どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

きょうは単独ツイッターの日 / 「まっつぐ…Tadakatsu Asou @SlowSeafish」で発信

-No.2389-
★2020年04月06日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3315日
★ オリンピックTOKYOまで →  延期開会まで474日
★旧暦3月14日、待宵月・小望月
(月齢12.7、月出15:54、月没04:19)


「おげんきよう!」の明日へ…きょうは、お休みです

-No.2388-
★2020年04月05日(日曜日)
★11.3.11フクシマから → 3314日
★延期…オリンピック東京まで → 475日
★旧暦3月13日、十三夜の月
(月齢11.7、月出14:41、月没03:40)


全線開通した「常磐線」沿線を訪ねて④ /    「富岡」駅に見る…「浜通り」変貌…

-No.2387-
★2020年04月04日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 3313日
★延期…オリンピック東京まで → 476日
★旧暦3月12日
(月齢10.7、月出13:30、月没02:58)



















聖火リレー…コースどりの〝怪〟

 もう古里には「帰れないから帰らない」と決めた方の、車に便乗させていただいて、富岡駅まで送ってもらった。
 おかげさまで、もう昼どきはすぎていたけれども、なんとか食事処を見つけることもできた。
 (双葉にも夜ノ森にも駅周辺に開いている店はなかった…それどころか駅に駅員さえいなかった!)。
 これが、「全線開通」した常磐線の真の姿。

 地震で破壊されたあと、追っかけ津波に攫われた「富岡」駅。
 周辺は、しばらくは瓦礫のまま放置されるしかない状況がつづいて、こころ傷むばかりだった記憶がつよくのこるところだ。
 ここ2~3年で一気に再開発が進んだいまは、以前とは風景がすっかり一変、土地人にさえ昔を想い出す縁よすががないようだった。

 それでも、駅にはショップ&カフェがオープン、駅前にはビジネスホテルが新築されるなど、「浜通り」相双地区、主邑のひとつに違いない。

 常磐線の線路は、ここ「富岡」駅(富岡町)から「浪江」駅(浪江町)までの間が、福島第一原発の爆発事故にともなう、もっとも深刻な放射能汚染区間になって「不通」が長引き。

 オリンピック・イヤーの今年3月14日に、ほとんど「無理矢理」の開通となったが、この間には、一部線路の付け替えや集中的な除染が欠かせなかったわけだし。
 全線開通のカタチとなったいまも、この区間には放射線量の高い「帰還困難区域」がのこるため、乗務員のあいだには「なにかあって電車が途中で停まるようなことがあったらどうするのか」…の不安がのこされているのだった。

 そんな不安な状況にありながら。
 ぼくが、ふしぎに思うのは、各駅の駅員の不在(双葉駅も夜ノ森駅もそうだったし、大野駅も同じ)である。〝復興の鍵〟とされる鉄道の駅がコレでいいのか!?

 まぁ…鉄道(JR東日本)側にも、それなりの理由はあるわけで。
 じつは、これが「駅集中管理=駅務自動化=無人駅=駅遠隔案内システム」というやつで、要は「自動券売機」「自動改札機」「自動精算機」などの機器によって無人化を達成する「省力システム」だ。
 …が、しかし、それでもなお「それはないだろう」想いは消えない。

 (無人駅ならローカル線にはいくらでもある)と人は言うかも知れない…が。
 このたび、やっとの思いで開通した常磐線〝最後にのこされた区間〟、はっきりフツウではない。
 つまり、ナニかあったときの、不安の相談窓口(もってきどころ)がない、のだ。マッタク!

 富岡駅には、これまで駅員が滞在したのが、いまになって不在。
 ご丁寧に、待合室に「全通以後は駅員不在」のお知らせが張り出してあった。
 くどいようだが、くわしい説明もマッタクなしにだ!

 これは…どういうことだろう?
 「鉄道は全通しましたから、もう安心ですよ」とでも言うつもりか。
 JR東日本に、深刻な被災地駅で「駅員撤退」の理由を訊ねたい。

  ……………

 ともあれ
 ショップ&カフェで遅い昼食をすませ、列車待ちの間に付近を見てまわる。
 線路の東側、かつて瓦礫の荒野だった浜伝いは、いま、重機による再整備地区に衣替え中。
 駅からは太平洋の海が驚くほどの高さに広がって見え、丈高い防潮堤が築かれたそこまでは、まだ立ち入れない。柵囲いのなかには、防風林用であろう苗木が植え並べられているばかり……

 当初予定では、26日にJヴィレッジ(楢葉ならびに広野町)からスタートすることになっていたオリンピックの聖火リレー
 「浜通り」の被災市町村を巡ることにはなっているものの、地元民に言わせれば「良いとこしか見せない」コースどりのうえに、自治体間は車で移動するだけ。

