どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

渋谷ゆらめく-其の弐- / 「目でも読める点字」の表示(渋谷区役所)

-No.2175-
★2018年09月05日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3101日
★ オリンピックTOKYOまで →  323日
★旧暦8月7日、弓張月
(月齢6.1、月出11:29、月没22:05)










◆「ブレイルノイエ」

 ぼくが、〈中度の難聴〉という診断をうけ、〈補聴器〉を使う身であることは、すでに何度か、このブログでもふれてきた。
   
 ぼくは、また、いまふつうに使われている〈健常者〉というコトバに疑問を抱く者で、ナニをもって健常(障害なく健康な人)とするのか、ドコから健常者と認められるものなのか…。
 そもそも、はたしてボクは健常者といえるのか…も、悩ましい。

 それが、〈難聴〉と診断され、障害者手帳は持たないまでも〈健常〉とはいえない、宣告をうけると。なにやらホッとする反面、同時に一抹の無聊〔ぶりょう〕を味わうことになった。

 それは、他者から(よくはワカラナイけど、ふつうじゃないみたいよ)という目で見られることであり。
 また、じぶんがふつうだと思っている人たちからは(理解されない立場にある)ことを、思い知らされることでもあった。
 なぜなら、つい、いましがたまで、ぼく自身が(理解しない側の立場)にあったからである。

〈理解の壁〉について、ひとつ、忘れられない印象がある。

  ……………

 視覚障害者にとって重要な情報源である〈点字〉。
 分厚い〈点字本〉のページを開いて、ぼくは〈茫然〉とするしかなかった。
 それは、ぼくには判読できないもので、まったくトリツクシマモナイ。

 それが(あたりまえ)か?
 立場の違う者が、同時に情報を共有できない。
 そこから、〈無理解〉と〈差別〉が芽吹くんじゃないのか。
 
 それは小学校、高学年の頃だったろうか。
点字翻訳〉の用具と、その仕事ぶりも見せてもらった。
 たいせつな〈橋渡し〉にはチガイない、けれども、無性にムナシイ気がした。

 点字をだれでも読むことができるものになれば、障害を超えたコミュニケーションが生まれるのではないか。
 (ザンネンながら、そのときのボクの思考は、その域を超えなたった)

  ……………

 そんな期待に応えようとするプロジェクトが、ようやく始まった。
「ブレイルノイエ」は「目でも読める点字」。
 発明したのは、大手広告代理店につとめるデザイナー、高橋浩介さん(25)。
 (そうか、デザイナー発想か!…であった)

 「ブレイル」は英語で「点字」、「ノイエ」はもっとも明瞭で標準的な欧文書体「ヘルベチカ・ノイエ」からきている。言われてみると「ヘルベチカ」という書体は、こういう表現にもっとも向いている。

 高橋さんの場合も、視覚障害者が点字を読む場面に出逢い、「でも自分には読めない」ことに気づいて。
 そこから、発想が〈点字と文字の一体化〉に向かったところが素晴らしい。

 さっそく、ネットで検索して見て、キホンはのみこめた。
 が、ゲンジツ場面ではどうなるのか…ジッカンしておきたい。
 
 そこで、いちはやくコレをとりいれた、渋谷区役所(1月開所したばりの新庁舎)を訪ねてみた。
 
 それは、2階「福祉手続き・相談のフロア」、エレベーターホールにあり。
 ごく、あたりまえに、その場の風景にとけこんでいるのが、よかった。
 黒数字の「2」に、〈点字〉表現の「緑の点が2つ」。
 トイレの案内板には、カタカナの「ヨーシキ」「テアライ」に、それぞれの点字がうたれ。
 エレベーターや階段の手すりも、同様。
 このプロジェクトの説明文も、しっくり馴染んでいた。

「読めなくていい、という、自分たちの考え方をかえたい」
 高橋さんの姿勢も、ヨカッタ。
 
 上掲の文字表は、「Braill Neue Project」のホームページbrailleneue.com
から拝借した。