どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

一年後の被災地巡礼(9)   −亘理いちご・伊達ブランド・夏実−






 4月6日(金)
 雪の散らつくなか、北海道伊達市へ。
 おなじ伊達市福島県にもあってややこしいが、いずれも仙台藩伊達氏に縁があり、有珠山昭和新山の麓に位置して内浦湾(噴火湾)に面するここ北海道の伊達市は、仙台藩伊達氏の家臣(分家)亘理伊達氏の開拓地だった。いま宮城県亘理町とは姉妹都市の関係にある伊達市だが、その親密さにはほかの姉妹=友好関係より以上のものがあるという。

 
 あの〈3.11〉大震災・大津波の後、いちはやく伊達市亘理町に向けてうちだした支援策「こちらに移住してイチゴを作りませんか」は、暗闇のなかにひとつひとつ探しだしていく光明の、なかでも明るい希望の星だった。
 イチゴは砂地を好む作物だったから、沿岸部に集中する亘理町のイチゴ畑はその8割が津波に流されたこと。
 そのイチゴはまた塩害に弱く、たっぷり海水を吸い込んだ砂地に、イチゴ栽培の復活までにはかなりの時間がかかるだろうこと。
 伊達市は、<開拓の大地>北海道でも穏やかな風土であること(しかもイチゴはハウス作物)。
 畑作適地で作物も多種多様でありながらコレという特産品のなかった伊達市に、イチゴのブランドは魅力だったこと。
 (比較的“地産地消”色のつよいイチゴ、東北でブランドの“仙台いちご”の主産地が亘理町、北海道でも多くの人に知られていたという…のだが、ゴメンナサイぼくはこんどのことがあるまで、じつはそこまでとは知らなかった)
 そこで、伊達市がとった誘致策も気が利いていた、半端じゃなかった。
 「援助ではなく投資」というカラッとした考え方もよかった。(イチゴ農家を)支援するかわりに伊達農業の将来にも貢献してもらおう、というわけだ。
 その具体策は…
 ○農地・農業資材の無償提供。
 ○住居の無償提供。
 ○いちご栽培技術指導の農協職員待遇で(最高)13,500円の日当を支給。
 むこう2年間の時限とはいえ、好条件といっていい。


 この誘いを受けて6家族12人(うち子ども4人)が移住を決意した、と聞いたときから、ぼくはこの人たちを見守っていこうと思った。
 被災した人たちが異口同音に「早く元にもどりたい」「故郷をはなれたくない」という、心もちは痛いほどよくわかるし(そりゃまぁそう…)なのだが、見通しもたたない五里霧中のなかにあっては“開拓”の気分はありがたかったし、<定住>と<移住>とは対立するものではなかろうという思いもあったからだ。
 しかし、現実…個人的な支援の、名のりを上げる(ワカッテもらう)ことからして、じつは至難のわざだった。


 2011年夏、亘理町の災害対策本部に〈伊達市に移住のイチゴ農家〉のことを尋ねると、「個人情報ですから」の一言で門前払い。混乱のさなかではあったけれど、返答までに間のあったことを想うと詳しいことまでは知らなかったと思われ、個人情報うんぬんはそのための言い訳にされた感があった。
 このときぼくらは亘理町の避難所に、いま必要な支援物資の提供も申し出ている、ごく自然のながれだ。暑い季節のこと、タオルとシャンプーの足りないことを知り、帰って送り届けるときには、今後の支援も申し出ている。しかし…それっきりになった。個人からの支援物資は受け付けないことになった、という型どおりの挨拶状だけで。
 伊達市の方にも問いあわせてみたが、「ご支援いただきたいときには改めてお願いするので」という総務課からの返信、態のいい<オコトワリ>である。
 北海道にかみさんの実家があるぼくは、じかに伊達市にも行っている。往復1日かけて、個人情報とのたたかい。
 それでもやっと、なんとか、イチゴ農家の方々が入居する公営住宅(マンション)の場所を探しだすだけで精一杯、(住み心地よさそう)なのにひとまず安堵のため息だった。
 東京にもどって、もうひと押し、支援の手紙をこんどは農務課に宛てた。こんどはやっと手ごたえがあった。
 課長さんが鄭重な礼状をくださって、ようやく気もちの糸がつながり、そうしてこのたび、こうして半年後の訪問にいたったわけなのだ。


 農務課に出向いて、初対面の挨拶。
 その夜は、亘理町いちご農家をまとめる二人、伊達市農務課の課長さんはじめ三人の方と、会食…というより喰いかつ呑みつつ語りあう。
 宮城県出身の方のお店ということもあり、はじめからうちとけた雰囲気がうれしくて、思いつうじ願いかなった感激に酔う。
 あれから1年、移住から半年余、昨年末には慣れない土地でのテスト栽培とはいえ、とにかく収穫までにこぎつけた、これでなんとかやっていけそうな見込み、自信がもてたひとまずの安堵感…といったところだろうか。
 「農家は土いじってないと、落ち着かないよね、作物に触れてられれば、津波に流されたことも忘れてられるし…みんなそうだと思うよ」
 リーダーのCさんがいう。亘理町で祖父の代から半世紀以上つづくイチゴ農家の彼は、ほとんどすべてのハウスと農地を流され、自宅も2階だけ残してすべてを失い、あとには1000万を超えるローンだけがのこった。自身、元消防団員でもあったCさんは被災処理に奔走した後、茫然となった。とりあえずなにか働きたくても職がない、そんな状態での仮設住宅暮らしは身の置きどころがなかったろう。
 伊達市から<移住いちご栽培>の誘いがあったとき、彼の決断は早かった。作物を育ててナンボの農家だ。「目標があれば、それに向かって…がんばる」坐して何時とも知れないトキを待つより。この想いはきっと移住農家全員のものにちがいない。
 ぼくたちは昨年暮れクリスマスの頃に、初物の<伊達いちご>を送ってもらっていた。ありがたいことだった。粒も甘みも不揃いな、かわいいイチゴたち。
 「あぁ、あれは…はっはっはっ」
 くったくなく笑い飛ばして、Sさんが顔の前で手を振って見せる。
 移住いちご農家の人たちは揃って「いまできることに全力をつくす」気でいた。そういうチャンスをつくってくれた伊達市に感謝している。
 故郷を離れ移住してきた側、彼らの受け入れに心をつくす側、どちらにとってもたいへんなことだと思うが、とりあえず遠慮のないやりとりのできていることがウレシかった。


