どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.82~  『イージー☆ライダー』の時代

-No.2182-
★2018年09月12日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3108日
★ オリンピックTOKYOまで →  316日
★旧暦8月14日、待宵月・小望月
(月齢13.1、月出17:13、月没03:09)






ピーター・フォンダが亡くなった★

 それは、奇しくも、ぼくが74歳の誕生日を迎えた8月16日。
 享年79。
 死因は、肺がんによる呼吸不全であった、という。

 (あぁ…)と、ぼくは太い息を漏らした。
 亡くなっていく、ぼくとなんらかの関わりのある人には、みな、それなりの感慨があるわけだ、が。
 彼、ピーターの場合は、〈相棒〉あるいは〈兄貴〉。
 同時代の空気を吸った、そう…まさしく「よう青春!」仲間であった。
 
『イージー☆ライダー』は、1969年アメリカ公開(日本公開は翌70年)。
 このアメリカン・ニューシネマの代表作は、〈衝撃作〉でもあった。
 
 ピーター・フォンダ制作、デニス・ホッパー監督で、2人が共演もした映画には、後に『カッコーの巣の上で』でアカデミー賞、主演男優賞に輝くジャック・ニコルソンも脇役で参加している。 
 
  ……………

 映画は上映時間94分と短めだった、けれども、ぜ~んぜんフツウじゃなかった。
 物語も、若者らしいボヘミアンロードムービーもので、密輸で大金持になった2人の男(ピーターとデニス)が、金をバイクのタンクに隠して、カリフォルニアからマルディグラ(謝肉祭)のあるニューオーリンズへ旅をする、途中での事件をきっかけに、意気投合した弁護士(ジャック)がこれに加わる。

 …と、まぁ、お話しとしては、そんなもん、なんですが。
 彼らの跨ってる、バイクが「凄ぇ!」
 1765年型のハ-レー・ダビッドソン、パンヘッド・タイプのエンジンは排気量1200ccで。
 フレームはフルメッキのフルカスタム仕様。タンクとメットの塗装は星条旗……という。
 ピーターの〝チョッパー〟なんぞは、とくに記念碑的な名品といえた。
 
 じつは、その頃、ぼくは、大型バイクに憧れており。
 それもインディアン・ハーレーという、まるで〝馬に跨ったような〟バイクに乗るのが夢。
 ぼくの股下サイズおよび膂力で、大型バイクに跨れるか、の課題に向きあっていたのだ…けれども。
『イージー☆ライダー』のバイクは、それさえも軽く一蹴してしまって…もう、笑うしかなかった。

  ……………

 ヒッチハイクのヒッピーをひろって、彼らのコミューンに立ち寄ったり、キャンプファイアを囲んでマリファナを吸ったり、彼らは自由を謳歌する気ままな旅人だったが。
 やはり、アウトサイダーであり、いわゆる「市民社会」からは警戒・忌避される存在。

 かつての〈移民〉たち、〈開拓魂〉の人たちも、いまは獲得した豊かな市民生活を〈保守〉したい立場。
 自分たちの日常を脅かすような〈変わり者〉は邪魔でしかなく。
 彼らが、遭遇することになった衝撃的な結末は、(想えば…)いまのアメリカ社会を彷彿とさせる、殺伐とした酷〔むご〕い現実であった……

  ……………

 この時代は、ベトナム戦争が泥沼化のきざしを見せ。
 ウッドストック・フェスティバル(愛と自由をテーマにした3日間にわたる野外音楽コンサート、ことしはフェスティバルから50年になる……)に沸き。

 映画では、この『イージー☆ライダー』と、学生たちの抗議活動と青春を描いた『いちご白書』(1970)、世界恐慌時代の銀行強盗〝ボニー&クライド〟を描いた『俺たちに明日はない』(1967)が、アメリカン・ニューシネマの人気作として記憶される。

 なお、『イージー☆ライダー』はその年のアカデミー賞助演男優賞脚本賞にノミネートされたけれども、受賞はのがしている。

 その後、ピーターは1997年『木洩れ日の中で』で、ゴールデングローブ賞、 主演男優賞 (ドラマ部門) を受賞。アカデミー主演男優賞にもノミネートされたが、受賞をのがし。
 そのとき、フォンダを破ってオスカーを手にしたのは、あの『イージー・ライダー』時代からの旧友ジャック・ニコルソン(『恋愛小説家』)であった。
 
 また、この映画のエンディング・テーマ曲には、最初ボブ・ディランの『イッツ・オールライト・マ』が予定されていた。

  ……………  
 
 1970年(昭和45)は、ぼく25歳。
 気分は、ばっちりヒッピーだったが、〈ヒッピー・スタイル〉は、てんで似合わず! 

 3月31日に、 日本航空よど号ハイジャック事件が発生し。
 11月25日には、 三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自決(三島事件)を遂げ。

 その頃の巷には、藤圭子『圭子の夢は夜ひらく』や、ちあきなおみ『四つのお願い』、サイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んで行く』などの曲が、流れていた……