どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 オート・キャンピング考【4】/八甲田山から田沢湖への割算(÷)ルートを行く   −山中に粋人あり〈美人多しスピード落とせ〉とは…−








◆6月16日、土曜日。八甲田へ。


 深夜3:00函館発、早朝6:40青森着のフェリーで海峡を渡ってきた。
 早朝便を利用するのは、この先のドライブになるべく余裕がほしいからである。若い頃はそのまま直ぐに東北自動車道へ、青森から東京まで長距離トラックなみに走りとおすことも少なくなかった。忙しかったし、キツイくらいのスケジュールががうれしくもあった。しかし、さすがにこれは草臥れる。
 そのうちに、だんだんに途中で1泊、さらにもう1泊と間をおくようになった。


 東北道が盛岡をすぎ八幡平にさしかかると、奥羽山脈を越えて岩手県から秋田県へと西に周りこむ、実際以上に大きく迂回する感がある。
 東北道を挟んで十和田湖田沢湖とが、ちょうど割算記号(÷)の上下の点のようにも思える。
 きっと弘前津軽方面への配慮もあってのルートどりだったろうと思うのだけれども、ぼくには難関を避けたイメージがのこった。
 それはハッキリと、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』の影響だった。この〈死の彷徨〉は、こたえた、きつかった。雪中行軍で遭難した青森5連隊210名の将兵のうち凍死者199名は、あまりにも結果の悲惨が大きすぎた。ぼくも少し山を経験している、道に迷って遭難しかけたこともあったからだろう。
 この小説を原作とする映画『八甲田山』は、高倉健北大路欣也三国連太郎の主演で1977年に公開されたが、ぼくはずっとあとになってから観ている。
 だから“八甲田”は、ぼくにとってイメージ距離の遥かに遠い山だった。
 十和田湖には行ったが、発荷〔はっか〕峠越えで南岸の和井内に下り、東へと巡って子の口から奥入瀬渓流に抜けていた。北の八甲田をずっと意識しながら、ついに脚が向くことはなかった。
 〈死の彷徨〉にまつわる状況のすべてが、いまはむかし…そんなことは分かっていて、しかしぼくには〈敬遠〉気分をだいじにしておきたい想いもあったのだった。

 
 それが、どうしたことだろう、こんどは気紛れに(行ってみるか…)という気になった。
 ぼくは国道103号のルートをとった。こだわれば、一本東の県道40号を行くべきだったろう。麓に雪中行軍遭難資料館があり、中腹の田代元湯付近には雪中行軍遭難者銅像(青森5連隊の後藤伍長は雪中に立ちつくしたままの仮死状態で捜索隊に発見された)、露営地跡や慰霊碑などもあるからだが。ぼくは、それには時をあらためたほうがよかろうと思った。


 道は、見覚えのある“ねぶたの里”の辺りを抜けて徐々に高度をかせいで行く、南北20座ほどから成る八甲田休火山群の裾野は、飽くまでも惘れるほどに広大であった。
 流れる雲は迅く、空模様は予断をゆるさず、岩木山展望所からも津軽の“お山”は望めなかった。
 放牧地になっている萱野高原に出て、ようやく八甲田連山の峰々に陽がさしかけた。このあたりで標高は500メートル、風の冷たさには厳冬の頑固さが染みのこっていた。
 田茂萢〔たもやち〕岳(1324m)に架かる八甲田ロープウェイをすぎると、高原から山岳へと景観は移ろって酸カ湯温泉に着く。混浴の千人風呂で名高い“みちのく”屈指の湯処は、さまざまなメディアにとりあげられることもしばしばで、それだけでもう何度も訪れているような親しみさえ覚えるほどだが、もちろんぼくはこれが初めてだった。雪国の宿は雪解けを迎えると、建物の修理にかかるところが多く、ここもちょうどその時期を迎えていた。
 青森駅からのバスに乗って、山歩きに訪れる人の姿も少なくない。


奥入瀬渓流の人懐こさ、十和田湖の底知れない冷たさ


 この先103号は、傘松峠を越えて青森市から十和田市へ。猿倉・谷地・蔦の温泉地を辿って十和田湖温泉へと下って行く。
 いつのまにかカラッと晴れ渡り、澄み渡った空の下、いちばん明るく開けた感じの蔦温泉では、朝食休憩後の浴客散策タイム、部屋掃除のお姉さんたちの襷掛け姿が生き生きと動いていた。


