どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

一年後の被災地巡礼(7)   −おっかないマサカリ・六ヶ所村・下風呂の湯−





 4月2日。
 遠野は明け方まで雪、それもけっこうな降りだったけれども……。
 かわりやすい春の空は、出かけるころにはスッキリ晴れ。郊外から遠野の市街まで苦もなく出られてしまうと、ぼくの頭から先々の心配はきれいに消え去った。
 一路、下北半島を目指す。


 東和ICから釜石道に入る。
 花巻ジャンクションからは東北道。青森方面へ北進し始めるとまもなく盛岡あたりから、〈雪、路面凍結、滑り止め必要〉のサインが出る。出つづける。青森方面はもちろん、これから向かおうとする八戸方面も、どちらも…。ぼくの楽観は、呆気なく不安に衣替え。
 なにしろ空は、雲さえぽっかりと明るく輝くばかりの快晴だったが、想えば昨晩の雪は明け方まであったし、今朝の天気予報を注意して見てきたわけでもない、どこにどの程度の降雪があったかも知れないのだ。
 都会のドライバーには不安がつのる。
 ぼくはこれまでの経験から、道路情報をかなり信頼していた。大きく裏切られたことがなかったから、天気予報なんかよりずっとアテにしていた。


 たとえば…中央自動車道甲州のの長大な関門、笹子トンネルでのこと。
 東京に向かう勝沼方面からの入口に、〈トンネルの先、降雪、視界に注意〉のサインが出て「えぇ…!?」てことがあった。甲府盆地あたりには雪の気配すらなかったからだ。
 半信より半疑の方にかなりウエイトの偏った黄色い照明の点綴〔てんてい〕する中を抜け、闇から飛び出した瞬間の下り坂、大きく開けたはずの視界が白い羽毛の幕に覆われて仰天したことがあった。現実にはこのとき、ぼくは「ヴァオォ」と奇声の息を呑み、張り裂けんばかりに瞠目するばかりだった。
 追突・衝突の危険に切迫しながら、なお歓喜の叫びがとめられないような気分だった…。
 こんな途方もない経験をしてしまうと、信頼は鋼のごとく強靭にならざるをえない。
 
 
 いつもパトロールの車が巡視してくれているのだから、情報の確度は高いはずだ。
 くわえてぼくは、いまの車にチェーンの用意をしていない。今年2月の末に車を買い替えたとき(この冬はもういいだろう…)と思ってしまった。


 じつは、厳冬の東北道では、酷い目にも遭っていたのだ。
 そのときはもちろんチェーンを装着していたが、なにしろ冷えて凍えてくわえて吹雪、最悪のコンディションであった。
 車速をスローダウンしながら徐行まで落としきれなかったのは、予約しておいた津軽海峡フェリー便の時刻が頭にあったからだった。
 安代〔あしろ〕ジャンクションの手前、保戸坂トンネルに入ってすぐのところで前を行く乗用車がスリップ、鋭いブレーキ音を軋ませ横向きになって急停止した。
 「………」
 そのとき咄嗟のブレーキングとハンドリングを、ぼくは覚えていない。
 衝突を覚悟して瞑った目を開けると、きわどく前の車を避けて通り過ぎて停まっていた。
 幸い、すぐ後続の車とは距離があり、つづく車も少なかったおかげで大きな事故にはならずにすんだ。スリップした車にもドライバーにも損傷はなく……。
 しかも、これでオシマイではなかった。
 津軽の野面に出ると、こんどは猛烈な地吹雪に襲われた。
 西から東へ吹きつける白魔は、ハンドルを懸命に操作し風にアテていっても、中央分離帯の方へズルズルと車体を押し退けてしまう。
 前が見えない、ワイパーも利かない。
 「そんなに寄っちゃダメぇ、ガードレールにぶつかるゥ」
 助手席のかみさんが叫ぶので危うく路側帯を脱し、ついにぼくは観念して〈チェーン脱着場〉に車を寄せ、フェリー会社に(1便後に)予約変更の電話をかけたのだった。


