どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ぼくの〈ライフドクター〉ふう住まいのくふう / 〈序-はじめに-〉〝わが家〟のざっと見

-No.2250
★2019年11月19日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3176日
★ オリンピックTOKYOまで →  248日
★旧暦10月23日、二十三夜の月
(月齢22.3、月出22:44、月没12:05)



(写真は04年3月)

◆この家を棲み家に…

 ぼくが、いまの家に越して来たのは1978年(昭和53)の晩秋。
 家は野村ホ-ム(野村不動産)の建売分譲住宅で。

  〇敷地=201.75㎡(61.02坪)
  〇延べ床面積(建坪)=107.60㎡(32.54坪)
         ※1階=66.24㎡、2階41.36㎡ 
  〇ツーバイフォー工法の2階建て、4LDK(築41年)
    
 両親の老後を養うのによい環境を求めて、京浜工業地帯の川崎(神奈川県)から移り住んで40年余になりますが。
 幸い建物・建築にはアタッタようで、通常のメンテナンス(それはキチンとしてきたつもり)のほかは、これといった面倒(大工事の修繕など)を経験せずにきて、おかげさまで、いまだに不都合はありません。
 家は住まい方ですね。

 父母ともに、この家からお浄土へと旅立って。
 いまは、この家で青春後期からの人生を歩み、齢をかさねてきた、ぼくたち夫婦だけの暮らし。
 子はなく、いちどは、売却の途〔みち〕を考えたこともあります。

 ちなみに
 2017年(平成29)に不動産会社に査定してもらったときの。
  〇推定価格=3,147万円
   ※これには、別棟の工房(ちっこ房)は含まれていません。

 この家の立地は、東京都の多摩地区、町田市の郊外。
 最寄り駅へ、徒歩約10分(650m)。
 あとは、バスで3つの駅へ約15~25分の距離にあります。

 これからの〈少子高齢化社会〉、土地柄としては〈敬遠されがち〉にちがいなく。
 その筋の専門家の見方も、「東京オリンピックまでは、まぁ上向き…」ながら、以後は「不透明」とのことでしたし。
 ぼくたちも(そんなもんだろうな)と思っています。

 それでも、「2人で元気なうちは、この家を終〔つい〕の棲家に」と決めました、ワケは。
  ①福祉・介護施設の〈キャパシティー不足と質〉の問題、民間施設の場合には〈高額〉がネックであり。
  ②もっとだいじなのは、老齢になっても〈自立と共生〉の気概がなくては〈楽じゃない〉のは同じだったから。
 でした。

 しかし、だからといって、けっして〈ガンコにはなるまい〉覚悟でいます。
 つまり、いまは〈げんき〉でも、これからなんらかの〈不都合や無理〉が生じたときには、その〈解決に全力〉を傾けようと思っています。
   


◆エコ・リフォーマー

 それと、もうひとつ。
「この家」を無下にしたくなかったのは、工房「ちっこ房」の存在。というのも

 ぼくが、それまでの著作・編集デスクワークに、ひと区切りをつけたミレニアムの2000年(平成12)。
 あらためて、自身の本心・本音とつきあう日々をすごした結果、「木、紙、土」に寄り添って生きよう、と思いきめました。

 いま考えてみれば、それは、旅のジャーナリストとして全国津々浦々を見てまわるうちに気づかされた、日本の風土から個性が失われていくという事実でした。
 敗戦国ニッポンが、驚異的な高度経済成長を遂げて発展し、貧しかったむかしの暮らしから解放されたことは確かでした…けれども、そのかわりに失ってしまった、とりかえしのつかない大きなものが自然とのつながり
 
 日本じゅうのマチはいうまでもなく、ムラまですべての住まいと暮らしの空間が、「文化住宅」という名の画一的で無個性なものに、すっかりとって代わられてしまったことが、その根源にありました。
(なんとかしたい)野望をいだいたわけじゃありませんが、どこかに息抜きの風穴くらいは開けてみたかった。
 日本の木造文化の見直しです。

 そこで「都立品川技術専門学校」の門をたたき、「DIYアドバイザー科」に1年通いました。
 ほんとうは「木工技術科」に入りたかったのですが、年齢(30歳以下)制限があって…
 この学校は、いまも「都立城南職業能力開発センター」に名を変えてありますが、DIYアドバイザー科はなくなっています。
 
 ぼくにとっては、〈手直し〉でした。
 …というのは、もともと〈ものづくり〉が好きだったぼくは、独学でそれまでに、ひととおりの家具・建具・内装技術を身につけ、道具も必要なものは最低限は揃っていました、が。
 あくまでも見様見真似の自己流でしたから、このチャンスにしっかり基礎を学んで、点検と修正をしておきたかったわけです。

 おかげさまで、DIYアドバイザー科は、そんなぼくにうってつけ。
「木、紙、土」に寄り添う知識と技術を、短期間に、オールラウンドで身につけることができました。

 世の中は、その頃、化学物質過敏症に悩む人たちが増え、子どもにはアトピー性皮膚炎が多発して、社会問題になっており。
 ぼくは、学校に通いながら、人の健康に害をおよぼさない素材の勉強にも励んで。

 技術学校をおえた翌2001年にはDIYアドバイザーの資格を取得。
 同じ年の秋には『あなたにもできる住まいのエコ・リフォーム』を執筆・出版。
 みずからライフドクタースタイルのエコ・リフォーマーライフ・ケア・マネージャーとして、木工制作インテリア・リフォーム手づくり教室といった活動をはじめました。

 その後には、エコと健康に関連して福祉住環境コーディネーター樹医フット・レッグ・セラピストの各資格も取得して、指導と制作にあたる日々。

 そこで、必要・不可欠になった工房、和風木造のちっこ房を2004年に建築。
 この仕事場ができたことでハズミがつき、まず〈見本〉展示も兼ねた、わが家のエコ・リフォームからすべてが始まった、というわけです。

 その一部始終を振り返りながら、ひとつの日本の住まいの考え方、そこから生まれる気もちいい暮らしのあれこれを、お伝えできれば…と思います。
 工房「ちっこ房」が、そのすべての中核。

 ぼくの、こんな考えと実践を、参考にしてくださる方があれば、うれしい。
 〈一期〔いちご〕の幸せ〉というものです。