どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.87~  縁側……あぁ「えんがわ」

-No.2228-
★2019年10月28日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3154日
★ オリンピックTOKYOまで →  270日
★旧暦10月1日、新月・朔日
(月齢0.3、月出05:39、月没17:11)










★「えんがわ」は〈濡れ縁〉でアル★

 ぼくが育った、子どもの頃の家には、ごく簡素な市営住宅だったにもかかわらず、「縁側」があった。
 それは、正確に言えば「濡れ縁」と呼ばれるもので。(上掲写真、上左)
 つまり、室内からは(外壁外)に食み出した付け足し部分であり、上には屋根の庇〔ひさし〕しかないから、雨降りになれば濡れるものだったからである。

 この「濡れ縁」は、いわば「内の暮らしむき」と「外のご近所づきあい」との接点であり、子どもにてっては「退避場」であり「遊び支度の場」でもあった。
 親から叱られれば難を避け(隠れ場としては別に〝物置〟があった)、ごきげんなときにはメンコやビー玉遊び、勝負の仕掛け作りに熱中し。
 夏の定番おやつスイカのときも、ここが土俵ときまっていて、猫の額ほどの庭にむかってタネの飛ばしっこに熱中したものだ。

 いっぽう
 父方の本家(うちの親父は次男坊であった)には、もっと、かしこまったカタチの「縁側」があって。(上掲写真、上右)
 それは、たしかに、室内(部屋)から見れば家の縁(へり)に張り出す部分ではあったけれども、板敷きの、ちゃんとした「廊下」になっており、つまり「通路」であるが、庭との境は、ガラス戸と雨戸で画然と仕切られており……「濡れ縁」のような開放感はなかった。

 また、たいがいは障子(あるいは襖)で仕切られた室内(部屋)から見れば、あくまでも「控えの場」として(堅くるしく)区別されてもいた。
「内でも外でもない」という独特の空間意識は、空間の仕切りを曖昧にする…日本家屋の真骨頂といってもよく、別に「くれ縁」とも呼ばれる。
 この意味でも、「濡れ縁」とはまるで趣がちがっていて、いうまでもないボクはだんぜん開放派、「濡れ縁」派であった。

  ……………

 長じて
 魚味に目覚めると、赤身の本マグロにカツオ、白身のマダイにヒラメやカレイが、ぼくの舌を魅了。

「きょうはヒラメの大物が獲れたじゃ、えんがわ…イってみるかね」
 そういって、豪勢な刺身皿とは別皿に、鰭肉(筋肉)の大ぶりのぶつ切りが供されたのは、伊豆の漁師民宿であった。

 その、こりこりと歯をおしかえす爽快味の、ぼくは虜〔とりこ〕となった証に、そのときの白い身肉の方のあじわい、まるで印象にのこっていない。

 ヒラメやカレイの「えんがわ」といっても、ふつうサイズの魚体では、たとえば、お造りの脇に白バラの花に見たてて飾られるくらいの珍味、江戸前の鮨に握っても一枚ではサマにならない。
 それが、このときのヒラメの「えんがわ」は、堂々と綱をはって魅せた!

 これが一般に広まって、いまの「えんがわブーム」がある、のであって。
 それまでは鮨屋でも、「えんがわ」は上得意客にかぎっての〝裏メニューもの〟であった。

 さて、その人気の「えんがわ」。
 ぼくは、最初に出逢ったときから、「よぅ!」と気分がヨカった。
 ほかでもない、それが、まぎれもない「濡れ縁」だったからである。

 すでに上述したとおり、「縁側」にも2種類あって、それぞれに縁板の張り方がちがう。
 上の写真を見てもわかるとおり、「濡れ縁」の縁板は、縁とは直角方向に、格子状に組んだもの。これを簡易に持ち運べるようにしたのが、「縁台」。

 いずれにしても、これぞまさに、刺身の「えんがわ」の形状であるのに対して。
「くれ縁・縁側」の方は、上掲の写真ではわかりにくいけれども、廊下のように長い縁甲板の縦張り…カタチからして、これでは「えんがわ」になっていない。

 ちなみに
 イカの耳を「えんぺら」といって、これも〈通好み〉のものだが。
 その語源の説明に、エンペラー(皇帝)説てのがあると聞いてビックリしたことがある。
 曰く「ナポレオンの帽子の縁のようだから」なんてネ…バカを言っちゃいけませんヤ。

 イカやタコを愛する民族は、ニッポン人をおいてほかになし。ナポレオンなんぞをもちだすスジあいではないこと、いうまでもない。
 これは「縁〔えん〕のぺらぺら」したもの、の意。
「えんがわ」と同じ土俵にのる語源なのだ。

  …………

 日本という国が、食糧自給率の低いランク位置に低迷するまま。
 時代のながれで、地球規模の総資源量低下にあって、(見た目の飽食ムードとは裏腹に)喘いでいる。

 ことしはカツオの魚体、小ぶりなままにおわり。
 秋を迎えたいま、こんどはサンマ漁の不振が庶民の食卓を淋しくさせ。
地産地消」なんて、とんでもない、世界中の資源に頼るしかない!

「えんがわ」だって、事情はかわらない。
 いま、ふつうの寿司屋や、鮮魚売り場に並ぶ「えんがわ」は、ヒラメやカレイなど、けっして〈日本の海の幸〉ではない。
 
 では…
 ナニに由来するものが、どこから来ているのか?
 カラスガレイという、日本で獲れるものだとソウハチガレイに似た、大型カレイの「えんがわ」であり。筋肉の発達はよい、かわりに、国産魚の「えんがわ」のような透明感はなく、白っぽい半透明をしている。
 それが、なんと、あの北極圏にあるグリーンランド(世界最大の島で、デンマーク内の自治政府、80%が氷床と万年雪)から、アマエビなどとともにやってくる。

 (やむをえないな…)と思いつつ。
 ぼくは、(気がつけば)ここしばらく「えんがわ」を味わっていない。

 小ぶりだっていい。
 たまには、日本の海で獲れたヒラメかカレイの「えんがわ」を刺身にひいてみたい…とも思うが、そんな気にさせてくれる魚体にすら、しばらくお目にかかれていない!