 焼山で国道102号に右折、奥入瀬渓流を遡る。
 いつ来ても思うのは奥入瀬の流れのやさしさ、親しさである。ほとんど緩やかな傾斜を滑る流れは淀みなく、激流なく、適当な流速をたもって、キャンバス映え、カメラ写りの愛想もよい。これほど懐ひろやかにおおきな、水の流れと緑の協奏の連続は、さすがに比類がない。上る人あり、下る人あり、観光バスも狭い道に懸命のサービス停車を提供する。


 十和田湖畔に出て子ノ口から、ぼくは初めて北岸の御鼻部山まわり“西十和田いで湯ライン”で行きたいと思ったのだが、生憎このルートは途中、土砂崩れのため通行不能になっていた。八甲田山群の山裾が雪崩れて落ちた北岸は、地図で見ても極めて険阻な道に思える。
 やむなく観光ルートの休屋に行き、乙女の像まで湖畔を歩く。
 ベンチで観光バスの昼食弁当をひろげ、ワンカップの酒にほろ酔っている男が二人、湖の上の空ばかり見ていた…。
 そんな遊客たちのにぎやかに群れる汀から、湖心の方へと目を転ずると、水の色が怖いくらい無表情な冷たさを湛えている。十和田という湖は、天候・季節にかかわりなくいつもこんな表情をくずさない…ようにぼくには思える。果てしなく底深く感じられる。ぼくにとって長居のできるふんいきではなかった。
 

 西岸を北上して、“西十和田いで湯ライン”との接点、滝ノ沢展望台まで行ってみたかった。
 子ノ口から北岸まわりの、もくろんでいた道筋の通行を拒まれた口惜しさが、たしかにのこっていた。
 晴れているのにずっと仄暗い樹林のなかを行く。
 展望台への上りにかかるところに、滝ノ沢キャンプ場への入り口があった。ぼくはてんで気分を誘われなかったが…人の好みはいろいろだ。
 滝ノ沢展望台は期待に反して、繁茂した樹々の枝に遮られて眺望がきかなかった。あまり注意を向けられていないように感じられたが、まだ夏前、あるいは「これから枝落としなんかやろうと思ってたところ…」なのかも知れない。
 山ツツジの紅の花が慰め顔に咲いていた。


 湖畔を十和田道(国道103号)の和井内まで戻って、発荷〔はっか〕峠への急坂を登る。
 ぼくの記憶は和井内という地名に、スッと人名が重なる。和井内貞行。
 その名知ったのは、あれは中学、地理の教科書だったろうか。江戸時代末期に生まれ大正時代にこの世を去った彼は、魚一匹棲まなかった十和田湖にヒメマスの稚魚を放流、養魚事業に成功して観光開発の先駆者にもなった…。読んでその話を知ったときに、ぼくがイメージしたのは寡黙で一途、謹厳実直な人物。後で人名事典を見たら、まったくそのイメージどおり、寸分ちがわない顔写真が載っていて愕然とした覚えがある、それでフシギに忘れられない。
 よく知られた随一の十和田湖展望台発荷峠は、さすがに駐車場も広く設備も怠りない。茶店で団子を食べて休み、湖に別れを告げた。
 

 十和田道(国道103号)は途中、ニンニクの田子〔たっこ〕町を通って国道4号に至る秋田街道(国道104号)を左に岐けて、東北自動車道十和田ICへ。東北道を1区間、鹿角八幡平ICまで走り、国道341号に出て八幡平を目指す。
 やっぱり…割算記号(÷)…を実感する。十和田湖田沢湖が上下の〈・〉で東北道が間の〈−〉。


◆美人多し、スピード落とせ


 八幡平の裾を抜けて田沢湖まで、思えば青森からのロングロングマウンテンドライブ。
 この季節、北海道でもそうだったが、やたら目につくのは山道の脇に斜めに頭を突っ込んで居座る車たち。
 しかも圧倒的に爺っちゃ婆っちゃ乗りの軽が多くて、聞けば「竹の子とりだ、根曲りのさ…」。
 春の山菜採りシーズン、もこれで一段落。
 レクリエーションを兼ねた実利健康法人の人が多いのだが、なかには旅館や土産物店相手の商売にしている猛者もいて、
 「いやぁ、いい稼ぎになる人だってケッコウいるんだよぉ」。


