どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ワン・モア・ロード(もうひとつの道)へ…    また、お逢いしましょう!





 2013年9月から7年半。
 前身の別ブログ「渋柿は夜汽車にのって…〈三点リーダーの記〉」からは、通算10年になりました。

 東日本大震災」(2011.3.11)吾がこと(ひとごとならず)…の想いを胸に、「いのち」をテーマの記事を綴ってきました、けれど。
 もともと、2020東京オリンピックまでを目指してのブログでもあり、そのオリンピックも、すでに、ぼくの想い描くものではなく…。

 さらに「新型コロナ」ウイルス禍に遭遇。
 皆さんが「ふつう」では居られなくなったように、ぼく自身75年の爺生もまた、変わらざるをえなくなりました。

 調子がくるった…といいますか。
 どうやら、生きるリズムがオカシくなってしまった、みたいです。

 さいわい、吾が命は、まだ。
 いましばらくは、もつ、ようですので。
 いちど、立ちどまって
 気息を調えてから、また、新たな気分で再スタートしたい、と思います。

 ひと月くらいは「おやすみ」いただいて。
 別タイトルの「ブログ」で、お目にかかりたいと思います。

 おつきあい、ありがとうございました。
 また、お逢いしましょう。
 おげんきよう!

  

【再掲】ウイルス感染〈#リバウンドにストップ〉 ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(10) 

※シンパイしていたとおり…緩みきってしまっていたウイルス「ストップ弁」の漏れは、もう止めようもなく、すでに「第4波」の声さえあがりはじめています。以下は、つい先日23日(火)に掲載したばかりの記事ですが、Past(過去)にするには早すぎる。ここに【再掲】してアピールし直しておきたいと思います。




春分の日(春彼岸・中日)

 2度目の「緊急事態宣言」解除になる、わずか2日前。
 20日土曜日。
 目黒の菩提寺へ、法要・墓参に出かけた…のだけれど。
 開花宣言後の目黒川沿いを、ことしは歩かなかった。
 去年の時季も同じ頃。ドッと繰り出した花見の人出にド吃驚。
 途中で切り上げて帰ったことを、思い出していた。

 その夜のニュース映像には、花見酒に泥酔した若者たちの痴態。
「もう、とまんない、だれか、とめてくんなきゃ…ダメだね」
 なかのひとりが、めいっぱいのオダ気炎をあげていた。
 (どうにもとまらない!)悲鳴には…だけど、コワイものが潜む。
 ダレかイヤな奴が、捕り網を手に待ちかまえている!

◆しょうがねぇ…からじゃなしにさ

 こんどの「緊急事態宣言」解除は、もう効き目がない、と悟ったからだった。
(新聞は「お手上げ解除」と報じていた…)
 新規感染者数は下げ止まって、横ばい…でこのままいってくれるか。
 それとも、もいちどドカンとリバウンドするのか…ワカラない。
 
 多くの庶民は、「三密回避」に耐えて我慢づよい…けれど。
 なかに混じって、「ダブル・ディープ」の破茶滅茶連中。
 彼らの蠢きを、なんとかしないことには、収束の日は遠い。

 ニッポンは、過去の軍国(帝国)主義、暴走への反省?からか。
 「緊急事態宣言」といっても、ひたすら「お願い」の緩やかモード見せかけ。
 欧米型のロックダウン(非常事態=都市封鎖)方式は、とらないできた。
 それはいい…のだけれど、1年間ただ「ひたすらガマン」の日々。
 結果は「真綿で首を絞められ」ゲホゲホ…アヘアへ状態でしかなかったのに。
 
 3度目の「緊急事態」=「真綿で首を絞められる宣言」に、ですよ。
 もういちど耐えましょうなんて「ヤセがまん」主義は、もうゴメン。

 たとえば、「コロナ対応」世界ランキングのベスト3。
 ニュージーランドベトナム、台湾(日本と似た環境の)いずれも。
 対策のカギは、「➀早く、➁徹底的に、③公正に」にあった。
 
 日本の「あやふや検査主義」も、いい加減にヤメさせなきゃ、ね。
 カネが出せないのか、ないのか。マン・パワーがたりないのか。
 検査器・試薬の不足か。厚労省・専門担当官の頑迷・不服従か。
 (政権の指示を無視できるほどの、ナニか弱味でも握られているのか)
 知らないけれど…このさい、膿を絞り出しきってから、出直したい。

 このままでいけば、収束は来年以降になるだろう…と、識者は平然と言う。
 識者・専門家たちの智慧にも救われない日々がジワッと首を絞めてくる。

 「Go To…」だろうと、なかろうと。まわりに気兼ねしながらの旅じゃぁ。
 地方の観光地収入だってケチなシレたものにしか、なりっこないし。
 これも、つまりは、東京一極集中の弊害ですよ、ね。
 究極、「新コロ」問題は東京問題に帰結せざるをえない…ニッポン。

 「緊急事態宣言」でも「まんぼう(まん延防止等重点措置)」でもいいから。
 飲食店ばっかりイジメるんじゃなしに、痛み平等に「外出&営業禁止」。
 だって、ダレも出かけなきゃ、飲んだり食べたりもしない、わけだし。
 
 こんなアヘアヘな日々、ダラダラつづけるくらいなら、断乎一気に。
 徹底してツメ、半月くらいニラんで、ダメなら、もういっちょツメなおす!
 こんどこそ「リズム&テンポ、ビート&スロー」で、ビシッとキメておきたい。

ウイルス感染〈#リバウンドにストップ〉 ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(10) 




春分の日(春彼岸・中日)

 20日土曜日。
 目黒の菩提寺へ、法要・墓参に出かけた…のだけれど。
 開花宣言後の目黒川沿いを、ことしは歩かなかった。
 去年の時季も同じ頃。ドッと繰り出した花見の人出にド吃驚。
 途中で切り上げて帰ったことを、思い出していた。

 その夜のニュース映像には、花見酒に泥酔した若者たちの痴態。
「もう、とまんない、だれか、とめてくんなきゃ…ダメだね」
 なかのひとりが、めいっぱいのオダ気炎をあげていた。
 (どうにもとまらない!)悲鳴には…しかし、コワイものが潜む。
 ダレかイヤな奴が、網を手に待ちかまえている!

◆しょうがねぇ…からじゃなしに

 「緊急事態宣言」解除は、もう効き目がない…と悟ったからだった。
 新規感染者数は下げ止まって、横ばい…でこのままいってくれるか。
 それとも、もいちどドカンとリバウンドするのか…ワカラない。
 
 多くの庶民は、「三密回避」に耐えて我慢づよい…けれど。
 なかに混じって、「ディープandディープ」の破茶滅茶連中。
 彼らの蠢きを、なんとかしないことには、収束の日は遠い。

 ニッポンは、過去の軍国(帝国)主義、暴走への反省?からか。
 「非常事態宣言」といっても、ひたすら「お願い」の緩やかモード見せかけ。
 欧米型のロックダウン(都市封鎖)方式は、とらないできた。
 それはいい…のだけれど、1年間ただ「ひたすらガマン」の日々。
 結果は「真綿で首を絞められ」ゲホゲホ…アヘアへ状態でしかなかった。
 
 3度目の「緊急事態」=「真綿で首を絞められる宣言」に、ダ。
 もういちど耐えようなんて「ヤセがまん」主義は、もうゴメン。
 たとえば、「コロナ対応」世界ランキングのベスト3。
 ニュージーランドベトナム、台湾(日本と似た環境の)いずれも。
 対策のカギは、「➀早く、➁徹底的に、③公正に」にあった。
 
 日本の「あやふや検査主義」も、いい加減にヤメさせなきゃな。
 カネが出せないのか、ないのか。マン・パワーがたりないのか。
 検査器・試薬の不足か。厚労省・専任担当官の頑迷・不服従か。
 知らないが…このさい、膿を絞り出しきってから、出直したい。

 このままでいけば、収束は来年以降になるだろう…と、識者は平然と言う。
 識者・専門家たちの智慧にも救われない日々がジワッと首を絞めてくる。

 「Go To…」だろうと、なかろうと。まわりに気兼ねばかりの旅じゃぁ。
 地方の観光地収入だってケチなシレたものにしか、なるまいよ。
 これも、つまりは、東京一極集中の弊害なの、ダ。
 究極、「新コロ」問題は東京問題に帰結せざるをえない…ニッポン。
 
 そんな日々刻々、ダラダラつづけるくらいなら、もうイッチョ。
 一気にツメて、半月くらいニラんで、ダメならまたツメなおす!
 ここはいっぱつ「ビートandスロー」でキメておきたい。

2020~21「新コロ」禍の冬シ-ズン・スポーツ / 陸上・長距離界をふりかえる〈後編〉マラソン

-No.2736
★2021年03月19日(金曜日)
★11.3.11フクシマから →3662日
★延期…オリンピック東京まで → 127日
★旧暦2月07日(月齢5.7)
※次回は、3月23日(火)の予定です※




 

大阪国際女子マラソン(1/31)

 数を絞られた出場選手のなかから、スタートするとすぐ、先頭に立った一山麻緒さん(23、ワコール)と前田穂南さん(24、天満屋)が、ペースメーカーの男子3選手に守られる(実際みごとな風除け役であった)ようなカタチになると。
 ついに最後まで大勢はかわらずに推移して、実況中継のテレビ・カメラもひたすらそれを追うことになりました。

 それこそアレヨアレヨという間…のことで、これはレース前から「日本新記録をねらわせる大会」と呼ばれていた、そのとおりの展開。1人か2人はイキのいい若手が果敢にチャレンジしてこないか…の期待もむなしく、ぼくは序盤から半ば興味を殺〔そ〕がれていました(開催に尽力された関係者には申し訳ないけれども…〝過保護〟に見えましたネ)。

 お膳立ても万全。
 起伏がほとんどない長居公園周回コース(1周2.8㎞を約15周)、コース沿いには仮設の風除け壁が設けられ。国内レースでは、ぼくもはじめて見る男子選手(川内優輝くんなど3名)のペースメーカーがついて。
 参加人数も絞られた出場選手たちにはPCR検査が義務づけられ、めでたく全員クリアの陽性者ゼロ。

 競技場のスタンドも周回コースも徹底的に無観客。晴れ、微風の好コンディション(気温10.2度がやや暑かったか…程度)。
 12㎞すぎで前田さんが後退。すかさずぺ-スメーカーの一人がスピードダウンして彼女のアシストにまわります。(やさし~ぃ!)
 そうして、懸命に喰らいついて行った一山さんも24㎞あたりからペースダウン。新記録づくりへと導くペースメーカーには、ついて行けませんでした。

 ペースメーカーをつとめ、自身101回目のフル・マラソンになった川内くんと、もう1人の男子選手も、ゴールの競技場入口まで彼女たちをエスコートしたあとに、人知れずゴール。プレッシャーのない状態で走るとこんなにも楽々なものか…と、あらためてレースの厳しさを思い知らされたことです。

 このレ-スは、男女混合レース(とくに契約がないかぎりぺ-スメーカーもゴールしてかまわない、海外レースでもすでに前例がある)だったとのこと(ちょっとワカリニクイ)。

 果敢に挑むイキのいい若手がいない…と思われた大会でしたが、結果は8位までが30分切りを果たしたとのこと(ヨゴザンシタ)。
 スポーツの見方が、また、ひとつ変わったレースではありました。

 結果。一山さんが大会新の2時間21分11秒で初優勝ながら、野口みずきさんの日本記録(2時間19分12秒=05年9月ベルリン)更新はならず。「日本記録を出すための大会だった。悔しい」とのコメント(そだね…)。
 ちょっと、調子もいまいちだったみたいでした。
 2着前田さんの記録も、2時間23分30秒の自己ベストでしたが、ナットクできる走りではなかったでしょう。




びわ湖毎日マラソン(2/28)

 
 それは、勝負どころの36㎞付近、給水ポイントでおきました。
 トップ集団3人のなかから、真っ先に指定テーブルが来て、走り寄った鈴木健吾くん(25、富士通)が…。
 (あっ)思わずボクが胸に叫んだのは、マイ・ボトルをポトリ、とりそこなったからです。

 ぎりぎりスタミナ補給どころでの給水は「命の点滴」、ほかの給水とはくらべものにならない急所。そこでの失敗は、心的にも致命的になりかねません。
 実際、数多くのマラソン・レースで、ぼくたちは、この地点での力水を得てエンジンをギア・アップ、勝利に結びつけたヒーローの姿を見てきました。
 逆に、とり損なったりしようものなら、ガックリ・ダウンです。

 鈴木くんにつづくライバル2人、サイモン・カリウキくん(24、戸上電機製作所ケニア)と土方英和くん(23、Honda)は、しっかりキープ。
 瞬間(やられたな…)と、ぼくは思いました。
 ところが!