 ふと<開拓>のむかしを思った。
 ぼくは大学在学中に北海道・道北の士別というところへ、開拓地踏査に入ったことがある。1960年代の当時といまとでは状況もなにもすべてが違いすぎるけれど、「暮らし向きがよくなれば人の口からも重しがとれる」のは確かなようだった。


 これからの展望や課題、さまざまな現実と葛藤などなど、語り尽くせない思いの吐露がつづいて歓談は4時間におよび、ようやく明日を約して別れた。


 4月8日(土)
 ホテルで迎えた朝は、陽ざしに薄い温もり、吹く風にひきしまる冷たさ、いかにも北国の春らしかった。
 北へ帰る鳥たちが高い空を渡って行く。
 <伊達イチゴ>のハウス20棟は、有珠山昭和新山を望む道央道山側の緩斜面。パイプなど北海道仕様の頑丈な資材で、昨年10月に移住生産者たちが手づから組み立てたものだ。
 一棟の長さ50メートル、中に五列の腰高の床ができており、イチゴの苗を植えたプランターがずらりと並ぶ。
 この高床式を<高設栽培>といって、いわば寒冷地仕様亘理町ではこれまでになかった。じか植えのように腰に負担がかからないし、塩害も避けられる。素人目にもこれはいい。
 リーダーのCさんは、復興いちご団地の造成を進める亘理町に高設栽培の導入を進言した。いま取り入れておかないと導入しそびれることになるからだ。
 さっそくの交流成果といっていい。
 イチゴの品種は<夏実>と<すずあかね>がメイン。どちらも北海道で開発されたもので、とくに<夏実>は名のとおり夏採りがねらいだ。
 そもそも日本のイチゴ生産は冬から春に片寄っているため夏場は品薄。(年間をとおして)夏場にも高品質のイチゴがほしい菓子メーカーからの要望が根強いから、高値が期待できる。
 「初めての品種だから、未知の世界」緊張するといいながら、表情は明るい。
 すばらしい挑戦だと思う。

 
 棟ごとに植栽時期がずらされており、いちばん早い棟のイチゴは葉を大きく広げて、すでに実が赤く色づきかけているものもある。
 二組いる夫婦の、奥さんはいずれも幼な子を託児所に預けて、生産スタッフの一員になっていた。
 出荷梱包や事務の手伝いなら経験はあっても農作業は初めて、「ぜ〜んぜん、わからなくて」というが、そのはじけるような笑顔がじつにいい。
 農業をとりまく状況の厳しさつづく近ごろ、後継ぎの配偶者には「農作業はさせないから」と約束してきてもらう農家が多いと聞く。彼女たちにも、あるいはそんなことがあったのかも知れないけれど、あの<3.11>のような大事に遭って懸命に生き、気づいてみれば突き抜けしまっていたというのが本音ではないか。
 彼らは<いい話題>が欲しいマスコミからの注目度も高く、まだ開拓魂の余韻はのこる道内ではとくに関心のまと。取材への対応にも追われる。
 担当のローテーションを組んだりもしたそうだが、結局はリーダーともうひとり、人あたりにそつのない若手のMさんが渉外担当のような役割になっていた。
 取材に慣れてくると、先方のほしがる答え、もっていきたい話しの方向も見えてくる、けれど…。
 「ぼくが決めた一歩、伊達市に感謝です、いま自分がいる場所でがんばる」若手のMさんにしても、
 「こっちでシッカリした成果をのこすのが、ぼくの仕事だと思ってる」リーダーのCさんにしても、
 じぶんの気もちには正直でいる。


 じつをいえば、これからが移住いちご農家にとっての正念場になるのだ。 
 ハウス一棟には、建屋だけで500万円からの費用がかかっている。ほかに付帯設備などもろもろの掛かり(費用)もある。
 前記したような被災支援の特別待遇は来春までで終わり、次年度からは独立、あらためて(リースなど)の契約関係になる。
 ざっとした試算で、2人が生計をたてていくのにはハウス10棟(耐用10年)、イチゴ生産高にして年におよそ1.5トンが必要だろうという。その費用負担をどうしていくか…など、乗り越えなければならない課題は多い。ちなみに伊達市では、2013年度の支援に3億円の以上の予算を計上しているという。
 いずれにしても故郷をあとに、新天地にとびこんだだけでも大きな負担を抱えて、彼らの勝負は今年度にかかる。
 移住いちご農家の最年少は22歳のOさん。家族と離れて単身参加した、リーダーにとってはわが子の世代。
 イチゴの花言葉は「幸せな家族」。
 復興の一翼をになう大事なひとつのケースとして、見守り見とどけていかなければならない。