どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 風に舞い踊るウラジロハコヤナギ   −石北峠に“ジュリアナ東京”がよみがえる−


 


◆8月11日 大雪山国立公園“層雲峡”


 その日、層雲峡では大雪山黒岳(1984m)へのロープウェイが強風で運休。運行再開の見通しもたたないようだった。
 石北峠でも、強風がインターバル・ダッシュを競いあっていた。
 けれども朝からカラッと晴れて、日和はすこぶるごきげん、暑かった。


 北見国道(39号)を東へ走りはじめて、樹々の葉群〔はむら〕のそよぎが語りかけてきた。
 「ねぇ、ねぇ、覚えてるかぃ」というわけだ。
 あぁ…よ〜く、覚えてるともさ。


 あれも葉月、八月だったな。
 陽射しはつよかったけれど、うだるようではなく、空気は乾いてすこぶる気もちのいい、よくいわれる“北海道らしい夏の日”だった。
 だれだって窓を開けたくなったろう。
 とにかく、じつに颯爽と息をそろえ、ときに輪唱のようにリフレインしながら木の葉たちがそよぐので、つよい風のあることが知れた。
 道南の日本海沿いをドライブ中、松前から江差へと向かう国道228号松前街道)、上ノ国〔かみのくに〕あたりでのことだった。
 ゆるやかな坂を上って高台にでたとき、ササーッと一陣の風が帯になり、キラキラッと光って流れ…それはそれは、めざましい光景だった。
 ま〜るく弧を描く夏草の原の奥、ちょっと湿ったところだろうか、あまり丈の高くない樹のひと群れが、ひときわはしゃぎたって見えた。
 そぅ、いままさにスタンディング・オベーションが始まったところ、みたいな感じ。
 さらに、このときのぼくの感じたままを表現すれば…。
 手品、より古めかしくも艶っぽく、水際立った手爪〔てづま〕に出逢ったような。
 もっと俗にいえば、ディスコの〈お立ち台〉でくねくね踊り狂ったワンレン・ボディコン姫君たちの〈羽根扇〉ひらひら…あの1990年代初頭〈ジュリアナ東京〉さながら酔態忘我のパントマイム…ただし静謐に音声はOFF。


 ぼくは走りをゆるめ、目を細めた。そのまま走りすぎることも、停まることもできない、大気そのものがきざむリズムに感じられた。
 目を凝らして見ると、まさしく舞扇…緑の表に裏は白…の葉が、しなやかなスナップをきかせてきれいに翻る。それがきわだった特徴のすべて。
 気づくと、その「葉裏のそよぎ」は次から次へともろ手をおおきく振って、天のタクトに指揮されるかのごとくに揺れ揺れる。
 ついに、抑えきれなくなってぼくは路傍に車を停め、その野生の一枝、緑と白の〈羽根扇〉を手折った。
 シャッター押す指が思わず固まることもあるくらい好きな、写真におさめることさえ忘れていた。


◆なかなか樹の素姓の知れないもどかしさ…


 葉の形は、メープル。日本では“カエルの手”に似ているというのでカエデ、漢字にすれば「」。
 風に縁ある風情だけれども、蛙の手のように深く切れ込んではいない。ポプラのようにちょっとふっくら気味…。
 しかし、大樹ポプラの仲間にしては小柄な樹だったし、葉っぱもポプラの孫みたいにかわいらしかった。
 ウラジロ(裏白)の名が思い浮かんだ…が、正月飾りの常緑シダにこの葉のような華やかさはないし…。
 さぁ、わからない。
 むかし、夏に吹く南寄りの風を真風〔まじ〕、「うらじろ」とも呼んだ。あれはひょっとして、この葉の翻りから印象されたものだろうかと、ふと思ったりもした。
 しかし、考えてみれば植物の葉の、裏はたいがい白っぽい。
 少なくとも、表の緑色濃さにくらべれば裏は淡く仄かに白い。きっと陽光の受容とか葉緑素とかにかかわることなのだろう。
 それにしても…はっきりと緑と白…これだけ際だって鮮やかな対比は珍しい。
 その白い葉裏は、綿毛が密生してビロードのように柔らかなロウ質、つやけし銀の色。仔猫の、お腹の毛並みを想わせもする。
 そうして、その葉裏のハッとするほどやわらかな白さを鮮烈に印象づける、細長くしなやかな葉柄そのものもまた、肌がビロードの白だった。
 しかも、天に向かって手をさし伸ばす自然樹形の木は、つよい風が吹くたびに、幹から伸びる枝の葉っぱがそろって、翻りひるがえりしては陽をはじく。


