どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 快なり!…田舎館村の“田んぼアート”  −感動の出逢いからすぐまた再訪は有り難いこと−







◆迂闊にもこの村の名をぼくは知らなかった

 
 6月10日、日曜日。津軽へ。
 東北自動車道も盛岡から先はめっきり車の数が減る。
 どうしても気が弛んでくるのは避けられず、眠気ざましの気晴らしに窓を少し開け、風の唸りが煩さすぎない程度に速度をゆるめる。
 そのすぐ脇を地元の車が猛スピードで追い抜いて行く。
 <素朴な東北>のイメージとは違って、長閑〔のどか〕な気分とはほど遠い…と勝手な感想を抱いたりする。
 

 黒石インターで下り、田舎館村へ。
 そこは津軽平野の南部、八甲田山と“津軽富士”岩木山のほぼ中間。西隣りは弘前市、東隣りは黒石市
 それにしても〈田舎館〉とは、肩肘はらないイイ名だと思った。しかし(たしかに戦国時代の城郭跡はあるが)地名の由来は稲作生活をあらわす「稲家」だという。
 由来どおりの肥沃な水田地帯、北方稲作文化発祥の地ともいう…地名辞典にもそれくらいの記述しかなかった。
 ぼくは…まぁニッポンには詳しいほうで、たまたま何方〔どなた〕かの故郷の地名を聞いて最寄駅を当てることができ、驚かれたり喜ばれたりしたこともある。
 岩木山には思い入れ深いものがあり、山麓のリンゴ畑をめぐって走る五能線にも愛着がある。
 五能線は、奥羽本線の(列車はほとんどが弘前発着だけれども)川部駅から岐れることも知っている。
 それでいて、その川部駅が田舎館村にあることを、迂闊にもぼくは知らなかった。
 知らずにきてしまったのは、たぶん弘前から黒石に至る弘南鉄道にはまだ乗っていないからだった。乗っていれば途中駅に田舎館があるから、(ぼくのことだ)まちがいなく注意を惹かれていたに違いない。


 国道102号に出れば、田舎館村http://www.vill.inakadate.lg.jp/は近かった。
 国道沿いにある道の駅“弥生の里いなかだて”に寄ってみる。折から日曜日とあって、近ごろはどこでもそうだが〈道の駅〉には人がいっぱい、盛況だった。
 物産販売の店員さんに教わって、噂の“田んぼアート”を訪ね見に行く。
 ソコは役場、ソノ日は休日、表向きどこの扉も閉まっていた。
 (…?…)だが、駐車場には車が何台も停めてある。首を傾げつつ脇へまわって行くと、人が並んでいて、そこが“田んぼアート”観覧の入り口だった。


◆作物の生命力に負けない緻密な創造力が素晴らしい


 戦国時代の城郭跡を村名にする役場が城形建築になっており、休日も一般解放されたその4階天守から、1反歩(15,000?)の大キャンバスに描かれた“田んぼアート”を鑑賞してもらおうというのだった。
 でも、ここまではまぁ正直なところ、そんなに大きな期待はしていなかったのだ、けれども…。
 つい1週間前の6月3日に田植をすませたばかりだという、“田んぼアート”の成長スタート場面、その出来映えは文句なし「おみごと!」なものだった。
 ちょうど20年目を迎える今年のテーマ、『悲母観音と不動明王』を望み見れば(そうか、そういうことだったのか…)ナットクとカンドウであった。


 たまたまこの春、下北半島大間港のフェリー待合室で、手にとった『あおもり町村ガイド』というパンフレットが出逢いのきっかけだった。
 街歩きガイド流行りの昨今に、ちょっと抵抗の一石を投じてみました…というふんいきが好かったのだと思う。
 なかで、ぼくに「ねぇ見て見て」と目だって明るく手を振っていたのが田舎館村の“田んぼアート”だったのだ。出逢いって…そんなもんだよ。


 そのページに掲載された写真と記事によると、なんでも「田んぼに植え揃えた稲の自然な色によって図画表現をする」というのだけれども、「ふぅむ?」いまいちイメージの焦点があわなかった。
 しかし、平成5年からつづく行事は「けっこう有名、すっごくいいしねぇ」だそうで、いまではこれを真似た〈村おこし〉イベントが各地に広まっているという。
 これまでに記録された写真を見ればばるほど『風神雷神図』とか『戦国武将とナポレオン』とか『弁慶と牛若丸』とか、いずれも見ごとにステキではあるけど、その描線というか、筆致のほどに、いまひとつすっきり腑に落ちないところがあった。(どうしてそうなるの…)ならば、見て見るほかない、ではないか。


