どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 大津波から一ヶ月後の被災地【1】岩手県大槌町へ  −揺さぶられる心で慰霊の巡礼から始めることになった−




◆なぜ巡礼になったか…ほかに手だてが見つからなかった


 「東北地方太平洋沖地震」その後、名称はかわって「東日本大地震」。
 ひたひたと水に浸されていく心肺からイノチの空気が奪いとられていった……あの大津波からちょうど1ヶ月後の4月11日。
 東北地方沿岸、被災の現地を訪ねてきた。


 やむをえず〈巡礼〉になった。
 あれこれ考え、試みもしたが、ついに(大袈裟だろうか…)血路は開けなかったからだ。
 とるものもとりあえず、まずは宮沢賢治雨ニモマケズ』の心境、おろおろ歩いて…みるしかなかった。
 もちろん、すぐにできることの手はじめに義援金は送ったのだが、これがいつ被災地の人たちに届くのか、覚束ないありさまだった。
 ボランティア組織に登録もしたが、なかなかマッチしにくいものがあって、参加のチャンスがつかめない。
 けっして自分の都合をいうんじゃない、けれども、必要と提供の折り合いのなんとつきにくく、歯がゆいことであったか。
 ぼくとおなじく心をもちながら、どうすることもできずにいる、支援の人たちが少なくなかった。
 ジレンマの悩みをそのままに放っておけば、いずれは心を腐らせることになる。
 だから…やむにやまれぬ巡礼の旅…になった。


◆最敬礼!自衛隊車列の頼もしさ


 そろそろ古くなってきていた愛車のタイヤ、でもふつうならまだ保つところだったが(被災地に無用の迷惑はかけたくない)から、新品に取り替えて出掛けた。
 路面から伝わるその新らしいタイヤへの情報が、まずなによりも的確だった。
 車体が幾度となく大きく揺り上げられるアプローチの東北自動車道
 茨城県あたりから路面にウェーブが顕著になり、福島・宮城・岩手と進むうちに段差・波うちが頻出。一応の補修はされていたけれども、うっかりすると弾き飛ばされかねないところもあった。


 通行量は少ないながら、そのなかにあって〈災害派遣〉の自衛隊車列の、行き来する姿の文句なしの頼もしさは感動的であった。
 『自衛隊ブルース』歌ったあの頃の、全共闘世代のぼくが最敬礼を惜しまない。
 それほどみごとに、このニッポンの軍隊の現場は人道的で手厚いことを、人々はあらためて思い知らされた。
 感謝の念は、被災し救援されたことのある人たち、とくに僻地の人々の胸に奥深く沁みている…ことをぼくは知っている。
 マジにそれと比べたら、政治家なんかみんな道化みたいなもの、けっして人民を思いやることのない官僚どもはそれ以下、下の下でしかない。
 赤十字をはじめとする他の支援組織も動いてはいたけれど、まるでレベルがチガウのだった。
 はっきりいえば〈責務〉と〈お手伝い〉の差であろう。
 なにしろ自衛隊の抜群の信頼感には、思わず目頭が熱くなる…。


◆“すきま支援”の可能性を探りたい


 ぼくたちのは、あくまでも個人的な支援行動だ。
 まずは大がかりな組織的救援が大々事の(邪魔になってもいけない)想いから、遠慮して折をうかがううちに、あっという間にひと月がたっていた。
 なんともミズムシ…隔靴掻痒〔かっかそうよう〕
 ニッポン政府も関係当局もみんな、それぞれの立場でそれなりにやってはいるのだろうが、この大事なときに、真っ先に動かなければならん者たちが愚図愚図していてどうするのだ。
 しょせん他人ごとを、仕方なしに言い訳しながらやっている…としか思えない。


 組織ボランティアの主力は、やはり体力も身動きもいい若者たちに任せて。
 こちらには大きな救援隊にはできない〈すきま支援〉、リリーフ・ゲリラの役どころがあろう…と思うのだ。
 とっかかりを、どうつけるか。あれこれ考え、想い、悩む。
 いまは、ツイッターとかの投稿サイト経由が手っとり早いという。そうかも知れない、けれども、それではコボレてしまう人たちも多いだろう。
 復興への長い道のりを思えば、〈すきま支援〉は今後ますます必要になっていくはずだ。
 庶民力おおいに発揮してもらうためにも、こまめな支援のコーディネーターがほしい。
 できるものなら、みずから手がけてもいい。


