どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 オート・キャンピング考《1》   −蔵王山麓・大洲海岸・亘理いちご−






 ぼくたち夫婦は、人から「贅沢だぁ」とよくいわれる。
 たしかに、旅には年季が入っている。ぼくの旅のキャリアは中学のころから、重ね重ねて50余年にもなるわけだから、半端ではない。
 金満旅行の贅沢には縁がなく、近ごろは満腹にも遠慮しながらだが、途中参加のかみさんとともに、ばっちり満喫の心酔旅行をきわめている。
 旅人としてのぼくは<北帰行>タイプ。もうひとつは<南回帰>型というやつだ。
 東北や北海道の、光、風、海、山、川、里、人、産物…すべてに惚れ込んでいるから、よく陸奥〔みちのく〕を行き、そうして津軽海峡を渡る。飛行機は苦手なので、主にフェリーで渡る。
 とうぜん…というか、不思議な縁で…というか、かみさんが道産ん子だから、実家へ行くのにもフェリーで海峡を渡ることになる。
 あの<3.11>以降は<被災地巡礼>の色あいが重なった。
 無理のきく若さではないので宿を確保はいつも心がけている、けれどもやむをえず車中仮眠になることもあり、そのほうが心もちになじむことを知った。
 もともとがアウトドア派だったし、キャンプには慣れてもいて、子どもたちにキャピングの指導をしたこともある。
 一念発起して携行に楽な小型テントから、広い空間がたもてる大型に買い替えた。
 さっそくにトレーニングの名目で、オートキャンプの旅を考えたというわけだ。梅雨どき、雨天にどれだけ対処できるか…もためしておきたかった。


 6月8日(金) 
 テストはたいせつ。しかし、都会にはテントの設営をためせる場所がない。
 ぶっつけ本番の初日には、ちょっと時間の余裕がほしかった。
 都心より横浜に近い町田からは、高速道路を駆使しても距離的に蔵王あたりまでがいいところ。目指すキャンプ場は、南蔵王青少年旅行村。
 東北道福島県はずれの国見インターから、県道46号で小坂峠越えのルートを行く。小さな峠道ながら、途中に災害復旧工事中の交互通行箇所があり。災害とはいうまでもない、あの<3.11>のことで、いまだに復旧は遅れている。福島県では原発関連を含む沿岸部地域の手あてに精一杯の状態、ということらしかった。
 県境の峠を越えて国道113号、七ヶ宿〔しちかしゅく〕ダム湖を通って3時ころには、蔵王連山の不忘山を望むキャンプ場に着くことができた。

 オートキャンプでは、目的地エリアに入ったら早めに飲食材を調達しておく。
 いちばん頼りになるのはコンビニで、これはいまや全国津々浦々、主な道筋にはたいがいある。はっきりいって<まにあわせ>の店だが、キャンプなんかにはぴったり(考えてみるといまの日常生活は毎日がまにあわせ…みたいなものかもしれない)、なくてはならない。
 しかし、なにごともこちらの思惑どおりにはなかなかいかないもので、(まだこの先にもあるだろう)と思っていたらもうなかったりする。キャンプ場の周辺には、食品などよろず雑貨屋みたいな商店もあったりはするけれども、再度買いものに走ったりする余計な手間は避けた方がいい。そして、基本的にキャンプ場に食材の用意はない。


 南蔵王青少年旅行村のキャンプ場、この日のテントサイトにはぼくらのテントだけ。夏本番を前に、まだ準備に余念がないというところだった。
 もう一組、バンガローのキャンパーは地元の釣り仲間グループ。上流の沢へ週末の渓流釣り、ヤマメをねらいに行くのだという。彼らはバーベキュー炉に火をおこした。
 ぼくら今回は滞在型でなく、移動型キャンプだから簡潔にいく。缶ビール片手に、まず湯を沸かしてスープを拵えてから、コンロに網をのせ替えてヤキニギリ、醤油の付け焼きで香ばしく熱々をほおばる。コンビニのサラダにチーズ、牛タンスモークに浅漬け…。
 暮れ泥むころ、案じられた梅雨空からポツリポツリときて、食後のティータイムはテントの中に避難。バーベキューの火も消え、バンガロー組の一人が缶ビール6本の紙ケースを持って差し入れにきてくれた。
 「根性テントの勝ち…ですね」
 ブルッと冷えこんだ夜半、森からフクロウの声が冴えて聞こえた。


 6月9日(土)
 もともとの早起きが、キャンプではさらに目覚めが早くなり、5時になるのを待って寝袋から這い出すまでが待ち遠しい。
 湿ったサイト脇の草っぱらに重たげな羽音がして、見ると名は知らない小型のタカが、ネズミだかモグラだかの小動物を捕まえたところだった。片脚の爪にがっちり獲物を掴み締め、もう一方の脚と翼とで懸命にバランスをとっていたが、しばらくすると高い木の枝めがけて飛び去った。
 子どもたちが傍にいたらきっと昂奮に頬を染めたことだろう、すばらしい朝の幕開けだった。