 この、際どく微妙な〈勝負の綾〉の場面。
 ここで、スルスルとスパートして抜け出したのは、なんと鈴木くん。
 あれよあれよ…と、見る間にライバルとの差を広げて、ぶっちぎりのビクトリー・ロードに仕上げてしまいました。
 これが最後(第76回)の「びわ湖毎日マラソン」のすべて、でした。

 結果。
 ➀鈴木健吾、日本新記録樹立2時間4分56秒(大迫傑の従来記録を33秒更新)。
 ➁土方英和 ③細谷恭平 ➃井上仁人 ⑤小椋裕介 以上4人が6分台。
 ⑥~⑮までの10人が7分台、以下㊷までが「サブテン」の10分切り。
 さらには男子マラソン日本歴代10傑にも、このレースで一気に5人がとびこむという、大収穫レースになりました。

 なお付記を加えれば、昨年「フルマラソン100回目のサブ20(2時間20分未満)」という世界新記録を樹立(ギネス世界記録に認定)した川内優輝くん(34、あいおいニッセイ同和損保)も、みごと7分台で10位。

 もうひとり、今回は裏方にまわった村山謙太くん(28、旭化成)のペースメーカーぶりも、ヨカッタと思います。
 (一方で、マラソン代表の招待選手、中村匠吾(28、富士通)くんの、体調不良で欠場というザンネンもありましたが…)

 健吾くんの活躍は大学(神奈川大)時代から知られ、「箱根」では2区で区間賞の実績もあげていますが、ファンの期待度からすると、いまいちの感。
 身長163㎝・体重46㎏の軽やかさを生かしきれていませんでしたが、彼の場合は実業団に入って、この課題を克服できたようです。

 なにしろ、ぼくが生まれてすぐの昭和21年から始まって、前回東京オリンピックの覇者アベベ・ビキラほか、君原健司や宇佐美彰朗、瀬古利彦や宗兄弟ら、錚々たるランナーたちが優勝を飾っている「びわ湖毎日マラソン」の、華々しい終演ではありました。

 なお、びわ湖毎日マラソンは再来年から大阪マラソンと統合されます。数多くの一般参加ランナーも加え、都会型の市民マラソン開催が人気になっている現在、びわ湖畔の狭い道幅には残念ながら無理があった…ということです。
 
 さらに余談として、今回、オリンピック支援のため設立された日本実業団陸上競技連合からの報奨金制度は、すでに終了しており。そのため、鈴木健吾くんに1億円はナシ。
 でも「あまり考えていなかった」と、その笑顔はあくまでも清々しかったのが救いです。
 


名古屋ウィメンズマラソン(3/14)

 東京オリンピックの女子マラソン代表の座、3つめをもぎとった…かと思われた40日後に、あの夢の美味しい果実はスルリと手からこぼれ落ち、一転〈補欠〉の冷席へとまわされてしまったのでした。

 その悔しさが、松田瑞生さん(25、ダイハツ)の表情を硬くしていました。プリっと弾けそうに健康な身体とは裏腹に…

 レースがスタートすると、サングラスに隠れて表情はヨメませんでした、けれど。ペースメーカーから少し間をおいての走りだしには、緊張が感じられました。
 代表の1人、鈴木亜由子さん(29、日本郵政グループ)に勝って踏ん切りをつけるつもりだった、気もちにくわえて、やはり万感せまる口惜しい想いと、どうしても感情的にわりきれないものがあったのだろう、と思います。
 
 「2021名古屋」の招待選手は、ゼッケン「1 松田瑞生」「2 小原怜(30、天満屋)」「3 佐藤早也伽 (26、積水化学)」「4 岩出玲亜(26、千葉陸協)」の4人。コロナ禍で外国からの招待選手もなし。

 顔ぶれとしては、ちょい寂しい。しかも、松田さんと同じくオリンピック代表補欠の小原さんは、スタートからトップグループに入らず…で、ますます寂しい。
 レースは、まもなく松田vs佐藤のマッチレースになり、その佐藤さんも22㎞すぎで遅れはじめると、あとはひとり旅。

 ペースメーカーが複数つくビッグレースが多くなるに連れ、マラソンから勝負の醍醐味が薄れ、そして意外なドラマが生まれるチャンスも少なくなった…気がしてなりません。
 トップクラスの招待選手たちが、高い設定目標に沿ったペースメーカーの刻むリズムについて行くカタチになると、必然、トップ集団は絞られ、限られ、予想外な展開が育まれる余地は少なくならざるをえませんから。
 これは、スポーツの魅力を半減させることになるのではないか、と思われるのですけれども…。

 一人旅になってからの松田さんは、しかし、力感あふれるフォームにもかかわらず、タイムは伸び悩みます。テレビ・カメラの映像を見ると、かなりの風がある様子。その頃、名古屋のコースに吹いていた風は秒速8m超だったとは、後で知らされたことでした。

 結果、松田さんの大会初優勝タイムは2時間21分51秒で、自己記録にもおよばず。再出発宣言には、悔しい結果になりましたが。ひとしきり泣いたあとの笑顔は爽やかでした。
 2週間前、男子マラソンで4分台の〝日本新〟を叩きだした鈴木健吾くんからも「おめでとう」のエールがあったそうです。

 トップからの遅れを最小限にとどめて、2位の佐藤さん。
 マラソン2回目の記録2時間24分32秒も、初マラソンだった前年名古屋の自己記録更新はなりませんでしたけれども、健闘といっていいと思います。
  ……………

 これで、この冬のロードレース・シーズンは終了。 
 「新コロ」禍、コンディション調整のむずかしかったことを想うと、想定外の好成績、といえるのではないないでしょうか。

 

2020~21「新コロ」禍の冬シ-ズン・スポーツ / 陸上・長距離界をふりかえる〈前編〉駅伝

-No.2733
★2021年03月16日(火曜日)
★11.3.11フクシマから →3659日
★延期…オリンピック東京まで → 130日
★旧暦2月04日(月齢2.7)
※次回は、3月19日(火)の予定です※

◆駅伝…燃える

 それは毎年、冬の訪れとともに…ではあるのだけれど。
 やっぱり、俄然、熱を帯びてくるのは年末・年始。
 「新コロ」禍では、いまひとつピリッとしないながらも、やっとキタ!
 ……おそまきながら、今シ-ズンを振り返る。



全国高校駅伝(12/20)

 ロードレース盛り上がりの口火を切るのが、京・都大路を舞台に男女同日に開催される「全国高校駅伝」。
 先行する女子(第32回)が5区間、ハーフ・マラソンの距離。後を締めくくる男子(第71回)が7区間、フル・マラソンの距離でフレッシュ溌剌の走りを競った。

 結果、女子は。
 最終5区に襷リレーの時点ではトップから42秒遅れの8位だった世羅(広島)が、ケニアから留学生テレシア・ムッソーニ(3年)さんの猛烈に追い上げ、5㎞を14分37秒という驚異的な区間新記録で駆け抜けて優勝。

 男子も。
 3区で区間新・区間賞に輝く快走で首位に立った世羅。殊勲者はやはりケニアからの留学生コスマス・ムワンギ(3年)くん。
 この後をつないだ各選手もガンバって、5年ぶり5回目の男女制覇は、おみごと。

 「新コロ」感染禍での調整に、選手や関係者たちの苦労にはたいへんなものがあったろう。そんななかでも、強豪校はそれぞれにキッチリ実力を発揮。
 昨年の男女制覇で気を吐いた仙台育英は、連覇こそ逃したものの、男子は2位、女子は3位と、自力を証明して見せた。



◆ニュ-イヤー駅伝(1/1)

 陸上長距離走の、なかでも「駅伝」と「マラソン」に、これほど熱い日本の国民性というのは、国際的にはやっぱり〈特異〉なのかも知れない。
 なかでも、大学のしかも関東に特化した「箱根駅伝」(後述)人気は、その歴史・背景からしてもズバ抜けて〝別格〟の存在。

 実力的には、その上、その先をいく実業団が「オレたちにも名誉のチャンスを」と思うのも、自然な人情だろう。
 「実業団駅伝日本一」を決める駅伝の始まりは1957年(昭和32)で、関東大学の「箱根駅伝」に遅れること37年。詳しい事情は知らないけれど、ベルリン・オリンピックに出場した村社講平さんの提案というあたりからしても、「日本マラソンの父」と呼ばれる金栗四三さん発案の「箱根駅伝」を意識してのこと、マチガイあるまい。

 はじめは早春の伊勢路を舞台に、第32回(1988=昭和63)から元日(1月1日)群馬開催の「ニューイヤー駅伝」になり、45回(2001=平成13)から7区間全長100kmの現行コース。「箱根」路で勇名を馳せた選手の実業団顔見世の場にもなっている。

 ことし「新コロ」禍、テレビ観戦の注目はもっぱら、開催そのものが微妙な環境下でのマラソン代表選手の仕上がりぶり。所属先の関係で出場しない大迫傑(ナイキ)も、放送スタジオにゲスト出演してエールを送った。
 中村匠吾(富士通)は、「花の4区」で実力を発揮、3位からの首位奪取。5区では服部勇馬(トヨタ自動車)も、区間賞の好調ぶりをアピール。

 勝負は、最終7区でアンカー浦野雄平(國學院大出)区間賞の走りで富士通が優勝。2位トヨタ自動車、3位旭化成が順当に上位を占めた。
 個人的にザンネンだったのは、旭化成の村山謙太・紘太兄弟にいっときの勢い・輝やきが見られないこと……



箱根駅伝(1/2~1/3)

 昨年末の28日。
 「箱根駅伝 アメリカ大陸横断駅伝の予選会だった」という大見出しで、半ページ大の記事が東京新聞を賑わせた。
 もっとも、この記事内容なら「箱根駅伝」に詳しい方は、先刻ご承知。

 アメリカ大陸横断駅伝の発想が生まれたのは大正8年(1919)。
 日本人初のオリンピック出場(明治45年、ストックホルム大会)マラソン選手で、「箱根駅伝」産みの親でもある金栗四三(自身、下関-東京間という超長距離を走ってもいる)さんの発案だった。

 ぼくも、この話しを初めて知ったときには(ギョェ~!)でしかなく。
 サンフランシスコをスタートしてゴールはニューヨークという、超壮観ビッグ・スケールには(ウソだろ!)。
 ジョーダンなんかじゃなぃ、これには心底、魂消た。

 もっとも現実には、途中にロッキー山脈越えという壮絶難所があって(そればかりじゃなかと思うが…)結局、実現はせず。
 かつて「箱根」を沸かせた名ランナー横溝三郎(ぼくも彼の現役時代をよく覚えている、名門中央大学で4年連続出場、史上最大の6連覇に貢献、現在は東京国際大監督)さんも、「さすがに、これは厳しすぎます、私だったら遠慮したい」と。

 じつは、そのロッキー越えのイメージにも叶ったのが、「東京-箱根」間往復競走。「天下の険」を走破して世界に羽ばたけ」というメッセージだった…というんですから、(マイッタな…)頭ぽりぽり。
 そんな幻の「アメリカ横断駅伝」発想の賜物、翌くる大正9年(1920)に第1回「箱根」がスタートしてます。

 そうして迎えた今年「新コロ」禍、「沿道での応援はやめて」という特段のお願いつき、第97回「東京箱根間往復大学駅伝競走」の号砲は鳴った。

往路(2日)

〇1区(大手町-鶴見21.3㎞)
 スタートのヨシ・アシはもちろん大事なのだ…けれども。
 それよりもやはりトータル(総合力)の力量アップ。プラス、実力者エースと「山登り」スペシャリストの、チーム牽引力にかかってくる。
 駅伝も長距離、しかも2日がかりの大勝負「箱根」ともなれば、なおさらで。監督は、区間ごとの特性にあわせた選手の配置に苦心させられる。

 ことし97回大会の1区トップ通過は、予選会を8位通過で登場した法政大(鎌田くん=3年)。〝波瀾〟の展開を予感させ。しかも、トップから最下位通過までにかかった時間わずか2分6秒差という、〝混戦〟模様を同時にうかがわせもした。
 強豪校では、駒沢大が15位と出遅れ。

 ビックリしたのは沿道の観衆。今大会は「応援したいから、応援にいかない。」との緊急告知のもとに開催され、だからボクも往路ゴールの箱根へ出掛けるのを控えたわけだが。(それはない…だろ)状態。主催者側の発表ではふだんの半分以下とのことだったけれども…???…。

