どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

おげんきよう!…の明日へ /          きょうは…お休みです

-No.2567-
★2020年10月01日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3493日
★延期…オリンピック東京まで → 296日
★旧暦8月14日(月齢12.7)


おげんきよう!…の明日へ /          きょうは…お休みです

-No.2566-
★2020年09月30日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 3492日
★延期…オリンピック東京まで → 297日
★旧暦8月14日(月齢12.7)


〝密〟にならずに〝ベタベタ〟もせず / 大都会のアウト・ドアをあじわう「SHIBUYA SKY」

-No.2565-
★2020年09月29日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3491日
★延期…オリンピック東京まで → 298日
★旧暦8月13日(月齢11.7)









◆「水入り」はやむをえない、か…

 「新コロ」ガマンも、いいかげんブチ切れそうになってきた頃。
 ふと肌に感じた風が教えてくれた、小さい秋。
 
 高どまり状態がつづいた第2波も、さいわい〝爆発〟にはいたらず。
 (…が、それが幸いだったのか、どうかは、まだ…わからない)

 怖々〔こわごわ〕「Go Toトラベル」の橋掛かりもなんとかもちこたえて、すでに次は「東京も入れてやろうぜ」ムードだし。
 おまけに「Go Toイート」「Go Toイベント」「Go To商店街」もはじまるョ、延期になったオリ・パラの開催もあることだし、外国からの入国制限もそろそろ緩めていきましょうかァ。テストにイベントの入場者数制限も緩和してみましょうネ、と。
 世は、挙げて一気に「コロナはおわった、さぁ皆さん出番ですゼ」のムード。

 世の人の、浮き浮きしたがりは、いつものとおり。
 でもねぇ(なんだかなぁ…)アブナッかしいかぎりなんだけれども。かといって
 コレといった感染〝封じ込め〟の〝妙手〟とてない、感染症専門家筋や意識的市民サイドも手詰まり感、否めない。
  ……………

 この、すでに始まってから久しい「新コロ」事態、早や半年を越え、長びく五里霧中の形勢にフと想い出したのは…

 藤井聡太、二冠人気に沸く将棋界。〝勝負なし〟の膠着状態を指す「千日手」ではなくて。こいう場合は、ヤッパリ
 「はっけよい」で肉弾ぶちかます大相撲、その審判規定にある「水入り」の方。
 そう、いまはもう、ほとんど見られなくなっているけれど、かつては相撲とりにもファンにも熱気こもごも、たがいにゆずらぬ「がっぷり四つ」の大一番。

 相撲は瞬発力の勝負だから長期戦には向かない。
 「水入り」の判断は、時間にすればせいぜい4分くらい。行事と審判長の判断で決まるのだが。同じ組手、脚の位置なども確認のうえで、ひと息入れて再開。なお勝負がつかなければ「2番後取り直し」、それでもなお決着がつかないときには「引き分け」になった。
  ……………

 こんどの「新コロ」が相手の取り組みでは、収束に向かうか…と思わせぶりな「非常事態宣言」打ち切り後、いっときの間をおいてまた盛り返す、第2波がきたところで、ひとまず「水入り」。それでもなお、双方ひるまず、高どまりの一進一退がつづく感染状況で「2番後取り直し」になった。
 …というのが、正直なところではなかったろうか。

 はりつめた気がホッとゆるめば、喉の渇きや忘れていた尿意に、あらためて気づく者がある。小さいけれど、たいせつな用事を思い出す者もあるだろう。 
 



◆みんな「寂しん坊」

 せっかくの夏休みを、棒に振らされた大衆の「水入り」、シルバー・ウィークとやらの4連休。
 ドッとばかりに繰りだす人出は予想できたし、気分は痛いほどにワカル。
 ぼくたちも、ご同様、深呼吸の背筋を伸ばしに、最終の秋分の日に出かけた。

 …といっても、人混みの行楽地はゴメンである。
 万が一「新コロ」感染の怖さより、人混みにまぎれてホッとよろこぶ…そんなイジマシさがなにより嫌だった。
 
 人は孤独なもの、ほかの生きものと同じことだ。
 (群れたい)のはワカルが、(群れても孤独)にかわりはない。
 むしろ(群れの中の孤独)のほうが、深く、逃れ難い。

 かといって、かつての気休め処。
 アンダーグラウンドに潜るのも、いまはフシギなほどに重く、気おくれがする。

 (よ~し)ならば…ほかになし。
 思いきり風の吹き抜ける、気のふさがりようもない高みがよかろう!
 …と、出かけたのは、渋谷スカイ。
  ……………
 
 下目黒の五百羅漢寺へ、秋彼岸の墓参をかねて行く。
 この間、世には「不要不急の外出はひかえて」との、〈自粛病〉とも呼ぶべき気分が蔓延。〝不要〟でも〝不急〟でもないはずの、帰郷や面会、やむをえず諦めた人が少なくなかったのを、チクリと痛く想いだす。
 ホント、日本人の〈なにごともイッショ〉志向には、呆れるほかない。

 ことし
 春の彼岸どきは、感染パンデミック上昇気流のなか。目黒川沿い、花見の群衆に紛れて少しく歩み。他人への気づかいより好奇心がさき…の若者たち気分に押されるほかなかった記憶、鮮明によみがえる。が、いまは人影のかけらもなかった。