 よくよく想えばこの光景は、これまでにもたしかに見覚えがあったのだが、ただ、これほどまでに目覚ましい、天の恵みといっていいほどの出逢いは、これが初めてだった。
 無性に、この樹の名が知りたかった。
 行きあたりばったり、逢う人ごとに尋ねみたのだけれども、驚いたことには地元のヒトが誰ひとり、知らなかった。
 「あぁ、それなら見たことあっけどぉ、さて、なんの木だったかなぁ…」
 名前はわからないという。わずかに、江差のスーパー・マーケットの、笑顔のすてきなおばちゃんが「ウラジロなんとか…でなかったっけぇ」と。
 やっぱり、ウラジロらしい。
 折りとった一枝は、夏の暑さに萎れていく。


◆裏白箱柳、別名=銀泥、山鳴らし…


 押し葉にして持ち帰ったのを、植物図鑑で調べると…あった!
 いちばんに葉っぱ、そのほかの特徴もピタリ一致したその樹の名は〈ウラジロハコヤナギ〉、江差のおばちゃん…惜しかったんだ。
 〈ヤナギ科〉だという。
 ちょっと意外に思えたけれども、細くしなやかな葉柄や嫋やかな枝ぶり肌あいなど、なるほど柳の仲間かもしれない。
 〈ハコヤナギ属〉という分類になるらしい。
 そういえば柳の葉が小魚みたいにスマートなのと比べると、たしかに箱っぽい葉っぱかも…とも思ったが、ぜんぜん違ってた。
 この木の材が柔らかくて軽く、箱作りに使われるところからこの名があるという。ほかにマッチの軸やパルプにも。知らなかった…が、そうか、そういえば柳は割箸になる材、庶民的な〈利休〉型に削られることが多いものだったな。
 別名〈ギンドロ〉、「泥」はやわらかいことを表して「葉裏が銀白色の泥のような木」のこと。
 同族の〈ネコヤナギ〉というのが、むかし家の庭にもあって、なるほど花穂が銀白色の猫じゃらしだったっけ…。
 図鑑の解説には「このウラジロで他のポプラと区別できる」とあり、やっぱりポプラの仲間でいいのだった。
 そして、ポプラも〈ヤナギ科ハコヤナギ属〉、セイヨウハコヤナギ。
 こうして見ると、どうやらヤナギの仲間というのは、けっこう派手やかに、それでいて包容力たっぷり、したたかに腰が強いらしい。


 ぼくは、樹医の民間資格をもっている。専門研究者の学位とはまるで違うが、ともあれ樹木を理解するために学びとった。
 そのときテキストより勉強になったのが『樹木学』(ピーター・トーマス著、2001年、築地書館刊)という本。
 ぜひ、植物の〈ウラジロ〉の理由〔わけ〕を知りたかった。
 ざんねんながらそのことに触れる記述は見あたらなかったが、生命のもつ特質にはかならず、それなりの理由がある。
 たとえば、大木なら10万枚にもなるという葉には、もちろん1枚のむだもない。生命にとって無用のものはないからだ。
 葉は、エネルギー源の受光量をいかに最大効率にするかが役目のすべて、だから葉と葉は重なることのないように、上の枝と下の枝とでは葉の大きさを変え(もちろん上の枝の葉の方が小ぶり)、あるいはほかの枝の葉と葉の間に隙間を見つけてジグソーパズルのように下の枝が葉をつけて埋める、といったようなくふうの限りを尽くすという。
 じつはぼく、いまだにこれが信じきれない。だって、どう見ても隙間なく重なりあって、陽光には恵まれそうもない葉があると思われるから。だが…。
 その伝でいけば、裏白にもたいせつな意味があるはずだ。
 葉柄の、葉の付け根に蜜腺があるので、ひらひら舞扇で虫を招き寄せるのか…と思ったが、付ける実は朔果〔さくか〕
 つまり、成熟すると鞘が裂け、白い綿毛のついた種子を飛ばす風媒、風に頼る繁殖なのだった。
 すると、〈ウラジロ〉のあのひらひら舞扇は、やはり風を呼んでいることになる。風をよろこばせるための舞扇、といっていいのではないか。 


