほかにはない。
 科学にもやはり「限度はあって、それもけっして小さなものではない」ことを。
 「べったりと、頼りきらないでください、困ります」のだ、ということを。

 地震については、現段階では予知できないことを認めた。
 気象のほうはというと、「予報はあたらない」と言われつづけた所為かどうか、はっきりワカラナイとはいわずに、「注意してほしい」という表現で責任を逃れている印象がある。
 (どう注意すればいいのダ)
 それでいて体面を保とうとするのか、どこかエラそうにしているように見える。

 みんなそうだぜ、カッコつけるな、キドルな、シッカリしよう。
 官・民・学そろって「三方緩褌そろい踏み」なんぞ、シャレにもならない。
 それぞれが孤立することなく他山を励みに、“人類復興”再起のスタートラインに立ちたい。
 もって“オリンピック開催”の誇りとしたい。
 
*写真は、大島焼の製作風景。この陶土にも火山灰が混ぜ込まれている*