 7月のお盆は、国の「緊急事態宣言」も「東京アラート」も解除になったあと。 
 (でもさ…ホントにダイジョブなんですかねぇ)
 人みなコワゴワ、オソルオソルの世相。バスや電車に乗るにも、素早く車内の様子を見わたす目のうごき、いまから想えばオカシイくらい。
 さすがに、根は臆病質の日本人、マスクなしの人はほとんど見かけられなったけれども、腰はすっかり軽くなっているのが、よくワカッタのであった……




◆やっぱり高みはイイ、気も晴々爽快

 渋谷も、人出はふだん(「新コロ」以前)より、やや少なめなくらい。
 思ったとおり、(もぅ、いいんじゃないかぃ)伸びきり緩んでしまった糸は、さっぱりと捨てて、新たに引き出してくるほかなさそうだった。

 あれほど、緊めておいた張りがポョ~ンと、いともたやすく弛〔たる〕みをとりもどして、恥じらいもなく平然。
 人々の身うごきを見ていれば、それは一目瞭然。

 つい、きのうまで、とうぜんの個差ともないながらも、ぴっちり身にまとっていたコントロール・スーツ。凝視〔みつ〕めず、さりげなく抜けめなく逸らす眼線…とか、わが身のバリア・センサーに、けっしてアドヴァイザリー・ランプを点灯させない動線の確保…とかいったものが、きれいさっぱり無くなっていた。

 愛おしくも惰弱な吾が同胞〔はらから〕どもよ!
  ……………

 ぼくは、みずからが(長かったな)と思える旅のしめくくりには、きっと、空をふり仰ぐことになっていた。
 いかなる信仰にも、かならず、拝むか祈るかの指標・目標がなくてはならない、そうな。さすれば天空もまた、無限の広がりの悠久さゆえに指標・目標たりうる。
 水平か地平かが求められれば、茫にして昴とした拠りどころを求める。東日本大震災の被災地東北巡礼の帰途、風吹きつのるデッキから眺める太平洋がそれだった。
   ……………

 凄まじい勢いで、いま再開発が進む渋谷駅エリア、その東口。
 渋谷ヒカリエを控えにまわして聳え建つ、渋谷スクランブル・スクエア。ビル屋上という認識を超えて…天空といっていい領域へ、いざ。
  ……………

 14階から乗り換えるエレベーターには、絵に描いたような親子4人連れと一緒。
 まだ幼い女の子は、無心に甘いお出かけムードにひたる、いっぽう。自我、伸びざかりと思われる年ごろの男の子の方は、異次元への「予感と移行」の空間、演出されたなかにあって、なぜかボクの方を見て、しきりに(ねぇ、ホントにぃ)と問いかける風情…。はにかみをまじえた眼差しが、フと気にかかる。
  ……………

 スクランブル・スクエアの14Fまではショップ&レストラン。エレベーターを乗り換え、45Fまでのオフィス・フロアを突き抜けた上に、展望フロアがある。
 そこが、みずから「展望装置」と称する仕掛けつきの名に恥じないものであることは、すでに幾人もの知友から報告を聞いていた。

 展望〈解放〉フロアの入口へ、光に誘われて上るエスカレーター、逆光になって先を行くさっきの少年の影が、光のなかに溶け込む前にチラと、こちらを振り返った。

 「展望装置」への立ち入りには、万が一の事故を防ぐためだろう、余計な手荷物の持ち込みが制限される。
 感覚はまさしく上空にある地上230mの、そこは、まさに、ひとつの「現代の天外」だった。46階とルーフ・トップの「SKY STAGE」から成る空間は、高層ビルのワン・フロア以上の広がりを感じさせ、これまでの「おまけ」感を払拭、ついでに物見遊山風情からも感覚的に開放して魅せる。

 なかでもルーフ・トップの迫力は、従来の「屋上」イメージからさらに上へ、天空へと浮上した…といっていい。
 厚い透明アクリルの壁に守られ、高所恐怖からは逃れながら、グルリ見渡すかぎり、遥か遠くからの風を直に感じられる。空気の味わいまで深く噛みしめることができて、ステキだ。そんななかに人が、てきとうに散らばっている。

 空との境界「SKY EDGE」への入場には、ソーシャルディスタンスの短い列ができ、さらに1段と高い展望「GEO COMPASS」の上では、あらためて天に向かい両手を突き上げる姿が交替しあい、ひと巡りしたあとは、ハンモックに寝ころび、空と向きあう。
 ぼくの気になっている少年は、その、ところどころ、ときどきに、視界のなかにあって、とうぜんのことながら、たいがい遠い空を見ていた。
 ぼくには心なしか、日常の見えない靄につつまれた下界から解放された少年が、(これから、どうなっていくのかな?)未来と向きあおうとしているように、見えて仕方がなかった。

 眺望では、神宮の森をはさんで新宿副都心から、奥多摩方面にかけての風光に、いちばん見飽きない趣きがあり。反対に、東京湾の海や富士山までの見透しが利かなかったためか、そのほかの向きには、不思議と心惹かれるものがなかった。
 空があれば…また来よう、それでヨカった!