 野鳥でこの季節、とくにかわいいのはウグイス。
 春先は「ホー」も「ホケキョ」もまだまだ、ぜんぜん覚束なかったのが、夏本番にむけてようやく…
 「ホーッ、ホケキョ、ケキョ、ケキョ」
 おおきな声に自信がみなぎってくる。
 …それでもまだ、出遅れズッコケ組の覚束ない囀り「ホケ…ケキョ」ときおり混じるのが微笑ましい…。

 
 ここは秋田県
 “八幡平アスピーテライン”を左に見送って、山は深く道は険しさを加速して行く。
 コブシの花が秋田美人との出逢いを想わせてハッと白い。
 鹿角市から仙北市角館町田沢湖町西木村が合併して2005年に誕生)への峠を越える国道341号、〈冬期閉鎖区間のただなかに“秘湯”玉川温泉がある。
 ラジウム温泉の一種で「じわっと沁みるように効く」ことで知られる、長期滞在の湯治客も多いところだ。
 今年(2012)2月の厳冬期、雪崩に襲われて浴客3名が死亡したとき、驚きより深いタメ息もらす人の方が多かった…。
 雪崩にやられた名物の岩盤浴場テントは宿から15分ほど歩いたところ、近くには無料の露天風呂もあった。
 春4月になって、その岩盤浴場再開というニュースがあったばかり…だが、この野趣浴があじわえるのは秋11月ころまで。冬期は指定車輛以外、宿にも行けない。そこで自家用車で訪れる浴客のためには、秋田新幹線田沢湖線田沢湖駅前に専用の駐車スペースが設けられる。


 下りにかかると“グリーンシャワーロード”沿いの石の川原の、一面赤茶色の風景が目に痛い。
 これは玉川温泉の効能のもと、強酸性塩化物線の湯によるもので、もちろん流れに魚は棲まない。むかしは「玉川毒水」と呼ばれて下流の田園地帯に被害をもたらし、これを解消する(強酸性を薄める)目的で田沢湖に導入された川水は湖水魚を死滅させたりもした…という。
 現在は、宝仙湖に造られた玉川ダムなどによって水質改良されている。
 宝仙湖には男神橋が架かっていて興味をそそられるが、これは背後の小さな山の名にちなむもので、並立する女神山の方は橋の名に転用されていなかった。
 
 
 ドライブ途中の路傍に見かける標識看板なんかにも、ときにハッとするほどの傑作がある…一例をここでも見つけた。
 さらに下流の秋扇湖をすぎた鎧畑の集落あたりに、
 「美人多し、スピード落とせ」
 これは素晴らしい、山中に粋人ありの優秀作であった。
 桐の花の淡い紫が楚々とほほ笑む…。


田沢湖に太古生命誕生を偲ばせる雲霧たなびく


 キャンプ地、田沢湖
 “田沢湖オートキャンプ場・縄文の森たざわこ”は国道から湖畔の白浜に出てすぐ右手、御座の石神社方面へ少し行ったところ。
 湖畔に近接した立地、設備、レンタル用品など、ほとんど文句なしに整ったいいキャンプ場で、料金は安くないが、それだけのことはある。
 近ごろは価格破壊なんてオソロシイようなことが平然といわれ、<安いもの勝ち>の風潮だけれど、<価値に見あった正当な価格>がどれほど精神の癒しになっているかを、人はもっとしるがいいと思う。
 ここでは夏先どり派のキャンパーたち何組かと一緒になることができた。ごたごた混みあって煩いキャンプ場はごめんだが、だーれもいないキャンプ場というのも情けない。
 週末の行楽たのしむ家族連れがほとんどだったが、隣りのキャンプサイトは職場仲間を誘いあってのアウトドア好きグループ、宿泊テント3張りにパティーテント1張り、物置テントもあるという賑やかさ。群馬県の前橋から来たといっていたけれど、さすが(かかあ天下…)のお国柄おもわせる女性陣の声も一層にぎやかだった。
 水深日本一(423.4m)、湖水の透明度もまっふ湖に次いで2位という田沢湖の周辺には、乳頭温泉郷をはじめ湯どころも豊富。そのせいか、瑠璃色に見えることが多い水は冷たく澄んでいるものの、十和田湖とは違ってどことなく<朴訥な愛嬌>といったものが感じられる。
 したがってキャンパーたちにも温泉入浴は人気で、お隣りの賑やかグループもわいわい出かけて行き、戻ってもわいわい夜更けまで食べて飲んで喋っていた。
 天気は、その夜から下り坂。夜半に小雨がパラパラテントを叩いた…。


