どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 いまどき流行るか鯨食(考)/《3.11》一年後の被災地巡礼【番外】  −捕鯨オリンピックからシーシェパードまで−






◆クジラ食べてますか、食べたいですか…


 この春、一年後の被災地巡礼に「旅立とう」という思いがふくらんできたとき、ぼくは牡鹿半島ゆきと捕鯨基地鮎川に立ち寄ることもきめていた。
 このとき、いまこそ〈原発放射能汚染〉のこと、そして〈食べ幸人とはなにか〉を、考え直してみたかった。
 ほかがどうだから…ではなく、じぶんたちは「こうありたい」という、けじめと節度…のことだ。


 渋谷、道玄坂の老舗「元祖くじら屋」。3月20日春分の日。春彼岸の墓参りのあと…。
 ふと、ひさしぶりに寄ってみようかと思いたったのは、鯨の座礁ストランディング)多発騒ぎと、日本地底の不気味な揺動がいっこうに治まらないせいもあったかも知れない。
 もっとも「鯨を喰う」とはいっても、若い頃とはちがって高が知れてる。“ステーキ”と“たたき”の二品を味わいつつ、ビールを飲んだにすぎない。
 ステーキからは赤い肉汁が滲み、それは鮮血といっていい赤さだった。子どもの頃は、ぼくなども気味わるく思ったものだ。小学校の給食では、鯨肉の血の色に怯えて泣いた女の子がいたのを想い出す。
 それはゼッタイに魚じゃなくて、どっちかといえば(あまりお目にかかったことのない)牛肉に似ていた。
 そういえばベーコンも、あの頃はカレーも鯨だった。
 食べ盛りの子どもたちにとっては貴重な動物性蛋白源、鯨肉のおかげで助かったのだ、たしかに戦後の復興期までは…。


 時代はかわって、鯨と食の環境も、専門店のあきないもかわった。
 「元祖くじら屋」にしてからが、かつてはごく気軽に入れる飲み食い処だったが、いまでは高級感を謳うようになっている。
 それにはいろいろワケがあるだろうが、庶民的な食べ物でなくなったことにも、まちがいはない。
 店には、日本捕鯨協会のパンフレット。「がんばれ! 日本の調査捕鯨!」。
 「鯨の捕獲は海の生態系を守ります」。その根拠として、
   偏った生物保護は、異常繁殖などによる生態系の崩壊を招くこと。
   鯨の資源は回復していること。参照表にはクロミンククジラ、ザトウクジラ、ナガスクジラ南極海)、ミンククジラ、イワシクジラ、ニタリクジラ(北西大平洋)の資源量。
   餌となる海洋生物は3から5億トンで世界の漁業生産量の3〜5倍であること、をあげる。
 「調査捕鯨国際法で認める我が国の権利です」。問題は過激な反対勢力の暴力行為にあって、
   南極海で妨害しているシーシェパードはテロリストに指定されていて、環境団体ではないこと。
   リーダーのポール・ワトソンはインターポールに指名手配されていること。
   調査捕鯨は鯨資源の持続的利用に必要なデータを提供、将来の食糧問題の解決にも貢献、食料自給率の低い日本にとって生産手段の確保は国策でもあること、を訴える。
 裏面には、くじら食の素晴らしさ。
   アレルギー食として優れている(畜肉・魚肉などに比べて少ない?)こと。
   ダイエットに適した食品(高タンパク低カロリー)であること。
   疲労回復に効果的(抗疲労成分バレニンが豊富)なこと。
   生活習慣病の予防によい(ベーコンにはDHAやDPAのような多価不飽和脂肪酸が豊富)こと。
 可笑しいくらい、むきになるだけ、浮いちまってる。
 正直、それほどのことかな。
 「もっとクジラを食べたい、クジラを喰わせろ」なんて声が、どこかにホントにあるだろか。
 「鯨食文化」と呼べるようなものが、いまの日本の家庭に見られるだろうか。
 たしかに、日本の捕鯨を非難する欧米人の風潮に、無知と誤解と尻馬に乗ったムードがあったとしても…。


