どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 記憶と連想の綾織[002]  ベビーパウダーとカラスウリ




◆秋の日、洗面台の棚の隅っこにシッカロールを見つけ…


 思わず手にとってふたを開けると、懐かしいやさしくやわらかな匂いがした。
 猛烈な残暑がようやくに去り、途端にがくんと冷え込んでふるえたあとに、台風一過の秋晴れがむじゃきにはしゃぐ児のような日だった。
 少し汗ばむくらいの肌にほてりがあって、パフの下の粉を指先に軽くつまんでみる…と。
 (赤ちゃんのお尻)…びっくりするくらい直〔じか〕な肌あいがあった。
 わが子のことではない、ぼくには子がないから孫もない、赤ん坊に自分の尻の感触があるわけもない、ぼくは姉と二人兄弟だった。
 いとこの誰かのお尻…であったか、それともまったくべつの誰かのそれ…であったか、いまはもうわからないけれども。
 いずれにしてもそこにおむつの匂いはなく、あるのは湯あがりのかぐわしさ、しっとり肌にすべすべ魔法のごほうび……てんかふん。
 いったいどこから、どうして沁みこみ消えのこり、忘却列車にもち去られることもなくすんだものか、記憶の襞からはがれた泡粒さながらにヒョッコリと浮きあがってきた。


 「天花粉」そうだ、そうだった。
 「シッカロール」は和光堂という会社の商品名であった(でもセロテープと同様すっかり普通名詞のようになっていた)。
 円筒の紙箱に〈BabyPowder〉と添え書きがある。(和製の横文字だろうな)英語は苦手でも察しはつく。
 「できるだけ吸いこまないように」注意書きもある。そういえば……これもやはり誰だったかは思いだせないが、悪戯に鼻の頭へチョンとこの粉をはたかれたおけげで、ぼくは死ぬほど咽せて咳きこまされたことがあったっけ。なるほど「天の花粉」で、その粉は滑らかに軽く細密だった。
 いっぽうで「天瓜粉」とも書かれていたことに、ぼくの記憶は思いあたる。するとその〈瓜〉に(ナニかヒミツがありそう)で、とてもとても気になった。
 辞書を繙〔ひもと〕くと(やっぱり…)、「キカラスウリの根から採れる白色の澱粉。汗疹〔あせも〕などの予防や治療に、また化粧品にも用いられる」とあった。俗に「汗しらず」ともいう。


 横丁の角を曲がるとそこに、古馴染みの瓜実顔がニッとほくそ笑んでいた。
 カラスウリ(烏瓜)だった。
 その蔓草の朱赤に熟する楕円形の実が、小学校の秋の大運動会の、徒競争の、ボクらの強力な助っ人であった。
 もちろん運動会の賞品ほしさもあったが、それよりもアイツにだけは負けられない意地であったり、ぜがひにも根性を見せねばならないことであったりした。
 あれは確か、八百屋の門脇君だったか、材木屋の勝っちゃんだったかが、いったのだ。
 「徒競争には負けられん、勝つにはぜったいカラスウリだぜ」
 言いだしっぺが知っている「ヒミツの場所」へ、仲のいい友だちだけ、つるんで出かけて行った。
 カセヤマと呼ぶ線路の向うの里山まで、3キロは歩いたろうか。子どもたちにとっては遠征で、それだけで脚の鍛錬になったろう。
 カラスウリは、藪になった斜面にポツポツと実をつけていた。熟する前の黄緑のときには、瓜らしい縦縞模様のある実は、子どもむきに適当な大きさだった。 
 言いだしっぺが一つもぎ取って、手本を示した。肥後守〔ひごのかみ〕(折込式の小刀)で真っ二つ(瓜二つ)にし、切り口を脚の脹脛〔ふくらはぎ〕に擦りつけると、実から出る汁で太腿は薄いヨードチンキを塗ったみたいになった。
 カラスウリの汁にはきっとアルコール系の成分が含まれていたのだと思う、塗るとたちまち脚の筋肉にスーッと染みて「うん、軽くなったぁ!」のである。
 「いいか、すっかり赤くなっちゃったのは年寄りでリキがなくなってるからダメなんだ、まだオレンジ色の濃いくらいのヤツが精があっていいんだぜ」
 ついでにいえばカラスウリの実には黒い種があるのだけれど、その形がナゼかカマキリの三角頭に似ており、これなんかにも験〔げん〕のありそうな雰囲気だったのを覚えている。
 植物の実は、じつに多くの示唆に富んでいた。
 しかしいま思えば、ボクらが知っていたのは、カラスウリの実と蔓と葉っぱくらい、ごく限定された範囲のことでしかなかった。
 根っこは芋のような塊だそうだが、掘ったこともなかった。漢方薬になり、天瓜粉(キカラスウリ)の代用にもされるという。
 カマキリの三角頭に似たタネも、験がいいばかりでなく、実際に薬効作用があるそうだ。
 夏の夜に開く花が美しいことも、こんど初めて知った。白い五弁の花びらの先がレースのような糸房になるという、その妖しさを見ていない。
 ボクらは、吸取紙に吸われるインクのように一途に功利的なガキだった。
 これで、言いだしっぺの呪〔まじな〕いは完璧に信じられ、信じる者は救われた。
 じっさいにぼくらカラスウリ組は運動会で勝った(1番でこそなかった者も賞品のもらえる3番までには全員が入った)のであった…。