 またの別名〈ヤマナラシ〉、「山鳴らし」の意だというのが…しかし、これだけはナットクがいかなかった。
 なぜなら、風に葉と葉がふれあいながら、密生した綿毛のせいで騒がしい音がないのもウラジロハコヤナギのよさ…と感じていたからだった。
 その浮きたつように光りながれる葉の翻りを、こんどはぜひ「山鳴らし」のワイワイ賑わいから発見してみたいものだと思っていたのだが…。
 ここ道北、北見の野山でふたたびまみえたウラジロハコヤナギも、やっぱりパントマイムの音声OFFだった。
 あの道南のときとおなじように、樹がまだまだ若いようなのだ。
 それでもハッキリ、それとワカル。
 ウラジロハコヤナギの、緑と白のひらひら舞姿だけは、遠くからでもすぐにわかる。
 ほかにも裏白種はいろいろあるのだけれど、ボディコン舞姫のように艶やかなそよぎには、けっしてなれない。
 その秘密は、葉柄の長さとしなやかな柔らかさにあるようだった。
 ついでには、北海道の天地はおおらかで、道にも細かい曲折がないからより目だつ、ということもあるのかも知れない。
 いずれにしても、ウラジロのもうひとつの真実〈山鳴らし〉に出逢うためには、また別の場面を探さなくてはならないようだ。
 

◆ポプラもしなやかヤナギ科…


 北海道の木はエゾマツだけれど、札幌以南ではむしろポプラのイメージがつよい。
 なかでもぼくは、道南・渡島当別トラピスト修道院のポプラ並木がお気に入り。幹も枝も真っ直ぐ上に伸び、箒を逆さに立てたような樹冠は高さ30メートルにも達するという。
 ウラジロハコヤナギの葉がひらひら舞扇なら、その大親分みたいにでかいポプラの葉は……そうだ、たしかに風の強い日には上空の方でザワザワ、ザッザッと騒がしく鳴っていたのを、いま想いだす。
 別の本には、学名の〈Populus〉には「震える」(つまり…そよぐ)という意味がある、との記述も見られた。
 むっ…ウラジロハコヤナギの大樹よあらわれよ、みんごと吾に山鳴らして魅せよ。


 ぼくは、しなやか、でない。
 暴風に幹のポッキリ折れた大樹なんか見ると、心中おだやかでない。
 水泳は、立ち泳ぎの技がないから、いけるとこまで足掻き、もがき、力尽きたら沈むばかりだ。
 息継ぎも下手で、ひょっとひきつったり、喘いだりなんかもする。
 阿吽〔あうん〕の呼吸…なんかも苦手で、間違って〈後の先〉になってしまったりする。相手には申し訳がない。
 だからだろうか、仁王さんとか狛犬にはいつも興味をひかれる。
 ないものねだりで、柳が好きなのかも知れない。


*その後、秋も盛りの9月22日になって「大雪に初冠雪」の報道。北海道の最高峰、主峰旭岳(2291m)で観測。ロープウェイが上る黒岳でも、おりからの紅葉に初雪が舞ったという。あらためて季節の移ろいの早さを想う…あっという間だ。*