 天空のステージに、小1時間もいたろうか…
 気がつくと、いつのまにか、少年一家の姿もぼくの視界から去っていた。
 (満足した)想いで46Fの室内に降りたのだ、けれど。どうやら、ぼくは〈天空の空気〉に酔っていたらしい。
 そこには、また別の、〈落ち着いて吾をふりかえる時空〉が待っていた。

 10月末までは、夕刻から開いて夜景にひたれるルーフトップ・バーもいいだろうし、「時空の川」をイメージさせる映像装置もシャレている…が。
 ぼくが、なにより気に入ったのは、なにもない窓際のフロアに置かれたクッション〈…のある風景〉といいたいようなエリア。
 
 好きな体勢を支えてくれるクッションに身をあずけると、外の風景がまた、より一層の深みを加えてくれるように思える。
 ぼくは、そこに、しばらく沈みこんで、感染症パンデミックを想った。

 日本の「新コロ」感染状況とその推移をみてくると、なるほど、山中伸弥教授が指摘した「ファクターX」の存在がうなづけてくる、が。
 それでも、日本人の〈衛生〉指向が他の国・地域よりも優れているから…だけではナットクしかねるし。だいいち、それでも「これで抑えこめた」状況にはほど遠い。

 しかも世界に目を転じれば、各方面に感染再拡大が進みつつあり、全世界の死者数はついに100万人を突破。日本でも、これから迎える秋・冬に向けて、「新コロ」と「インフルエンザ」のダブル・リスクも心配され。

 そんな状況下でオリ・パラ開催が叫ばれても、いちど熱気の去ってしまった大会、くわえて感染の治まらない国や地域を除外しての大会になれが殊更に、はたして、どれだけの意義が認められるのであろうか……



おげんきよう!…の明日へ /          きょうは…お休みです

-No.2564-
★2020年09月28日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3490日
★延期…オリンピック東京まで → 299日
★旧暦8月12日(月齢10.7)


おげんきよう!…の明日へ /          きょうは…お休みです

-No.2563-
★2020年09月27日日曜日
★11.3.11フクシマから → 3489日
★延期…オリンピック東京まで → 300日
★旧暦8月11日(月齢9.7)



ジュリエット・グレコさんが亡くなった。行年93。シャンソン歌手で俳優でもあった…などと、つべこべ言わずともよい。この世紀に、フランスひいていえばヨーロッパ、先進文化の色艶とアンニュイを誰よりもつよく語りかけてくれた人だった。「枯葉」「パリの空の下」「悲しみよこんにちは」……貴女の身はいつも、霧のヴェールにまとわれて在った。

おげんきよう!…の明日へ /          きょうは…お休みです

-No.2562-
★2020年09月26日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 3488日
★延期…オリンピック東京まで → 301日
★旧暦8月10日(月齢8.7)


「鯉の住む町~津和野~」 /         『よみがえる新日本紀行』とともに…➂

-No.2561-
★2020年09月25日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 3487日
★延期…オリンピック東京まで → 302日
★旧暦8月9日(月齢7.7)






◆〝鉄道員〟の系譜

 ぼくは、根っからの〈旅の人〉。
 その後半生はマイカー・ドライブで全国を駆けまわり、運転歴42年、走行距離は35万km(地球の赤道一周が約4万km)を超えている。

 …が、鉄道が現在のように〝不便〟(いうまでもない地方交通線において)になるまでは、もっぱら〈鉄旅の人〉。
 そんなボクの、モノクロームな心象風景に濃い、ひとつの場面がある。
  ……………

 その人には、勤めから帰るとかならずキマった行動があって。まず、おもむろに、いまや愛用というよりすでに分身といえる懐中時計を、3つ揃い背広のチョッキ胸ポケットから執り出すと。時間を確認してから床柱に銀鎖の先を掛けて吊るす。懐中時計はスイスのロンジン。その厳格な作法のために、床柱には専用の釘が打ちつけられてあった。滅多なことでは、その頑固な風貌そのままの表情をくずすことなく、なかでもとくに時間にはキビシくて、約束に遅れるようなことがあれば頭を握り拳でコツンとやられ。その痛さが、また、ひどくこたえた。
 その人、母方の祖父は、国鉄鉄道員。かつての国鉄職員には〝全線パス〟(日本全国無料パス、家族には原則5割引の家族割引証もあった)という、子どもごころに燦然と輝く〝特典〟があって、いちどだけボクも拝ませてもらったことがある。
 この「お爺ちゃん」は、ときどきにわが家を訪れては、外孫のボクたち姉弟を連れて川崎から、母の実家がある東海道線藤沢駅までの小旅行をさせてくれ。なによりの楽しみは横浜駅で買ってくれる崎陽軒の「シウマイ弁当」で、これを食べながら揺られて行くのが定番であった。
 晩年とはいえ、まだ蒸気機関車全盛の時代。横浜駅では、銀のツバメ・マークをフードに光らせたC62形蒸機が特急「つばめ」を牽引、ホームを揺らせて入線してくるドキドキ場面に遭遇してもいる。
  ……………