〇2区(鶴見-戸塚23.1㎞)
 「花の2区」は、いまも「流れにのるか、流れをかえるか」の戦略区にはちがいない。…が、「2区だけが花じゃない」時代は確実に変わって。
 ことしは東京国際大のイエゴン・ヴィンセント(2年)くんが痛快に走り抜け、今大会唯一の区間新(大会MVP)で1区14位から一気にトップへ。
 他の大学も、外国勢がここは実力の魅せどころ。注目された駒大の田澤(2年)くんは、なんとか流れを元に戻すのが精一杯。
 強豪校では、青山学院大が6位から13位に、早稲田大が5位から10位へ。また、1区でトップだった法大は急ブレーキで16位に沈んで…。やっぱり混戦模様。

〇3区(戸塚-平塚21.4㎞)
 ここでは、2区を3位通過の東海大がルーキー石原くん区間賞の殊勲でトップへ。2位創価大は1区からの2位をキープして一躍、注目株に。3位は8位から上がってきた駒大。東国大は4位に後退。
 一方、往路および復路までの見とおしを立てておきたい、この区間。ブレーキつづきで11位の青学大は、総合連覇に黄信号。早大も、エース中谷(3年)くんで上昇の目論見はたせず8位どまり。暮れの日本選手権1万m出場が響いたか…。

〇4区(平塚-小田原20.9㎞)
 ここで創価大が魅せ場を演出。前回10区で区間新の快走を見せた嶋津(3年)くんが東海大を逆転、最後は足が攣〔つ〕るアクシデントに見舞われながらもトップでリレー。2位の駒大に1分42秒の大差をつけた。
 以下3位に早大が上がり、4位東国大、5位東洋大(堅実)、6位東海大(3区トップからの急ブレーキ)、7位順天堂大、8位帝京大までがトップの創価大から3分以内という混戦模様。青学大はルーキー佐藤くんが好走してシード権争いに希望をつなぐ10位に浮上。
 なお、区間賞は山梨学院大のポール・オニエゴ(3年)くん。19位という下位で順位を上げることない区間賞は、名門だけに寂しいかぎり。

〇5区(小田原-箱根芦ノ湖20.8㎞)
 絶対のスペシャリストはいない今大会。4区を余裕の1位通過した創価大、三上(3年)くんが区間2位と踏ん張って、みごと初の往路優勝はみごと。監督の「予想外」はマサカのホンネだったろう。優勝記録5時間28分08秒。
 以下、2位東洋大区間最高記録(昨年)をもつ宮下(3年)くんの追走で、復路に望みをつなぐ好位置をキープ。トップとの差2分14秒。
 3位の駒大も踏ん張った。トップとの差2分21秒
 4位の帝京大は細谷(3年)くんの区間賞で強豪校の域に近づいてきた。トップとの差3分31秒。5位東海大、6位東国大。
 強豪校では、早大の11位はまだしも、12位に沈んだ青学大は竹石(4年)くんの足が攣った場面でアウト、よく棄権にならずにすんだ。トップとの差7分35秒は連覇ギブアップ、いたしかたなし。

復路(3日)

〇6区(箱根芦ノ湖-小田原20.8㎞)
 往路を終えて、創価大の監督談「往路の流れをそのままに、先頭を走る喜びを楽しみながら走ってほしい」は正直な願望だったろう。
 「山下り」に大きな波瀾はなく、創価大がトップ通過。
 2位通過は、駒大。往路3位から、花崎(3年)くん区間賞の追走、1分08秒差。
 以下、3位東海大、4位東洋大青学大は12位から10位へ。

〇7区(小田原-平塚21.3㎞)
 創価大の原富(4年)くんの顔には余裕が見え、2位駒大との差を1分51秒に開く。3位東海大、4東洋大。5位には、佐伯(4年)くん区間賞の走りで東国大。
 青学大が近藤(2年)くん溌剌とした好走でシード圏入りの7位に浮上は、サスガ強豪校。

〇8区(平塚-戸塚21.4㎞)
 2位の駒大が、1位創価大に1分29秒差まで詰めてきた。
 3位の東洋大は、4位東海大を逆転。青学大は5位まで上がってきて復路優勝をうかがう勢い。区間賞は古豪、明大の大保(4年)くんが獲得。

〇9区(戸塚-鶴見23.1㎞)
 トップの創価大、石津(4年)くんが同校今大会初の区間賞のイイ!走り。2位駒大との差を3分19秒差に開いて、総合初優勝が見えてきた…か。3位は東洋大
 4位には青学大、飯田(3年)くんが区間2位の好走で、東海大(5位)を逆転。横浜ではチーム・キャプテンの神林(4年)くんが故障でみずから出場辞退、サポートの給水係になって顔を見せた。「新コロ」禍で注意力がそがれた今大会、ぼくは直前までこのことを知らなかった。

〇10区(鶴見-大手町23.0㎞)
 97回の「箱根駅伝」も大詰め。
 創価大のアンカー、小野寺(3年)くんが襷リレーをうけ走り出したとき、表情には緊張感がただよっていたものの、2位には3分差余りの余裕…に思えた。
 テレビ中継の放送からも、「第91回(2015年)箱根駅伝初出場から、わずか6年での初優勝なるか」の噂話しが聴こえはじめて…。
 朝の正月雑煮を祝う膳からずっと、チビリチビリ呑みつづけてきたボクも、昼をすぎて、そろそろ眠気がさしてきていた。
 (ことしは、このまま創価大の勝ちか…)

 ところが、追走する2位駒大の石川(3年)くんの走りも、安定感も力強さもあって侮れない。(これは…)と目を醒まされる想いあり、トイレに立って戻ってきたら、テレビ解説の瀬古さんから「逆転がありそう」の声が響く。
 創価大・小野寺くんの重そうになってきた走りに、初優勝を目指すアンカーへの重圧が透けてくる(アブねぇ…な)。

 こうなってしまうと、あとは坂を転げ落ちるよう。以下、ぼくのメモには…
 あと6kmで1分17秒差、あと4kmで47秒差、あと3kmで20秒差ときて、次には、2㎞手前でついに逆転!
 結局、逆転1位のゴールを駆け抜けたのは駒大、石川くんは区間賞の1時間09分12秒。駒大の総合優勝タイム10時間56分04秒。
 いっぽうの創価大、小野寺くんは総合2位でテープをきったものの、自身は個人記録区間最下位の1時間13分23秒。襷を受け継いだとき3分19秒あった差は、逆に22秒開いていた。
 (勝たせてあげたかった…のが正直な感想)
 また来年があるさ…は酷な言い草。だが、これが勝負、これがスポーツ。
 
 以下、3位東洋大区間賞こそなかったものの安定したリレーを見せてくれた。
 4位青学大は、復路優勝で強豪校らしさを発揮。
 5位東海大、6位早大、7位順天大、8位帝京大、9位国學大、十位東国大までがシード権を獲得した。

 やっぱり「箱根」は超オモシロイ!



 

 

春めく自然と食卓

-No.2729
★2021年03月12日(金曜日)
★11.3.11フクシマから →3655日
★延期…オリンピック東京まで → 134
★旧暦1月29日(月齢28.3)
※次回は、3月16日(火)の予定です※














 3月10日、ほっこり日和の空が春めく
 ウイルスに気をとられ、感ずる心も薄いままに
 それでも季節の花は、かわらぬ笑顔をほころばせ
 そういえば…味わい語ることは少なくとも
 食卓は、もしやすると…ふだんより華やいだのかも
  ……………

 そうして翌日には、10年目の《11.3.11》約束どおりの訪れ
 2時46分、北に向かって手をあわせ…
 あちらこちらの知友へ、「おげんきよう!」の挨拶メール
 テレビの画面には、新宿の街で祈りの手を合わる人の姿
 なぜか、被災地からの映像にもましてホッとする

 これで、ボクの冬ごもりもおしまい
 11日、広島からは早くも桜の開花宣言
 来週には、東京でも花見できない開花がありそうな…

 







「日和見感染症」の真実を考える /       ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(10) 

-No.2722
★2021年03月09日(火曜日)
★11.3.11フクシマから →3652日
★延期…オリンピック東京まで → 137
★旧暦1月26日(月齢25.3)
※次回は、3月12日(金)の予定です※




◆「日和見」なのは…どっち!?

 「日和見〔ひよりみ〕感染症
 最近になって読みなおした本に、(えっ…!?)と虚を衝かれる想いの記述がありました。前に読んだときには、たしか、とくに記憶にのこったところではなかったのです…けれども。
 そこには、ちゃぁんと黄色の蛍光ペンで注意の印が付いていたのですから、きっとコロッと忘れていたにちがいない。ハッと目の覚める思いでした。

 その本は、『安全な暮らし方事典』(日本消費者連盟編、緑風出版2000年7月)。
 暮らしと社会生活全般にわたる、日本庶民の健康と安全・安心をもとめて企画されたもので、各分野の専門家がそれぞれの項目について批判的に述べています。
 この本が出版された2000年は、「第3ミレニアム(~3000)」を迎えるにあたってあったさまざまなムーブメントのなかの、大量生産・大量消費社会への反省と、あるべき未来を展望しようとする、そんな流れのなかにありました。

 この本の第Ⅱ章「暮らしと健康-⑧予防接種」の項、冒頭で担当の藤井俊介さんが触れていたのが「日和見感染症」について、でした。
 素人のボクには、唐突。病原というデリケートなものに対する表現としては、まったくふさわしくない表現に思われ。「感染症」という目に見えないものに対する怖れとともに、いかにも〝不審〟な印象つよいものでしたが。
 読んでみれば、なるほど、奥深く秘められた本質の一端を、チラと垣間見た…感があって。いまある「新型コロナ・ウイルス」禍に疲弊し喘ぐ方々と、その想いを共有しておきたい気になりました。

 以下に、藤井さんの記事を同書から抜粋してみます(文責=浅生)。
 「日和見感染症」というのは、「天気がよい(健康な)ときは無害な菌が、雨(不健康)になると突然牙を向けてきて、症状が出てくる病気」。「私たちの体内には、さまざまな場所に、自分の体ではない「もの」を排除する働き、「免疫力」があるので、免疫力と病原菌の力関係で病気になったり、ならなかったりする」。
 「体内に病原菌が入って、感染しても、病気の症状が現れる人、軽く現れる人、まったく現れない人、とさまざま。個人の免疫力と病原体に感染する頻度などによって、こういった個人差が出る」。
 「個人の免疫力は、栄養状態、精神的安定などによって支配され、感染する頻度は、社会の衛生状態などによっても支配されるから、感染する恐ろしい病気の種類も、時代によって変化する」。

 「日和見感染症」については、調べてみたらネットの「Wikipedia」にも記述がありましたので。じつは、さほど珍奇な項目ではなく、ひょっとすると知らなかったのはボクだけ、だったりするのかも知れません…けれども。

 ここで明らかにされたのは、いずれにしても、なんらかの原因で「免疫機能が低下し、病原体とのバランスが崩れることで発症・発病する」ということ。
 そのうえで、「ヒトの(罹る)主な日和見感染症」として、①細菌性(レジオネラ肺炎など)、➁真菌性(カンジダ症など)、③ウイルス性(ヘルペスなど)、➃原虫性(トキソプラズマ症など)、があげられ。つまり、どちらかというと弱毒性の病原体に由来するもの、のようです。

 つまり、どうやら「新型コロナ・ウイルス」に直結することではない、らしい。
 …でもね。ぼくは思いました。
 ここでダイジなのは、感染症をおこす「病原体」と宿主である「ヒト」と、どちらが「日和見」だからイケナイのか…で。されば、いうまでもない。

 「ヒト」が「病原体」という手ごわい相手を見くびって、日和見をきめこんできたのが、イケナカッタ。
 いたずらに「病原体」を畏れるより先に、「吾が身」の「免疫力」を高めておくこと、であった。
 「三密を避ける」それもダイジには違いないけれど、それよりも先ず「自身にしかわからない身体の調子を整えておくこと…。
 
 「日和見」というのは、むかし江戸の頃、船乗りたちの言葉で「天候観察(観天望気)」、つまり帆船時代の「日和見」はだいじな智慧だったわけです。
 けれども、それが後世「主義」なったときには、本義を離れて堕落。「自主的に判断・行動するのではなく、ただ形勢を見て有利な方に追従しよう」とする、考え方の・態度をあらわすことになりました。
 つまり、ぼくたちはいまこそ、本来あるべき姿のヒトに立ち返って、免疫力を実装した真の「日和見人」になること!

◆ステルス疲労

 いま「ステルス疲労」ということが、言われています。
 「自覚のない疲労」です。「不安」と「我慢」と「環境の変化」が原因でおこる「隠れストレス疲労」といっていいでしょう。

 こればかりは、究極、誰よりも「吾を知る吾」が、みずから心して整えるしかありません。身も心も…心身ともに…と言いますが、身体がシッカリしないと心(精神)はついてきてくれません。
 ・保養の食事
 ・快眠と快便
 ・適当な運動
 ※以上3つ合わせて免疫力アップ

 じつを言うと、ぼくも。
 年末の「緊急事態宣言」からこっち、年明け1~2月はてんで「シャキッ!」としませんでした。もともとが寒がりで「冬は巣ごもり」宣言してる…にしてもヒドすぎました。

 春を前に、腹をさすりながら体重計を睨んでいるところ、デス!
 