 翌朝はやく、まだ夜の静寂〔しじま〕が白々明けそめたばかりのころ、ふと目覚めてぼくはソッとテントを出た。
 隣りのテントは、熟睡、爆睡…。
 雪の降る明け方にはよく、風景も大気もひとつにシンと鎮まることがあるものだけれども、このときもそれに似て冴え冴えとした感覚があった。
 薄い霧のような冷気が、草の上を漂い流れるのに触発されて湖畔に出た。
 そこには、深い感銘との出逢いが待っていた。
 ぼくは(太古うまれいずる命そのまま…)を見てしまった気がした。
 閑かな静かな黎明の湖水を縁どる周囲の山々に、明けきらない空の碧をぼかしこんだような白い雲霧、濃淡の帯をなしてゆっくりと棚引き流れる風景は、なるほど“縄文の森”の汀かも知れなかった。
 ぼくは足を忍ばせてテントに戻り、かみさんを起こして汀にひきかえした。
 この情景には、だれかと感動をわかちあいたいものがあったから…。


 そうしてぼくらは、この黎明の水墨風景を太陽光が吹き消してしまわないうちに(田沢湖により深い想い出をのこそう)と、朝食もそこそこに湖畔一周ダライブに出掛けた。
 田沢湖は、カルデラ特有の円い湖水をゆるやかな山々の稜線にかこまれ、そのせいでこんな雲霧のはっきりしない気象のもとでも、空にはほんのり明るさがある。
 趣向がいいとはいえない金ピカの辰子姫の像も、きょうは艶消しのくすみを沈めてわるくなかった。
 舗装された周遊道路に〈縄文の雲霧〉の景がつづき、気づけばこの湖畔には目だった河川の流入がない。
 それでいて底深くいつもたっぷりの水を湛えているのは、湧水のせいだろうといわれている…。


地熱発電の八幡平高原は乳色の霧の中…
 

 八幡平を通って東北道に出てみようか…と思ったのは、自然エネルギーのひとつ“地熱発電”のことが気にかかっていたからだった。
 昨日のコースを途中までもどり、トロコ温泉の手前から“八幡平アスピーテライン”に入る。
 この道沿い、秋田県側には大沼付近ほかに地熱発電所や試掘中の候補地があり、岩手県側に下れば有名な松川地熱発電所もある。
 地面に筵を敷いて寝る、オンドル式の珍しい湯治風景で知られる後生掛温泉はじめ湯どころも多い八幡平の高原は、広大な熱源地帯でもあるらしい。
 地熱発電はコストなどの課題が指摘されているが、原発建設の莫大な費用に比べてどうなのか…放射性物質による環境汚染、後始末もできずに堆積しつづける“核のゴミ”のこと、などなどと考えあわせたらどうなのか…まるでワカラナイ。
 結局は、おおきな利権にすがりつく誰かさんと誰かさんの都合で、いいようにことが運ばれているとしか思えない。のだが、ともあれ…。
 できれば近くまで行って見るだけでもいい、そこに漂う雰囲気から嗅ぎだせるものを探ってみたかった。のだけれども…。


 この日の八幡平はなんと、あの田沢湖畔の雲霧を幾層倍にしたような濃い乳白色の霧が渦巻く世界。すべてを謎めく帳の向うに隠してしまう。
 県境の見返峠にかかる頃には、対向車のライトさえ直前になって不意にハッと気づかされる始末になり、こうなると夜間走行とかわらない、ゆるやかな起伏が特徴のアスピーテ型の山容も、高原に散在する火口湖の風景もなにもかもが奪い去られ、興は殺がれてもはやなんの意欲も湧いてない。
 今回はこれまで、予定のすべてを諦めまたの機会にゆずって、帰途についた。