どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 松川浦、鳥の海、貞山堀…無惨/(20)11.3.11その年の夏【2】  −茫然自失マツカワガレイの浜−







◆8月4日 ホットスポットに“死の灰”いっぱい


  ……や、原発が失敗だったナ。
  ……まさか、だもの、オレだって。
  ……津波で海にひきこまれてょ、なんとか浮きあがって、やれ助かったと思ったら原発に足ひっぱられてぇ、あっぷあっぷだもネ……。


 漁師の船だけはのこったが、母港も家も、あとのすべてがもってかれて完膚ナシ。いつまた漁に出られるかもわからない。放射能汚染も気がかりだ。
 水産庁とかのレベルでは、海中の放射線量測定なんかもやってはいるようだし、結果たいしたことないようなことをいっているけれども、ホントのとこはどうなんだか。


  ……空気とォ、海水がちがうだけ、山も谷もあれば流れもあるから、似たようなんだけども。
  ……やっぱチガウな。海にゃ空気もって潜らにゃならんもん、怖い怖い。
  ……“死の灰”かぃ、いっぱい積ってるとこ、ホットスポット…だっけ、あると思うよ。考えたくもないけどナ……。

 
◆高級魚“マツカワ”の行方…どころではない



 福島県相馬市、松川浦
 カレイ目カレイ科マツカワ属“マツカワガレイ”という高級魚がある。
 北方系で、皮肌が松の幹のようなので〈松皮〉だそうだが〈松川〉とも書かれ、このあたりの特産というわけでもないのだが、魚好きならご存じ“常磐もの”を代表する。
 ぼくは運よく、その希少な天然ものに巡り逢えたことがある。
 カレイというのは、煮ても焼いても揚げてもいい魚だけれど、天然のマツカワはやはり、美しく透ける白身に上品な脂ののりもよい、スッキリした旨味の刺身が佳かった。


 その浦が、漁が、どうなっていたか。
 アノときのまま復旧も手つかず…ほどではないにしても、まだまだ(やられっぱなし)のヒドイ状態だった。
 立地、財政ほか、さまざまな条件によっても違うのはわかるし、いやな表現だけれども、いまだにコレはムゴい、(まるで曝しものじゃないか)と思う。


 松川浦は潟湖〔せきこ〕。発達した砂嘴〔さし〕によって、河口の入り江が堰きとめられてできた。
 海洋の国らしい明るく開けた風光は、前日おとずれた緑の野山うつくしい飯舘村と好一対だ。
 北側から砂嘴をまわって一周するつもりだったぼくは、相馬港と浦とをつなぐ松川浦大橋を渡ることさえできなかった。
 通行止め…いつごろ渡れるようになるかの見込みさえたってはいない。
 復旧関係車両の交通整理に雇われた隣り町の人が、顔貌〔かお〕をくもらせる。
「見てのとおり、ひどいもんです…とても五年や十年じゃね…どうにもならんと思いますょ」


 よく晴れた夏の日、浦の内海は波静かで、いつもなら遊客の声、子らの歓声が高かったろう。
 「壊わしてください」
 赤いスプレーのメッセージがそのままに残された建物、浦の水面に頭を突っ込む重機の唸り、引き揚げられて悪臭を放つ軽トラック、あたかも冗談で海に突っ込みかけたかに見える宿の送迎バス、その鼻先には白鷺が一羽…いずれもなぜか幻想かなにかのように現実感の薄いのが、吾ながら情けない。


 宮城県境を越えて行く国道6号(陸前浜街道)の右手、海側一帯には、あの巨大なアメーバみたいに陸地を浸食した大津波の痕跡クッキリ。
 積み上げられた瓦礫の山に、夏草が逞しく伸びてきていた。


◆瓦礫の山が焼け跡みたいに焦げくさい


 亘理町宮城県)の、鳥の海に出た。
 大きく蛇行した阿武隈川の流れが、太平洋にそそぐ河口の南側。旧河口の跡が堰き止められてできた汽水湖は、松川浦よりひとまわりもふたまわりも小さい。
 ここもまたすっかりやられて、完膚なしだった。


 国民保養センターのある海に近い一郭が恰好の瓦礫集積所になっており、ただいま積み上げ中の山には、重機がいくつも傾〔かし〕がってはりついていた。
 瓦礫処理のスピードが、無情ながら、悲しみをひきはがすのに役立っている。
 重機を効率よく集中できたところから、復旧の明るい見通しもたっていくようだ。
 工事会社の重機置場に眠っているやつなんかを、叩き起こしてドンと投入したなら、それだけでも目覚ましい成果をあげるだろうに……。


 4月に嗅いだ忘れられない〈潮もみ瓦礫の煎り煮〉臭が、すっかり乾いたいまは、夏の日にじりじり焦がされていた。
 それこそ火がつきそうに想えたものだが…帰ってからしばらくして、場所こそ違ったけれど「瓦礫の火事」が現実になった。
 遅い…あまりにも遅い…復旧の足踏みが間怠〔まだる〕っこい。
 引き揚げられた漁船たちは、ずらっと陸に並んでいるのが妙な具合。水のないプールを前にスタート台に立って、いつになるかも知れない合図を待つ選手たち…みたいに見えてくる。


仙台空港だけが素知らぬ顔…に見える


 阿武隈川を渡って、貞山堀仙台空港の様子も確かめた。
 貞山堀(貞山運河)は、初代仙台藩主の伊達政宗が造らせた(貞山は政宗の諡〔おくりな〕)もので、阿武隈川松島湾をむすぶ舟運用の水路。大事業の全長49キロは明治中期になって完成している。かつては年貢米や木材の運搬に使われ、いまはサイクリングロードの整備された水路公園になっている。
 周辺の田園や海岸風景とともにホッと潤いの行楽にいいところ…だがじつは、将来に予想された宮城県沖地震に備え、空港から仙台市街へ援助物資輸送路のひそかな期待が寄せられていたのだった。
 しかし、おきた地震津波(10メートル以上という)はあまりにも大きなもので、ざんねんながらまったく役には立たなった。
 このあたりに住む人たちの間では「津波は貞山堀を越えてこない」と信じられてきたそうで、「(1960年の)チリ津波のときもそうだった」という。そのせいで逃げなかった人、逃げ遅れた人が多かったのだと……。


 その貞山堀は意外にも、少なくとも外見は水もきれいに逸早く復旧していた。まわりの田園の瓦礫にはいまだに手がつかず、海岸の防波堤は崩れたままだというのに…。
 わけはどうやら仙台空港、優先されたインフラ整備と関係があるらしい。排水の必要があったものか。


 あの惨憺たる光景を曝した仙台空港には、もはやほとんど大震災・大津波の痕跡はのこっていなかった。
 復旧の順序は…ワカル…が、肝心のその後がつづいていない。
 乗客の人混みで賑わう空港ターミナルと、周辺の荒れ果てた田野との対比が、惨〔むご〕い。
 トカゲの尻尾切り…みたいなものかとさえ思えてくる