どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.95~  「パーソナル・スペース」と「つながらない権利」

-No.2266
★2019年12月05日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3192日
★ オリンピックTOKYOまで →  232日
★旧暦11月9日
(月齢8.9、月出12:49、月没....:....)





★吾が輩は〈わがまま〉でアル★

 …と思うのは。
 人一倍、人恋しい性質〔たち〕にできているので、相手に近づくのに遠慮は少ないほうである。
 いっぽう、それでいて、我〔が〕が強い性質でもあるから、相手から近づかれる用心はつよい方である。

 この傾向には、もちろん、好き嫌いの感情がからみ。
 好ましい人には、近づきたいし近づかれてもよい、が。
 好ましくない人には、あまり近づきたくはないし、近づかれたくもない。

〈わがまま〉は、ワカッテいる。
 吾ながら、もてあます、こともある。

  ……………

 けれども、これ、よくよく考察してみれば。
 多かれ少なかれ、どんな人にも共通すること、と知れる。
 つまり、違いは〈程度の差〉にすぎない。

  ……………

「対人距離」というのは、人間社会に暮らすかぎり、おおいに頭を悩ませなければならないテーマ、といえる。
「対人距離」は、英語だと「パーソナル・スペース」。 
 そんなふうに言っただけで、日本人には、なんとなくオシャレにさえ聞こえるけれど(言葉の表現というのはオモシロい)。
 じつは「他人に近づかれると不快に感じる空間」のこと、むしろ「パーソナル・エリア」と呼ぶ方がふさわしい感じの、〈棲息領域〉であり〈わがまま領域〉といってもいい。

 想像されるとおり、一般には、「パーソナル・スペース」は男性の方が女性よりも広いとされる…が。
 社会や文化や民族、個人の性格によっても異なるし、相手によっても違ってくる。

 つまり、こういうこと。
 親密な相手ほどパーソナル・スペースは狭く(不快ではなく)、イヤな相手だとイヤでも広くならざるをえない。
 (上掲の写真は、ウィキペディアから引用させてもらったものだが…この写真自体が、はたしてパーソナル・スペースを説明するのに適当なものか…どうか…もむずかしい)

 では、いまの世はどうか…といえば。
「もっと広いパーソナル・スペースがほしい」と切実に思うほど、「息ぐるしい」と感じている人が多い、という。
 この心理が切羽詰まると、突飛な〈排除の言動〉にいたることもある。
 
 ちなみに、この「パーソナル・スペース」。
 建築学の西出和彦氏の分類によると、以下のようになる。
  〇排他域/50cm以下
   絶対的に他人を入れたくない範囲。つまり、ほとんど会話を必要としないほど
   の近しい距離。
  〇会話域/50cm~1m50cm
   日常の会話距離。これはまた、このゾーンに入ると会話する必要に迫られる距
   離でもある。
  〇近接域/1m50cm~3m
   会話するための域内だけれど、会話しないで居てもかまわない微妙なゾーン。
   したがって、しばらく会話しないで居ると、居心地がわるくなることもある。
  〇相互認識域/3m~20m
   相手の表情がわかり、知り合いかどうかの判別もつく。つまり、挨拶の必要が
   生じる距離。とくに3~7mの範囲では、知り合いを無視することが難しい。

 よ~く、わかる、この話し。でも
 わかるだけ、よけいに、むずかしい話しでもある。 

◆〈息ぐるしい〉から〈生きづらい〉★

 ぼくは、〈突っぱらかって〉生きてきた。
 ぼくの幼年時代(戦後すぐの窮乏時代)は、〝生きる〟ため〝飢えない〟ためにどうするか…がすべてに優先、精一杯に自己主張することが、まず、なによりも優先して必要不可欠だった)