 

新幹線〈酒〉類の車内販売休止…のこと / ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(9) 

-No.2708
★2021年02月19日(金曜日)
★11.3.11フクシマから →3634日
★延期…オリンピック東京まで → 155
★旧暦1月8日(月齢7.3)
※次回は、2月23日(火=天皇誕生日)の予定です※






◆旅は鉄道…友は酒

 ぼくにとって久しぶりの九州、長崎行きは1997年(平成9)5月のことだった。
 この年は、東京 - 博多間を直通する「のぞみ」が運行を始めたばかり、最速4時間49分には隔世の感があった(山陽新幹線の博多まで開業が75年、旧国鉄の分割民営化87年=昭和62年)のを、よ~く覚えている。それこそ、日本地図を鷲づかみにされて縮まった気さえした。
 
 しかし
 九州新幹線開業(2011年開業)も、長崎新幹線(22年一部区間開業の予定)もまだない当時、九州はやはり遠かった。
 …というのも、飛行機で運ばれるのを好まないボクは、できるかぎり鉄道・バスか船で移動することにしていた。その方が気もちがいいのだから、いっこうにメンドウには思わない。

 長崎へは博多から特急列車、諫早までは2時間弱。
 ほぼ1日がかりで出かけて行ったのは、諫早湾に人為が招いた罪業を見とどけておきたかったから。 
 
 なぜ諫早湾か?
 そこに、その春4月、国による「潮受け堤防の水門閉め切り」という深刻な事態が勃発していたからだ。
 ニュース映像で全国津々浦々にまで伝えられた、その「ギロチン」とも呼ばれた酷〔むご〕い行為が、ぼくには水俣湾でおきたメチル水銀中毒の公害事件「水俣病」とかさなった。
 これを描いた石牟礼道子さんの『苦海浄土』が出版されたのは1969年、荒れた70年安保の前年のことだった。

 水銀中毒の水俣病と、水門閉め切りの諫早とに、直接のかかわりはない。
 けれども、どちらも結果、理不尽きわまりないことに変わりはなく。諫早干拓の結果おきた水門閉め切りが、農地を得た農民と漁場を失った漁民との…どちらにどうだったのかを、公平に検証することもむずかしいのだ、けれども。
 
 駅からはタクシーを頼んで、連れて行ってもらった干拓地。
 すっかり水の引いて干上がった泥土に、漁り舟の錨がとりのこされ、わずかに泥色に染まった小蟹が蠢くだけの広がりは、ここも〝苦海〟にちがいなく。陽に焼かれた潮水の生乾き、半ば腐れた臭いを押し隠していた。

 その向こうに遠くバリケードをめぐらす、閉め切り水門の鉄壁の扉の連なりは、いみじくも「ギロチン」の呼び名のとおり、人間所業の惨たらしくも浅ましい、森羅万象に対する反逆にほかならないことを物語っていた。

 カタマッテいる吾が身に気がついて、喉を大きく開いてはみたものの、ついに叫びの声にはならず。
 憮然として、水門に背を向けたボクは…

◆帰りの列車で呑んだくれた

 ぼくは、とんぼ帰りの列車に乗る前に、駅の改札わきの小さな売店カップ酒を買った。
 (呑んでやろう)
 窓ぎわに席をしめ、カップ酒を窓枠に置いた、途端にキメていた。 

 「ワンカップ大関」に、つまみは「都こんぶ」。
 「ワンカップ大関」が売り出されたのはたしか前回オリンピックのあった64年、ぼくが呑み始めた頃にはもう売店で待っていた仲。いまは各地とりどりの蔵元から、カップ酒が旅の友に売り出されているけれど、最初の全国区のカップ酒はコレ。

 1合のカップ酒は、1本でほろ酔いかげん。
 これを東京駅に着くまでに10本、つまり1升呑んでやろうか…と。
 窓枠に沿ってズラッと並べた図…を想像すると、向かいの領分までいきそう。
 (そりゃ流石にヤバかんべ)
 と思う間に1本は空…で、車内販売が来るのを待って次を買う。

 むちゃ酒。ひとり酒。わるい酒。
 がってん、しょうち之介で呑む。
 暮れなずむ車窓の向こうに、閉め切り水門「ギロチン」がつづけざまに落ちていく映像、脳裡に睨んで無言で呑む。

 博多で新幹線に乗り換えるときには、迷わず、売店でもらったビニール袋に空きビンを移し入れて移動する。凝り性の意地だった。
 通夜の酒…を想って呑む。
 邪魔する人もなく(アタリマエか…)、ひとり酒に酔う。

 7~8本は呑んで、名古屋をすぎた頃に、携帯にバイブの連絡あり。
 あらためて車内電話からかけ直すと、女友だちの陽気な声。大学同期の「呑み会なのよ、来ない?」と言う。きゅうにドッと酔いがキタ感じ。
「わるいな。もう、したたかに酔って候。そっちに着く頃には店も閉まって候」
 
 結局、窓ぎわにズラリ1合カップ酒ビンの列は1升には及ばず。
 まだ「若い酒」のボクは、足どりフラつくこともなく、「ギロチン通夜酒」からぶじに帰宅した。

◆あれから早や20余年…

 JR東海は、「新型コロナウイルス感染拡大防止対策」として、1月21日から、東海道新幹線車内販売で酒類の取り扱いを休止することにした、と発表。
 ぼくを驚かせたのは乗客の反応で、68.0%が「賛成」だったという。

 裏事情としてはその一方で、駅売店などでの酒類販売は続け、乗客が酒類を車内へ持ち込むことへの制限はない、のだったけれど。
 (それにしても…)
 「乗り鉄=呑み鉄」派のボクには、隔世の感つよい。

 ぼくはいまでも、長旅ならカップ酒を友に、だし。ふだんのショート・トリップ、小田急ロマンスカー新宿-町田でも、缶ビールの一杯かかせない、が。
 あきらかに同好の士が、年を追って少なくなっていくのを痛感しており。
 さらには、海外事情にくわしい友によれば「トレイン・ドランカーはそれだけでマイナス評価」だと、「スモーカーとおんなじ」と断言する。

 されど、吾は酒神バッカスの流れを汲む者。
 この世を渡るにゃ酔って候…くらいがよく候…
 しつれい…ごめんくだされ…

あの頃、ステキな〈映画〉の時代があった➀ /  内田吐夢監督の『飢餓海峡』

-No.2719
★2021年03月02日(火曜日)
★11.3.11フクシマから →3645日
★延期…オリンピック東京まで → 144
★旧暦1月19日(月齢18.3)
※次回は、3月5日(火)の予定です※






◆「ひきだし」いっぱい!

 新宿の、映画人が集うバーでした。
 初対面のその人の容姿や服装、顔つきなどはもう、まるで記憶にありませんが。
 彼がそのとき、かけだしの新人助監督にぽつりとひと言、かけてくれた声と言葉はいまも、ぼくの記憶につよく焼きついています。
「ひきだしは、たくさん持ってた方がいいよ」
 笑顔の主は、昨20年、没後50年になった映画監督、内田吐夢さん。

 父親世代にあたる方の名にしては、洒落すぎてました。
 「吐夢」は、もちろん本名じゃありません。彼が銀幕世界にとびこんですぐの頃には、監督助手と役者の掛け持ちで。ハマ(横浜)の不良少年だった頃のあだ名を芸名にしたもの。
 蛇足ですが、内田さんは岡山の和菓子屋さんの倅。たしか映画界入りしたときには、家業を継いだ兄から勘当されていたはずです。そんな、まだ「映画は不良な娯楽」の時代でした。

 『飢餓海峡』の原作は1963年、水上勉さんの推理サスペンス小説。
 ぼくは、水上小説世界には冷淡でした。作家への評価とアベックのように、北陸(裏日本)の風土の暗さを過度にいわれる、そのことへの反発もありました。ぼくは表日本と呼ばれた江戸っ子・東京の人間ですが、どういうものか北陸もふくむ日本海文化がスキでしたから。

 『飢餓海峡』を映画化したのは、意外にも〈時代劇〉で知られた東映です。
 当時、東映東京撮影所にあって現代アクション路線を成功させた岡田茂が、前回1964年の東京オリンピック開催に向け、目玉商品として企画。
 監督に切望されたのが内田吐夢

 吐夢さんは、『大菩薩峠』や中村(後の萬屋錦之助主演の『宮本武蔵』シリーズでボクたちを夢中にさせたいっぽうで、アイヌ問題がテーマの『森と湖のまつり』みたいな、社会派の一面も持つ人でした。

 「この写真」(当時の関係者は映画作品をこんなふうに呼んでいました)で吐夢さんは、「W106方式」(16ミリで撮影したモノクロ・フィルムを35ミリにブロー・アップ)と呼ばれる手法を開発。これまで日本映画の主流だったウェットでキレイな画質とは一線を画す、ザラッとした、乾いて硬質な画調を追求して、観る者にリアリスティックな印象を与えることに成功しています。

 いっぽう、その凝った「写真」づくりのために撮影期間も費用も嵩むことになって、封切の予定が延びたり、興行成績も「これが東宝の製作だったらパッとウレたかも知れないが…」と惜しまれたりもしました。
 その原因は、183分(完全版)という上映時間にもあって。映画は2本立て上映があたりまえだった当時、長尺作品はキラわれもの。それで167分の短縮カット版がつくられ、地方館などでは短縮版の上映になったわけです。
 (ぼくは長尺の完全版を観ることができてラッキーでした。ほかの地方とは隔絶されてまるで別世界の、このズバ抜けた優位性が東京のすべて、でした)

 ともあれ、おおいに話題を呼んだ『飢餓海峡』。
 前半のドラマチックな舞台は北海道、津軽海峡沿い。台風にともなう烈風が原因の二つの事件、青函連絡船の転覆沈没と質屋一家強盗殺人・放火(洞爺丸事故と岩内大火に取材)という、戦後すぐの社会を騒然とさせた未曽有の出来事から。

 多くの死者をだした連絡船、収容された遺体のなかに身元不明の(連絡船の乗船名簿にはない)2遺体があることをつきとめた函館署の弓坂刑事(伴淳三郎)が、その2遺体は強殺事件の犯人2人、のこる1人(三國連太郎)が強奪した大金をひとり占めにして逃走した、と推理〔にら〕んで。
 捜査が進むと、対岸、下北半島青森県)の名勝・仏ヶ浦の岩場で、木造の小型船を焼いたと思われる跡が発見され。犯人は海峡を渡って逃げたもの…とされ追求が始まりました。

 この手漕ぎの小舟による海峡越え、という設定には後に、元連絡船乗員から「流れの速さからして不可能」との指摘があったことも、話題になりましたっけ。
 ぼくの感想をいわせてもらえば、実際はそうであろうけれども…ここは苦境に喘ぐ人間一匹、ギリギリ生きのこる魂魄の力がなせる業…生き態〔ざま〕としていいのではないか…

 ぼくの「ひきだし」が、またひとつ、ふえました。
 さらに、別の「ひきだし」が、もうひとつ。

 「神のわざ 鬼の手つくり仏宇陀 人の世ならぬ処なりけり」(大町桂月)と詠まれ、古くから霊界の入口とされてきた仏ヶ浦は、緑色凝灰岩を主とした海蝕崖の岩石地形。
 「北の大地」北海道に憧憬を抱いたぼくも、幾度となくこの沖合を通り津軽海峡を越えて渡道してきたし、険しい陸路を辿って訪ねたこともあるのだ、けれど。
 しかし、そこが仏か鬼か、いずれの所行にもせよ霊界との硲〔はざま〕であるなら、それらしい異観を見せてくれてもよさそうなものを。現実場面、北辺の果て「仏ヶ浦」に、その真相が観られることは稀有でしかなかった。
  
 物語、前半区切りは、下北の港。
 大湊(現むつ市)の娼婦、杉戸八重(左幸子)へと捜査の手を進めた弓坂刑事が、大男(犬飼多吉=三國連太郎)の犯人像にようやく辿りつくところまで。
 しかし、犬飼から思いもかけない大金を受けとった八重は、その金で苦界からの清算を決意。恩人である犬飼のことを弓先刑事には明かしませんでした。
 ……………

