どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

男子マラソン2時間の壁のむこう

-No.0011-
★2013年10月02日(水曜日)
★《3.11》フクシマから →  937日

★オリンピック東京まで → 2487日



 ウィルソン・キプサング(ケニア)、ベルリンマラソン世界新記録2時間3分23秒。

 マラソンの世界記録はこのところ、1分短縮するのにおよそ5年かかっている…から、単純計算で15年後にはついに2時間を切れるか、というところまできた。まぁ、実際にはこの夢のような“記録の壁”を破るのはたいへんなことだろうが、でもうまくするとボクがこの世にさよならするまでには間に合うかも知れない。

 1964年の東京オリンピック。10月21日、甲州街道を舞台に行われたマラソン(女子マラソンはまだなかった)では、エチオピアの「裸足の哲人」アベベのひたすら道を求めるがごとき走りに観衆は息をのまされた。20キロすぎから独走になったとき、解説者が「このままゴールまでもつかどうかワカリません」と懐疑的だったのを忘れない。

 そのとき大学受験浪人中だったボクは、新宿駅南口前あたりの人混みに紛れていた。
 マラソン好きの若い目に、残像をのこして行ったアベベの、ぴんと伸びてブレない背筋は思索的であり、ただ時を相手に瞑想的ですらあった。ぼくもどよめく観衆とともに戦慄のなかにあった。
 「長距離走はアフリカ勢」の時代がこのときから始まった。

 それからかなり待たされて、午後の倦んだような陽のなかを円谷が走りすぎていった。(あのころの)自衛隊体育学校のイメージそのままの硬いシルエットだった。彼は2位で国立競技場に入ったものの、トラックで抜かれて3位でゴール。銅メダルを祝福されながら、自身は大観衆の目前で抜き去られたことを悔やみ恥じたという。

 ぼくが待ち望んでいた君原、もっともメダルを期待されていた男は、さらに遅れた。いやいやをするみたいに首を振り、もがくように苦しげな走りながら強かった彼が、オリンピック本番ではほとんど忘我の汗にまみれ、目は前方やや上の空気しか追っていなかった。結果8位に敗れた。

 そのときのアベベ・ビキラの記録、2時間12分11秒2、世界最高記録。
 彗星のように現われた無名のランナーとして、前回ローマ・オリンピックのマラソンを制したアベベの、これでマラソン2連覇は世界初。付け加えれば、オリンピックのマラソンを世界記録で勝った男も彼のほかにはない。

 1964年・東京から4年後のメキシコシティー・オリンピックの年、1月。「父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」慟哭の遺書をのこして、銅メダルの円谷幸吉が自殺している。
 
 同学年のライバルで東京では苦渋をなめた君原健二は、雪辱メキシコ・オリンピックのスタートに立って「きょうは(無念の)円谷さんのために走る」と誓い、銀メダルに輝いた(…が、優勝はマモ・ウォルデ、エチオピアのマラソン3連覇)。君原(円谷も)この年27歳。

 同じ大会をアベベも走ったが、みずからの3連覇どころか途中17キロで棄権している。彼は36歳になっていた。

 4年、というオリンピック大会の間隔は、選手にとって微妙である。「ピタリどんぴしゃフィット」もあれば、「どうにも乗り越えられない溝」もある。
 2020年東京でも、さまざまなドラマが演じられ、あるいは繰り返される。