 熱いコーヒーを淹れて、簡潔なキャンピング・ブレックファースト。この場合の簡潔は、洗いものを極力控えること、を意味する。
 バンガローの釣り仲間グループが、片手を静かに振って出掛けて行った。
 小降りの雨はやんでいたけれど、きょうの空模様はどうも見こみがないらしい。
 パンにチーズ、バナナの朝食をすませ、テントの撤収にかかる。新しいテント扱いの要領はのみこめた。興味のない人にはわからないと思うが、テントの軽量化・設営の簡易化といった進化はどんどん進む。むかしにくらべると夢のようだ。
 キャンプのよさのひとつは、早立ちできること。8時には出発することができる。宿の場合だと朝食がすみ、これから出立の支度にかかるころだ。


 海辺を目指して国道113号を走る。
 白石市から角田市に入り、阿武隈川を渡って相馬港へ。
 美味しい魚と海遊びで知られた松川浦には昨夏に訪れ、津波被害の酷さに声もなかった。松川浦は大きな潟湖だ。破壊され通行不能となった松川浦大橋に阻まれ、そのときは行かれなかった南側の大洲海岸へ、こんどは行って状況を確かめておきたかった。
 <3.11>の被災地はどこも、すでにあれから一年以上が経つというのに、処置の遅れがヒドい。
 総力をあげて…というが、どこにその走力とやらはそそがれているのか、と思う。
 松川浦の、初めて目にする南側、大洲公園の辺りも…口惜しいけれどヒドイとしかいいようがなかった。


 南から北へ細く長い“日本の渚百選”に選ばれた浜の、枯死した並木の松の処理に、ようやくとりかかっていた。
 短い輪切りにされてトラックに積まれ、放射能汚染があるのだろうか、焼却処分にしても他所では受け容れてくれまい、いったいどこへ持って行かれるのだろう。     
 あれだけ被害の大きさが喧伝された岩手県陸前高田の松原でさえ、もうすでに片がついているというのに…。福島県の復旧はやはり、たしかに原発事故の分だけ遅れている。
 その後、時の経つにつれてしだいに明らかになっていく、こうしたさまざまな損失の総体がどれくらいになるものか、政府関係者は心得ているのか。すべて承知したうえでの、さらなる原発再稼働なのか。経済の学者さんたちは、しっかり分析と計算をして、将来予測をふくむ報告をしてほしいと思う。
 風を伴って雨降りしきる中、まばらに残った松が外洋からの波飛沫に曝され、身をよじるようにして泣いていた。崩れ傾いた防波堤まで、ほんのわずかな距離が泥沼化し、あるいは底の浅いところは乾いてひび割れ、どっちにしろ人跡を許さないでいる。
 あのときから閉じたまま赤錆びた水門の傍ら、瓦礫と化し放置された家の庭に、葉の厚い海浜植物がハッとするほど明るいピンクの花をつけていた。


 しだいに雨脚のつよくなる国道6号を北へ、宮城県に入って亘理町へ。
 姉妹都市北海道伊達市へ移住、生産再開に励む亘理町いちご農家の人たちを、ぼくらは微力ながら支援している。その方たちの、故郷のいまを訪ねた。


 まず町の南外れ、吉田浜に出てみる。
 瓦礫撤去と応急補修のすんだ堤防内に、なにかのプラントと思しき建物ができており、警備の人に尋ねると「焼却場」だという。
 うむ…と唸ってしまったのは、そのプラントがそこにあまりにも似つかわしく、もうしわけないけれどもコレが本来あるべき姿ではないかとさえ思えたからだった。
 泥野っ原と化した小川の流れ脇には、菖蒲の花が健気な黄花を咲かせていた。
 そこから先は、ずっと鳥の海の方まで平らな耕地跡の広がり。津波に流され尽した無表情ななかに、一軒だけ早々と無言の<復帰>を宣言している農家があった。


 阿武隈川の河口から南、太平洋岸に沿って広がる亘理町の農地は、人も羨む平坦なものだったけれども、それが大津波にはなす術もなかった。高品質を支えたイチゴハウスのビニールもまた、津波にはひとたまりもなくパイプの支柱を薙ぎ倒す結果になった。
 海水を吸い込んだ農地は塩害に悩まされ、米などはいつになったら作付ができるか見通しもたたない、という。
 伊達市への移住生産にふみきったSさんの家は、庭などきれいに片づいたあとは人待ち顔みたいにも見えたが、近寄れば流された一階は取り返しのつかない廃墟だった。
 息子夫婦の子連れでの移住を後押ししたMさんは、まず当面のリスク分散<生きのこり策>を考えたようだ。主な収入源のいちご栽培は息子の分野、先々の目処がたったら帰ってきてほしいと望んでいる。
 町では、亘理農産の顔をたてるべく新たな大いちご団地の実現にむけて参加者を募り始めたが、予想以上に辞退する者が多いという。後継ぎのない高齢農家では将来に重い設備負担に耐えられない。若い世代の農家への権利の貸与や譲渡が、現実的な選択になるのかもしれなかった。 
 米作農家をはじめすべての農家が「どうなるんだか…けんとうもつかん」、いまも途方に暮れている。
 それでもまぁなんとか、少しずつでも復興の家が建ち、離れていた人たちが戻りはじめれば、風景も心待ちもいくらか明るくはなる。
 せめてもこれから夏に向けての天候が穏やかに、被災地の後押しをしてほしい。
 Mさんのところでいただいたイチゴ“べにほっぺ”は、軽い酸味がシャレていた。


 ついに終日、長雨、降りやまず。土の道は泥濘。
 予定していた秋保〔あきう〕リゾート森林スポーツ公園でのキャンプは止めにした。