どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 五山送り火と呼びかける声【1】  −戦争を知らずに戦争を感じていた−





◆ことのほか耐えがたかった炎暑の夏、2010年


 8月16日、宵。京都の人たちが「大文字さん」と親しく呼ぶ、盆の行事<五山送り火>に立ち会うため、ぼくは市内のホテルにいた。
 ただ見物でもなく、とくに縁あっての送り人というのでもなく、漠として…立ち会う…そんな宙ぶらりんな気分だった。
 この日が、じつは(正直もてあますしかない…)ぼくの誕生日。
 あの昭和20(1945)年8月15日、といってもいまはピンとくる人も少ないし、ピンとくる人たちにしてからがボケたりヨロケたりになってきてしまった、66年前の大東亜戦争(太平洋戦争)終戦の日の翌日に、ぼくは生まれていた。

 
 だから、なんだってのさ、どうしたっていうんだぃ。
 めぐりあわせょ、それだけのこったろう。


 そうかもしれない、いや、そうだろう…けれども…やっぱりそうじゃない、それだけではすまないことだった。
 その日をぼくは(ナシ…にしてもらえないかな)と願い、いっそ忘れちまいたいと思いつづけて生きてきた。

 
 ははぁ、愚痴だな、図星だろう。
 (む……)
 世迷言と思われてもせんないことながら、ぼくにはじぶんの生まれた日が、しつこく邪魔っけな心もちの負担でありつづけた。
 もちろん、誰のせいでもありゃしないのだが、かといって、じぶんのせいでもありゃしない。
 他人〔ひと〕にとってはなんでもないようなことが、その人にとってはゆるがせにできない重大事ってことがある。

 
 とにもかくにも終戦の翌日が誕生日。
 それだけのことがぼくには、食指(ひとさしゆび)に隠れのこされた棘か、喉にひっかかり刺さった小骨みたいに、厄介なものになっちまった。
 誕生の瞬間にこそ記憶はなくても、じぶんの誕生日を忘れたり、忘れたいと願ったりする人は少ないだろうと思うが、ぼくにはその誕生日が(忘れられない、忘れたい日)になった。
 それはないだろう…と想いつづけて60余年の人生双六というか、はまりこんだ難渋ジグソーパズルから、解き放たれるきっかけになるワンピースがこの五山送り火ではあるまいか。
 なんとなく前からそんな気はしていて、でもなんとはなしに縁遠いままにすぎ、この年ふと思い立つと縋りつきたいくらい切実なことに気がついて、とんできた。


◆その日の京都新聞の市民版


 京都市街の中心部、二条城に近いホテルで迎えたその日、8月16日朝の地元紙に、その兆しらしいひとすじの光明をぼくはすでに見ていた。
 それは、翌朝一面のトップを飾ることになるのは五山送り火の記事にちがいない、京都新聞の市民版。
 “きょう、この日”生まれの子らに、周囲からの祝いのメッセージをとどける欄があって。みんな2〜3歳から4〜5歳くらいの、眩しいばかりにかわゆい盛りの写真付き。
 これに、ぼくはなんと、ほとんど目からうろこ…だった。
 半世紀以上にわたる〈この日〉誕生の繰り返しが光彩陸離、フラッシュバックされたごとく、胸さわがせるほど鮮やかに意識されて、ぼくと「おなじ誕生日の子たちがいる」ことに、わけもなく感銘した。


 と同時に、おなじ年頃のじぶん、一枚の写真が脳裡に泛かぶ。
 ただ……状況はまるでちがうのだ、ぜんぜん明るくも可愛ゆくもない。白黒写真のその坊主は、口をとんがらかして脹れっ面、なにしろ小柄な「お母さんよりおおきなお頭〔つむ〕」だったという。
 なまいきに、めいわくそうに眉なんか顰めて、おまけに突き出したお腹がぽっこり丸い。ずっと後に見たビアフラ戦争の報道写真、飢餓の子の影像と似たようなものだった。
 それでいて、どこか遠くを見て、ボッとしている。


大文字に火が燃える 


 京の夏のおわりを告げる「大文字さん」、五山送り火を見るホテルの屋上でも、ぼくはどこかボッとしていた。
 ひとつには、見物衆の数の予測に狂いがあった。
 下手に街の見どころポイントへ迷い出るよりこっちのほうがよかろう、と踏んだのだが、その開放されたホテル屋上もどこぞの見晴らし台みたいな混雑、人が寄ってたかっていた。甘かった。
 もうひとつには、観衆の群がりが的はずれに…つまり、はじまりは「反対(側)の方じゃないか」と思えた。
 地図をヨみ、その日の昼前には東山の麓、哲学の道あたりを歩いて、今宵にそなえ詰めの作業にちがいない人たちの動きを大文字山に望み見てきていた。
 ぼくは地理勘のいいほうだったが、いまの街場ではときたまどうにもマゴつくこともあって、磁針がしたたかな蜘蛛の巣バリアにぶら〜んとひっかかった感じだ。
 迷図の街が縄文の地理勘をあざ嗤う。


「こっちですってょ」と、皆目見当もなさそうなオバはんがいう。
「えぇ、ホテルの人がいってました」
 そんなこんなで、ぼくは出遅れたお化けみたいに間抜けな、情けないような心もちだった。
 期待する人々の目がジッとそそがれる山の方、しかし稜線にはまだ明るさがのこる薄暮でもあり、長続きはしない緊張が弛んで、皆の目があっちこっちしはじめたときに……
「あ、点いた」
 そっちが東だった山の尾根に近いあたり、やや北よりのひとところにポッと灯明らしい赤い炎が揺らめいた。
 その幽玄さが、ボッとしていたぼくの回路に逸早い信号になってとどいた、としか思えない。びっくりするくらい深い隙間の静寂〔しじま〕に、ぼくの声がまわりに低声のどよめきの波紋をひろげた。

 
 ぼくにはそのとき、ポッと火の点く瞬間がありありと、音までともなって拡大されて見えたかに思える。
 望み見るそれは、まことにちいさな大文字だったが、しっかりと燃え盛っているのがはっきりわかった。
 それぞれの持ち場を守る人たちの…そういえばつい先刻までその辺りに、直前の点検とおぼしき小さな明かりがしきりに点滅していたのだ…火の粉を浴びて走りまわる姿、炎のむこうに透かし見るようだ。


 ぼくの想いはなぜか、そのときぷいと、信州野辺山の星降る夜空に飛んだ。
 天体望遠鏡がとらえた遥かに遠い土星の、ゆらゆらしながらも輪までしっかり運行を主張していた光速映像の記憶が、オーバーラップして鮮やかに思い出された。


 それにしても……
 燃える「大」の字のひろがりよりもなお、おしつつむ四囲の山並みのほうがはるかに圧倒的な暮れ泥〔なず〕む京都は、あらためて見る干上がった池みたいな盆地だった。
 歴史がわだかまって鳴りを潜め、じっとこちらをうかがっているふうに想われる。
 そして、ぼくは…また呼ばれた。
 漠然と、そっちの方からだった。