 物語の後半は、戦後の縮図、闇市の東京。
 ここでも厳しい現実に直面して、やっぱり娼婦世界に舞い戻らざるをえなかった八重が、ある日。新聞記事に恩人の顔写真を見つけ、「ひとことお礼を…」と出かけて行った先。舞台は、大陸からの引揚船の着く港、舞鶴に移ります。

 犬飼は、いまは樽見京一郎と名を変えて、刑余者の更生事業に寄付する事業家。風貌も変わっていましたが、八重につよく刻みのこされた印象は欺けません。
 結局はそれがアダとなって、八重は犬飼の手で殺され、情死を装って海岸に捨てられます。

 戦後すぐの世相に織り交ぜて描かれる裸の人間模様。この辺、吐夢さんの出演者を起用する眼も冴えていました。
 ヒロイン八重役には、はじめ企画者岡田から佐久間良子が推されていましたが、吐夢さんは左幸子に変更。さらには主演男優も、岡田の意向を押し切り「これを演れる役者は他にいない」と三國連太郎にキメてますし、伴淳三郎の田舎刑事もはまり役。
 もう一人、ぼくが好きな高倉健を東舞鶴署の若手刑事役に抜擢したのも吐夢さん。この「写真」での健さんには、まだ、「若い」印象でしかありませんでしたが。

 その健さん(味村刑事)の捜査から、糸がほぐれて函館署の弓坂老刑事へとつながって、ついに大事件も解決を見ます。
 大団円は、現場検証に赴く青函連絡船のデッキから〝飢餓〟海峡の流れへ、戦中・戦後の混乱期を生き抜こうと藻掻いた者たちへのレクイエムか、樽見(犬飼)が無言で身を躍らせます……

 およそ半世紀の時を経て、フィルムは古くなりましたが、どっこい「写真」は骨太な存在感そのままに生きていました。こんど、あらためて観ても、まるで色褪せてはいませんでした。
 吐夢さんが、ぼくにのこしてくれた「ひきだし」です。
 
 『飢餓海峡』は、1965年の第20回毎日映画コンクールで、監督賞:内田吐夢脚本賞鈴木尚之/男優主演賞:三國連太郎/女優主演賞:左幸子/男優助演賞:伴淳三郎、の5部門受賞。

 その後は3度テレビ・ドラマ化もされていますが、ぼくは観ていない…か、あるいは観ても覚えてはいません。ぼくの『飢餓海峡』は、内田吐夢監督の「写真」だけ。

 内田吐夢さん、1970年没(行年72)。
 ぼくが吐夢さんにお逢いしたのは、死の前年かあるいは前々年あたり…だったことになります。

 この世に現出した〈浄土〉の世界。
 そんな仏ヶ浦の景に出逢えたのも、ぼくは20年も前の盛夏ただ一度きり。
 それは…涼風の渡りはじめた午後、大間港発・函館行きのフェリーになんとか間にあうぎりぎりまで、待ちに待っての、いっときでした。
 岩肌に斜陽の射す角度もよく、静謐な夕凪の海を前に、仏さんの群像が合掌して、ひたすらなにごとか念じておりました……

「終電」くりあげて「夜行列車」をリバイバル / ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(8)

-No.2705-
★2021年02月16日(火曜日)
★11.3.11フクシマから →3631日
★延期…オリンピック東京まで → 158
★旧暦1月5日(月齢4.3)
※次回は、2月19日(金)の予定です※





◆都会に夜をとりもどしたい!

 「新コロ」の感染拡大、第3の波が深刻になりはじめた昨年暮れ。
 首都圏の鉄道各社(JR&私鉄)は来春のダイヤ改正から、終電繰り上げの予定を公表。
 これは、外出・外食自粛モードがつづくいま現在、電車の乗客減少というご時世があり。もうひとつには、これまで運行優先のシワ寄せがあった夜間の保守作業、時間確保を目指すためでもありました。

 そうして、さて…年が明けても。
 感染の波おさまる気配なく、自治体による「夜間の外出自粛」要請から、ついには遅ればせながら1月7日、国による「緊急事態宣言」の発令があって。
 首都圏の鉄道は1月20日から、終電の時刻繰り上げを最大で30分程度、「前倒し」で行うことになりました。

 こうしたうごきに対する庶民の反応は、一部から、たずさわる仕事柄「それはコマル」窮状の訴えがありました、が。おおかたは(まぁ…しょうがないかな)という、消極的に順応する態度でした。
 (まぁ、そんなもんかな)でした…けれども。

 このときにあたって、ぼくは、以下のような一文を某新聞に寄稿。
 心もちは「新コロ後に迎えたい新世界を考える」ものでした。

     ☆          ☆          ☆

 夜をワクワク眠りたい

 いうまでもありませんが。
 光り輝くお陽さまがあって、この星(地球)に生きる私たち人間です。
 そのお陽さまは、夜の闇があってのちに、輝きと幸せとをもたらしてくれます。

 これこそが大切なことを、忘れてはいけないと思います。
 夜はたしかに刺激的ですが、やっぱり、ふつうの日常じゃありません。
 徹夜して疲れた朝より、よく眠って目覚めた爽快な朝のほうが、だんぜんステキ。

 ドキドキの夜を欲ばりすぎないで、すっきりワクワクの朝を迎えたい。
 そんなふつうのことを、すっかり忘れてしまっているのが、いま。

 夜の闇にコワイものがあるのも、じつはワクワクの朝のためでした。
 そのヤクソクを忘れてしまったから、もっとコワい目に遭ってきた、ぼくたち。

 ですから……
 夜遅くまで、仕事をしなければならない、人たちがあれば。
 その人たちのために、対策をシッカリとしたうえで。

 夜遅い電車は、トクベツのときにかぎって、ふだんは減らすのがふつう。
 都会だけが、いつもトクベツなのも、ぜ~んぜんオカシイ。

 「夜のない街」には「ドキドキの夜も、ワクワクの朝もない」。
 ニッポンは、そんな「ふつうがあたりまえの国」であってほしい!…ものです。

     ☆          ☆          ☆

 人間は、闇をおそれて、灯りをもとめ。
 さりとて、灯りのある時間が広まったいま、夜の時間は短くなりましたが…闇がなくなったわけじゃなし。
 夜の闇をおそれなくなった現代人は、心の闇に襲われはじめてひさしく。

 逆に、いま〝辺鄙な田舎〟といわれる地方に行くと、夜の闇の深さにあらためて驚かされ、そこにポツンポツンと点在する家々の灯りに、ホッと胸に沁みる安らぎを覚え…これが(ふつうの夜なんだ)とあらためて思い知らされます。
 闇を追い出した夜は、〈便宜〉に潜む〈陥穽(かんせい=落とし穴)〉かも……

     ☆          ☆          ☆

 〈終電〉時刻の繰り上げといっても、キホン〈始発0時〉以降はナシでしょう。 
 途中、通過駅で日をまたぎ、終着はたとえ翌朝であっても。
 夜を欺〔あざむ〕いちゃいけない、節度がなくちゃいけない…と、かつての夜遊び人は(反省して)思います。
 終電をあきらめる日は、おとなしくギブ・アップして早めに帰るか、それとも潔く覚悟して帰るのをやめるか。

◆冷たい「終電」、温もりの「夜行列車」

 大都会が「眠らない街」を目指し、「夜型人間」が幅を利かすようになって、「終電」時刻は遅く、「始発」時刻は早くなるばかりだった現代。
 ふところ具合が温かくなれば、お愉しみの時間も長くなる、わけですが。

 いっぽうで
 たとえば旅が、いまはずいぶん即物的に、美味いもの喰いと買い物ツアーに傾いて、ロマンやノスタルジアやドリームとは縁遠くなるばかりに思えます。




 かつての鉄道(国鉄)には、「夜行列車」花ざかりの時代があって。
 特急や急行の寝台列車、暗い車窓から沿線民家の灯りを遠く眺めるのは、特別な夜のすごし方。ときに映し鏡にもなる窓ガラスはポエティックでもありました。

 「夜行列車」というのは、もともと、昼夜を通して走らないと目的地に到着できない長距離列車のこと。
 ですから日本でも、新幹線網や航空路網が発達するまでは、重要な長距離の移動手段で。その運行形態は、各駅停車の普通列車にまでおよんでいたものです。

 ちなみに、いま、ぼくの手もとにある交通公社の『時刻表』1972年3月全国白紙ダイヤ大改正号(東海道新幹線が走り出して8年後)を見ると。
 東海道本線の「下り」には、東京発23時35分大垣(岐阜県)行き普通列車、通称「大垣夜行」というのがあって。なんとこの電車は、横浜で日付が変わったあと、翌朝07時10分に大垣に着くと、そこから先は7時14分発西明石山陽本線兵庫県)行きに接続する、超長距離便(逆コースの上り便もありました)。

 この夜行列車の歴史をさかのぼれば、前身(1968年まで)は…東京-大阪間ともっと長距離走者でした。
 そうして、この「大垣夜行」のその後は、旅行事情の変化をうけて96年に全席指定(新型車)の「ムーンライトながら」へ、さらに09年には定期運行から「臨時列車」への変転を経て、コロナ禍中の20年3月後には運行終了になりました。
 この背後には、深夜便の乗客が高速バスにながれた事情もあったのです。

 いま当時をふりかえると…
 じつは、東海道本線の「終電」はこのあと、23時56分発の小田原行き。
 学生時代、神奈川県川崎市に住んでいたボクは、どんなに呑んだくれても大垣行き電車には乗る、とキメていました。終電の小田原行きは最後の砦です。

 「大垣夜行」には、遠くても小田原あたりまでの通勤・通学客のほかに、中京・関西圏へ用向きの客などもあって、車内は日常・非日常が交錯、ふしぎな空気につつまれていたものです。そんな縁から、ぼくも、こころみに東京-西明石を乗り通したことがある。安い普通運賃で、西明石に着いたのは翌日11時01分でした。

 学生時代、甲斐・信濃路の山歩き。「夜行日帰り」の定番は中央本線の夜行列車。
 急行もたくさん走っていましたが、安く連れて行ってくれるので、ありがたかったのは新宿発23時55分の長野行き(終着翌11時11分)でした。

 憧れの〈北の大地〉北海道へは、東北本線の夜行列車。
 津軽海峡のトンネル未だ通じず、青函連絡船に頼るしかなかった頃、時間と宿代を節約する最上の手段は、夜行寝台列車で青森、翌朝の船に乗り換えて海を渡ること。
 特急より運賃の安あがりな急行には、「八甲田」と奥羽本線回りの「津軽」、そして常磐線回りの「十和田」。いずれも長旅には疲れました、けれどもドキドキ、なにしろワクワク。

 いまも、これらの夜行列車と同じようなかたちで運行されている「終電」近辺の電車はありますが。世の中のありようも車内のふんいきも、まるで違います。
 それをコトバにすれば、「非日常の旅」であり「とくべつな夜」だった、ことになります。

 夜を忘れる…ふだんの「終電」は早めにきりあげて、とくべつな夜を愉しむ「夜行列車」(それも超高級版にかぎらない)に旅情〝復活〟をもとめる。
 そんなのも、ちょっといい感じ…に思いませんか。

マイカー「カムバック」して生活「リ・スタ-ト」/ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(7)

-No.2701-
★2021年02月12日(金曜日)
★11.3.11フクシマから →3627日
★延期…オリンピック東京まで → 162日
★旧暦1月1日(月齢0.3)、元日・新月
※次回は、2月16日(火)の予定です※





◆〝相棒(車)〟と行くショート・トリップ

 ぼくの〝相棒〟である車が、「逆突事故」に遭い傷ついた。
 昨年暮れの12月29日、昼すこし前のことだった。

 「逆突」という呼称は、保険会社の「物損事故 示談内容確認書」により知れたもので。わかりやすく言えば、この先「行き止まり」路地入口でバック態勢で待ち受け停車しているボクの車に、まちがい進入に気づいてバックしてきた他車が誤って追突。ぼくの車の、左(助手席側)後ドアと前ドアの一部に擦過傷を負わせた。
 相手側全責任の損害賠償事故。吾がミスではなかったものの、ぼく暗然。

 〝相棒〟は傷ついたまま年を越し、新年早々の6日。
 保守を任せているディーラーに引きとられていった。たまたま、前から「車検」を予定していたときに、板金修理の手間が加わったことになる。

 傷癒え、「車検」(健康診査)もすませた〝相棒〟が、きれいになって帰ってきたのは翌々週、月曜18日。
 後日、送られてきた確認書による示談内容は修理費37万円余、代車料6万円余。
 ちなみに、この間、これといった所用もなく済んだボクは、代車を一度も使わなかったが。代車は、賃無料とはいえ燃費(ガソリン代)は自前であり、なにもイイことはない約2週間であった。