 日本の調査捕鯨船に体あたり、妨害するシーシェパードの奇抜な海賊船。
 2010年だったかの…あれは争闘というより「冗談だろ」みたいな、ちょっと滑稽でさえある漫画チックなアクション・シーンだった。
 「なにょぉ邪魔しやがるんじゃ!」
 多くの日本人が憤慨し、不快感を抱いたけれども…。
 舞台が大海原のせいか、ふしぎに現実味は薄かったのではなかったか。
 それより、そんなにまで鯨を贔屓に、ニッポンの捕鯨にこだわる訳がわからず、かえって馬鹿馬鹿しかったのではないか。
 「オーノー」
 それこそ欧米人たちが、大袈裟な身振りで呆れかえって見せ、処置無しとばかりに肩をすくませる…アレじゃないか。


 船長が日本側に逮捕され、執行猶予つきとはいえ有罪になって、ひとまずは溜飲をさげたところで、もういいかげんに喧嘩相手になるのはやめにしておきたい。
 だってそうじゃないか、調べるといいつつ殺す〈調査捕鯨〉にしろ、海の番犬きどりの〈シー・シェパード〉にしろ、どっちみち、おなじくイカガワシイことにかわりはないのだ。
 殺さずに調べることはできないのか。


捕鯨オリンピックのライバルはノルウエー


 時の移ろい…もあるなぁ。
 ズドンと腹に重く響く号砲が鳴る、鋼鉄船の錨みたいな巨きな銛〔もり〕がロープを引っ張って飛ぶ、命中する、鯨の巨体から血飛沫があがる…その光景が、その頃のぼくら子どもには、残酷には見えなかった。
 捕鯨は勇ましい〈猟〉、砲手は憧れの勇士だった。
 いまは不思議に思えるほどだ。その後、少年・青壮年期を経てしばらくした頃、何処であったか錆びた捕鯨砲を見たときに、ぼくは愕然とした。それは、そのときにはもうすでに、禍々しく、厭わしいものになっていたのだった…。


 ぼくら戦後すぐ世代はいま想い出す、“捕鯨オリンピック”なんてのがあったことを。
 戦後復興期の1950年代末から60年代にかけて、ぼくらが小学校5〜6年から中学生の頃に、南氷洋南極海)では捕鯨国による烈しいクジラ資源の争奪戦がくりひろげられていた。
 貧しい敗戦国からようやく立ち直りかけていたその頃のニッポンにとって“捕鯨オリンピック”での活躍は、正直、スポーツ感覚の「がんばれ日本」だったのだ。
 (それから長い時を経たいまになってはじめて、発展途上国の突拍子もなく思える民族意識の昂ぶりを見るときに、その精神状況を理解することができる)
 母船式捕鯨といって、それぞれに役割を分担する20隻あまりが船団を組んで乗り込む嵐の荒海。
 ルールはたしか、シーズン規定の全体捕獲枠いっぱい(最大のシロナガスクジラに換算して1万数千頭とか)まで、どこの国がより早く、より多く獲るか…だった。どう言い訳しようとも、殺戮合戦にほかならない。
 各国が鎬〔しのぎ〕をけずる闘いの、ライバル強豪は北欧のノルウェーだった記憶がある。ヴァイキング相手の合戦だった。


 日本はこの国際競争に健闘して勝ち、“世界最大の捕鯨国”となって敗戦にうちひしがれた国民の心に灯をともした。
 たしかにあの頃ぼくらは、捕鯨オリンピックに血を沸かせ、心身ともに育てられもしたのだ、と思う。
 あの南氷洋捕鯨の主目的は輸出用の油を採ることにあったようだけれど、庶民にとっての魅力は肉。それも「貴重な動物性タンパク源」なんてオトナシやかなものではなく、もじどおり血の滴るのを貪り食う肉そのものだった。家庭でも学校の給食でも、鯨〔げい〕カツに、すき焼に…さまざまなクジラ料理がくふうされ、「くじら缶」と呼ばれた大和煮缶詰もおいしい庶民派の旗手だった。
 「むこう(敵)は牛肉、こっちは芋雑炊じゃな」
 勝てっこない戦争だったと、まことしやかに吹聴された時代でもあった。貧乏人の子だくさん…というのは米ばかり喰っているからだとも、冗談でなしにいわれた。
 手のとどかない高級食材の牛肉(コンビーフなんか高嶺の花だった…)のかわりの鯨肉だった。


