どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.98~  「肩透かし」と「枝透かし」と

-No.2336-
★2020年02月13日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3262日
★ オリンピックTOKYOまで →  162日
★旧暦1月20日、更待月
(月齢19.2、月出21:56、月没09:09)
★〝桜〟開花まで積算600度追跡=12日まで140℃






★やばい…透かし★

 ぼくら戦後すぐ世代、ガキの頃の遊びといえば、「鬼ごっこ」にしても「かくれんぼ」にしても、とにかく身体を動かす、それしかなかった。
 食べることが先で、遊びにこれといった道具がなかったから。

 男の子は、校庭や空き地の地面にベースを描いて草野球…それでもゴム・ボールと棒っ切れのバットぐらいは要る。
 もっと手軽なのは、地面にグルッと土俵の輪を描くだけでいい、相撲。
 寒い季節だと、なにしろ身体を温めるのに手ごろだったから、よく半分ケンカみたいな相撲をとって遊んだ。

 相撲となれば体力勝負で、やっぱり身体が大きい方が有利だし、あとは熟〔な〕れで、腕白(アテ字ってスゴイと思う…ワンパクの腕はナマっ白くなんかないのに!)に分がある。
 ぼくは、坊ちゃん階級なんかじゃない、半端な中流ってやつで。それでもガタイ(図体)は大きい方だったから、ガキ大将の参謀格あたりが役どころ。

 相撲は、お爺ちゃんが好きで、大相撲を観に連れて行ってもらったりしていたから、知識はバッチリだけで、実戦はともなわない。
 勝つときは、たいがい「押し出し」か「寄り切り」。「投げ技」はもっぱら喰らう方だった。

 それがあるとき、体格は同じくらいの同級生と、たまたまの流れで「がっぷり四つ」の大相撲。
 ぼくには、この子には負けたくない理由があって、このときばかりは懸命。
 一進一退を数合くりかえした後、グイと一気に寄りたてられたとき、詰まった土俵際に踏ん張って…咄嗟に体を開いたら。
 突っ交い棒をはずされたカタチの相手は、はずみでモロに土俵外へ顔面から素っ飛び、鼻血に塗れた。

「すっげぇ、肩透かしじゃん」
 ガキ大将の嘆声にも、ぼくはただただ茫然自失。
 ほんとうの「肩透かし」という技には、もっと手順があるのだけれど、ぼくのは、苦しまぎれに身体を開いて引いただけのが、紛〔まぐ〕れでキレイにキマリすぎちゃった。

 …で、これっきり、ぼくは相撲をヤメてしまった。
「肩透かし」というのは、たしかに決まり手のひとつで、大相撲にもこれを得意技にした力士があったくらい、だけれど。
 どちらかといえば、形勢不利な状態から捨て身で仕掛けることの多い逆転技。師匠連からは「大成のさまたげになる」とか言われて、評判は芳しくなかったからだ……

★植木がよろこぶ…枝透かし★
 
 長じて、そんな「透かし」技が、ところを変えて復活してこようとは、それこそ思ってもみないことだった。

 趣味が高じて、とった「樹医」の資格。
 あれこれ必要になる、主に「植木」の健康管理や育成の知識のなかに「枝透かし」(上図、右)という技があって、これがボクの「おはこ」になった。
 なぜって…目に見えて〈木がよろこぶ〉から。

 〈植物〉という〈生命の種〉にも、たいへん奥深いものがあって。
 たとえば、ぼくは、あちこちのお宅の庭木の剪定などさせていただきながら、あれこれ考えさせられてしまうことばかり。

 たとえば、「木の葉」には1枚のムダもない、と言われる。
 つまり「どんなに重なり合って見えても、1枚1枚の葉はすべてが陽光を享受できるように場所とりをこころえている」、と言われるのだが。
 実際に仔細に観察して見たところでは、「かならずしも、そんなふうにいつも理路整然としているとはかぎらない」ケースも少なくない。

 また、たとえば柚子のように、その葉の無茶いたずらな芽吹き方から、ナニがドノように有利に働いているのか、まるで見当がつきかねることもあるし。
 街路樹などに多くめだつ徒長枝の暴れっぷりを見ても、これはもう、あの動物の仔たちの、生きるよろこびを抑えきれない跳ねっかえりぶりと(同じゃないか)としか思えない。

★透く…透かす…★

 そうして、ふと、「すく」「すかす」の真理に近づいた気がしてくる。
 他者との間が「すく(透く、空く)」ことは、〈生きとし生けるもの〉にとってヨロコビ。
 それは、いうまでもなく自然〔じねん〕にあることが望ましい。
 自然に「すかない」ものを、しかたなく人為的に「すかす」ときは、そこに、それなりの技とか配慮がたりないと、ワヤ(ダメ)なことになりかねない。

 若き日、ぼくの頭髪は剛〔こわ〕くて多量であったので、始末に困った挙句に床屋が使う「透き鋏」で減量を試みたことがあった…が、このときは技が無かったばっかりに、惨めな結果に泣かされた覚えがある。

 しかし
 じぶんでは思いもしなかった「肩透かし」や、結局はムダ金使いにおわった「透き鋏」の経験があって、そうして後に「枝透かし」の技に目覚めたことを想うと、人生、また考え深いものがある。

 気どって「透かした」奴のシッパイから、着こなしの智慧を学んだこともあったし。
 気障にしか見えない韜晦〔とうかい〕趣味の男の、内心を「すかし」見た吾の悪趣味を嫌悪したこともある、けれど。

 ワケもなく溢れる号泣の悲嘆を、なだめ「賺〔すか〕された」幼児の頃の記憶はすでに遠い……