 ともあれ、これで年越しの「お騒がせ」ごとは、一件落着。
  ……………

 この「新コロ」禍つづきを機に、ぼくは一念すっくと起った。
 ひたすら忍耐も、身体にワルい、健康にサワる。
 畢竟〔ひっきょう〕、「吾が道を行くほかない」のであれば、できるかぎり他人さまには迷惑のかからないように、気をつけたうえで「怯〔ひる〕まずに進もう」。

 それには究極、「吾から転がす〝相棒(車)〟と一緒、他人さまとの交渉すくないショート・トリップ」で行こう、ほかにない。
 その初動日を、21日ときめた。
  ……………

 その日は、アメリカの新大統領、就任式。
 日本時間ではその日の未明、というより前夜の深更から始まった〝観衆なし〟のセレモニーを、ぼくはジッと見守った。

 前任トランプの我儘放題のツケ重く、自由主義圏の盟主の座さえ危うくされた、バイデン新大統領にとっては多難な船出となったわけで。それだけに、少しでも前途の不安を払拭してくれるものがあるか…見とどけておきたかったからだ。

 結果。(まさかマンがイチにも…と怖れられたQアノン一派がらみ)不測の事態は幸いにしてなくてすみ、ハリス新副大統領の笑顔にもくもりなく。なによりバイデン新大統領の、「南北戦争以来の民主主義の危機」を乗り越えて進む、とする決意に手ごたえを感じて…まずは、よし。

 ぼくがベッドにもぐりこんだのが、午前2時半ころ。
 翌朝7時すぎには、気もちよく目覚め。空も気もちよく晴れた。
  ……………

 その日は、かみさんの定期検診。
 診察をすませ、北里大学病院(相模原)を後にしたのが、11時すぎ。
 国道15号から横浜新道経由、国道1号で藤沢を目指す。
 〝不急〟かも知れないが〝不要〟ではない、墓参りにいく。
 献花や供物、朝昼兼用の軽食や飲み物は、コンビニで買ってあった。
 天空は穏やかに晴れていた。
 
 道すじは、名うての渋滞区間。「緊急事態宣言」下でもさほど車の通行量は減っていないか…に思えた、けれども。(滞りなく流れている)のは、やっぱり、ふだんとチガウ。いつもこれくらいの混み(空き)ぐあいだったら、運転に「ストレスもかからないのにナ…」ボソリ呟く。


 母の実家は東海道「藤沢」の宿はずれ、墓地は戸塚から遊行寺へと下る坂の近く。東へ越える尾根の向こうは、すぐ鎌倉。
 このあたり、ぼくが子どもの頃は川沿いの隠れ里ふうだったところが、いまはカーナビも迷うくらい、細かい道の入り組む住宅街に変貌している。

 母方の実家の墓は、祖父母が建て。そこには若くして亡くなった母の姉、祖父母・母の弟夫婦、くわえていまは、ぼくの従弟夫婦があらたに眠る。
 墓誌には、従弟が令和元年12月下旬没、妻が令和2年中旬没とある。
 中国・武漢から新型コロナ・ウイルス感染症が報告されたのが、従弟が亡くなって間もない年明けであり、連れ合いの葬儀は感染のさなか……

 慌ただしい葬送であり、落ち着かない送り人であった。
 しかも「新コロ」禍の先ゆき、おぼつかない、いまできることはあらためての墓参、これしかなかった。
  ……………

 跡継ぎの家を訪ねるのは控え、〝相棒〟のアシを海へ向かわせる。
 途中、鵠沼〔くげぬま〕には、かつて父の親族が宅をかまえ、いまは大学の頃の学友が住む…が、いまは交流のときにあらず。
 間もなく道は狭く、江ノ電の線路敷きになって、江の島の湘南海岸にとびだす。

 海は穏やかに、車からは汀の波ひとつ見えない。
 海水浴などの遊客は、その多くが、こんな静かな海しか知らないであろう。ずいぶん馴れ親しんだつもりのボクなんかでも、波荒れた海景の記憶はほとんどない。

 友の母校「鎌倉高校前」駅の辺りに、江ノ電撮影の男女が戯れており。由比ガ浜材木座の海は、漣きらきらスパンコール。
 鎌倉入口の滑川〔なめりかわ〕で、やや渋滞。若宮大路の向こう、鶴岡八幡宮がやがて「駆け込み詣」で混みあうのは、半月後31日(日)のことになる。

 ぼくは、ひさしぶりに小坪(逗子)の漁港で鮮魚を買うつもりだった、のだけれど。海沿いの道を往き来する車、少なからず。しかし、やっぱりここでも、ふだんのようには渋滞することもなく、自然に流れて行く。

 おかしなものでドライバー心理というやつ、車の流れが滞らないかぎりは〝相棒〟に身をまかせていたい気分がつよかったし。港の狭い駐車場は(いっぱいかも知れない)気もして…そのまま通りすごす。

 湘南海岸のにぎわいも、葉山をすぎると一段落して、〝相棒〟も快走モード。
 ぼくはスピード控えめ、〈高齢ドライバー〉モードをこころがける。

 しみじみ「ゆきつけ」は、なにかとありがたい。
 結局、いつもの三浦半島ドライブ・ツアー、コースどおり。
 横須賀の農協直営、大型農産物直売所「すかなごっそ」と三浦の「三崎生鮮ジャンボ市場」とで海山の幸をたっぷり買いこんで帰宅。

 この日、帰路の横横道路もふくめて、丸一日。
 車の通行量は少なからず、しかし、多すぎもせず。なんども思ったのは(いつもこれくらいならチョウドイイのに…)、そればっかり。
 人との交渉場面、わずかな店員にかぎられ。会話も、必要最小限。おまけに車には、マスク・除菌スプレー・除菌シートの予備おこたりなく。
 あらためて、いま現在の「新コロ」感染禍、これがいちばん〈安全な外出法〉であることを確認した。

 
 

  

 

科学的にも奥深い「折り紙」の世界 /      自動折り紙技術と「紙ヒコーキ」

-No.2694-
★2021年02月05日(金曜日)
★11.3.11フクシマから →3620日
★延期…オリンピック東京まで → 169日
★旧暦12月24日(月齢22.9)
※次回は、2月9日(火)の予定です※
 2日節分、3日春分、4日には「春一番」が吹いた。
 気の温もりとともにウイルスの勢い衰えてくれるか…




◆印刷した線のとおりに自動で折りたたむ

 そんなことができるんだと!
 それも、インクジェットのプリンターで紙に印刷すればいい。
 (もちろんインクは特製だし、用紙との相性もある、けれど)
 なにしろ、それだけで、印刷した線のとおりに、ひとりでに折れ曲がる。

 これぞ、まさしく夢の「自動折り紙」の世界。
 その仕組みは……
 ①印刷線が「谷」になるカタチに折れ曲がる(インクが紙の繊維を縮ませる)
 ②折れ曲がる角度は線の太さに比例する(太い線ほど大きく曲がる)
 ③(インクの成分によって)折れ曲がるのにかかる時間も10分~数日の間で調節できる。
 ①と➁で、たとえば「紙飛行機」なんか、お茶の子さいさい。手先の器用・無器用いっさい関係なし。新しいアイディアもどしどし試せる。ついでに、
 ③にいたっては、印刷して放っておけば思いどおりの時に完成させる、そんなことだってできてしまう。これはスゴ技。

 …というところで。

◆紙の「手遊〔ずさ〕み」「手慰〔なぐさ〕み」

 前回、「新コロ」禍の遊び「紙ヒコーキ」について書いたら。
 そのすぐ後に、「折り紙」世界のハイテク情報がとびこんできて。
 ぼくは、(え~っ)と驚き燥〔はしゃ〕ぐ吾が身に呆れながらも、無視できない吾をカワユくイトシく思った。




 「紙飛行機」も「折り紙」世界の産物。
 ぼくも、姉と2人姉弟で育ったから、「折り鶴」などアレコレ「折り紙」も経験したけれど、「親しんだ」というより「つきあわされた」印象がつよい。
 雨の日なら、しかたないガマンもしようが、いったん晴れればもう、机の前にジッとしてるなんぞデキない相談で。「紙飛行機」折ったらすぐに飛ばしに駆けだす、いたずら坊主であった。

 でも、好きな遊び相手は、草や昆虫や魚など自然物のほかにも、紙・木・土という自然系素材がかならず含まれていた。そう、スキなことはスキだったから。
 女の子世界の「折り紙」にも目をくばることをわすれずにきた。

 「創作折り紙」とか「現代折り紙」、あるいは「立体折り紙」「造形折り紙」などの動向はもちろん、「ユニット折り紙」という工芸の分野に近いと思われるものも視野におさめつづけ。
 父が永年勤続した会社を定年後、母と2人保養所の管理人に転身してからは、箸袋やナプキンの折り方など「折形」と呼ばれるものにも親しんだ覚えがある。

 しかし……
 「折り紙」は、ぼくにとって、あくまでもヨソごと。
 「むずかし」くて「こまか」くて、ぼくにはむかない…と。
 けれども……
 これは明らかにスジ違いだし、はっきりマトはずれで。
 木工にしても、土仕事にしても「むずかし」く「こまか」い。
 はやい話しが、ひとこと「にがて」にすぎないのだった。

 もうひとつ想いだすのは……
 フィールドワークなどにつかう「地図の折り方」。
 宇宙航空研究開発者、三浦博士(東大名誉教授)が考案した「ミウラ折り」が、世に知られたのはたしか1970年安保の頃。
 実際にはタイヘン難しい折り方に、懸命にチャレンジしたことを覚えている…が。カンジンのその「ミウラ折り」にした地図、たしかにコンパクトで展開しやすい科学的な技法に感心はしたものの。
 とりあつかい方もまた難しくて、結局、現実のフィールドでは思ったほどに活躍できる場面もなく。したがっていまは、もう手もとにものこっていない…。
 
 ともあれ。





◆紙の自動ロボット

 「紙飛行機」になると、俄然バッチリ目が覚める、ジジツはジジツ。
 冒頭でご紹介した「自動」の「紙技」を開発したのは、芝浦工業大学電気工学科の重宗宏毅(助教)さんという、自称「数理人」の方。
 工夫のさらなる発展形としては、もっと優れたスゴ技もあって。
 (すべて自動で)紙のハシゴが→立ち上がり→上端を曲げて壁に掛かり→下から折りたたみ巻き上げて…しまう。

 つまり「紙の自動ロボット」で、これはアメリカにも先例があったけれども、ただし、折ったり動かしたりに熱や電気を必要としたもの。
 ところが、重宗版ロボットは熱も電力も要らない。



◆「折り紙」の仕組みを産業にとりこむこと

 そんなアイディアはすでにいろいろ試され、実用化もされていて。
 たとえば、上記「ミウラ折り」のように人工衛星太陽電池を折りたたみ式にしたり、身近なものでは「酎ハイ」缶に菱形の折り目をつけて丈夫にしたり…などなど。

 ただし「折り紙」構造は、つくるのがなかなか難しい。
 これを「自動的にできる」ようにすれば飛躍的に利用が進む…というのが重宗さんのネライであった。
 紙には電子回路も印刷できることから「折り紙構造の電子回路」や、また手軽に脈や体温などを測定する「使いきり生体情報デバイスなど。

 だが
 あくまでも「紙飛行機」屋でいきたいボクが(ほしい!)と切望するのは。
 紙飛行機のあれこれタイプ別に、「基本的な折り方と適合する紙の組み合わせ」のシステムと、さらに工夫を凝らしたいときのアイディアを実現する技法のシステム化である。
 (なんとかして)もらえないものだろうか……


 



 

紙ヒコーキよ蒼空に高く舞え! / ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(6)

-No.2691-
★2021年02月02日(火曜日)
★11.3.11フクシマから →3617日
★延期…オリンピック東京まで → 172日
★旧暦12月21日(月齢19.9)
※次回は、2月5日(金)の予定です※








◆「紙飛行機」用の紙を買った!