 それが自然〔じねん〕なのだから…と思っていた。
 けれども、じつは(そうじゃなかった)ことに気がついたのは、青春も晩期にさしかかった頃だった。

 それがじつは、〈息ぐるしさ〉からのがれるためだった…ことに気がついた。
 ぼくが〈旅に心惹かれる〉のも、本統は〈大きく深く息をしたい〉からだった……

 そうして、いまの世は、いよいよ息ぐるしい。
 どこに居ても、けして一人にはなれない。

 〈孤独〉というやつは、ひとりぽっちでいるときより、じつは、いつだって〈群衆のなかにあるときほど深い〉ものだった。
 そういう息ぐるしさのなかに、いまの人は皆、懸命に生きている。

 そこに気がついた賢明な人が、せめて〈いっときの逃避行〉を編み出してくれた。
 それが「つながらない権利」を認めることだった。

 「つながる」のはイイことだ、「独りっきりじゃない」、「忘れられてもいない」ことがワカリあえるのだから。
 ……という流れを、ハッキリしたかたちで体現したのは、2011年東日本大震災のときのボランティアたちだった。

 でも、いま、それがコマーシャリズムにまで浸透してきたとき、(チガウんだよなぁ)という想いが、彼らボランティアたちにはある。
 なぜなら、本統に「つながる」ためには、いちど、これまでの「つながりを断つ」ことが必要だったのだから……

 どうか、その本質を見失わないでほしい。

  ……………

 ともあれ
 「山ごもり休暇」なる制度を導入(2011年)した企業がある。
 
 その目的は
 「休暇の取得と業務内容の可視化」を目指すため。
 どちらも、いまの時代に重要な課題であり。

 …とともに、それができるのは
 先進的な環境と意欲をもつ企業である、ことは誰にもワカル。
 (つまり、ブラックとは真っ対極にある!)
 この企業、ソフトウエア開発の会社である。

 「山ごもり」期間中(9日間)の徹底した、その【ルール
 ①会社とメールや電話、SNS(会員制交流サイト)での連絡を完全に断つ。
 ②事前申請した日程を変更したときには社長決裁が必要
 ※たとえ仕事が忙しくなっても休みを諦めないため。

 最初こそ、「なにか問題がおきたらどうするのか」などの意見があったそうだけれども、始めてみたら全員が取得、半数が旅行を楽しんだ、そうな。
 もっとも、この制度を「つながらない権利」の獲得として可能にするには、〈丁寧な引き継ぎ〉が必要だった(ルーズではできないこと)、という。

 ある方の場合。
 この制度による旅行前、約50の案件への対応を書いた引き継ぎ書を作成。細かい配慮の要る件についてはニュアンスまで伝えた。
 休暇に入る1週間前からは、顧客とのメールのやりとりの宛先に同僚を加えて情報を共有。休暇中、会社メールの送信先も同僚に託し、社用のスマートフォンは日本に置いて行った…と。

 これまでの世の中の推移を見てきたかぎりでは、まことにもって、日本には馴染みにくい制度に思えるのだ、が。
 先進のヨーロッパでは、すでにもう、以前からこのような権利の必要性が指摘されてきており。

 フランスでは、従業員50人以上の会社を対象に、17年から「勤務時間外のメールの扱いなど、つながらない権利」の在り方を労使で協議するように義務付け。
 イタリアでもまた、同じく法制化されている。
 (ただし罰則規定がないので、充実には時間がかかりそうだが…)

 日本でも外資と関わりのある企業では、この制度と無縁ではなく。
 ドイツのダイムラーを親会社にもつ三菱ふそうトラック・バスでは、休暇中の社員にメールすると自動的に削除され、休暇後に送り直すようメッセージされる機能が14年から導入されている、そうだが。
 まだ利用者は少ない、という。

 そうだろう…とは想う、けれども。
 この流れがやむことは、けっしてない、だろう。
 いずれ、「つながらない権利」が常識になるときが、くるに違いない。

 ぼくのように、「企業戦士」と呼ばれた人たちを多くの友にもつ世代には、隔世の感がある、うらやましいような話しだし。
 いっぽうで、「つながらない権利」を主張しなくても生きてこられた個々人の智慧に、あらためて感心を深くせざるをえない想いなのダ……