どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 深層崩壊を防ぎ〈覚悟係数〉で復興の町づくり  −住まいにも許される範囲があるだろう−




◆2011年9月…日本はまさに災害列島


 紀伊半島を中心に猛威をふるった台風12号の災害も、ひどかった。
 東日本大地震の大津波、つい半年前の悪夢のような映像がよみがえる。
 (また、やられるんじゃないか…)という予感が現実になった。
 こんどは、深層崩壊(大地が深いところから抉りとられる)の新しい災害メニュー付き。
 土砂崩れ堰きとめダム湖…なんて、とんでもないものまで造らざるをえないことになった。
 まだ大津波からの「復興」が目に見えてこないうちに、またつぎの「復興」だ。
 日本というのは、狭小な土地がでかい火山帯にのっかる島国。地球の表皮みたいなプレートが、ひしめき、せめぎあう、地震の巣。
 自然災害は、不定期というだけで恒例行事みたいなものだし、そのうちには甚大災害がかならず含まれる。


 「防災」という言葉が、なぜか虚ろにひびいて力が入らない。
 民もがんばってきたし、行政も努力してきたんだろうが…ホンネを吐けば…とても追っつきゃしない。
 災害があるたびに課題がアレコレいわれ、「ああしろ」「こうしろ」と喧しいことだけれども。
 ちょっと、待ってよ。
 大の字に寝ころんで、大空みあげて、よ〜く考えてみたら…。


  〈自然災害はなくならない〉のだ。
  〈安心・安全に絶対はない〉のだ。
  〈破産寸前の国がもたない〉のだ。


 つぎ込める費用にもかぎりがあるなら、〈どこまで許されるか〉を切りつめて考えなおそうではないか。
 そうして、あとは人それぞれが自ら〈覚悟〉をきめる。迷わず道理(すじみち)にしたがう。


◆どこまでが許される住まいの範囲か…


 民の「住みたい」と、行政の「住んでよい」とが、一致すればいいが…なかなか、そうはいかない、対立するのがふつうだ。 
 永いあいだ旅してきてつくづく思う、人と住まいの印象は、あきれるほど「ほとんど際限のない新境地開拓とその後押し」だ。
 人は、信じられないようなところにも住む、住んできた。
 その性根の凄さに、行政は口をあんぐり…ただ拒めないものは認めざるをえない、というところだったろう。
 ただし、厳しい環境には厳しい生と死…はやむをえない、という暗黙の了解があってのことだった。
 それでいい時代があった。
 しかし、いまは違う。


 民は権利にめざめ、欲求がつよくなった。
 行政はそれにこたえるサービスが仕事、と錯覚するようになった。
 議員たちは、国でも地方でも、人気とりのサービスを安請けあいする。
 人里からかけ離れた一軒だけのために、電気・ガス・水道・舗装道路といったライフラインが整備される。
 あたりまえじゃない、きりがない。
 人と公のいい関係が、もはや〈深層崩壊〉寸前だ。


 リアス海岸の海も山も迫った町の住まいを、高台を削り谷を埋めて造成し、団地にしようという。
 それもいい…けど費用はどうする? 津波には対抗できるようになるかも知れない…けど土砂崩れの怖れをどうする?
 そもそも、〈便宜〉にかまけて自然の脅威を忘れ、海辺に下りてきたのは人々であり、統治者はそれを先導もしくは追認してきた。
 どっちもどっち、責任のなすりあいをしている場合ではない。共に反省する、〈共働〉ならぬ〈共省〉のときだ。
 一人も死なせないための備え…カッコいいけどアリエナイそれって…〈平和のための戦争〉とおなじ欺瞞じゃないのか。


◆〈覚悟係数〉とはどんなことか


 そこで、人に許される住まいの範囲を定めるために、〈覚悟係数〉というものを考えてみる。
 地勢などの自然条件を背伸びせずに評価、克服できる自治体の力量に応じて、次のような三つの住まい地域にわけたらどうか。


  ○……いいでしょう地域(ここまでは町がなんとか守る目標の範囲)……覚悟係数1
  △……努力しましょう地域(救援の手がまにあわないこともある要注意の範囲)……覚悟係数3
  □……緊張しましょう地域(あえて住みたい人だけが天地に任せて生きる範囲)……覚悟係数7


 この〈覚悟係数〉は、地震規模のマグニチュードとおなじような考えでの尺度、度合いである。
 大自然の宇宙的な尺度を、俗人が〈想定〉しようなんてことがそもそもオコガマシイ…けれども〈想定〉してみたくなるアホな気もちもわからないではない。
 〈覚悟係数〉の跳ね上がり方は、そんな俗人の〈甘い想定〉をいくらかでも補いたい…意味もある。
 防波堤・避難路・避難場所といった基本的な防災設備は、○の範囲に極力、よりよく整備されるのはいうまでもない。
 しかし、けっして完璧などは望まず、あくまでも謙虚にそのときどきのベストを尽くす、それが真っ当なあり方というものだ。
 ○⇒△⇒□の順で、保護・救援のされ方が違うことになるから、税金に差があっていいかも知れない。
 また△地域に住みたい人には、いざというときに逃げのびることができるかの〈体力テスト〉が義務づけられてもいい。


 この考えの基本は、あらゆる意味での〈共生〉にほかならない。
  〈自然を畏敬して生きる〉
  ……自然を〈征服〉しようとしたのは大陸系の欧米人たち、彼らはおなじ考え方のもとに世界各地を〈侵略〉してきた。
    いっぽう、ぼくら海洋系の日本人は自然を敬い畏れる智慧で〈克服〉してきた。いまはぜんぜん、らしくもないが…。
  〈澄みきった境地の諦観に生きる〉
  ……絶対の安全はないのだから、死もまた自然、ものごとの本質を見極めるから、諦めもつく。
  〈公への責任に生きる〉
  ……畏敬する自然を〈克服〉し、閑かな〈諦観〉の境地にあった日本人が、わずかな間に、どうしてこれほどまでに〈個人主義のサービス好き〉不遜な民になり果ててしまったのか。
 公への責任を志すのが…ボランティアである。