 そんなことが過去にあり、しかも初心でもないドライバーがこの時期チェーン不携帯は不注意にちがいないのが、ぼくにはかなりの負い目になった。
 岩手山サービスエリアのガソリンスタンドで尋ねると、行ってみるしかない、行ってみなければわからない、という。
 「気をつけて行ってみて、路面の状態がわるくなって、危ないと思ったら下りるしかないでしょう。見ててチェックする人がいるわけじゃなし、無理矢理に下ろされることもないですから、自己責任…てことですよね」
 つまり「通行止めにはならない、長い区間の連続注意信号状態」ということらしく、なにかワリキレナイ気分を抱いたまま、ぼくは行くしかなった。
 怖々、怖々進んだところが、どこまで行ってもなんでもない。路面に雪も凍結もない。路肩にのこり雪の山があるだけ。
 気紛れ天候相手のこと、管理側の事情もわからないではないが、結局は脅かされ損だったことが恨めしい。


 八戸自動車道から百石道路、国道45号で十和田市、国道4号の七戸〔しちのへ〕で、ようやく下北半島の付け根にとりつく。長い、どうしてもトロリと眠気を誘われずにはすまされない道のり遠く、さらに国道394号から338号へと走り継ぐ。ついに雪舞うことなく、風のみがひどく冷たい。


 核燃料処理施設を抱える六ヶ所村は、〈まさかり〉に例えられる下北半島の柄の真ん中あたり、陸奥湾と太平洋とに挟まれた低地帯。強風の卓越する厳しい環境下にある。地図を見ただけでも、いかにも白茶けて人家すくなく、ただだだっぴろく荒涼とした、なにしろうそ寒いばかりの風景なのだ。
 発展の望める要素はきわめて乏しい現実がある。貧しさも、まわりが似たようなものなら、さほどには感じられない。しかし、まわりがどんどん豊かさを享受していくことになれば、飢餓感、喪失感は計り知れないものになる。とりのこされた疎外感は、余所者にはきっと想像がつくまい。
 そこを電源開発原発関連組織に狙われた、原発は国策だから国に脆弱な足元を見られたといっていい。国とはナニか……またそこへ行きつくことになる。
 青森県が発表した2007年度の経済報告によると、〈一人あたりの市町村民所得〉(企業所得が含まれるため大規模事業所があるほど高水準になり個人の所得水準とは異なる)では八戸市などを押しのけて六ヶ所村が1520万円で断トツ、原発立地の同じ下北半島東通村が2位。この数値には人口の少なさも色濃く反映される。また、青森市のトップはとうぜんの〈市町村別総生産〉でも、六ヶ所村は4位と町村部では突出している。豊かなのはワルイことじゃないだろうけれど、けっしてマトモなことでもない。
 湖沼の多いことも原発立地には好都合だったろう。大白鳥の飛来する尾駮沼〔おぶちぬま〕の西岸一帯を囲い込むように原発関連施設が集まり、人気のきわめて少ないなかに温泉施設や文化交流プラザなど、交付金補助金施設とおぼしきかずかずがある。


 日本原燃再処理工場の正門前にはお誂え向きに立派な駐車場が用意されていたので、利用させてもらおうと思ったら「ご遠慮ください」、警備員がそそくさと駆け寄ってきた。
 緑の大草原には77基の大規模風力発電施設“ウィンドファーム”。総発電出力115,500kwは国内最大級で、しかも世界初の大容量蓄電池併設という。…ならばいっそカッコだけつけるんじゃなしに、村全体の荒蕪地にみごと風車を建て並べて一大風力発電ワンダーランド、それこそ“メガ・ウィンドファーム”にしてはどうなのか。
 なんとも、あれこれチグラハグラなことで、とどのつまりは無神経なワルの差別のゴリ押し、考えさせられることばかり多い村ではあった。


 午後の陽が翳ると、ふるえるほどの寒さになった。
 “むつはまなすライン”と愛称のついた国道279号を海峡まで走り、下風呂〔しもぶろ〕温泉に宿をとった。
 身体の芯まで温まる硫黄泉の白青色の湯が、いつにもましてジンワリ身に沁みた。