 こんな育ちだったボクたちが、おそらくトロッコ遊びに親しめた最後の世代であったろう。憧れいちばんは、蒸気機関車の運転手。手近なところでふだんは、機関車に添乗して誘導する「旗振り」に熱い視線を送っていた。

 そんな幼・少年期を経て、しぜん旅に目覚めたボクは「乗り鉄」に邁進。
 それが昂じて、当時の国鉄「片道最長切符」チャレンジャーになったのも、自然の成り行き。電卓もパソコンもないアナログな時代に、時刻表と鉄道路線図を相手に「最長ルート」づくりに熱中した日々が、いまは懐かしい。
  ……………

【註1】国鉄「片道最長切符」の旅
*1
  ……………

 そんな「片道最長切符」の旅と、即〔つ〕かず離れずにあったのが、NHK『新日本紀行』という番組。
  ……………
 
【註2】『新日本紀行』☟
*2
  ……………

 いまは『よみがえる新日本紀行』に衣替えしている。
 ぼくが、この番組を懐かしく、感情移入ゆたかに観るわけは…そこには紛れもない若き日の青春とその後が綯い交ぜになって投影されているから、にほかならない。恥ずかしいくらい、想い出ぽろぽろ。
  ……………

 そんなアレコレ噺の、3回目は西の小京都、津和野。




◆なぜか「津和野」だった

 ぼくの16,000km、鈍行列車「片道最長切符」の旅。
 5月15日に枕崎駅(鹿児島県)を出発してから11日目、やっと九州「往ったり来たり」を終えたボクは、関門トンネルを潜って本州入り。
 下関(山口県)では、「肥後もっこす」人吉で産れた大学時代の友と再会、駅待合室を離れて彼の家に泊めてもらい、翌日は勝手に「休養日」。奥さんに車で県都山口へ、雪舟邸や瑠璃光寺五重塔などを案内してもらっている。
 山口がいたく気に入った(湯田の温泉のせいかも知れない)らしい彼は、新聞記者を退職後、いまもここに住む。
  ……………

 こうして、中1日おいて13日目の旅。
 その日も、しっかり各停(各駅停車の普通列車、俗にいう〝鈍行〟)の列車に揺られ、停車する各駅のホームに降りては、駅名板をカメラに納めていくという、ぼくなりのその土地々々への〝仁義〟を尽くしながら、車内で土地人たちとの交流を愉しんでいた。
 
 この日のルートを辿ってみると。
 下関-山陰本線長門市美祢線-厚狭〔あさ〕山陽本線-小野田-小野田線-居能-宇部線宇部山陽本線-小郡〔おごおり〕山口線-津和野
 なお、これらの線は、いずれも現存。

 わざわざ、そう言うワケは、このとき(昭和47年=1972)はJRの前身〈国鉄〉時代の終盤。そろそろ赤字地方(ローカル)線廃止の動きがはじまる頃で、実際、このあと廃線になった鉄路・航路が多く、いまでは同じルートをたどることができないからだ。

 ともあれ
 そんなこともあって、ぼくの「片道最長切符」の旅は少しく注目も集め。この日も途中、小郡の駅では駅長さんから「国鉄を愛してくださってありがとう」と、土地のお土産を戴いたり。

 そんなこんなで、暮れかける頃に乗り換えた山口線
 カエルの合唱のなかを行く、その車内でまた、ぼくにとっては、ほとんど奇跡的な出逢いが待っていた。

 国鉄に勤続33年というベテランの車掌さん、ちょうど勤務あけで帰宅する方と相席になり、話しが盛り上がるうちに「どうぞ、家へお泊りなさい」ということに。
 盛り上がったわけは、いうまでもなくボクの「片道最長切符」。この頃までの国鉄マンといえば、皆さん根っからの鉄道好き(…でも、現役時代に〝全線パス〟を利用するチャンスは滅多になかった)。
 したがってこの旅の途中、出逢った車掌さんのほとんどが、ぼくのキップに興味津々。なかには、券面にびっしり書き込まれたルートを「メモさせてください」という人もいあったくらいで…。

 そうして
 この車掌さんの、帰るお家が「津和野」だったことが、ぼくにとっては〝奇跡〟でしかなく。こんな奇遇に、かさねて「家へお泊りなさい」と誘われたら、もう、辞退なんかできるわけがなかった。

 この65日間の旅では、1日の泊まりは駅の待合室のベンチ、風呂はあれば近くの銭湯へ、が基本。いうまでもない、理由は旅費の節約。ついでに時間の節約にも、駅待合室ほど都合のいいところはなかったのだ、が。
 そんなことが許され、また、このときのように見ず知らずの者を、わが家へ「一夜の宿り」を誘ってくださる方もあったり…という、ホントにいい時代だったとしか、いまはいいようがない。

 この旅の朝は、いつもなら洗面・自炊朝食のあと、時刻表で1日のスケジュールをたてることからスタート。寝袋に入る泊まりの駅は、まだ未熟ながら、それまでに蓄えた知識と情報を頼りに、あとは感性におまかせだった。
 
 …で、その日の泊まりが、ぼくの予定でも「津和野」になっていた。
 それは、なぜだったか…

◆水路に鯉が泳ぐ、清々しい町

 そのもとが、じつは『新日本紀行』にあった、わけで。
 このたび、4Kリマスターに衣替えした映像の「鯉の住む町~津和野~」編、もともとの放送があったのは昭和46年(1971)。ぼくが「片道最長切符」の旅に出る、直ぐ前のことだった。

