どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「天皇」を真に「国民」のものに……あらためて  「天皇制」を想う

-No.2239-
★2019年11月08日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 3165日
★ オリンピックTOKYOまで →  259日
★旧暦10月12日
(月齢11.3、月出14:48、月没01:42)


※きょうは、二十四節気の「立冬」、そして七十二候の「山茶始開(山茶花サザンカが咲き始める頃)、または「水氷始(水が凍り始める頃)」。「北の国」からは積雪の便り……





◆「象徴天皇」と「国民主権

 ・〈日本〔にっぽん〕〉は、〈民主制国家〉です。
 ・国の設立は、 1947年5月 3日(民主制の憲法が制定された日、いまは憲法
  念日)
です。

  ※遠く〈建国〉のむかしについては諸説ありますが、日本神話による初代・神武
   天皇即位の日(辛酉年1月1日)とすれば、この日はグレゴリオ暦に換算して
   紀元前660年2月11日ということになりますが。
  ※この国は、明治維新後の1889年、「大日本帝国憲法」を制定し立憲国家に
   なり。その後、第二次世界大戦後の1947年、「国民主権」「基本的人権
   尊重」「平和主義」を謳う現在の「日本国憲法」を施行して、現在の〝民主国
   家〟になりました。
  ※ですから、ざっくり言って、古〔いにしえ〕から進歩をとげて、新たないま現在
   があり。ですから、文化としての懐古はあっていいけれど。時代も、国際的な
   環境も、いまはまったく違う、ということです。
  ※たいせつなのは、あくまでも主権在民(わたしたち人民が主権をもつ=人民な
   くして国家なし)。
  ※現在は、日本国憲法に規定されているとおり「天皇は日本国および日本国民統
   合の象徴
」です。日本の政体を「立憲君主制」とも言いますが、これは「天皇
   もおなじ憲法のもとにある=憲法に従う」ということで、別に「制限君主制
   という呼び方もあるのは、そのためです。したがって「君主の権力が憲法によ
   り規制されている君主制」という解釈は、ニュアンスが違う。
  ※以上のことを、まず、シッカリと認識しておきましょう。

  ……………

 「象徴」という言葉には、もともとが外国語の訳語のせいか、いまひとつピンとこない、わかりにくさがあります。
 ーーもともとは、かかわりのない二つのもの(たとえば〝具体的なもの〟と〝抽象的なもの〟)に、なんらかの類似性をもとめて関係づけることーー
 ……なんて言うより、「シンボル(たとえば、白い色=純潔黒い色=悲しみ、のように)」としたほうが遥かにナットクしやすい。

 「象徴」の、もとの語源はギリシャ語の「割符」。
 アレとコレとが、ぴったりあてはまる。
 つまり…「そうでしょ」「そうだね」の関係といっていいでしょう。

 けれども、「日本国および日本国民統合の象徴」といわれても、さて、どう解釈したものか。
 これは〈正解のない問題〉といってもいいくらい難しいテーマ。

 まず、「象徴」とされる「天皇」ご自身が、このテーマを考えると、ずいぶん悩ましいことだったと思います。
 しかも、「象徴天皇」は「昭和」「平成」の、まだ二代。
「君主(国家元首)」から「象徴」へ、一代でかわった昭和天皇には、大いなる戸惑いがあったことでしょうし。
 実質、純粋に最初の「象徴」となった平成天皇(現・上皇)の悩みは、いかばかり深かったことか。
 (主権者である国民は、〝本統〟なら、もっともっと、深く天皇とともに考え、悩まなければイケナイことです)

 そうした深い考察・洞察のなかから、平成天皇のみちびきだした〝応え〟が。
 ・「来〔こ〕し方〔かた〕」に寄り添う、戦跡と戦火に倒れた人々に向けた慰霊の訪問
  の旅
。そして
 ・「行〔ゆ〕く末〔すえ〕」に寄り添う、災害に遭った人々を労〔いた〕わり励ます、
  慰問の旅

 キーワードは「寄り添う」こと、そうして「祈りの旅」をつづけること。
 平成天皇が、見いだし、実行してきた、これが「象徴」の、ひとつのベストな〝応え〟でした。

 これが国民に広く篤く支持されたのは、「象徴天皇」にわかりやすく焦点をあわせてくれたからです。
 この「天皇の旅」に途中からくわわり、寄り添いつづけた、美智子皇后(現・上皇后)。もとは国民と同じ立場にあった人の、こまやかな心づかいと、あたたかい目線が、より一層、「象徴」を身近にしたことも、とても大きかった。