 いっぽうで、食糧難の栄養不足を補いながら鯨は、畏敬すべき大自然の、海洋を代表する旗手だった。
 なかでも南氷洋の雄、子どもたちの憧れのまとは体長25メートルを超すものもあるシロナガスクジラ
 地球上に現存する最大の動物(…だから資源としてもデカイ)は、全身やや青みがかったグレーの、顎から胸にかけてのあたりに縞模様があって美しい流線型の長身。
 好物のオキアミをもとめて泳ぎも速いこの強者〔つわもの〕を、船団の花形、船首に捕鯨砲を据えて軽捷剽悍なキャッチャーボートが追う。仕留めれば母船で迅速に解体処理され、油はタンカーに、肉は冷凍船に……そこに無駄や驕りはなかったと思う。
 なぜなら、あの頃はホントに喰うのに精一杯だった。環境も乱獲もなにも、考えるゆとりすらなかったと思う。


◆皆いなくなってしまったお山のてっぺんに独りのこって威張ってる…


 それから…どうなったろう。
 じつをいうと、日本が南氷洋で“世界最大の捕鯨国”になった戦後は、もうすでに乱獲によるクジラ資源の急激な減退期、先進の欧米諸国はそろそろ撤退を考えている時期だったのだ。
 想いおこせば幕末、坂本竜馬たち志士が活躍した維新。風雲の引き金になったペリーの黒船来航をきっかけに結ばれた日米和親条約1854年)が、捕鯨めあての薪水補給、基地港の獲得が狙いだったわけだし…。
 資源が枯渇すれば新たな産地を求めるか、あるいは別の資源を探すことになるのはあたりまえだ。
 戦前のピーク時1930年には3万頭も獲ったというシロナガスクジラが、1964(昭和39)年には捕獲禁止になっている。凄まじい乱獲だった。
 そうした推移のなかで、戦後にできた国際捕鯨委員会(IWC)は捕鯨を禁止または縮小するための機関。
 にもかかわらず、そこでの日本の主張は、理屈はどうあれ「おれにはもっと獲らせろ」だったのだ。みっともなかった。
 皆ひきあげてしまった後までグズグズ、“居残り佐平治”きめこんで顰蹙をかった。
 すでに油資源は鯨油から石油へと移行していたというのにだ…。


 いまこそ、よくよく考えてみたい。いま、ぼくらはどうなのか。
 牛肉(そのほか)が不足なく食べられるようになって、よほどのクジラ好きでもないかぎり一般には、鯨肉の味はもう忘れられ(かけ)たのではなかろうか。
 かつて捕鯨の海の南極が、いまは地球環境観測の場だ。
 そもそもの鯨がいまは、ホエール・ウォッチングの相手なのだ。
 鯨肉はいまもスーパーの鮮魚売場でときおり見かけるが、さほど売れてはいないようだし、試しに買って食べてみたけれど、懐かしさほどには旨くもなかった。
 「くじら缶」にしたって、缶詰独特の味わいはあっても「忘れていたのが悔やまれる」ほどでもないし、いまは値も高い。
 つまり「もう、いい」んじゃないかな。資源は回復したんだから獲らせろ、喰わせろと、〈目くじら〉たてて怒鳴ることはない。
 いまのニッポン人はクジラの赤身なんかより、もっともっと脂っこいマグロのトロがお好きなのだ。
 鯨のことよりいまは、鮪の乱獲と資源の減少のほうに関心が高い、マグロが喰えなくなったらそのときはまた、ニッポンは大騒ぎなるのだろう。


 前にもあった捕鯨禁止さわぎのとき、〈日本の鯨食文化〉ふりかざした文化人もどきの方々の発言は、恥さらしでしかなかった。
 たとえば北極圏先住民族に許される生存枠捕鯨と、飽食ニッポンの贅沢捕鯨を一緒くたにできるわけがない。
 国際捕鯨委員会(IWC)が示した「沿岸捕鯨を認める」方向に、賢くうなづいておくべきだと思う。
 いかがわしさ拭えないような調査捕鯨(特別許可証を発行するのは日本政府だ)で年間1000頭以上も獲っておいて、
 「お前らだって、さんざ獲ったんじゃねぇか」
 なんて、やくざまがいのことは言いっこなしだ。


 *2012年、《3.11》復興予算の目的外流用が指弾されたとき、調査捕鯨費用もそのなかに含まれていた。そもそもが、獲れた鯨肉を売った利益で賄われることになっていた調査捕鯨費用なのだから、(とっくに破綻していたわけで)お話にならない。皆が見向きもしなくなったことに、とり縋って税金を使わせてもらおうなどと目論むのは、過去の栄光が泣く、あまりにも恥知らずな行為ではなかろうか*