 しかし現実はなにしろ、とき待てどなかなか連絡すらとれないありさまなのだ。
 緊急連絡が優先の(邪魔になってはいかん)とも思う。
 郵便が、宅配便が、ようやく届くようになったといっても、あいかわらずそれさえ不可能な地域がのこっている。
 実際、避難所あてに救援物資を送ろうとしたら、「まず受取人の承諾をえてください、荷物は近くの営業所まで取りに来てもらいます」といわれた。
 事情はワカルが、その近くの営業所までは峠を越えて何十キロもあるのだ、受け取りに行ってくれ…では支援にならない。
 そんな状況では、とにかく行ってみるしかないのだ…あてのない巡礼でも…。


◆同行二人、まず残雪の遠野を目指す


 真摯にむきあう…独り行く…ことも考えたが、心臓にやや不安を抱えるわが身だった。被災地に行き倒れては面目ない。
 それに考えてみればボクなんかより、もっと役だつ場面のありそうな、かみさんに同行を快諾してもらった。


 小さな支援は、ピンポイントに絞らねばできない。
 ぼくたちは、町長さんを津波で喪った岩手県大槌町へ。
 避難所のひとつ大槌高校を目標にしたのは、同高の生徒(で彼らもまた被災者)たちが、おぼつかないながら避難所運営を手伝う姿、報道で知ったから。
 この地域、この国の将来を託す若者たちの肩を押そうと思ったのと、井上ひさし吉里吉里人』の縁も感じてのことだった。


 東京からアプローチに一日。みちのく遥か。
 現地に近い宿泊地、遠野の宿は救援陣でどこもいっぱいだった。
 車には自分たち用の食料はもちろん、キャンプ支度もしてきていたけれど、なるべくならイザにそなえて体力は温存しておきたかった。
 雪の残る道を歩く人たちの、吐く息が白い。
 やっと、市内から早池峰〔はやちね〕山の山懐ふかく入ったところ、早池峰神社里宮の近くに、渓流釣りむきの民宿を見つけて泊めてもらうことができた。そこの字〔あざ〕を附馬牛〔つきもうし〕といって、いかにも人力だけでは頼りない土地の匂いがする。
 そして、しっとり遠野物語のふんいきをもつ人が営む宿の名む「わらべ」というのだった。
そこに……。


◆たまたま同宿した方が危うく津波の難を逃れたご夫婦


 その方たちの住まいは釜石市の北郊、大槌町のすぐ手前の、鵜住居〔うのすまい〕(この珍しい名の駅はJR山田線にある)というところ。ほとんど壊滅…と報じられていた。
 「駅もなんもそぉっくり、み〜んなもってかれた。土地の衆はみんな、津波にゃ馴れっこだったからね。まさかぁ…でやられちまった、なんもねぇ」
 足のよくない彼は、防波堤を越えてくる大津波を見て高台へと逃げ、行けるところまで車を走らせたあとは、奥さんは走って、彼自身は這いずるようにしてなんとか追水から逃れたが、車は津波に呑まれた…という。


 このたびの大津波にまつわるアレコレ噺は数多あるけれど、これもひとつの、極々まぎれもないたしかな事実にちがいない。


 それから後も運のつよいこの方は、災害FM局が放送する避難者名簿によって山形に住む息子さんと連絡がとれ、避難所を脱出。
 息子さんによれば「ショックで一日、夫婦そろって寝込んだ」けれども、いまは山形に家を借りてすでに自力生活中。
 「また戻ってくる心算だけどさ、明日はとりあえず流された家の跡の瓦礫処分、承諾の書類だしに市役所に行くよ」
 もう、負けてはいなかった。
 こういうメゲない人がいる…のは心づよいことだった。
 けれどもほかには、大多数を占めるクジケそうな人たいもいる。


 油断が命とりだ、ということ。
 自然を侮るなかれ、ということ。
 安全に絶対はない、ということ。
 安心は諦観(本質を見きわめること)にある、ということ。
 そうして……
 いまこのときに、いいふりこき(えぇかっこしい)だけは、あってはならない。