どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

『イメージの洞窟』展 / 「76億人の海図」新聞記事がきっかけで東京都写真美術館へ

-No.2249-
★2019年11月18日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3175日
★ オリンピックTOKYOまで →  249日
★旧暦10月22日
(月齢21.3、月出21:37、月没11:19)


※きょう(旧暦10月22日)は、七十二候の「金盞香(水仙の花が香る頃)」。ざんねんながら、わが家の水仙はまだ目覚めません。ちなみに「金盞」は「金の盃」で、水仙の花のこと。





◆テーマは〝洞窟〟

 (こんなことがあるんだ…)あらためて
 ぼくは、思わずにはいられませんでした。

 購読している東京新聞掲載のシリーズ記事、『76億人の海図』(配信=共同通信)。
 これは、東西冷戦から30年をすぎて不安定と不透明感を深めつつある地球に、新たな〈よりどころ〉となる海図を描こうと、模索する人々の姿を追うものですが。

 9月17日(火)南アフリカ篇に「人類の起源をたどる考古学者」というのがありました。
 その記事の冒頭に、
「われらの祖先はかつてアフリカ南岸で貝を食べて生きのこり、この洞窟は避難先のひとつだった」
 と、アリゾナ州立大学(アメリカ)・人類起源研究所副所長カーディス・マレアン教授の言葉。
 そして、インド洋を望む南アフリカ南部、ビナクルポイント岬の断崖に、ぽっかり開いた洞窟の写真が載っていたわけで。

 この1枚の写真が、ぼくの脳裡に深く沁みこみました。
 ぼくは高所が苦手なうえに、閉所は恐怖…ケイビング(洞窟探検)なんてとんでもない。
 けれどもそれは、ひたすら地球内部を目指す暗黒探検タイプの洞窟であって、外界(それも海)に望みの開けた洞窟は、だ~い好き、なのでした。

  ……………

 ぼくが、海にこよない慕情を抱くのは、そこに生命〔いのち〕の〈たゆたい〉を感じるからだし、海風の洞窟には不可思議な香〔かぐわ〕しさと〈ときめき〉を覚えるからです。
 そうして
 そう、〝貝塚〟という原始の〝生ごみ捨て場〟は、ここ雨露をしのぐ休息場所の洞窟からは、少し離れたところにあるはずでした。

 ……………

 その〈洞窟の写真〉から半月ほどして、ぼくは、ふたたび同じ〈洞窟の情景〉に出逢います。
 こんどは、同じ新聞の一面、「題字下」と呼ばれるスペースの「突き出し」広告に。

 その…同じように見えて、じつは異なる別の〈洞窟〉写真には『イメージの洞窟-意識の源を探る-』展覧会から、「おいでよ」と誘いのメッセージが添えられていました。
 (呼ばれているのはボクだ…)と直感しました。

 ぼくには、こんなことが少なくありませんが、こんなにタイミングのいい〈呼びかけ〉は、初めて。
〈呼びかけ〉にこたえて訪れたのは、恵比寿ガーデンプレイス内、東京都写真美術館「TOP MUSEUM」2階展示室。

 展覧会の意図は「意識の源を探る」。 
 意識やイメージは人それぞれのもので、展示内容の話しは、いうまでもなく無用なのですが。

 -以下はぼくの感じたまま-

 この展覧は、ぼくを〈胎内に回帰〉させました。
 これまでに見てきた、意識・無意識ひっくるめた視覚情報の洞窟。
 そこに、ぼくがもちこんだイメージは、しかし……

  あるのか、ないのか
  あったのか、なかったのか
  正像か、虚像か、反転像か
  (いや…それより…)ほんとは
  見たのか、見なかったのか
  合わせ鏡の奥の奥…意識の闇の目の眩み
  見ていたのか、見てはいなかったのか
  (…ただ…まちがいなく)
  そこには、ぼくのイメージがポツンと、しゃがんでいました

  ……………

 そんなふうに、展示室をそぞろ歩きながら。じつは
 ぼくは、ずっと、ひとつのことを考えていました。

 いまを生きる人類(ホモ・サピエンス)って、いったい、なに……
 どこから来て、どこへ行こうとしているのか……

 新聞記事『76億人の海図』のなかで、「人類の起源をたどる考古学者」C・マレアン教授は、さまざまな考察をくわえたうえで、こう推察します。

「ここ(アフリカ大陸南端の岬近辺)が人類の原点と信じる。もっとも得やすい食糧源(貝など海の幸)も基に、生きる智慧と道具を発展させたホモ・サピエンスは、やがてアフリカを出て、ユーラシア大陸ネアンデルタール人など旧人を滅ぼいしていったのだろう」と。

 そうして、結局
「必要な資源を得るために自身と異なる人を〈他者〉と見なして、排除する性質もホモ・サピエンス生来のもの。したがって、地上でもっとも戦闘的かつ侵略的な種であったホモ・サピエンスが、それでも文明化を進めるためには戦いをやめてきたことの方が、進化における予想外の結果だった」
 という。(う~む、そうかぁ…)

 ぼくは、ナットクするとか、しないとか、とは次元の異なる、人類の来歴の重さに、沈潜する想いばかりが深いのでした。

 ところで、いっぽう
 松本武彦さん(国立歴史民俗博物館教授)の「人はなぜ戦うのか」の論考によれば。
「世界的に農耕が始まると、人は戦いはじめた」
 ということになります。

 つまり、
弥生時代、農耕によって作物の収穫が豊かになると、富が生まれ、土地の支配が生まれて、その支配のための武力が権力を生んでいった。それ以前の縄文時代には、余分の、富につながるほど穫(獲)れる食糧がなかったので戦う必要もなかった」

 ぼくは、この考えになら、ナットクできていたのでしたが。
 なかなかどうして…人類ってのも、一筋縄ではいかない存在らしい。

 いずれにしても
「人類が、その戦闘的かつ侵略的な性質を克服するには、文化とか教養とかが不可欠で、つまるところカギになるのは貧富の差の解消」
 それができなかったときの人類の未来は
「弱肉強食の末に、(SFに描かれるような)絶望的な専制の世界になるのかも知れない」
 というわけです。

  ……………

『イメージの洞窟』から出て、嗅ぐ外の空気。
 恵比寿ガーデンプレイス界隈の風景は、あっけらかんと明るいばかりでしたけれども……

東京都写真美術館「TOP MUSEUM」の『イメージの洞窟-意識の源を探る-』は、11月24日まで。