どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 海峡越しに津軽の「お山」岩木山を望む  −青函トンネルで沸いて…それっきりの町−






◆8月8日 北海道の福島という町をご存知?


 渡島〔おしま〕半島は? 
 歌舞伎で〈見得〉をきる、その手先ように伸びた道南の大きな半島、函館港を中心に津軽海峡を挟んで本州と向かいあってきたのが渡島半島だ。
 伸びた先は二手に岐れ、東の恵山岬側を亀田半島、西の白神岬側を松前半島という。亀田半島に対するのが青森県下北半島松前半島に対するのが津軽半島ということになる。
 〈渡島〉というのは本州側から見た呼び名で「渡る足掛かり」とでもいおうか、新天地を目指す意識がはっきりと見てとれ、実際に開拓はこの渡島から始まって札幌の方へと進んで行った。
 そうして行ってしまうと、やがて置き忘れられることになる。地理的・歴史的な在り方なんてのも、考えてみればおかしなものだ。


 渡島の中心に函館がある。
 1988(昭和63)年春に青函トンネルが開通するまでは、青函連絡船(これもトンネルの開通で廃止)が着き、函館本線の列車に接続する、道南の一大ターミナルだった。
 函館駅からは本線から岐れて、半島を西へ江差線が走っている。『江差追分』の江差は道南日本海側きっての観光地、奥尻島への船も出ている。
 途中の木古内〔きこない〕駅からはさらに、松前線が岐れていた。松前は、松前藩の城下町で桜の名所。
 函館‐木古内-松前津軽海峡沿い、50.8kmの線路だった。


 青函トンネルJR北海道の管轄)ができて松前線は廃止になり、江差線木古内江差)はのこった。
 函館から青函トンネルを通って(かつては津軽線の)青森までが“海峡線”と名を変えた。
 鉄道の消えた地域の喪失感は、はかりしれないものがある。松前線沿線もまたしかり。


 海峡線を函館方面から行くと、木古内駅の次が知内〔しりうち〕駅。青函トンネル北海道側、最初の駅になる。
 知内町は、演歌の北島三郎の故郷。農漁業で比較的ゆたかなところだ。
 道路は国道228号が函館を起点に、海沿いに津軽海峡から日本海へとまわりこむ、うち知内町から隣りの福島町までの一部が、海辺を離れ山側へと迂回している。
 自然の障壁は、矢越岬。“道南の秘境”といわれる一帯にはまだ道も通じていない。知内火力発電所の煙突を目印に国道からそれて汀を行けば、奇岩怪石とトンネルの道が小さな漁港の小谷石まで。自然災害を想えば怖い、行き止まりの集落がある。絶景といわれる矢越岬の向こうは福島町だが…。
 

 知内駅の先に海峡線の青函トンネル口があり、国道端には鉄道ファン(撮り鉄)のための“撮影台”ができている。
 大千軒岳(1,072m)麓を抜けて福島町に入る。


◆二人の横綱を輩出した町


 「渡島福島」はかつての松前線の駅名だった(駅跡地にはいま町役場が引っ越してきている)が、在所のわかりやすい表現にも使われている。
 福島は海峡イカ漁、主要港のひとつ。田畑の少ない土地柄もあって漁業が主の、かつては漁師たちの出稼ぎも盛ん。北洋漁業の盛んな頃(1960年代)には、〈北洋景気〉で「漁師たちが北洋から帰ると電気屋から家電品が消えてなくなる」といわれた。北洋景気どこへやらの現在、イカ漁も年々先細り傾向にあるみたいだ。
 福島町の自慢は、大相撲に二人の横綱、41代千代の山と58代千代の富士国民栄誉賞)を輩出したこと。道の駅“横綱の里ふくしま”にある横綱記念館では夏になると、九重部屋若手力士たちの合宿稽古風景が見られる。


 景気のいい話は、もうひとつあって……。
 鉄道ファン、あるいは鉄道史に興味をお持ちですか?
 青函トンネルの工事、北海道側はこの町で始まっている。
 松前線があった頃、渡島福島駅の二つ先に渡島吉岡駅があり、ここから1961(昭和36)年〈世界最長の海底トンネル〉の斜坑掘削が開始された。続いて先進導坑の掘削開始が67(昭和42)年。
 それから6年後の73(昭和48)年、真っ盛りのトンネル工事現場に、ぼくは潜らせてもらったことがある。
 かみさんの知り合いの関係者の方にお願いしたので、紹介がてらかみさんも同行したのだが、「トンネルの工事現場は女人禁制なんですヮ」ということで彼女は断られてしまった。
 坂になったトンネルを下って行くと、やがて壁に目印の赤い線が引かれていて「ここからが海底」と教えられた。
 掘削の現場には想像をはるかに超える広い空間が確保されており、唸りをあげる重機の轟音こもるなか、驚嘆させられたのはトロッコの行き来する線路、トンネル内にナント「信号!」がある。
 長大トンネルは一本だけ掘るのではなかった。先進導坑のほかに本坑と作業坑を掘り進め、間〔なか〕をとりもつ連絡誘導路も造られていた。そのための信号であった。
 この青函トンネル吉岡口に集まる人や物資がトンネル景気を生み、福島町をおおいに潤したのだった。


 その後、海底の岩盤に思わぬ弱点などあったりして長い年月を要したが、83(昭和58)年の先進導坑貫通から85年の本坑貫通を経て、88年の開通・開業にいたる。トンネル全長53.9km、うち海底23.3km。
 しかし(地図を見てほしい)いざ開通してみれば、駅もトンネル口も隣り町の知内にいってしまい、福島町には吉岡海底の臨時駅とトンネル記念館だけがのこされた。
 そうして「渡島」のときとおなじように、やがて置き忘れられ……。
 こんどの北海道新幹線では、函館が新しい時代からとり残されようとしている。


◆遠く津軽平野の名峰“岩木山”が望める!


 すっきり晴れの朝。
 海沿いにゆっくり車を転がしていたぼくは、海峡の向こうの空に目を奪われてブレーキを踏んだ。
 小さな集落への脇道にそれ、浜に出て、遥かな遠望に目を見張った。その独立した美しい山容には見覚えがある。
 岩木山(1,625m)、“津軽富士”とも呼ぶ。 
 だが、遠すぎはしないか…。ざっと100キロほどもあるのでは…。
 岩木山といえば、津軽半島の付け根よりさらに奥まった津軽平野の、弘前の西に聳えているのだ。
 折よく外に出てきた婆っちゃに尋ねると、「うん、お山だょ」こともなげに言って拝む。
 「やっぱり…岩木山」とぼく。「そっ、岩木のお山」と婆っちゃ。
 信仰の「お山」は各地にある。木曽のお山は御嶽山越中のお山は立山、加賀のお山は白山、そして日本の「お山」が富士山
 岩木山には古くから、津軽の人たちが集団で山頂奥宮に登拝する「お山参詣」の習慣がある。
 ぼくには、朝の弘前公園から「お山」を遙拝する人たちの敬虔な姿が想いだされる。
 地理的な必然というべきか、このあたり津軽海峡沿いの土地には津軽から移住した人々が多い。 
 いまでも海辺の古老たちは、朝な夕なに「お山に無事を祈る」という。
 ぼくは国道228号を隣り町松前の白神岬〔しらかみみさき〕まで行き…その間ずっと海峡の向こうに「お山」が見えていた。
 白神岬から対岸、津軽半島竜飛崎までは19.2キロしかない。