 たとえば、ここ富岡町の場合も、富岡駅を出発したら復興住宅の前を通って中学校まで…の、いわば〝復興メインストリート〟のみをリレー。夜ノ森の桜並木も、駅周辺の帰還困難区域も、〝素通り〟どころか全く通りもしない。

 それは、ほかの市町村でも同じで。
 大熊町では、新しい町役場のある大河原地区周辺のみがコースで、常磐線を通すために「帰還困難区域」が解除された「大野」駅へのバリケード通りは走らないし。
 双葉町でも、やっぱり事情は似たようなもの。

 いま、「浜通り」の常磐自動車道など主要道は、大熊・双葉両町にまたがる中間貯蔵施設(放射性廃棄物や使用済み核燃料などの仮置き場)へ、除染土の詰め込まれたフレコンバッグを運ぶ〝ダンプ街道〟の様相を呈している。

 このフレコンバッグを、地元では「トン袋」とも呼ぶが、それは、この袋が1屯もの大容量であることによる。「復興五輪」と称するからには、この「トン袋」積み置き場があちこちにのこされた、「帰還困難区域」の現状を見てほしいのが地元民たちの願いだ、が。
 (そこには新たな帰還住民はいない…という理由によるのだろう)
 それは「かなわない願い」のコースどり、になっている……




 

「おげんきよう!」の明日へ…きょうは、お休みです

-No.2386-
★2020年04月03日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 3312日
★延期…オリンピック東京まで → 477日
★旧暦3月11日
(月齢9.7、月出12:22、月没02:10)


※東京都では、1日の新型ウイルス感染者数が97を数え、感染に歯止めがかからないばかりか、専門家筋が指摘する「非常事態宣言」リミットの3桁に、いよいよ接近してきた。
※政府は、ナニをためらっているのか? モシかして、この機に乗じて怪しからぬタクラミがあるのではないか?…と疑いたくなる。さもなくば…金の出し惜しみか?…恐怖に頭がカタマッテしまったのか?…あまりに鈍感すぎるのか?…後手を踏むのがスキなだけなのか?…ワカラない!
※ことしの桜は、キノドクに、寂しく〝花見〟頃をおえて散っていった。その散りぎわが…しかし…じつに潔かった! 見習いたい……

全線開通した「常磐線」沿線を訪ねて③ /    帰還して…どうなるの「夜ノ森」(富岡町)

-No.2385-
★2020年04月02日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3311日
★延期…オリンピック東京まで → 478日
★旧暦3月10日
(月齢8.7、月出11:19、月没01:18)

















◆アレから9年…やっと辿り着いた「夜ノ森」駅

 「双葉」駅を出た常磐線下り(南行)電車は、「大野」駅(大熊町)の次が「夜ノ森」駅。ここからは富岡町になる。

 丘陵地を開削して線路を通したからだろう、ホームは一段下にあって、駅舎へは階段を上がる。
 ホームに降り立ったボクたちは、谷戸のようになった斜面を見上げた。そこには点々と植栽の切り株がのこされている。

 植栽はツツジであった。
 ホーム両側の斜面に咲くツツジは、この駅を有名な「花の駅」にしていた…が、そのことを旅人のくせにボクは、こんどの東日本大震災があるまで、知らなかた。
 列車で何度も通っていながら、下車したことがなかったからだった、けれども。
 ただ、その駅名にはつよく興味を惹かれていた。まるでそこは、〈黒々とした森の中〉にある、ようではないか……

 こんど、気にかけて訪れて見た「夜ノ森」の実際は、イメージとは異なっていたのだ、けれども。
 別の理由で、ぼくたちを引きつけつづけることになり、定点スポットのひとつになった。
 それは、そこが福島第一原発爆発事故による放射能汚染のホットスポットになり、ずっと「立入禁止」がつづいていたからである。

 常磐道常磐富岡」ICから〝浜通り〟の国道6号に出るにしても、また逆に、国道6号から川内村方面を目指すにしても、道はわずかに県道1筋が、この「夜ノ森」駅の脇を通るだけであり。
 その道筋から居住地への境は、まるで罪科〔つみとが〕咎めるかのごとくに、固く、不粋きわまりないジュラルミンの矢来〔やらい〕で囲われていた。

 常磐線は通じても、この駅もまた「無人」。
 階段を上がってすぐの壁に、放射線量の電光表示板が0.219μ㏜(マイクロシーベルト)/hを示していたのが、まるで「帰還困難区域」からの赦免状かなにかのようだった。
 (斜面のツツジも、懸命の除染作業で切り払われたのだが、再生を願う地元の人たちの要望で株だけはのこされた)

  ……………

 谷戸を挟んで東側と西側の地区を結ぶ、新たな跨線橋駅舎ができている。この跨線橋もかつては西側まで延びていなかった。
 ぼくたちは、まず、その西側の通りに出てみる。ぼくたちは、この西側の通りから、立ち入ることの許されない東側地区(駅正面側)を眺めて、幾度ため息をもらしたことだろう。