カラスウリの変種がキカラスウリ(黄烏瓜)


 植物事典によれば、いちばん目だつ違いは実の色がカラスウリの朱赤に対して黄色いこと。
 そういえばそんな色の実もあったなぁ…とボクは思い、だが待てよ…と思いなおす。カラスウリの実の熟れすぎる前のオレンジ色のやつ…と思っていたのがじつはキカラスウリの実だったりはしなかっただろうか。
 わからない、けれども、ひょっとするとないとはいえないかも…と思われるのは、カラスウリの実の汁の、スッと揮発するようなアルコール系と思しき成分には(とうぜんのこと)収斂〔しゅうれん〕性とでもいうのか、ひきしめ効果も認められたからだった。
 辞書にもカラスウリの果肉は化粧料とあった、アストリンゼンかクレンジングかになるのかも知れない。
 カラスウリにせよ、キカラスウリにせよ、どこか〈忍び〉のふんいきがある。
 キカラスウリは食用ともいう。どんな食味がするのだろう。なにやら〈幻惑〉めいた気配があり、チョと齧るくらいはしてみたい気もする。
 烏が好んで食べるのでその名があるといわれるカラスウリのほうは、(人の)食用にはならないそうだが、ホントだろうか。
 もうひとつの違いは、茎や葉の、カラスウリにはあるザラッとした毛がキカラスウリにはないというのだが、さて…。
 もう一度どこかで、じっくり観察してみないといけない。


 事典の解説はつづく。
 漢名、天瓜。根の澱粉から天瓜粉が採れる。根を「栝楼根〔かろこん〕」という。云々。
 片やカラスウリの方の解説には、根を「土瓜根〔どかこん〕」という。云々
 辞書や事典を繙くのは愉しみだが、ときに主題から派生・枝分かれが多くなってネットサーフィンなみにヤヤコシくなることもある。
 知りたいことは別にあった。ほかの本を調べてみる。
 興味ぶかいのは、いまはナニで〈天瓜粉〉が〈ベビーパウダー〉がつくられているのか、ということ。
 だって、いまもかわらずにセッセとキカラスウリの芋の根を掘り集めているとは、とてもとても思えないではないか。蔓の絡まるやっかいなものを、栽培?…なんかするだろうか。


 物の本によると、現在は滑石〔かっせき〕亜鉛華を主原料にすることが多い、そうだ。
 正直、このへんボクにはまったく不案内の領域だが…。
 滑石は、主にマグネシウムとケイ素から成る、白いロウのようにやわらかな感触の鉱物で、漢方生薬のひとつでもある。英名タルク(talc)。
 亜鉛華(酸化亜鉛)は、亜鉛を燃してできる軽くて白い粉末。化粧品や医薬品に、また亜鉛白として顔料にも用いられる。
 よくはわからないながら、すべっとした感触だけはなんとか感じとることができた。
 どうやら、これらの微粉末に澱粉を混ぜたものが現在の〈てんかふん〉といっていいらしい。
 わが家の、和光堂の「シッカロール」の箱にも、タルク、コーンスターチ(トウモロコシの澱粉)、香料の成分表示があった。
 なお、和光堂さんによればシッカロールのあの清かにふくよかな匂いの、香料はヘリオトロープとのこと。
 思えばボクに(赤ちゃんのお尻)…への愛着をかきたてていたものは、一途にヘリオトロープの香りということになる。 
 

 〈医薬部外品〉の天瓜粉、あちらでは「talcum powder」である。
 歳時記で…天瓜粉はむろん夏の季語。
     天瓜粉しんじつ吾子〔あこ〕は無一物   鷹羽狩行
  …カラスウリは秋の季語。
     烏瓜谷間の樹々のネックレス   酒井芳
     …カラスウリの花は夏の季語。
       垣に咲きあるじも知らずからすうり  水原秋桜子