天皇の旅」が、「象徴」を国民に寄り添わせた、といっていいでしょう。

 ときには、〝劣化〟するばかりの政治にかわって、世の中の〝救い〟手にもになりました。
 代表的なのが、慰問先の、避難所などの床に膝をつき、手をとり声をかける、親身に寄り添う姿。
 このありように習うことがなかった、この国の首相が、近ごろはようやく床に膝をつくことができるようになったことが、なによりの証左といっていい。

 新しい「令和」の天皇も、この道を「継承」していくものと思います。

  ……………

 古〔いにしえ〕と、今と。
「君主」の天皇と、「象徴」の天皇とでは、それこそ天地の違い。
 
 そんな現在の「象徴」天皇(制)を、ただ「与えられた」ものではなく、国民が「みずからのもの」とするためには、「象徴」天皇の在り方を、この国の「来し方行く末」を、それぞれが考えることが不可欠です。
 天皇や、ましてや俗な政治に、考えをまかせていては無責任、非人情というものです。

女系天皇」が、あっていいじないか。
 という〝声〟にしても、アンケートにこたえるだけでなく、もっと積極的であるべきなんじゃないか。

 皇統は「万世一系」、男系男子にかぎって相続されるべき…なんて論に固執するむきもあるけれど。
 天照大神が女性神である、ことをもちだすまでもなく、これまでの皇統にも女性天皇はあったわけだし、その〝皇統〟承継があやういことになってきて、それでも「万世一系」を声高に叫ぶ人たちの頭は、あまりにカタすぎます。

 闘いにつよい者がよろこばれた、〝乱世の遺制〟にすぎませんし。
 万世一系にしたって、世情・政情によって変わり、歴史も書き換えられることがある事情からして、アヤシイものです。

 のこしたい文化は、それはそれとして、尊重されていい。けれども 
 現実の制度は、時代により、国際的な視野や地球環境に応じて、フレキシブルでなけりゃ、生きのこっていけない、でしょう。
 こうした事情も、やわらかい頭で考えていかなければなりません。
 
  ……………   

 10月22日には、〝平安絵巻〟さながらの「即位礼正殿の儀」が行われ、新天皇が即位を内外に宣明しました、けれども。
 パレードの「祝賀御列の儀」は台風災害があって…延期になった11月10日。

 そのすぐ後14・15日には、新天皇即位にあたって最重要の行事…と言うより「神事」の、「大嘗祭〔だいじょうさい〕」というものがひかえています。

 その「大嘗祭」という稀有に神懸りな祭事と、「象徴天皇」の在り方とを、無理のないカタチに治める方法はないものかを、わたしたちは考えておきたい。
 くりかえしますが、「主権は国民」にあって「天皇は日本国および日本国民統合の象徴」なのですから、このふたつの関係が、しっくりしていなければ、いけないでしょう。

 ですから
 このさい、宮中の行祭事についても、国民ひとしく、これから先の将来を見据えて、深く考えておく必要があると思います。

 そこで「大嘗祭」(写真、上右は平成天皇のときのもの)。
 この神祭事も、「即位礼正殿の儀」の、ながれのさき、にあるものですが。
 行事をカタチ(形式)でみると……

 皇居東御苑に、およそ90メートル四方の敷地を造成。
 大小40ちかい建物を設営した「大嘗宮」(写真、上左はこのたびの模型)のなかで、営まれますが。
 すべて、この儀式のためだけに〝臨時〟設備されるもので、いってみれば〝仮設〟(…というか、ツネならぬモノ)。
 終了後はすべて解体、建物は奉焼(炊上〔たきあげ〕=焼き清め)される、といいます。
 (平成天皇のときにも同じ儀式が営まれたわけですが、すんだ後のこと=処置をボクは知りません、けれども…)
 
 こんどの、令和天皇のもとでの「大嘗祭」で営まれる「大嘗宮」については。
 6月6日の新聞記事に、「清水建設が受注」という記事が載りました。
 (へぇ…ふつうの建物を建てるのと同じなんだ、と思いませんか)

 その価格が、9億5千700万円。
 それでも、予定価格(15億4千4200万円)の約6割ほどですんだ、とのこと。
 (ちなみに、即位礼のたびにある正殿の儀のため、京都から運ばれる高御座・御帳台の費用は160億8千500万円とか)