 この夜ノ森地区における東側と西側の区別は、線路を挟んで東側が「帰還困難区域」(この3月10日に一部で避難指示解除)、西側は「居住制限区域」だったが17年4月に解除と、これも放射線汚染濃度の差と言えばそれまでだ、けれども、深刻な〝地域の分断〟を招いた。

 いま、西側の通りには美容院が1軒開業しているほか、数世帯が帰還あるいは帰還準備している様子だったが。
「この駅に降りて、どうするの? 人の住めるところじゃないでしょ」
 と憤る元住民の方が圧倒的に多いし。損害賠償の話しもまるで進展していない。
 だからいまも、避難先から放射線量を測定しに通う人さえいるのが現実。

 常磐線開通後、西側の通りを歩く人の姿を見かけるようにはなった、けれども。それは、ほとんどが他所からの来訪者だった……






















◆東側の桜並木も開花は〈未だ〉だった

 駅正面にあたる東側地区に行って見る…と。
 駐車広場の隅に大きな桜の樹が1株、「サービスね!」とでも言うように、薄いピンクの花を盛んに開いてくれていた。
 
 ぼくらと同じ電車でやってきた旅人たちが、歩み寄ってはスマホ・カメラを構える。
 ぼくにとっても、初めての「夜ノ森の桜」だった。
 被災地東北巡訪の旅、9年のあいだ、ついに福島で桜の季節に出逢うことはなく、17年から季節限定で通行がゆるされるようになった、〈桜花の並木〉にも縁がなかった。

 しかし……
 その桜樹があるのは「立入禁止」の看板の前、枝を垂れた花群のスグ目と鼻の先には、ジュラルミンの矢来が行く手を塞ぎ、向こうに広がるのは無人の住宅街。
 ここで桜を「愛でよ」というのが、どだい無理な話しであった。

 …と、そこへ地元の住民も車でやってきて、「おぉ咲いとるぅ」と顔ほころばせる。
 ぼくが声をかけたら、「桜並木の方はまだ早かったナ」と、〈待ちわびた春〉を迎える表情に屈託はなくて。余所者は、ひたすら、その落差に戸惑うばかり。

 「夜ノ森」という地名の由来は、戦国時代、岩城氏と相馬氏とがこの地の領有権を争って「余(=我)の森」と主張しあったことに由来する、という。
 それ以来の風がのこって、いまでも夜ノ森以南は水戸と、夜ノ森以北は仙台との関係が深い、ともいわれるくらいだ、と。

 そこで、さて。
 いかにして「余の森」が「夜の森」になったかは知らない、が。
 「夜ノ森」が暗くてはいけないと言う住民の願いから、桜並木が誕生し、ツツジの駅ができた、というのはわるくない。

 そのせいか、どうか。
 ぼくの印象には、富岡という町における夜ノ森地区は、なにか別趣の〈離れ〉といった位置づけにも思われるのだった。

 それにしても……
 前にも「双葉」駅で感じたこと、「とりあえず電車を通しました」…(あとのことは、まぁ、これからボチボチってところでしょうか)みたいな…9年も経ってダ…深い喪失の傷痕、ここ夜ノ森ではましてや、あまりにも痛々しく重い。

 常磐線全通にあわせて「帰宅困難区域」一部解除といっても、それは駅前のほんの小さな一画と、そこからつづく駅前通り、および、名物「桜並木」を通って町の中心部へと向かう1筋の道だけ。
 ほかは、道のすぐ両脇から奥のすべてが「立入禁止」なのである。
 つまり、ここはまだ、9年前の原発爆発事故のすぐ後、住民が避難して〝空〟になった放射能汚染地域の情景、そのままだった。

 駅前の商店脇にのこる郵便ポスト(かみさんは中身の郵便は届けられたのかしら…とシンパイする)、駅前通りの家にとりのこされた外車「ポルシェ」のスポーツカー「カレラ」、なぜか配達に来たままに乗り捨てられたらしい宅配スクーター、などなど。
 いずれも、塗料の色褪せだけが、過ぎた歳月の長さを物語っているのだった。

 「桜並木」にも出て見たけれど、閑散、ただ寒々として、寄る辺もなく。
 そこに訪問者たち、他所者の姿がちらほらするばかり…では、気もちの落ち着くところもない。

 しかも、意地悪なダイヤでは、次の電車が来るまで2時間も待たねばならない。
 店ひとつなく、駅員もいない、電話ボックスひとつ、緊急連絡先の貼り紙一枚なく、「立入禁止」監視の警備員のほかは誰もいない、ここでなにか緊急事態が生じたって、助けもないだろう。