 ナント…70を超えた齢になって初めてのことだった。
 ぼくたち世代(これはイマだってチガウまいとは思うのだけれど…)、紙ヒコーキは適当な厚みの広告紙か、良くて裏は白地の「色紙」なんかを折ったもので。少なくとも「紙ヒコーキ用」の紙を買うことなど考えられもしなかった。
 だからこそ流行った「子ども遊び」の定番アイテムでもあったかと思う(いまどきはもう、なぜか紙ヒコーキ遊びそのものが流行らない!)。

 ともあれ
 ぼくが初めて買った、正確には「紙飛行機用の専用紙」とは、いかなるものであったか。
 それは、老舗のあれこれ印刷屋さんが試行を重ねた末に開発した、折り方(設計図)付き「専用紙」。それも、いまどきハイテク全開の大都会発じゃない、四国の片田舎(失礼…)高知県中央部の山間。
 土讃線に「伊野」駅というのがあり、「紙の博物館」や国道194号沿いには道の駅「土佐和紙工芸村」がある和紙の里「いの町〔ちょう〕」在。
 名前が、これまたよくて「大国〔だいこく〕」印刷所と謂う。

 「紙ヒコーキ」専用紙を自社開発することになったのは、日々さまざまな紙とふれあう仕事柄…と、ごく自然のながれで。要は「紙ヒコーキ」好きだったに相違ない。
 そのへんの事情は、長年、出版の世界でメシを喰ってきたボクなんかには、ヨ~クわかるものがあって。紙は、木と甲乙つけがたい「可能性の宝庫」、触っているだけで想像力を刺激される。

◆目敏〔めざと〕く見つける

 それにしても、ある日の新聞家庭欄に小さく紹介されていた記事に、それこそ吸い寄せられるように目がイッた! というのはサスガ(吾ながら子どもっぽい趣味人)と言うべきか。

 記事をたよりに、ネット検索すれば、すぐに見つかって。
 通販サイトでも求められるようになっていたけれども。こういう場合は直接、会社に注文するのが、ぼくの流儀。

 それが、いまから思えば「新コロ」感染の波、ヒタヒタと押し寄せ始めていた、まだ年が明けて間もない昨年1月末の頃…だった。
 そうして、手もとに品物が届き。趣味の時間で製作にとりかかったのが、中国武漢からの邦人救出作戦やら、〝集団感染〟豪華クルーズ客船「ダイヤモンド・プリンセス号」横浜入港やら、さらには小・中学校の全国一斉休校やらの事態になった、パンデミック前夜の2月も末頃という、なんとも劇的な舞台装置での巡り合わせ。

 それでも、じつは…その頃はまだ。
 こうした〝警戒〟情報にアンテナの感度わるくないはずのボクでさえ、内心(なんだかなぁ…あぶなっかしいなぁ)とは思いつつも…まさか…これほどの緊急事態になろうとは思い及ばず。だった。
     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
 想えば……
 ヒトにはダレにも、生まれ、育っていく過程で、いつか知らぬ間に手に握らされてしまう、「不安」というやつがあって。その究極が「死」にチガイなく。
 この国の憲法でも「生存権」は第25条に定められているのだけれども。

 そのカンジンの国が、国民を、少なくともイタズラな「死」からは守るべく努めてくれているか…といえば、これがナントも心もとない「不安」の最たるもの…と。
 これまた、いつか知らぬ間に思い知らされてもいる。
 
 先の大戦、酷すぎた敗戦から75年、さいわい戦争はなくてすぎた…とはいえ、薄氷を踏む想いのモトには厳として、〝災害列島〟に棲み暮らす自然・環境・地理条件があり。それだけでも、どれほど「不安」であることか。
 
 10年前の東日本大震災+フクシマ原発爆発事故でも、アレほど舐めさせられた「脆弱」と「辛酸」の巷に、こんどはまた、カタチを変えた感染症の脅威に怯えている。
 ダレがそれを正しく知り、行く先ドコに導こうとするのか…も「不安」なまま。

 …というわけで。     

◆こんどの「紙ヒコーキ」づくりへの回帰も

 そんな「不安定」な気もちが、むかし懐かしい素朴な「遊び」世界へと、ぼくを誘ったものかも知れなかった。
  ……………

 というのは、こんど初めて買った「紙ヒコーキ」専用紙を目の前にして、ぼくの脳裏には、ありありとよみがえる想い出があった。
 (紙ヒコーキについて、前にも語った記憶)
 ひもといて(検索して)見ると、それは3年前17年8月の記事。
 以下に、ご紹介しておきたい。

『紙ヒコーキ…うずうず本能くすぐる男の子の遊び
 ~ほかには、なぁんにもない、その魅力~』

 男は、永遠の遊びっ子。
 放っておいたら、死ぬまで厭きない。
 だからこそ、その誘惑から逃れるため、仕事に没頭する。

 ほかには「なぁんにもない」のが、じつは
 紙ヒコーキ遊びの魅力!

 想い出す…
 最初に飛ばした紙ヒコーキは、「やり」と呼ぶやつ。
 名前のとおり、槍みたいに真っ直ぐ飛んで、それだけだったのに不満があった。

 次に飛ばしたのが、槍の頭に耳(小翼)を付けた「いか」。
 これは、飛びながらちょっと浮いた。

 なにかの本で教わった「つばめ」には、もうビックリ。
 クルッと宙返りして、ブーメランみたいに戻ってきた。

 やがて滞空を競うようになって、「へそ」にいきつく。
 「へそ」はきっと、「重心」を意識した名だったろう。
 飛ばしては追いかけ、ずいぶんアレコレ工夫を試みたものだった……
 
 けれども、それだけ。飛ばして、浮かす。
 ほかには「なぁんにもない」のが、「紙ヒコーキ」遊び。

 上品にいえば「折り紙飛行機」。
 イギリスの子ども遊びの本には、はじめ「ペーパー・ダーツ」と紹介されていたそうだから、やっぱり「やり」から始まっていた。
 (紙ヒコーキの基本の型と進化ばかりは、どうやら不変のものらしい)

 材料の紙は、「ざら紙」とも呼ばれた「藁半紙」。
 ぼくら戦後すぐ世代の子ども時代は、なにしろ〝くすんだ〟色の紙ばかりで、それさえムダには使い捨てできない、ましてや〝白い紙〟はそれだけで憧れ。
 遊びの紙ヒコーキ用には、広告紙でもなんでも使ったが、正直、使い勝手のいいものではなく。
 いまなら「軽くて、丈夫で、腰のある」紙は選び放題だろうが、ぼくらの頃は「折り紙用の色紙」が最上品だった。

 つぎに、紙ヒコーキ遊びにも進級があって。
 2階建ての校舎では低学年は1階、高学年になると2階に上がれた。
 だから低学年の子らにとっては、2階の教室窓から紙ヒコーキを飛ばせる高学年は憧れであった。

 しかも、なお、世の中は嗚呼…無常。
 やっと2階に上がる頃には、「折り紙ヒコーキ」から「組み立てヒコーキ」に興味が移っている。

 組み立て式というのは、ケント紙のような厚紙から型を切り抜き、貼りあわせて胴体や翼を作るわけ…だが。その機体の設計がむずかしいので結局は、縁日や玩具屋で買ってもらう「できあい」品、頭に鉛の錘が付いたヤツの方がよく飛ぶのが、興ざめでもあった。

 次の進化が、いよいよ最上級。
 工作用の角材でつくる機体、竹ひご細工の翼に、薄紙を貼る「模型ヒコーキ」へと遊びは進む。
 この模型ヒコーキには、プロペラとゴム動力が付いて、よりホンモノらしく。
 しかも見上げる空高く、惚れ惚れするほどよく飛んだ。

 ここで
 個人的な事情をいえば、ぼくの場合は、小学校卒業が転機になって、紙ヒコーキの世界からは遠ざかることになったのだが。
 なお童心を抱きつづける向き、あるいはまた、航空力学研究の分野から紙ヒコーキに惹かれる向きも、少なからず。

 折り紙飛行機の「飛行距離」と「飛行(滞空)時間」には、ギネスブックに世界記録(いずれも室内)の登録があるし。日本紙飛行機協会主催の「全日本紙飛行機選手権大会」というのも存在する。

 しかし……
 この世界、いまだに女性にはあまり人気がないらしい。
 というより、なにより。
 あいかわらず「男の子の遊び」でありつづけるのは、「飛べ」それだけ。
 ほかには「なぁんにもならない」のにネツを上げるところが。
 いかにも男っぽく、無駄っぽい!

◆専用紙ヒコーキは、空高く舞い飛んだ!が…

 話しが…思いのほか長くなってしまった。
 これも「紙ヒコーキ」愛ゆえ、お許し願いたい。

 ともあれ、そういうわけで。
 高知県いの町、大国印刷製の「紙飛行機専用紙」。
 ぼくが購入したのは、屋内用「ハイタカソニック」(写真=上左、「やり」型)と、屋外用「ハイタカジャイロ」(写真=上右、進化型)の2種類。
 いずれも4枚入り用紙の、ぼく用に2枚ずつ、あとの2枚ずつは、小学校で子どもたちに手づくり遊びの指導もしているという、友人Sくんにプレゼント。

 ぼくの、(かなり長きにわたる休眠期間を経て後のいってみれば出戻り)「紙ヒコーキ」づくりは、最初の1枚で試作。もう1枚で本番を仕上げた。
 わが家、狭い室内でのテスト結果もオーケー。

 …で、さて(どこで飛ばそう)、気づいてガクゼン、なんと飛ばす場所がない!
 ぼくも地元の小学校で「木工教室」指導の経験があるのだ、けれども。なにしろ時悪しく、学校が一斉休校中では、体育館も校庭も借りられない。
 そうなって初めて、ぼくは、いまどきの世の中どこにも、自由に「紙ヒコーキ」を飛ばせる空間などない…ことを思い知らされた。
 (嗚呼、無常にも無情!)

 それでも折角、専用紙を折って仕上げた「紙ヒコーキ」を、この蒼空に飛び舞わせたい、一念の結果。
 まぁまぁ、あまり傍目〔はため〕を憚〔はばか〕らずに飛ばせるところは、わが家近くにある公園のほかにはなし……

 思いきわめた、翌くる朝、早く。きれいに晴れ上がった空に励まされて、公園広場へ。もうパラパラ、早起きの子が遊びに来てはいたけれど…ままよ。
 吹いて来る風の向きをたしかめ、思いきり腕をひねって、紙ヒコーキを蒼空めがけて投げ上げた、ところ。

 (おっ…のったゾ!)
 「ハイタカジャイロ」(屋外用)は、はっきり〝滞空〟態勢にあり。風のぐあいもヨカッタのだろう、ゆっくり左旋回して、一度はさらに高度を上げさえして。もういちど左旋回してから、ゆっくりと着陸態勢に入った。

 この間、30秒を軽くこえていたことに、ぼくは深~く感動の子。
 アトになって、いまの飛行を映像に撮っておかなかったことに気がついた…けれど。満足…ゾク…ゾク!
 結局、それっきり。いまの子どもたちの目を惹きつけることもなかった…一抹の寂しさ心にのこして、公園を後にした。
  ……………

 それっきり、「紙ヒコーキ」は〝駐機〟のまま。
 いまも、車で出かけるときには同行させるが、出番は見い出せない。
 友からも「試験飛行成功」の知らせがあったきり。

 だけどさぁ…
 ぼくは、ふと空を仰いで想うのだ。
 この「新コロ」渦中の、子ども「遊び」世界にこそ、「紙ヒコーキ」遊びほど相応しいものはない…んじゃないだろか!
 たとえ遊び仲間があっても、究極「ひとり宇宙」の「紙ヒコーキ」遊びに、「密」はありえない。

 教えてやっておくれよ! 現役の子どもたちに。
 「子ども遊び」先輩、「永遠の遊びっ子」大先輩たちよ!
     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆


 おしまいに…
 いまどきは流行らない、かに思われがちな「紙ヒコーキ」遊びも、けっしてオタク文化・博物館入りしてしまったわけではない、証拠の施設をひとつ、お知らせしておきたい。

 紙ヒコーキ遊びのための「紙ヒコーキ・タワー」を持つ町がある。

 そこは広島県東部、岡山県との境にある神石〔じんせき〕高原町は、その名のとおり、中国山地から南にはりだした標高400~500mの高原地帯。
 世帯数が4,000ちょっと、人口9,400人ちょっと、町の木がヤマボウシという、それだけでもホッコリ、川の源流部に位置する農山村の気色が目に泛ぶ。

 (じっさい、山帽子とも山法師とも書くヤマボウシは、ミズキの仲間で、初夏の緑の山肌を明るく彩る、花のように見える苞が白いベレー帽のような、じつに可愛らしく好ましい落葉の樹だ)

 豊松地区の米見山(よなみやま=標高663m)、山頂公園に立つ塔の高さは26mの5階建て。
 この「とよまつ紙ヒコーキ・タワー」、ぐるり360度を見わたせる展望台から、思い思いに自作の紙ヒコーキを飛ばせる。
 入館料、小学生以上300円には折り紙(エコ用紙)5枚付き。
 もちろん、折り方も教えてもらえる。
 大山や比婆山など中国山地の山々を望む高さからは、朝の雲海眺望という愉しみもある、そうな。

 記録会も開催されているそうだ、けれども。そんなことより
 「紙ヒコーキ」がウマく気流をとらえらえたときの、あのワクワク浮揚感を、もういちど童心によみがえらせたい。