 「西の小京都」と呼ばれる町の紹介は、しっとりと、淡々と、ごく素直な案内記ふう。…となれば、うっかりするとタイクツになりかねないところだ、けれど。
 このときのボクは、それこそ針にかかった鮎のごとく、グイッと惹き寄せられてしまっていた。
 ひとつには、津和野のキーワードは清流。町域を流れる高津川は日本でも有数の、ダムがひとつもない清流だったし。いかにも小京都らしい、漆喰なまこ壁の武家屋敷が並ぶ石畳の殿町通り界隈には、掘割にこれも水清き流れがあって…。

 ぼくは、なにしろ〝水清き流れ〟がなにより好き。
 すぐ民家の脇を水音高く流れるほどの川より、むしろ小さな水路くらいのほうが好ましく。さらには、水音がするかしないかくらいの、ほどよく、ゆるい坂道になっていればなお佳く、ついでに水車なんぞがあってくれれば言うことなし!

 津和野、殿町の掘割に水車はなかったが、かわりに緋鯉が彩り添えて群れ遊び。おまけに地名の起源が「つわぶきの」なんてのも、じつに気がきいていた。
 映像を見きわめる目にはいささか自信のある、ぼくの感性が「いいね、いい町だね」と呼びかける。
 
 『新日本紀行』の画面は、ほかにも、鮎料理を語り、森鴎外西周(哲学者)の旧宅、太鼓山稲荷神社などを巡り、津和野の代名詞にもなってきた郷土芸能(国の重文)「鷺舞」(7月末の祇園祭で披露される)などが紹介されたのだ、けれど。

 ぼくの頭はボンヤリ…鯉の群れ遊ぶ水清き掘割の水路と、その流れに沿ってつづく、ほのぼのと和みに満ちた町すじを、いつまでも、ひとり、追いかけ。
 そう、すっかり抱きすくめられていた。

 どなたにも、経験がおありだろう。
 ひとつひとつの町や村との、ふしぎな出逢い、沁みとおる感性へのアプローチに、リクツなどない。

 そんな津和野へ、初対面の土地人に招かれての、一夜の宿りであった。
  ……………

 しかし、それも
 もう遠い日の、想い出のひとこま。
 いつしか音信もとぎれて、気がつけば久しさも長きにわたる半世紀後だったわけだ、けれども。

 いまも、その〈帰郷〉の夜にも似た歓談のひととき、忘れがたく。
 不意の来客にも「まぁ息子が帰ったようでね」と、もてなし上手な奥さん。「生きていれば貴方くらいの年恰好ですよ」と亡くなった孫息子の想い出に涙ぐむお婆ちゃん。高校生のひとり娘も、「お兄ちゃんみたいな気がする」と遠慮ない笑顔で迎えてくれて。夜遅くまでボクの盃に酒をきらさず、親身に、年の離れた兄のように語りかけてくれる国鉄マンのお父さん。
 外は小雨降る静かな晩…。

 この旅のあとに書いた本のなかで、ぼくは涙もろくも述懐している。
「うれしいけど、せつない。ありがたいけど、すまない感じ。旅の身がつらい。いっそ居ついてしまおうかとも思うが、しかしオレはやっぱり旅人。(これ以上の迷惑をかけちゃならない)と思いなおす。だからよけいに(大事にしなければ)と思う。」
「旅に出ればそのたびに、人とのつながりがふえていく。その一つ一つをたいせつにしていくこと。ぼくにはそれしかできない。」
  ……………

 翌くる早朝の清々しい津和野慕情は、ぼくに「箱庭のような町」を想わせ。
 民家の間の路地から路地へ、めぐる水路にはたくさんの鯉が泳いで。
 折からの日曜日、近所の子どもたちが習慣になっている道の清掃、通行人には見知らぬ相手であっても「おはようございます」と挨拶をする…と。
 そのあとの道には塵ひとつ落ちていない、ほっと胸キュンの散歩のひととき。
 
 そんな町に、似合う乗り物は、いうまでもない自転車(これは、いまでも変わらないでしょう)。
 ぼくも、駅前にある貸自転車を借りて、娘さんに町を案内してもらって、上記したような町なかの名所を見てまわったのだ…けれども、いまはもう、ぽつぽつと淡い点景くらいにしか覚えていない。

 旅人のはずが、すっかり旅を怠けて。
 昼までご馳走になり、おみやげに郷土銘菓の「源氏巻」までいただいて、やっと午後の列車で舞い戻った旅の空。
 赤茶色の屋根瓦が、ほほ笑むような山陰路へと、もぐりこんで行った。
   ……………

 そのときから、ほぼ半世紀ぶりの、津和野。
 番組は、そんな津和野の〝いま〟を、あれこれ伝えてくれたのだった、が。
 「ぼくの津和野」慕情の前には、ごめんなさい、ただ「なんのお変りもございませんで、ようございました」であった。
 
 
  

 





    