 やむをえず、ぼくたちは、隣駅の「富岡」までタクシーで行くことを考え、スマホで地元近辺のタクシー会社探しをはじめた。と
 そのとき、「どうされました…?」と声をかけてくださる方があり、事情を話すと「送ってさしあげましょう」と言ってくださる。
 ありがたすぎる話しにキョウシュクのかぎり、だったけれども、ぼくたちには好意にスガルほか手だてもなく、便乗させていただくことにした。

 この方は、地元も地元、夜ノ森に住む人。
 やっと開いた夜ノ森駅の様子を観に来た、とのこと。いま現在は避難先に居られて、ときどきに古里を訪れている、と言う。しかし……
「ここには戻りません、戻れませんもの」
 桜並木にあるわが家のところで、ため息まじりに、いちど車のスピードをゆるめた。

 この夜ノ森。いうまでもなく
 聖火リレーのコースからは除外されている……

「おげんきよう!」の明日へ…きょうは、お休みです

-No.2384-
★2020年04月01日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 3310日
★延期…オリンピック東京まで → 479日
★旧暦3月9日、上弦の月・半月
(月齢7.7、月出10:22、月没00:22)





※ウイルス渦中、エイプリルフールから新年度に入りました。延期になったオリンピック東京大会のカウントダウンもあらためて、きょうから再スタート。ですが、とりあえずは「おとなしく」、されどけっして、「しおれずに」生きのく方法を、ひとりひとりが考えなければなりません。
※ぼくは、いうまでもない、「ウォーキング」と「足腰筋肉強化」の運動に精を出しましょう。3月の1ヶ月もおかげさまで、合計91,420歩。週間11,000歩ノルマもクリアできました。右大腿部の血行障害も少しづつ克服できてきた感がしています。

「2020TOKYO」開催(延期)日程決まる /明日から、このブログでもカウントダウン再開!

-No.2383-
★2020年03月31日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3309日
★ オリンピックTOKYOまで →  延期開催日決定まで中断中
★旧暦3月8日
(月齢6.7、月出09:33、月没....:....)






◆こんどは素早かった延期日程発表

 「開催延期」発表の25日(水)から、わずか5日。
 昨日30日夜に、大会組織委員会から記者発表があった。

☆オリンピック 開会2021年7月23日(金)~17日間~閉会8月8日(日)
  (当初日程)開会2020年7月24日(金)~17日間~閉会8月9日(日)
パラリンピック開会2021年8月24日(火)~13日間~閉会9月5日(日)
  (当初日程)開会2020年8月25日(火)~13日間~閉会9月6日(日)

 一目瞭然、当初日程を踏襲して、開会式・閉会式の開催曜日を調整してみたら、ぴったり1年と1日遅れでいいことになった。まずは…ヨカッタ!
 IOCはじめオリンピック関係者は、こんどの延期に至る過程で、素早い情報発信と決断力の必要不可欠なことを学んだ、にちがいない。生かせ、これから先に……

 課題はさまざまに山積、だけれど。
 なにはともあれ、最初のハードルはクリアできた。
 次なる大きな関門は、いうまでもない、この新型コロナウイルス蔓延、パンデミック(感染爆発)の難問を1年後までに払拭することができるか…ダ。

 大会組織委員会の森会長も、結果、開催時期の1年延長になったことについて、「新型コロナ対策で少しでも長く時間がほしかった」と述べていたとおり。
 これで万が一、ウイルス蔓延を終息できなかったときには、最悪のシナリオ「中止」の事態が待っている、ことを、ゆめゆめ忘れるべきではない。

 オリンピック開催が頭にちらついてか、ウイルス感染問題どころではなかったらしき蔓延当初の反省に立てば、日本政府および開催都市東京の責任は、ますます重い。
 「オリンピックはどうでもいい」人たちにとっても、開催による経済効果がゼロになってしまったときの大不況を想えば「どうでもよくはない」はずだし。

 ここは一番、国も国民も目的はひとつ、「ウイルスに克つ(戦争のように〝勝つ〟のではない、病害にうち〝克つ〟のだ)」ことで、世界に日本の真の姿勢を伝えたい。

 延期になったオリンピックについても、さまざまな指摘があり…ぼくにだって異論も反論もあるけれど、それらについては、このブログで、もう1年、時間をかけてとっくりと考え直してみたいと思っている。

 以上、そういうことで。
 「カウントダウン」カレンダー、明日から再開。
 計算しなおすと、「あと479日」から再スタートになります、よろしく!