◆穂の色だけじゃない茎葉からしてチガウのだ…
 

 “田んぼアート”図画の下縁の辺りには、〈今年つかわれた色〉の苗の見本が並べられていた。おかげでワカッタ、すっきり腑に落ちた。
 橙・赤・白・濃緑・紫・黄・緑…7色の苗はそれぞれが、稲穂や米粒の色だけでなく、芽生えた茎葉のときからもう色が違っていたのだった。
 自然食志向の流行で赤米や黒米が話題になったことがあるが、ぼくはその米粒しか見ていなかったから(稔る穂の色だけが変わるもの)とばかり思っていた。
 だから端的にいえば、黒い描線部分の表現が、どうして田植のときからクッキリしているのか不思議でならなかった。
 だから言うのではないが、この“田んぼアート”は田植のときから愉しめる、実りの秋の情景が想像できる、時空を翔ける夢がある。


 それにしても、この細密な〈描画のディテール〉の素晴らしさはどうだ。
 「斜め上から観てちょうどいいように下絵から工夫して、何色の苗をどう植えたらいいか設計図つくって、テープで縄張りして、それからみ〜んなで植えたの」
 見物客の整理と説明にあたっていた、農協婦人部の方が教えてくださる。
 細密な芸の細かい描線のヒミツは、原画をもとに斜め鳥瞰の角度調整を手がけた人、一本一本の苗で点描するするように配色・設計をし遂げた人、それを測量機械で実地に田植の下準備を整えた人たち、もちろん稲の苗(観賞用種を含む)も“田んぼアート”専用に作った人がいた。
 そうしていよいよ本番の田植は、農協婦人部のプロの方々が描線や細かい配色部分の植え付けを担当、あとの背景というか、俗にいう〈べた塗り〉にあたる部分はイベントに一般参加の1000人が協力して植えたという。壮観な農作業体験であったろう。
 「実りのころに、もういっぺん観に来て」といわれ、こちらも「そうだね、きっとね」もう再訪の気になっていた。


◆米作りの村が稲穂で〈芸術〉してしまった…


 それから二ヶ月、炎暑の8月6日、田舎館村の“田んぼアート”再訪。
 7月上旬には、村のホームページに「そろそろ絵柄がはっきりしてきました」との報せがあった。
 ぼくは再訪を前に、田舎館村が米の〈反収日本一〉に何度もかがやいてきた実績をもつこと、いまは〈食味日本一〉をめざしていること、村の花が〈稲の花〉であることを知った。
 ちなみに稲の花というのは、ほんの2時間ほどしか咲かないのだという(だからこれまでに見ることがなかったのだろうか)…ことも今度はじめて知った。60年以上生きてきてもまだ知らないことがいっぱいある、というのはウレシイ半面オモハユくもある。
 8月2日からは、抒情ゆたかな“扇ねぷた”の〈弘前ねぷた〉祭りが始まっていたが、田舎館村ではもちろん“田んぼアート”一色だった。
 道の駅“弥生の里いなかだて”には“第2アート”の〈七福神マジンガーZ〉まで登場していた。
 役場4階天守の“田んぼアート”展望台へと上がる入口には、入場制限20分待ちの長蛇の列…。


 田植え後すぐの〈悲母観音〉も〈不動明王〉も、すでに実りの情景が目に泛かぶ素晴らしさ…とぼくは感じたものだったけれど。
 実際に稔ってみれば(やっ、これは…)ヤンヤヤンヤの喝采もの。
 誰が仕掛けたものかは知らないが、しっかり地に足がつき実りもすぐれた企画で、これは「でかした」といっていい。
 (この夏じつは、世界遺産人気にわく平泉でも“ライスアート”の騎馬侍図を見かけたが、正直デキに格段の差があった)


 帰京して秋9月27日には、NHK・BSで他所の話題あれこれとの相乗りではあったけれど“田んぼアート”の一部始終を紹介する番組が放送された。 
 (ぼくたちは、その番組制作スタッフの一人とも田植え後、現場の役場天守で顔をあわせていた)
 それから三日後の9月30日には、“田んぼアート”の稲刈体験ツアーがあったと聞く。
 

 こうして半年かけての催事が終わると、岩木山麓の田舎館村には、やがて寒さ厳しい冬がやってくる…。