どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.78~  地図記号「自然災害伝承碑」

-No.2166-
★2018年08月27日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3092日
★ オリンピックTOKYOまで →  332日
★旧暦7月27日
(月齢26.4、月出01:03、月没15:52)











地図記号に見る歴史★

 ぼくが教育で地図に出逢ったのは、小学校の高学年。
 教科「地理」の「地図帳」が最初で、〈日本〉と〈世界〉の概念図(あらましがワカル)集であった。

 ところがボクは、もっと小さい頃に、もっと詳細な地図を見ている。
 戦争にいって無事生還した叔父さん(〝応召〟という名目の、〝召集令状〟で駆り出された元陸軍軍人)が見せてくれた、国土地理院5千分の1「地形図」である。
 どこの図面だったか…たしか「厚木」辺りであったかと思う。

 衝撃的だったのは、地図の(相当に大きい)部分が紙の地のまま(白抜き)になっており、
「ここは軍の施設だから、敵に知られないための空白になってる」
 叔父さんが教えてくれて、戦後すぐ生まれのボクに、戦争とはなにか…を黙示した。

  ……………

 ぼくら戦後すぐからの数世代まで、にとって、地図らしい地図といえば、ほとんどが「国土地理院地図」であった。
国土交通省」の特別の機関「国土地理院」。
 その沿革は、もじどおり〝維新〟と共に、1868年(明治元年)に始まっている。
「国家座標(その国の位置の基準)」の維持管理および〈測量〉行政を行う重要な務めだから、国に直属するのはあたりまえ…だが。

 これまた当然のこととして、〈軍・諜報機関〉とも密接な関係にならざるをえない。
 それは気象業務にあたる「国土交通省」の外局「気象庁」と似たような立場で…つまり、いったん戦時となれば自国民にすら、その情報は秘匿されることになる。

〈地理〉と〈気象〉、どちらも軍の作戦に枢要なこと、いうまでもない、けれど。

 いちど、とっくりと、思い巡らせてみてほしい。
〈いつ、どこへでも、行ける自由〉と、それを可能にしてくれる〈天気予報(気象情報)や地図利用(地理情報)の自由〉が、奪われる、というのはどういうことか…を。

★新しい「地図記号」の登場…前回は2006年★

 ともあれ、地図。
 いまは民間制作の各種地図もアレコレ多彩な、その素は、やはり「国土地理院地図」なのだ。
 それゆえ、いまも、本格の山歩きをする、ほとんどの人が、地理院「地形図」の愛用者である。

 その「地理院地図」に、新しい「地図記号」が加わった。
地図記号」……元祖〈実用美のデザイン〉、といっていい。
 地形や土地の高低、山や川、といった自然条件に、人の営みのアレコレを明示して、地図の使命を果たす。
〈簡潔・自明〉と〈汎用性〉を旨として、「決めたら守る」。
地理院地図」の記号は、他の地図にも転用された。

 たとえば、上図、左上から(以下おなじ)「神社」「城跡」「温泉」…のように、その対象物が全消滅するか図示する価値を失わないかぎり、不変。
 地球という星が、日本という国がなくならないかぎり、のこりつづける。
 だから、むやみに増やしていいものでもなく、しかし逆に、時代とともに必要が生じれば〈新規登場〉ということもあるわけだ。
 
 前回、「地理院地図」に新しい記号が加わったのは2006年、「風車」と「老人ホーム」(上図、左上から4・5番目)だった。
 再生可能エネルギーが渇望されて風力発電施設が全国的に増え、また、高齢化社会の到来をうけて高齢者向け施設が増えたことが、その背景にあった。

★このたび登場した〈新・地図記号〉は「自然災害伝承碑」★

 その後、2011年3月11日に発生した東日本大震災が、次の大きな区切りになった。
 もとより、環太平洋火山帯・東部に位置する火山列島に、狭小な国土をもつ日本は〈災害立国〉。ずっと昔から、自然災害の脅威に曝されつづけてきたわけだけれど。

 これが、よくもあしくも〈時代〉というものだろう、この《11.3.11》をきっかけに、災害に対する意識が変わった。そうして、またゲンジツにも、災害は続々とこの国を襲いつづけている。

 官民をあげて、〈防災・減災〉意識と注意力の喚起に、さまざまな取り組がなされてきたわけだが。
 そのひとつとして、地図記号に「自然災害伝承碑」が新しく制定された。

 制定は、ことし2019年3月15日(記号は、図の右端)。
 これまでの地図記号としては、「記念碑」(すぐ左の図)があったけれども、これは、たとえば上野公園の西郷さんの銅像なども含めて、〈記念碑〉的なモノがひっくるめられていた。

 こんどの「自然災害伝承碑」は、それらのなかから、過去の自然災害の記録を刻んだ、各地の石碑や供養塔などを「記念碑」とは別に表示。
 地元の防災地図をつくる学校の授業や、街歩きで利用してもらい、防災意識の高揚につなげたい、ことを目的とする。

 この「自然災害伝承碑」記号は、6月にウェブ版「地理院地図」で公開(スマホでも見られる)が始まり、秋9月以降に発行される「2万5千分の1地形図」にも掲載される予定、という。

 ウェブ版「自然災害伝承碑」記号の表現には、いま流の新工夫も凝らされ。
 目的の「自然災害伝承碑」所在地を、入力・検索するなどして見つけたら、地図の左上の「情報」ボタンをクリック、出てくる「情報リスト」から「自然災害伝承碑」をクリックして、図上に表れる記号をクリック。

 以上の操作で、その碑の写真と碑文、建立にまつわる概略の表示を見ることができる、ようになっている。

  ……………

 こころみに、「多摩川決壊の碑」を、所在地(東京都狛江市猪方4丁目)で検索、拡大された地図に「自然災害伝承碑」記号を見つけ、記号をクリックすると、上の写真が表れ、さらに写真をクリックすると下記の碑文が表示された。
「昭和49年(1974)台風16号の影響で多摩川の水位が上昇し、この増水により、二ヶ領宿河原堰の取付部護岸の一部が破壊された。激しい迂回流により高水敷が浸食され、本堤防が決壊し、家屋19棟が流失する被害をもたらした。」
 この災害は、ぼくの記憶にものこるものだった。


 もうひとつ。
《11.3.11》東日本大震災の大津波で、一躍、有名になった岩手県宮古市重茂姉吉の「大津浪記念碑(津波石碑)」。

 これを地図上に探しあてると、右のような碑の写真が見られ、下記の碑文が読めた。
「高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪、此処より下に家を建てるな」

 この重茂〔おもえ〕半島、姉吉地区。
 過去2度の大津波で集落全滅の惨禍に見舞われ、明治三陸津波(1896年)では生存わずか2名、昭和三陸津波(1933年3月3日)では生存同4名にすぎなかった。
 しかし、この碑文の教訓を守ったおかげで、《11.3.11》では家屋被害は皆無であった。

 こちらは、ぼくたち夫婦2人での被災地東北遍路で、実際に現地を訪れているので、より感慨ふかいものがあった。
 この碑のある場所から、下の漁港までにはかなりの高低差があって(それは地図でも充分にヨミとれる)、津波の脅威まざまざと実感させられたことを、いまも忘れられない。