 

きょうは単独ツイッターの日 / 「まっつぐ…Tadakatsu Asou @SlowSeafish」で発信

-No.2382-
★2020年03月30日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3308日
★ オリンピックTOKYOまで →  延期開催決定まで中断中
★旧暦3月7日、弓張月
(月齢5.7、月出08:50、月没23:24)


「おげんきよう!」の明日へ…きょうは、お休みです

-No.2381-
★2020年03月29日日曜日
★11.3.11フクシマから → 3307日
★ オリンピックTOKYO →  開催(再開?)まで中断中
★旧暦3月6日
(月齢4.7、月出08:13、月没22:25)


全線開通した「常磐線」沿線を訪ねて② /    現状の福島に〝復興〟五輪…それはナイ

-No.2380-
★2020年03月28日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 3306日
★ オリンピックTOKYO →  開催(再開?)まで中断中
★旧暦3月6日
(月齢3.7、月出07:41、月没21:27)









◆とりあえず線路だけは通しました!?

 (福島なら近い)感覚だったけれど、さすがに日帰りとなると、早朝発ちするしかなかった。
 朝6時のバス、横浜線の電車は、まぁ、空間に余裕があったけれど、京浜東北線北行に乗り換えたら途端に、ふだんどおりのラッシュアワー並み混雑に、ぼくはたまげてしまう。
 ぜ~んぜん、これじゃ自粛も時差出勤も、関係ないのと同じ。

 ぼくは、もともと喉に弱点をかかえている、うえに、長年のヘビースモークが祟ってか、10年以上も前に禁煙後も、うっかりするとナニかのきっかけで咳きこむクセが抜けなくて。
 このときも断続的に咳が出て(ヤバい)〝怖バッシング〟の状況に…あとで、かみさんも「コワかったわよ」とコボしていた。

 東京からの東北新幹線は、仙台行きのせいもあって、空席の目立ち方は〈外出自粛〉ムード。
 車中で駅弁の朝食をとる頃から、ようやく気分も落ち着いて。
 進行方向左側の席からは、窓外に雪帽子の富士山を見送る。

 仙台のホームに降り立つと、思ったよりもはるかに寒くて。
 震えるほど冷たい風のなか、常磐線特急「ひたち」14号(10:13発)に乗り換え。
 新型コロナウイルス騒ぎの渦中でも、復活「常磐線特急」ねらいの〈撮り鉄〉たちに、めげる気配はなかったけれども。乗客の方は、〈乗り鉄〉もふくめてガクンと少なく、ほとんどガラガラ。

 地元の〈全通歓迎〉ムードはとうぜんだろう、けれど、。
 〝復興〟も〝帰還〟も呼びかけばかりの現状は、「とりあえず電車だけでも走らせましょう」の感…ザンネンながら否めない。



◆低平な裸の耕地に、いちごハウスばかりが目立つ

 常磐線沿線の、とくに海(太平洋)側には「ぺったらこい(平らな)」田園がつづく。
 大地震による津波被害があるまでは、〈山がち〉な国土にあっては羨まれるほどの環境だったところだ。
 そんな田園が、荒れたままなのは切ない。

 はやい田んぼでは、すでに水が張られ、耕運機が土を起こしていたけれど、除染後の〈試験栽培〉でもあろうか。
 のこされた、ほとんど枯れたままの田畑のなかに、いちごハウスが陽に輝いていたのは、亘理町

 いちごハウスが、従来のものより大型に、頑丈な造りになったのは、東日本大震災後に顕著になった特徴と言っていい。
 これにともなってイチゴの苗床も、作業しやすい〈高設〉式になった……

 そんな風景が、新地町までつづいて、宮城県から福島県に入る。
 《11.3.11》後の巡訪で、訪れた土地や駅が多くなって。懐かしさと、そして、(変わらない)復興の遅さにタメ息がでる。






 

◆9年を経て…はじめて辿り着いた双葉駅

 南相馬市の「原ノ町」駅をすぎて、いよいよフクシマ原発に近づく。
 見覚えのある「浪江」駅(浪江町)には、土地の方に案内されて訪ねたのが一度、それから、18年になってもう一度、こんどは自力で訪れることができた、が。
 いずれのときも、駅前に人気は絶えてなかった……

 次の「大野」駅(大熊町)、つづいて「双葉」駅(双葉町)が、福島第一原発立地の町。
 乗り継ぎ、日帰りの旅程では、どちらか1駅にしか立ち寄ることができないので。
 選ばせてもらったのは「双葉」駅。
 大熊町は、新しい役場ができる内陸側の、大河原地区を訪れることができており。
 心のこりだったのは、双葉町の方だった、からである。






 



 新しいホームに降り、階段を上がって新しい橋上の改札…といっても、そこには駅員1人いるわけでもなく、集札箱の脇を抜けて、新しい駅前に立った。
 迎えてくれる者もない…のは承知のうえだ、けれど。人がいないわけではなく、ただ、それらの人はいずれも役場関係および鉄道関係から派遣の、いずれも仕事人たちであって…こちらには挨拶ひとつくれるわけでもなく、黙々と往き来している。