*1: むかし「乗り鉄」の憧れ。現在「JR」の旧国鉄時代。列島の国鉄全線を対象に(航路も含んで)端から端まで、「一筆書き」の〝片道最長〟を記録する旅遊びがあって、「全線完乗」と並ぶ究極の〝乗り鉄〟チャンレジだった。つまり、二度と同じ駅・経路を通らずに行くかぎり、1枚の切符にすることができた。このルールを最大限に活用して挑むのが「片道最長切符」という、超贅沢の夢世界。新しい鉄路が生まれる(誕生したり延伸したりする)たびに、記録更新の可能性も更新された。  ぼくが、小出-会津若松135.2kmの只見線(新潟・福島)の全通を待って、当時の新記録を達成したのが、1972(昭和47年)5月15日から7月18日にかけて。枕崎駅指宿枕崎線、鹿児島県)から広尾駅広尾線=現在は廃線、北海道)まで、切符通用日数の65日間をかけて、総距離1万2771.7キロ(当時の国鉄営業キロ2万890.4キロの約61%)。なお、コース外の線区にも〝寄り道〟乗車した分を加えると、1万6027 .8キロ。地球の赤道直径と全周の1/3を超える〈鉄旅の人〉になった。  その間の駅数2848(総数3493)、切符の運賃2万7750円(寄り道分を除く)。これは、いまでも「安い!」と思う…けれど、その頃、まだ若かったボクには大金。ちなみに、この旅の泊まりはほとんどが駅の待合室。それが許されたイイ時代でもあった。

*2: NHKで、1963年から1982年までの18年半の間に、制作本数計793本という記念碑的な番組のひとつ。日本の細やかな地域風土を紹介する紀行番組の草分けで、その紀行精神は、後の『新日本風土記』(2011年春からBSプレミアムで放送)に受け継がれている。  あの頃をふりかえると、この『新日本紀行』につづいて民放では日本テレビが、当時の国鉄キャンペーン『ディスカバー・ジャパン』とタイアップするかたちで 1970年(昭和45)から『遠くへ行きたい』をスタート…いまから想えばセンチメンタル・ドリーミーないい時代。  この『新日本紀行』でとりあげた日本各地をもう一度訪れ、当時からその後の歴史をふりかえって紹介しようと、新たに始まったのが『よみがえる新日本紀行』の取り組み。新日本紀行の制作は、16mmフィルム撮影(VTR=ビデオテープ録画ではない)で行われたおかげで、フィルムライブラリーに記録がのこった、昔のものでは珍しいケース。1967年からはカラー放送になっていたものを、2018年から、高精細の4K画質に変換・制作、ハイビジョン放送されている。

おげんきよう!…の明日へ /          きょうは…お休みです

-No.2560-
★2020年09月24日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3486日
★延期…オリンピック東京まで → 303日
★旧暦8月8日(月齢6.7)


岩手から北太平洋海流めぐり沖縄まで /     漁業用コンテナ9年半の長旅

-No.2559-
★2020年09月23日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 3485日
★延期…オリンピック東京まで → 304日
★旧暦8月7日(月齢5.7)





◆忘れてませんか《11.3.11》東日本大震災を…

 …とでも言うように。
 「新コロ」感染予防にもイイかげん飽きて、あれこれ規制も緩んできて、いかにも(危ねぇ)感じになりつつある世の中に、まるで、この時を待っていたかのような報せが、南の方からとびこんできた。

 発信は沖縄から。
 まず、石垣島の浜には宮古からの漂流物。
 つづいて本島北部「沖縄美ら海水族館」の沖に浮かぶ伊江島には釜石から。
 いずれも、漁港から流失したと思われる、水揚げ用などのプラスチック・コンテナ。タテ50cm×ヨコ76cm×高さ26cmの、伊江島に流れ着いたのには「釜石東部」、タテ・ヨコとも1mくらいと大きめの石垣島のには「宮古漁業協同組合」の名が入っていた…という。

 長い……………あれから9年半の歳月。
 大きな破損もなく漂着したのは、丈夫で軽いのが幸いして、波まかせの旅に耐えられたからであろう、けれど。
 そてにしても、どう流れた? (地理人間の連想は必然、そこへいく)

 すると、これはもう、黒潮親潮のぶつかる辺りから、時計まわりの北太平洋海流をほぼ1周した…のにチガイあるまい。
 1周といっても
 自然な海の〝流れ〟には、別な流れとの〈合流〉や〈分流〉、ほかにもさまざまな〈反流〉や〈沿岸流〉など出入りが多くて、つまり、数知れない誘惑の手をすりぬけて来るのは、それだけで一大事なのだ。

 しかも相手は南・北両極間に、赤道をまたいで広がる世界最大の海洋、全地表の約3分の1、全海洋の半分ちかくを占める太平洋である。
 その北半分とはいえ、名高い「太平洋ゴミベルト」(東日本大震災の大津波で流出した漂流物がたくさん集まっているはずの…)に誘いこまれることもなく、回遊を果たしたことは、アッパレ祝福されていい。

 何年か前に、この北太平洋海流からアラスカ海流へと乗り換えたものだろう、カナダの海岸に漂着した小型船があったことを、ぼくはいま懐かしく想い出す。
 あれからの日月を追想すれば、このたびの回遊・回帰もナットクがいく。

