どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.84~  『愛と喝采の日々』…凄まじくも愛すべき女の喧嘩

-No.2208-
★2019年10月08日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3134日
★ オリンピックTOKYOまで →  290日
★旧暦9月10日
(月齢9.7、月出14:40、月没00:07)


※きょうは二十四節気の4「寒露(晩秋から初冬にかけての冷たい梅雨が降りてくる頃)」、そして七十二候の「鴻雁来(ガンが渡ってくる頃)」…まだちょっと、早い気がしますけれども!





◆いくたびめかのホームシアターで…

 2人のステキな女優が共演(競演!?)する『愛と喝采の日々』(1997年アメリカ、ハーバート・ロス監督)を観た。

 主演のひとりは
 シャーリー・マクレーン
アパートの鍵貸します』(1960年アメリカ、ビリー・ワイルダー監督)でジャック・レモンを相手に、かぎりなくコケティッシュな女を演じ。『愛と追憶の日々』(1983年アメリカ、ジェームズ・L・ブルックス監督)でアカデミー主演女優賞。
 85歳。

 主演のもうひとりは
 アン・バンクロフト
『奇跡の人』(1962年アメリカ、アーサー・ペン監督)の迫真の演技でアカデミー主演女優賞。『卒業』(1967年アメリカ、マイク・ニコルズ監督)でも、主演のダスティン・ホフマン相手に味のある熟女ミセス・ロビンソンサイモン&ガーファンクルの劇中歌にも唄われた)を演じてゴールデングローブ賞 主演女優賞。
 2005年、子宮癌のため73歳で没。

 いまから想えばいい時代だった、あの頃、アメリカの同時代に生きた、ぴっかぴかの街っこの2人が。
 演〔や〕りましたね、派手に大立ちまわり喧嘩を。
 (これは、いじわる映画ファンがいちばん観たがる場面でもあるのデスが……)

 かつて若き日の2人は、同じバレエ団で、トップ・ダンサーと恋の座を競いあうライバル。
アンナ・カレーニナ』の主役をとったエマ(アン・バンクロフト)はプリマの座を獲得、一方のディーディー(シャーリー・マクレーン)はラブ・レース(恋)に勝って家庭におさまった。

 そんな2人が、同じバレエ団の巡回公演で再会する。
 この間に、2人の環境は大きく変わっていた。

 プリマ栄光の座をつかんだエマも、いまはもう〝古株〟にすぎず、ひとりさみしく〝引退〟の時機を迎え。
 片や、恋をかちとり3人の子に恵まれたディーディーにも、また、かつてのバレエ仲間との再会や、熱のこもる練習風景などから、伝わってくるのはプリマの〝夢やぶれた〟くやしさばかり。
 
 ライバルの2人、〝嫉妬〟火種は、ディーディーの娘でプロダンサーへの階段を上り始めたエミリアの存在によって、ついに決定的なものになる。
 人生のプリンシパル(主役)はどちらか……

 エミリアに演技を指導し、デビュー祝いに新しいドレスを贈るエマには、ゲンジツには存在しない〝わが娘〟があらわれたようであり。母親のディーディーには、そんなエマが〝よこどり魔〟にしか思えない。

 ついに、20年来の2人の女の確執に火が点き、烈しく燃え上がる。
たがいに激しく、相手を罵〔ののし〕りあい、叩きあい。
 嫉妬の炎は烈しく、しかし燃えてしまえば…あとは消えるだけ。
 2人のライバルは、やっと、和解の声をあげて笑いあう道にたどりつく……

  ……………

 映画には、「アクションもの」と呼ばれるジャンルが〝確〟としてあり。
 そのなかに「ケンカもの」が重きをなして、観客を誘いつづける。

 これまでに数多くの、〈男対男〉対決の名場面が仕組まれ、観客たちの血湧き肉躍らせてきた。
 ならば、これもアリだな、とばかりに、数こそ少ない(理由はオワカリだろう)けれど〈女対男〉対決のシナリオが練られ、これまた観客たちのハートを鷲づかみにしてきた。
 そして、もうひとつ、サイゴの切り札は、いうまでもない〈女対女〉のケンカもの。
 凄まじくも愛すべき対決シーンが、観客たちの息を呑ませた。

 シャーリー・マクレーンアン・バンクロフト
 この2人の対決ほど、キャスティングの意外性といい、たがいに優れた演技力ながら役者持ち味の対極性といい、これほどドキドキさせられて、ついに微笑ましかった映画も珍しい。

  ……………

 なお、現実場面での「女同士のケンカ」が、映画のようにけっしてマルくは納まらないのは、そこに第三者の〈演出家〉が存在しないからだ。
 さらに、そんな〈演出家〉の存在など天から許さない〈女同士〉が厳としてあり。
 また、いかな名演出家といえども、現実場面では、とてものことに、〈演出力〉などの遠く及ぶところでもない。