 駅前の商店が開いているわけでもなく、わずかに車寄せの一画と道路をを除けば、すべてが「立入禁止」区域であった。
 建物は、駅舎に隣接してもう1つ、役場出張機能を果たす「コミュニティーセンター」があって、そこにわずかな人影が見えただけ。

 このたび3月14日に、常磐線全線開通に伴う開駅にあたっては、集中的な除染作業ほか、関係者の多大なご苦労があったことだろう。
 それはワカルが…しかし…(なんとか間に合わせた)感に、せめていまひとつ、寄り添わせたかったろう「お帰りなさい」のひと声、掛けることはついに叶わなかった。
 駅前広場にデンと、不意打ちのごとく据え置かれた緊急用の給水タンクが、その証明。わずかに青く塗られたボディーに「ふたば ふたたび」の文字が寂しげだった。

 コミュニティーセンターから、震災・大津波原発爆発事故、被災後の各地に見られた「防犯パトロール」姿の町民の方が2名、休憩をおえて出てこられ。
「お疲れさま。ようやく、ここまで来ましたね」と労〔ねぎら〕うと、「まだまだ…だけど…」疲れた声が返って来た。
 似たような境遇の隣り町、浪江にくらべても〈遅すぎる春〉だった……







 駅近くに見えた跨線橋へと上がって見た。
 開通の日の新聞紙面には、南東方向に福島第一原発を望み見る航空写真が載っていたけれど、跨線橋からは見えなかった。
 反対方向を振り返ると、「双葉」駅を中に無人の町並みが閑かに広がっており、以前と変わっているところ…といえば、屋根々々を覆っていたブルーシートが無くなっていることくらい。

 破損した家屋は、とり壊されたのであろう。そこは〝歯の抜けた〟町。
 壁の崩れ落ちた倉庫が腹中を晒していたり、歯科医院の玄関扉に板が打ち付けられていたり……

 人気のない駅待合室の窓際には、町の「東日本大震災記録誌」が置かれ、反対側の窓際には「復興祈願」の「双葉ダルマ」が人待ち顔で線路を見ていたし。
 「全線運転再開」の横断幕も、「団地の復興再生拠点」の大看板も、ひっそり風に吹かれており。



 もういちど駅前から国道6号に通じる道を眺める。
 無人の家並の向こう、請戸〔うけど〕港地区には、「復興祈念公園」ができているはずだった、けれど。
 とにかく、なにしろ、双葉町には、9年後のいまだに「住む人」がない……



 

 

「おげんきよう!」の明日へ…きょうは、お休みです

-No.2379-
★2020年03月27日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 3305日
★ オリンピックTOKYO →  開催(再開?)まで中断中
★旧暦3月4日
(月齢2.7、月出07:12、月没20:30)


全線開通した「常磐線」沿線を訪ねて① /    ウイルス感染列島の不安な春を行く

-No.2378-
★2020年03月26日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3304日
★ オリンピックTOKYOまで →  開催(再開?)まで中断中
★旧暦3月3日、三日月・若月・眉月
(月齢1.7、月出06:44、月没19:34)


※21日。「ねむの木学園」の設立者で、女優・歌手の宮城まり子さんが悪性リンパ腫で亡くなりました(享年93歳)。彼女が若き日に唄った『ガード下の靴磨き』(1955年)は、まだわが家にテレビのなかった時代、たしか「日劇」あたり、当時の大劇場の舞台で触れた記憶があります。眩しくて、チャーミングでしたネ。
 ぼくの青春時代の宮城まり子さんは、映画『黒い十人の女』(61年、市川崑監督)の女優としてより、作家(故)吉行淳之介を愛した佳きパートナーとして認識され。
 68年に私財を投じて肢体の不自由な子どもたちの養護施設「ねむの木学園」を設立、園長に就任したときには、美談を讃えられる一方に「売名行為」という、いつの世にもある〝つれない〟批判があったことも識っています。
 「ねむのき学園」が、はじめに在ったのは美しい浜岡砂丘でも知られた静岡県浜岡町。ぼくはそんな「ねむのき学園」を、仕事をはなれて訪ねたこともありました。が、その浜岡町に中部電力原発が立地すると、宮城さんはこれを忌避して97年、学園を掛川町に移していました。
 葬儀はその学園で、園生たち関係者に見守られて行われました。ご冥福を……

 ※突然のこと(でも予感はしていた)になりました、けれども、この臨時版『新型コロナウィルス「感染列島」に想う〈番外日記〉』は、オリンピックの開催延期決定によって、急遽、先日24日の⑩回をもって終了にしました。ゴメンナサイ。これまでの後手踏みつづきで遅きに失しながらも、なんとか決着がついたことはヨシとして、政府はこれを機に「ウイルス感染防止」に全力を傾けてもらいたい。だってまだ、〝中止〟になる最悪のシナリオが回避できたわけじゃありませんからね。感染が広がり長引けばヤーメタはありうるし、トウゼンとも言えるでしょう。専門家の先生たちにも、甘い見透しなんかヤメにしてもらいたい。政府の〈判断を民間にゆだねる〉ごとき無責任は、もう、許されませんゼ。