 いっぽう、ボクがこれまでに経験した船路・海路をふりかえれば、その範囲、やっと日本領海の範囲までがやっと…で、あらためてナンとケチなものかと思うけれど。
 このたび北太平洋海流を乗りきって回帰した漂流物の航跡に付け加えれば、ちょうど1周達成くらいに相当する…と知れば、満更でもない。

  ……………


◆ときめきの…漂流瓶/ボトルメール

 海辺で、遥かな海路に想いを馳せ、ボンヤリするのがスキ。
 …なボクは、浜辺で、いずこからとも知れず流れ着いた漂流物に、旅路の〈よすが〉をもとめて瞑想することが多い。

 島崎藤村作詞の歌曲『椰子の実』と同じ椰子の実の殼なら、舞台も同じ伊良湖岬の浜で出逢って以来、北は九十九里浜から南は日本最南端の波照間島まで、案外なことに意外なほど多くの場所で邂逅、そのたびに、なぜかホッとしてきたし。

 北海の海辺では、磨き尽くされ潮に晒されて白い流木のほかには、漂着物の極めて少ないことに、驚く吾と首肯する吾とが同居したし。
 また、日本海の汀では、多すぎるくらいに雑多な漂着物のなかに、すぐ向こうに隣り合う大陸縁辺部との、複雑多岐な交渉を思わないわけにはいかなかった…。

 これで意外にセンチメンタル情緒なところもあるボクは、みずからに海の流れ行く先をなっとくさせたくて、漂流瓶(または海流瓶、標識瓶とも呼ばれる)を仕立てて流したこともある。
 海流調査など学術目的のためには目立つ大きさの瓶がイイようだ(補足すれば、風の影響をうけにくくするために適当な錘を垂らしておくと、なおイイ)けれど、ぼくの場合はあくまでも私用(試用?)であり、また、ときには胸ときめく〈秘用〉でもあったから、極くスマートな小型瓶に連絡待ちの紙片を封入して流した。
 結果は…いうまでもなかろう、ひとつとして返信がきたことはなかったけれども…

 この〈漂流瓶/ボトルメール〉遊びは、かつてアナログな青春時代には、流した経験をもつヒトが少なくなかった…と思うのだが。
 いまは、どうなっているんだろう?

 稀にはいまも、海辺の観光地の、みやげもの売り場の棚の隅っこに、マスコット小物ふうの品を見かけることがあり。

 告白すれば、じつはボク、いまだに「漂流瓶」に良さそうな細身の小瓶を見つけると、ふと秘かな〈こころのそよぎ〉を覚えたりする。

 ステキな瓶コレクションを趣味にする人も少なくないようだけれど、〈漂流瓶/ボトルメール〉にふさわしい小瓶となると、これが存外に、むずかしい資格と品格とを、主張し要求もするものなのであった…… 




 

おげんきよう!…の明日へ /          きょうは…お休みです

-No.2558-
★2020年09月22日(火曜日、秋分の日
★11.3.11フクシマから → 3484日
★延期…オリンピック東京まで → 305日
★旧暦8月6日(月齢4.7)


おげんきよう!…の明日へ /          きょうは…お休みです

-No.2556-
★2020年09月20日日曜日
★11.3.11フクシマから → 3482日
★延期…オリンピック東京まで → 307日
★旧暦8月4日(月齢2.7)


おげんきよう!…の明日へ /          きょうは…お休みです

-No.2557-
★2020年09月21日(月曜日、敬老の日
★11.3.11フクシマから → 3483日
★延期…オリンピック東京まで → 306日
★旧暦8月5日(月齢3.7)


おげんきよう!…の明日へ /          きょうは…お休みです

-No.2555-
★2020年09月19日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 3481日
★延期…オリンピック東京まで → 308日
★旧暦8月3日(月齢1.7)


「新コロ」新総理誕生の…されど〈ゆ~うつ〉

-No.2554-
★2020年09月18日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 3480日
★延期…オリンピック東京まで → 309日
★旧暦8月2日(月齢0.7)





◆ようやく陽射しに秋の匂いがしてきた

 9月14日、月曜日。
 創始100年を迎えるという、この国の「国勢調査」。
 調査員のひとりになって、この日の午後、担当区域をひとめぐりして帰宅したら、やっぱり汗まみれになっていた。
 (国勢調査のことは、後日あらためてお話しましょう)

 シャワーを浴び、井村屋の「あずきバー(婆)」さん(ぼくん家ではそう呼んでいる)コリコリ齧りながらテレビをつけると、自民党総裁選の結果が報じられ、菅義偉さんがいつもとかわらぬ仏頂面で、手だけは派手に勝利をアピールしていた。
 この総裁選、幕が開く直前の裏舞台で、すでに筋書きができちまってたから、結果は暑苦しくも知れていた。

 それでも、ぼくが菅新総裁の人物像を、あらためて吾が目に確かめておきたかったのは、戦後のある風景が、この人にダブって映る…からだった。
  ……………
 
 ぼくの世代は、1969年(昭和44)の東大安田講堂事件に代表される、民主化闘争〝大学紛争〟の最中にあって。その頃のデモ学生間には、「〝鬼の七機〟オソルべし」という〝呪文〟にちかい噂が根づよかった。
 通称〝七機〟…「第七機動隊」はその頃、デモ隊鎮圧の先鋒。その隊員は多くが農家の次・三男たちで占められ、したがって彼らは「恵まれたキャンパス・ライフを謳歌する親がかり学生どもを許せないのダ」と、秘かに語り伝えられた。
 (ふ~む、なるほど…ごとではあった!)

