どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「おげんきよう!」の明日へ…〝年末年始大休暇〟いただいております(10/24)※イレギュラーの記

-No.2291
★2019年12月30日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3217日
★ オリンピックTOKYOまで →  207日
★旧暦12月05日
(月齢4.3、月出09:47、月没20:23)






★師走の祈念会★

 「年の瀬」…というコトバをぼくは好まない。
 ぼくは個体として、ヒトいちばい感じやすく(嗤う人もあるだろうと思うけれども…)デキているから、このコトバの「さしせまった」感がイヤなのだ。

 だから「年の瀬」なる表現は、とくに意図した場合でないかぎり、これまでも使わないできたし、老齢期にふみこんだこれからは、ますます使いたくない。

 かわりにはナンと「師走」を使う、ぼくは個体として性あまのじゃくでもあった。
 カラッと乾いて、ビンボ-臭くもないし、真に迫った語感がスキだ。

★どうしたぃ兄弟★

 …とまれ、そんなわけで。
 ことしは「師走」の28日土曜日に、恒例の、高校の同期が集まる世に言う「忘年会」があった…わけだけれども。

 上記の理由で、ぼくは「忘年会」の呼称を好まないので。
 かわりに「祈念会」とでもしておこう。
 齢をかさねるにつけ、気分とは別に自然と、祈念したい事柄がふえてくるからだ。

 夕方の会合にあわせて、来年を「歩け歩けの年」と位置づけているボクは、その準備運動として、来年オリ・パラ競技会場のひとつ、先ごろ完成したばかり有明アリーナを視察、1万2000歩を達成したので、とても黙ってはいられない気分だ…が。
 くわしい記事は、この〝年末年始大休暇〟明けにお約束しておくことにしよう。

 …同期仲間の「祈念会」は例年どおり、和気藹々の刻〔とき〕うつろい。
 だが、ひとり、店の亭主のことが気にかかる。
 口開けのときには、たしかに皆を迎えて,そこに居たのだ…けれども。
「あれ、どうかしたかな?」
 気がついたときには姿がなかった。

 この、昔気質で知られる居酒屋の亭主(彼もまた同期のひとり)のことは、前にも何度かふれているとおり。
 一本気で一徹、依怙地なところもある、池波正太郎の『鬼平犯科帳』にでも登場しそうな男は、しばらく前からときおり体調がすぐれず。そうなると顔を見せるのを嫌がる。
 (そういえば、きょうもどこか気のぬけたような…)思いあたるフシがあった。

 本人の気分は、「湿気〔しけ〕た面〔つら〕見せちゃ酒が不味かろう」つもりだろうが、あれこれ世話をかけてるこっちだって、義理がたたない。

 …と言ったところで、塞がっちまった道は通りようもなく。
 とどのつまりは同期一同、三々五々、
「よぉ、兄弟(きょうでぇ…と読んでもらいたい)、だいじょうぶかぃ」
 挨拶の声を胸にしまって、それぞれの家路についたのだった…が。

★年ちかい従弟さきに逝く…★
 
 ことはそれで仕舞い、じゃなくて。
 ほろ酔いで帰った家には、訃報が待っていた。

 母方の親戚中ではいちばん年嵩だった、わが姉弟にとっては、みな年下だった従弟・従妹の、なかでも年の近かった男(やつ…とあえて言っておく)が、コトワリもナシに先に逝っちまいやがった。

 命を奪〔と〕っていったのは、酒毒といっていい。
 いちど呑みだしたらキリのない男。それよりも、
 マジメな人ばかりだった親戚内で、ボクとカレだけが、表だって親の言うことを聞けない人生をすごした。

 戦地から生還した叔父さんに恵まれた子宝、その育て方、ほとんど溺愛といってよかった二人兄弟。
 いまとなってみれば、いちばんの想い出は、落下傘の生地で作られたテントを背負って、奥多摩渓谷にキャンプを敢行したときのこと。
 中学生になったばかりのボクが、よく連れて行ったものだと思うし、また、まだ小学生だった二人がよくついて来たものだったし、さらには、両方の親たちがよくぞ許したものでもあった。

  ……………

 さいわい、直前に病床を見舞うことができたボクは、そのさい、ぼくなりに、かげながら別れを告げてはきたけれど。正直、なんとか年は越せそうに思っていたのだ。
 それが…病状の急変であっけなく、のこされた者には、あわただしい旅立ちだった。

 眠れない一夜になり、ぼくは夜中に床をぬけだして、ひっそりとカレと酒を酌み交わした……

  ★     ★     ★     ★     ★

 以上のようなことがあって、わが家は急遽、正月を返上。
 皆さまには、まにあわなかった事情をおくみとりいただいて、失礼をおゆるし願うしだいです。