 ともあれ、この「常磐線乗車、沿線報告記」を3回ほどでおえたら。
 さきにお約束しておいたとおり、このチャンスに考えておきたい「象徴天皇制」について、このブログで。それから、「ひと任せにしない吾が身の片づき」アドバイスを、こちらは別ブログ「ちっこ房だより」で、お知らせしていくことにします。





◆IOCのバッハ会長が「延期もある」と語った

 22日(水)。これを受けて、開催都市東京をもつ(…と勝手に思いこんでいる)日本国の安倍首相も「IOCが決めれば容認する」と応じた。
 どちらも、いかにも鷹揚に(なにものも怖れず悠然と、ゆったりと落ち着いて)振舞って見せた、けれど。
 内実は、その責任を(一身に背負わされてはたまらない)、みずからの立ち場を守ろうとする〝自己中〟ばっかり、そこにはアスリート・ファーストなんぞ、これっぽっちもなかった。

 そんな顛末になるであろうことは、前から見え透いていたから。
 ぼくは、新型コロナウイルス騒ぎの渦中、最寄りのJR駅に赴いて、かみさんと二人「東日本大震災被災地東北巡訪」再開22回目の旅へ、切符を手配しておいた。
 このたびは諸事情を踏まえ、車でのロングランは控えて、14日(火)9年ぶりに全通なった常磐線に身をゆだねて福島〝浜通り〟を行く、日帰りの旅にした。

 いまは、わざわざ出張るまでもなく、スマホで手軽に乗車券や指定券が買えるシステムになっているけれど、高齢者むけ割り引きがある「大人の休日ジパング倶楽部」のキップは、窓口でないと発行してもらえない。

 この旅のために、交通公社の「時刻表」を、ひさしぶりに買った。
 ふつうの「行って帰る」旅なら、いまどきはネット情報でも充分まにあう、が。
 経路も変え、乗ったり降りたりを繰り返す細かいことになると、運行ダイヤを克明に記した「時刻表」がなくては、できない。

 かつて、むかしの「国鉄」が現在の「JR」に民営化される前、地方交通の通称「ローカル線」が次々に廃止されてゆき、もう鉄道取材では覚束ないことになるまでは、「時刻表」は取材の必需品であり。
 毎月のように…少なくとも年に一度、春の「ダイヤ大改正号」は買いそびれないように心がけたもの。そう、いまの人たちには信じられないかも知れないが、うっかりすると売り切れの店がでるほどの人気であった。

 冒頭の写真、(右)はボクが「片道最長切符」の旅に使った頃、1972年3月号の「時刻表」。月刊で、定価は250円。(左)は2020年現在の「時刻表」春号。いまは季刊になり、世情を反映して〝文字が大きくて見やすい版〟も登場、定価は1080円。
 (ほんとうの「旅」というのは、これら時刻表などの情報から、みずから計画し旅程を組むものであって、他人まかせのパック・ツアーでは、本来の〝旅〟の醍醐味は味わえない…ことを、知っておいてほしい!)

 ともあれ、「時刻表」を調べて検討の結果。
 往復「常磐線」特急の旅では、〝のりてつ〟だけの日帰りがやっと。行程も、便利な運行の東北新幹線「下り」で仙台まで行き、「上り」常磐線に乗り換えての途中下車旅が有利である、ことが判明。
 そのカタチで、変則往復の乗車券と特急指定席券とを購入したのが1週間ほど前のこと。

 その時点では、IOC会長も日本の総理も、口をそろえて「オリンピック開催は予定どおり」と唱えていたのだ、けれども。
 世界のウイルス感染、蔓延状況はすでに「パンデミック」の極み。重大な局面はすぐ目の前に迫っていたこと、みなさんもすでに実感されていたとおり。
 
 19日〝花に嵐〟の強風下、仙台空港にもたらされたオリンピック「聖火」は、26日、サッカーの聖地(つい先ごろまではフクシマ原発の事故対策基地)「Jビレッジ」からスタートすることになっており。
 そんな現況にある福島県浜通り常磐線沿線の情景を見とどけておきたいと、ぼくは思った。
 2日前のタイミングは、これがぎりぎりのリミットだった。

 でも、まさか……
 その夜遅くに帰宅してみれば、急転、オリンピックは「1年延期」。
 これをうけて、聖火リレーは直前に中止!
 結果、これほど劇的なことになろうとは……