 7月に着工、10月末完成のスケジュールで、儀式の後の解体工事や敷地の復旧工事も含めて清水建設に追加発注されるそうですが、すべての総額(当初見込みでは約19億円とか)は知りません。
 (大嘗宮の建設中も、東御苑は見学できるそうですから、工事中のナニかしらを見た人もあるでしょう…これだって前回、平成天皇のときにはなかったことです)

 これ、失礼ながら、やっぱりモッタイナイですよね。
 ぼくは、そう思います。

 この大嘗祭」は、きわめて宗教色がつよいので「国事行為」にはあたらない、ということで「皇室行事」として行われるわけですが。政府は「公的性格がある」として国費を支出します。
 (その細かい内訳は、すべて国費なのかどうかも含めて、わかりません。国費つまり税金なのですが…)

 一方で宮内庁では、経費節減のため、敷地面積を前回より2割ほど縮小して、建設資材や工法も変更。
 そして、大嘗祭にはかかせない供え物「庭積机代物〔にわつみのつくえしろもの〕」と呼ばれる農林水産物(ただし特別な〝神饌〟とは別)、お米ほか全国の都道府県から届く品々、これまでは行事後「埋納」されていたものを、食品ロスの観点から「安全に食べられる物は有効活用」されることになりました。

  ……………

 つまり、皇室は明らかに、先の平成天皇の代から、時代の変化に鑑〔かんが〕みて(てらしあわせて)、これからの「象徴天皇」の在り方として、国民により深く〝寄り添う〟ため、皇室行事の簡素化を考えておられる。
「即位礼正殿の儀」で述べたお言葉からして、いまの令和天皇も同じ考えにあるといっていい、でしょう。
 にもかかわらず、そんな「天皇の人気を利用したい」〝腹〟の政府は、国費出費によって皇室に〝借り〟をつくらせようとしている…ようにしか見えない。
 (いわばスポンサー契約みたいなやり方)

 さあ、そこで、たいせつなのは「主権者である国民」が、どう考えるか、です。
天皇制」はどうなのか…もふくめて、真剣に考えなければいけない、ときにきています。
「どうすれば、よりよい国にできるのか」は、「昔からそうだったんなら…」とか「どうせ庶民の思うようにはならない」とかでは、どうにもなりません。

 象徴天皇と皇室が希求する「国の平穏と国民の平和」を、主権者の国民はどう考えるのか。
 できない相談はない、「こうあってほしい」望みをかなえるのが、〝本統〟の政治。

 また、どんな「伝統と格式」の行事といえども、それは、たとえ皇室の祭事であっても、時代と無縁ではありえません。

  ……………

 もうひとつ。 
「日本」と「日本人(民族)」を、根本から考えるのに。
大嘗祭」は、このほかにない、絶好の祭祀行事です。

 新天皇天照大神〔あまてらすおおみかみ〕と神々に、新穀を供え、みずからも食して「国の安寧」と「五穀豊穣」を祈る儀式(ふだんの年には「新嘗祭」が行われています)。

 さきの平成天皇から、いまの令和天皇に〝譲位〟のことがあったとき、「改元特番」目白押しのなか。
 もともとあるべきはずだった報道番組、「象徴天皇」にいたる天皇の真の姿を追い求めたのはNHKスペシャル『日本人と天皇』だけ、でした。

 ぼくは、そこに映しだされる天皇の姿に、賛否・〝よしあし〟とは別の、なにか迫真してくるものを感じました。
 そのとき、国民に寄り添う天皇は、神と向きあい祈っていました

 しかも、その祭祀が〝神道〟一色かと言えば、それとも違う、さまざまな時代の影響を反映したもの。
 そこには仏教色の儀式もふくまれ、「天皇と神と仏」を一体にするサンスクリット語の呪文「ボロン(意味は、菩提心を発し罪障を滅し心楽しく虚空の如く清浄)」の念が、ぼくの心には、なかでも不思議に新鮮に響きました。
 それはつまり、ゲンジツは神仏分離」に無理があって、「神仏混交」が自然だった…という想い。

 これは、ぼくの個人的な感性でしょうが。
 こんどの「大嘗祭」の頃には、きっと再放送があるはず(…あってほしい!)。
 あなたもぜひ、見て、あなたの「象徴天皇」について考えてみてほしい、と思います。