 当時の機動隊は、主武器の警棒を、頭上に振り上げる(目立つ)戦法から、下から突き上げる(目立ちにくい)戦法に切り替えて、成功。腹周りに週刊誌を挟んで対抗した学生たちの多くが、手ひどくヤレれている。警棒は、週刊誌の間隙から腹を突いてくるのだから、たまったものではなかった。

 そんなあるとき、ボクは、ノンポリ学生運動とは無縁)学生の態(デモ学生と知れれば袋叩きに遭うであろう恐怖感があった)で一人、皇居前広場に出張ったことがあり。そのとき、道の向こうに警備の壁をつくって居並んでいたのが、たまたま〝鬼の七機〟の面々であった。
 ぼくは、そ知らぬふうでその場にしばらく佇み、ジュラルミン盾の上にあらわれた逞しい上半身の彼ら、ヘルメット・バイザー越しに、隊員たち個々の顔つきを見きわめようとした、その結果。
 なにしろ、はじめてのことでもあり…

 意表を衝かれて、吾ながらまごついた記憶、鮮烈にのこる。
 ほとんどの隊員が、素朴な(きっとそれが素顔…)、まだ童顔にちかい表情を隠そうともせず、折から照りつける陽に、眩しそうな視線を空に向けていた。
 なかに一人、いかにも東北人らしく紅い〈りんごっ子〉頬っぺの若者に、ぼくは、いつかある日、どこぞの野良道で出逢ったことがあったような…親しみと好意とを覚えてしまったのだった。
  ……………

 いま、あらためて脳裡に閃くのは…
 そのときの若者の顔が、めいっぱい鋭く早くズーム・アップして、ぼくの遠い記憶の縁から。いま権力政府の官房長官から一国の総理総裁にのぼりつめようとする人物、菅義偉さんの顔貌へと、(やっぱりマチガイない)スッと溶け入ってしまったわけなのである。
 そうして、やがて…

 そこに透けて見えてくるのは、意想外に気安い照れ笑い顔の、影に覗ける〈無理無体〉も辞さない〈体育会系〉凄みの素顔。
 弱者を情け容赦なく切り捨てかねない、理不尽でしかない〈勝ち組〉意識が、いつ、その素顔をあらわしてもオカシクはない、そのことだった。
 第99代の新総理には、安定感のある仕事に励んで、けっして「きゅうきゅう」としてほしくはないし、また、国民を「きゅうきゅう」の目にあわせないでもらいたい…と切にも願う。

 また、
 この「新コロ」サイド・バイ・サイド時代には、民国民〔たみこくみん〕にも思いきった意識改革が望まれるのは、言うまでもないことだ…と思う。

 たとえば
 元総理の急落していた支持率が、〝病気退陣〟となった途端にハネ上がった、民意識の〈地滑り現象〉と。新総裁の「東北から上京、働き苦学して掴みとった男の栄光」に対する民意識の〈液状化現象〉とが、相和してトッテモ違和感、とともに、トテモトッテモ気怠〔けだる〕く気をおもくさせる。

 18日(共同通信発表)の内閣支持率調査によれば、支持66.4%、不支持16.2%。この数値を(ご祝儀相場として)、「高い」と見るか、それとも「低い」と見るかも、微妙ではあるし。

 もうひとつ、気になる風景だったのは…。
 こんどの総裁選、決着のついた後。
 壇上に並び、たがいの健闘を称え合い党内融和をアピールする人たちのなかにあって、互いに握り合った手と手を、強く強く握りしめ、振り上げ振り上げ、身体いっぱいに震わせて勝利を噛みしめる…菅・安倍のお二人さんだけが、明らかに、なぜかヒジョーに興奮していたのも、じつに奇妙な光景であった。
 ぼくの目には、発端は菅さんが「礼」をこめての握りしめ&振り上げに、安倍さんがワケはイズコか知れずとも応じた結果、相乗効果加味して交響した…と見えたのだが。他からは、この光景への言及がほとんど見られなかったのは、ハテなぜだろう。
 しかも、はたして、この二人の心中、ぴったり同感であったか…どうか。それさえも、ワカりはしない。

 「安倍後継」を呪文のごとく強調する菅さんもシンパイなら、「島国根性からくる自己完結型の国民性」そして「付和雷同型の同調強制思考」と指摘される、日本人の真性がこれから、どう転んでいくのか…そちらの方がもっとシンパイだったりする。

 とかく政治は、民を蒙昧にしておきたがる。
 そのほうが都合がいいから…だが…もう、もう、たいがい、いいかげんにしないと…イケナイと思う。

おげんきよう!…の明日へ /          きょうは…お休みです

-No.2553-
★2020年09月17日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3479日
★延期…オリンピック東京まで → 310日
★旧暦8月1日(月齢29.0)、新月