 次回28日(土)から沿線風景をお届け。

  ……………
 
【余禄】

 クラスター 集団感染
 オーバーシュート 感染爆発
 ロックダウン 都市封鎖

 「なぜ日本語で表現しないのか…」と、自身のツイッターで表明したのは河野太郎防衛相。
 これに反応したリツイートが多数にのぼったらしい。

 同じ指摘は、すでに、ぼくもしている。
 いわゆる専門用語系に多い、英語など欧文による表記は、往々にして深刻な「実相」を懐柔するオブララート効果につながりやすい。深刻さが薄れる。
 安倍政権の影で、こうした表現操作を画策する者がいるのではないか…これも、すでにこのブログで指摘しておいたこと。

 「ほんらい政策は、国民にわかりやすい表現で、丁寧におこなわれるべきもの」
 との声は、与党・自民党からも聞こえる。が…
 おなじ言うなら、もっと大きな声でハッキリと発言してもらいたい。
 

「おげんきよう!」の明日へ…きょうは、お休みです

-No.2377-
★2020年03月25日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 3303日
★ オリンピックTOKYOまで →  121日
★旧暦3月2日、繊月
(月齢0.7、月出06:18、月没18:39)


新型コロナウィルス「感染列島」に想う〈番外日記〉⑩3月24日(火)桜咲く…されど〝花に嵐〟もある

-No.2376-
★2020年03月24日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3302日
★ オリンピックTOKYOまで →  122日
★旧暦3月1日、新月・朔日
(月齢29.5、月出05:51、月没17:44)


※きょうは、これから全通なった常磐線に試乗してくる。新幹線、仙台経由で浜通りを上りながら双葉、夜ノ森、富岡、Jビレッジ各駅に降りてみよう。帰宅は夜になる。報告はのちほど。











◆春…なれど

 「桜開花」発表(14日、土)があった翌週18日(水)、床屋へ出かけた。
 すすんで「散髪」の気分になるのも春…である。
 開花すぐにも行きたい心もちだったのだ…けれど、町田では月・火曜は床屋の休日になっている。

 天気もよし、さっぱりした頭で「つくし野」駅(田園都市線)付近の桜を見て歩いた。
 開花後の2~3日、天気がすぐれなかったせいもあってか、桜花は、まだ初々しく笑みこぼれたばかりの風情が、愛らしかった。

 翌日、3連休前の19日、かみさんと薬師池公園に散歩に出かけた。
 コロナウイルス騒ぎで、しばらく塞ぎこんでいたからだろう、なにやら月遅れの「啓蟄(春、冬ごもりの穴から虫が這い出す頃)」みたいな気分、なんとも擽〔くすぐ〕ったい。

 薬師池公園は、開会式も直前の7月、オリンピック聖火リレーの町田市スタート地点。
 西園に「ウエルカムゲート」の新設が進められているのを見に行ったわけだ、けれども、工事の進捗状況はまだ3~4分といったところ。
 工事現場の人に、いま現在のこころもちを訊ねたら、「さぁ…」とあとは無言でほろ苦く笑っていた。

 公園に近い中学校で、自粛ムードのなか関係者のみで行われた卒業式に出逢った。
 会場の体育館から出てきた卒業生たちは、記念撮影に涙ぐんだり、燥〔はしゃ〕いだり、校外の柵から声をかける在校生たちに手を振ったり…忘れがたい想い出になるにちがいない異例の春を噛みしめているようだった。

 翌日20日、春分の日は春彼岸の中日。
 わが家の菩提寺、中目黒の五百羅漢寺もウイルス感染防止のため法要を中止。
 墓参りだけをすませ、「さぁ(家に)帰るよ」位牌に声をかけてきた。これが、わが家の墓参スタイルである。

 帰路、渋谷行きのバスを途中下車して、近ごろとみにマスコミで話題の「目黒川の桜」を、はじめて観て歩く。
 情報イメージのせいで、もっとみごとな桜並木かと思っていたのが、真実は(これなら町田の恩田川の桜の方がウエ)だった…けれども。
 満開(…は2日後の22日)にはまだ早い桜の、可憐な愛らしさは、やはり佳い。ぼくたちは近ごろ、幹吹きの〝根性桜〟を愛でる趣味があり、枝もたわわな桜花より好もしい。

 ……しかし……それにしても……
 若者たちばかり、滅多やたらと群がり出た感じで、狭い通りは大賑わいに盛りあがっており……
 明らかに〝濃厚接触〟模様を呈していたから、早めに人混みから退散。

 新宿から小田急ロマンスカーに席をとり、車内でかみさんと花見の一献かたむけて帰った。






きょうは単独ツイッターの日 / 「まっつぐ…Tadakatsu Asou @SlowSeafish」で発信

-No.2375-
★2020年03月23日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3301日
★ オリンピックTOKYOまで →  123日
★旧暦2月29日
(月齢28.5、月出05:24、月没16:48)