どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 五山送り火と呼びかける声【3】  −黙祷の夏のレクイエムは地虫の合唱−





アボリジニーたちにとくに誕生日を祝う習慣はない


 小学校は、けっこう刺激的なところだった。
 よくはわからなかったけれど、そして、いまになってみればそれもかなりアヤシイものだったけれど…ミンシュシュギで、ジユウで、ビョウドウで…なければいけないようだった。
 ただ、それこそ戦後うまれのこの新しい、アメリカから直輸入の教育方針が、まず先生たちに、どうもよくわかってはいなかったらしい。
 まだ慣れないことに戸惑っているふうで、言動が首尾一貫しない、態度からしてどうも情緒不安定みたいなことが少なくなかった。ほんとのところ先生たちはけっこう怒りっぽかった。
 けれども…新しいことは、やってみなけりゃわからん…のが本音だったから…やってみる、やらせてみる、しかなかったようだ。
 おかげで子どもたちは大いに積極性を尊重され、よほどのことがなければ好きにさせてもらえた。
 アメリカは敵国から、かがやく憧れの文明社会になった。
 底の知れた急ごしらえの文化人たちが(それこそゴチャゴチャ出てきて)、こぞって信者になり、大々的な宣伝役になり、ぼくらは冗談半分でその尻馬に乗っかった。


 かわりに〈誕生日〉の意識され方は、学校に入るとトッテツケタように露骨になった。
 誕生日と民主主義がどう結びつくのか、ぼくにはよくわからなかった。
 おなじクラスの女の子の“お誕生会”というのに招かれたことがある。もちろん欧米流だ。
 お金持ちと評判の家の、家内のお披露目(見せびらかし)と新生活運動を兼ねて、ということらしかった。
 焼け跡広っ場派には、いったいどうしていたらいいのやら、まごまごするばかり。おわってヤレヤレ…草臥れもうけってやつだった。
 「幼稚園でお誕生会とか、ひな祭りとか、しなかった?」
 だれかに聞かれた。
 ぼくは(幼稚園になんか行かなくてよかった)と思った。


 オーストラリアのネイティブ、アボリジニーたちにとくに誕生日を祝う習慣はない。
 子どもであれ大人であれ、誰かがなにかひとつステップアップする、そのたびごとに祝ってあげるという。
 後になって知ったことだが、この話にぼくはとても救われた。


 「ろうそく、ピカドン、はげあたま」
 その頃、ガキどもの戯れ言に、こういうのがあった。
 「地震、雷、火事、親爺」と似たようなものだったが、ぼくには〈ピカドン〉がひっかかって、いえなかった。
 理屈ではなく、なんとはなしにだが「ぴかどん」をふざけてはいけない気がしていた。


◆地虫の声たからかな黙祷の夏


 ぼくの誕生日には“ヒロシマ”そして“ナガサキ”(原子爆弾被爆の翳も濃い。
 原爆にまつわるアレやコレやのラジオ放送、特別番組やニュース特集なんかもみんな、ぼくに誕生日が近いことを知らせるものだった。
 はじまりは6月23日沖縄慰霊の日あたりから…「忘れてはならない記憶の日々」がさまざまなカタチで語られるようになる。
 この状況ばかりは、その後テレビ時代になっても変わらなかった。いや、むしろより克明になまなましく、ぼくの想像世界を裏うちしていった。
 (どうして、そっとしておいてくれないのか…)
 胸苦しく思いながらも、やっぱり目をそらすことができなかった。
 クラスのみんなは、近づく夏休みに喜々として気もそぞろの頃。無表情になれないぼくは、ふくれっ面して眉をしかめるしかない日々だった。
 酷な季節だった。
 暑気の到来とともに、呼びかけは明瞭になり、ボッと眩みがひどくなる。
 ぼくは汗みずくで懸命に抵抗をこころみるのだけれども、どうにもならなかった。
 きげんを損ねてフクレていたりすると、母さんに「北向きの鬼瓦みたいな顔しなさんな」と叱られた。
 オードリーの春日がギャグでやる(あんなふうでもあったろうか…)可愛げのないガキだったにちがいない。


 夏休みがはじまる。みんな遊び呆ける。そりゃぼくだって…。
 無我夢中、忘我でいようとするのだが、空の雲、風、虫、草花、野良猫、犬、小鳥、いろんな人たち、すべてが、森羅万象が、ボッともの想わせる。
 「おまえはなぁに……おまえはだぁれ……ぼっぼぅ……」
 またあの日がやってくるのだ。


 夏休みの宿題、絵日記というのがいちばんイヤだった。夏休みの毎日を克明に追うことは強迫だったし、わざと避けて通るのも気骨が折れる。
  8月6日 広島原爆記念日。黙祷。
  8月9日 長崎原爆記念日。黙祷。
 そうして……
  8月15日 終戦記念日。黙祷。
 ぼくは、戦没者たちのために黙祷するのか、それとも自分のためになのか、わからない気がした。
 ほかの子たちがそんなこと関係なしにはしゃぎまわっているのに、あした誕生日のぼくはまるでエアポケットだった。
 ひとりでボッとしていると、日中の蝉はただやかましいばかりで嫌味なやつらだった。
 日が暮れて、地虫の鳴き声のほうがずっとよかった。
 あれはミミズという子がいたが、(ミミズには気の毒だけど)ちょっと違ってほしかった。
 「オケラだよ」といわれると(そうか…)と思えて親しみがあった。そういえばよく遊んでもらった。
 でも、オケラがそんなにいっぱいいるかな。あの鳴き声からすると、そこらじゅうオケラだらけじゃないか…。
 ぼくの地虫に分類はいらない、ただ〈地虫〉でよかった。地虫=庶民の気分もあった。
 いまだってぼくは、地虫の鳴く夏の夜の道がとても好きだ。