 子どもたちに混じって、大人たちにもケッコウ人気がある…というから、コッソリ感も無用。
 紙ヒコーキにする〝エコ用紙〟は、回収できない遠くまで飛んでもサトウキビが原料だから自然に還せる。
 (知ってる!?、サトウキビで漉いた紙ってサ、紙ヒコーキの浮力・揚力のつよい味方でもあるんだゼ)

 

免疫力アップの出汁をひく…ウイルスと離れて / ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(4)

-No.2684-
★2021年01月26日(火曜日)
★11.3.11フクシマから →3610日
★延期…オリンピック東京まで → 179日
★旧暦12月14日(月齢12.9)
※次回は、1月29日(金)の予定です※






◆ぼくは、出汁を「ひく」

 サブちゃん(北島三郎)の樵、「与作」は木をきる。
 ぼくは、かつて若い頃、修業の板場で出汁〔だし〕を引いた。

 出汁は、「ひく」とも「とる」とも言う。
 コトバの用法は料理する人によってまちまち、べつにキマリはなく。
 けれども…
 ぼくは、もっぱら「出汁」は「引く」。
 それは強制的に絞り「とる」汁より、無理なく出るに任せて「ひく」天然に近い〝出汁〟の方が、サラリと舌に口に馴染むから。

 そういうことで、ぼくの「出汁」のお話し。

 出汁を「ひく」、素材はさまざま、だけれど。
 いろいろ使い試して、それぞれの佳さをみとめた上で。
 いきついた基本は、やっぱり「昆布と鰹節の出汁」。

 いちばん無理がなく自然〔じねん〕
 地産地消の点からも最良、関東ではもっとも手に入りやすい。

 「ぼくの出汁」については、これまでにも、あれこれ折々にふれてきて。
 そんな、ごく小ぢんまりしたツキアイのなかから、「やさしい出汁のひき方を知りたい、自分の出汁を味わってみたい」との声をいただき。
 どなたにも、なんとなく、「出汁ひき」は奥の深い、ムツカシイものに思われているらしい、けれど。

 なに、くふうすれば楽ちんな方法はある。
 「いい素材にひと手間かける(手をかす)」のが、いい料理で。
 手ぬきもけっこう、ただツボだけはハズシちゃいけない、それだけ。

 簡単レシピというほどもない。
 楽らく手ぬき出汁の「ひき」方を。
 以下、ご参考までに。

◆牛乳瓶(200㎖)に出汁を引く

➀牛乳瓶は、2本。
➁1本に水を満たした中に、だし昆布(徳用の切り昆布でいい)5~6gを、キッチン鋏でタテに細く切って入れ、そのまま涼しいところ(暑い季節は冷蔵庫)に1晩。置いてからカスをとりのぞく。これが「水出汁」、夕飯前のひと仕事。
③翌朝。(電気)コーヒー・メーカーに水、ペーパー・フィルターに1袋2.5~3g入りの「パックかつお」。これを熱湯で、ひく。できた鰹節出汁は、もう1本の牛乳瓶に移して、冷ます。出汁カスはフィルターごと捨てて後処理ラクちん。
※1 この方法は、専門書『だしの本』(藤村和夫著、1988年ハート出版)より伝授されたもの。
➃鰹節出汁が冷めたら、ボールに移して混布の水出汁と合わせてから、あらためて2本の牛乳瓶に分けて冷蔵保存する。
※2 これで、日々運動・散歩のあとなどの「免疫を飲む出汁」として、簡単カンペキ。なくなったら繰り返しつくり置くようにすればいい。この出汁は濃さ控えめなので、牛乳やジュースなどと混ぜてもよし。半々を目安にお好みで。
※3 応用/「味噌汁」などの料理用には、切り昆布・「パックかつお」ともに材料を倍増すればいい。

 いま「新コロ」禍のなか、コレといった妙手もないままに、ワクチン接種にばかり過大にすぎる期待がかかっている…けれども。
 ぼくの基本は、あくまでも、まずみずからの免疫力アップ。
 感染弱者とされる、高齢も、基礎疾患も、その主因は免疫力の減衰。

 免疫力アップには、「栄養」と「運動」と「睡眠」。

 運動のあとには、応分の栄養補給。
 栄養(食)のキメ手(核)は、「出汁」。
 吾が身を養う、「出汁」を楽に「ひく」。
  ……………

 次回は、「たっぷり極上の出汁で迎えた新年」です。
  

「幸先詣」に明治神宮へ行ってきたこと… /   ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(3)

-No.2680-
★2021年01月22日(金曜日)
★11.3.11フクシマから →3606日
★延期…オリンピック東京まで → 183日
★旧暦12月10日(月齢8.9)
※次回は、1月26日(火)の予定です※













◆「幸先詣」とはムシのよすぎる話しだけれど…

 信心深かった母は、年末になると1年の無事を感謝して、菩提寺へお礼参りをするのが常だった。
 このお礼参りは、たとえ年の途中で病むようなことがあっても、暮れに参れるようになっていれば「ありがたい」ことだから、ほとんど絶えたことがなかった。

 気もち、あとを継いだボクも、およばずながらお礼参りをして、1年の区切り。してみれば、これはこれで文句なし、サッパリと気分のいいことだったから。ふと(これなら月参りも…)なんぞと思ってみたりもするわけだ、けれども。そっちは根っから、だらしのない性質〔たち〕ゆえ、てんで見込みがなかった。

 そんなボクが、いつも想うのは…
 各地の寺社に詣でたときなど、檀家や氏子の人たちが、門前・社前の通りすがりに手を合わせ、自然〔じねん〕に頭を垂れて行くこと。
 その、目にするだけでも気もちのよい光景には、すっかり惚れこんでマネ見習い、それなりの歳月をかさねたいまでは、どうやらイタについてきました。

 2020は丸1年を「新コロ」パンデミック渦中ですごして。迎えた年末年始もひたすら、「おとなしくヤリすごしてくれ」とのこと。
 初詣もなるべく分散してもらって、できれば「幸先詣」にしてくれまいかと、これは寺社からの「お願い」。
 なんでも、企業参拝の多い神田明神では社殿でのご祈祷参加人数を制限。鹿島神宮茨城県)では古式を復活させ御師〔おし〕による代参祈祷を行う、とのこと。

 ぼくは思う……
 いまどきの方々は、さすがに上手いことを言う。
 つくづく感心させられたことだった。
 
 ばか正直なボクなんぞが住職や宮司だったら、きっと「神(仏)さまのご加護は時を選びません」とかなんとかカッコつけて、新年祝い気分に水を差し、せっかくのお賽銭いただき損ねるところだ。

 ぼくは、それにしても…と、再び思う。
 本来が「幸先」というのは、ナニかを心に深く期する者が願をかけ、その行いが神仏に通じて起こる吉い兆し、でしょう。
 その「吉い兆し」を勝手に先どりして「幸先」佳くというのは、ちょいとムシがよすぎやしませんか…なのだ、けれども。

 (まぁ、いいかぁ!)
 どんな心もちのするものか、こころみに「幸先詣」しに。
 行ってきたのは暮れの24日、ところは初詣総本山ともいうべき明治神宮

 原宿(地下鉄なら明治神宮前)の駅周辺は、「クレヨンハウス」のある表参道の通りからずっとクリスマス・ムードだった、けれども。そんな人たちのなかからも三々五々、「幸先詣」の姿が南参道の大鳥居をくぐって行く。
 ほんと、放っとけば無くならないのが人出であった。
 つまり、人気がなくなるまで人出はつづく……

 広大な神宮の森なかを、広く長くつづく参道は、いつ来ても清新の気に充ちて、まことに清々、いうことなし。
 其処此処の要所に、初詣の人出に備える準備が着々と進んでおり、その落ち着きと周到ぶりに初詣総本山の貫禄を滲ませ。それがキチンと、出入りの職人や業者にまで徹底されていることを窺がわせる。

 石段に木造りスロープが設けられた南神門、松の植え込みの向こうに「ドコモタワー」のビルが望まれて、はじめてここが副都心に在ったことに、あらためて気づかされ。…しかし…。

 この広大な敷地をもってしても、参拝の人影を見失う一時とてなく。「新コロ」対策、浄め手水の太い青竹樋にも、拝殿前にプールさながらの賽銭箱にも、参詣人の絶える間もなくて。
 ここに無いのは、ただ巷の遊興の人混みだけか…と思われるのは流石、というほかないフィーリング。

 拝殿の前庭では母子が、ベビーカーに仕掛けたスマホで自撮り記念撮影を試みており、テレビ電話で田舎の祖父母にでも「幸先詣」の報告をするつもりらしく。

 でも、ぼくは…といえば。
 神仏に願いごとは、しない。
 カッコつけるわけじゃないし。いつから、どんな経過をたどってそうなったのか、確かな記憶もないけれど。いつかしら、神仏に願いごとをするのはチガウと悟らされてしまった、というしかなく。

 では二拝二拍手一拝してナニを想うか…といえば、いまはただひたすらマインドフルネスに、いまこのときに集中して気もちの赴くにまかせ、その想い脳裡に追って祈るだけ。なぜか、なにゆえか、動物の姿になって去来することが多い。

 そうして
 願掛け絵馬のコーナーでは、「受験合格」と「コロナ退散」とが過半を争うなか。
 ふと
 お守りや破魔矢を頒布する社務所に、「幸先詣」の記念品でもあれば気が利いている…と期待して探したけれども、ザンネンこれは無かった。

 帰路、西参道を歩いて参宮橋駅に出てみようか…迷った挙句、表参道コースを戻る。前にも何度か経験した覚えがある、「神宮の森」の雰囲気をあじわいたければ別、参詣の気分にかぎれば、やっぱりこちらが勝る。

 「幸先詣」も時流、これはこれでいいのかも知れない。
 そんな気がしてきていたボクの耳には、歩く道々、参詣人たちに向けて誘導と注意喚起を呼びかける試験アナウンスの声だけが、艶消しだったけれども。
 それも間もなく、敬虔に鎮まる深い森の中へと吸い込まれてしまうのだった。




  ……………

 これで、なにごともなく終える2020の年…とばかり。じつは、てっきり思いこんでいたボクだったのダ、けれども。

 いよいよ大晦日〔おおつごもり〕を2日後にひかえた29日になって。思いもかけない事態が出来〔しゅったい〕。
 買いもの帰りのボクの車に、老齢女性の運転する他車が接触衝突。この事故の模様を少し詳しく説明しておくと。

 表の通りからボクの家へと入る路地道は、前方が緑道になっていて「行き止まり」。にもかかわらず、すぐ向こうにスーパーの駐車場が見えることから、まちがって進入してくる車がときどきある。

 こんどもそのケースで。(いけない…)と思ってバックしてきたドライバーが、すり抜けの判断を誤って、やり過ごそうと停車しているボクの車にぶつかり。相手車のリア・バンパーが、こちらの後部席扉をガリガリと齧ってしまい。

 ぼくは自宅前で、警察の事情聴取に応じることと相成った次第。事故そのものは、明白な相手側の過失ですぐにケリはついたが。ボクの愛車は傷モノになり、散々な年の暮れ。無念の「幸先詣」なってしまった……

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 さらには、感染拡大の勢いゆるまない「新コロ」対策。年末年始の、政府・地方自治体の動きとも、後手を踏み、メッセージ力をもたないまま、手を拱〔こまぬ〕くばかり…の様子を、日送りにメモしておこう。
〇12月30日(水)=東京都の新規感染者数944人。1,000人の大台に迫り、かつ17日連続して曜日毎の最多更新をつづける。
〇同31日(木、大晦日)=東京都の新規感染者数ついに1,000人超え、1,337人。
〇1月1日(金、元日)=朝7時少し前、ワイドショーの中継映像が「ダイヤモンド富士」の初日の出をテレビ放映。しかし主な話題は「コロナ難民」へ。
〇1月3日(日)=東京都の新規感染者数816人の日曜日最多、重症者101人。新規感染者数減の見込み立たない1都3県(神奈川365人・埼玉205人・千葉225人)の知事、政府に「緊急事態宣言」の発出を要請。
〇1月5日(火)=東京都の新規感染者数1278人(昨年12月31日に次ぐ最多2番目)、重症者111人も最多。都道府県別の新規感染者地図からも「0」の空白が消えた。
〇1月6日(水)=東京都の新規感染者数1,591人、重症者113人。わが愛車、接触事故傷の修理と車検(これは前から予定されてあったこと)に、ひきとられ。後には事故(相手)保険適用の代車がのこされた。代車は無料だが、走った分の燃料代は払ううのだから、いいことはひとつもない。 
〇1月7日(木)=東京都の新規感染者数2,000人を突破して2,447人。東京圏1都3県に「非常事態宣言」。
〇1月8日(金)=全国の新規感染者数7,000人を突破して7,882人。
  ……………