どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「クリムト」展…東京都美術館 /        「世紀末」と「官能」と「頽廃」…のこと

-No.2165-
★2018年08月26日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3091日
★ オリンピックTOKYOまで →  333日
★旧暦7月26日、有明の月
(月齢25.4、月出00:08、月没14:52)














◆「クリムト」という画家がいた

 グスタフ・クリムト(1862~1918年、55歳没)は、ウィーン郊外にうまれた帝政オーストリア時代の画家である。
 美術で〈教科書的〉に習った記憶があるが…いまどきは、どうなっているのだろう。

 オーギュスト・ルノワールの影響をうけた、とされる、象徴主義およびアール・ヌーヴォーの人だが、もっぱら「世紀末ウィーンを代表する画家」と紹介され、その「官能的」表現が強調されることが多い。
 (上掲写真、中段、左がクリムト、右は代表作の『ユディト』)
 ちなみに「世紀末」には、呪文のごとき効果をもたらすものがある。
 
 ぼくらも、めぐりあわせで2000年紀の「ミレニアム」を経験(ミレニアムは世紀末か世紀始か論争があった…)したわけだが、同時代に在ってすごしてしまうぶんには、なんのこともない。
 つまり、「世紀末」なんぞというのは、あくまでも歴史上のこと(後世から振り返ったときの評価)であるわけだ、けれど、その後世にとっては秘めたる騒〔ざわ〕めき感があって、なぜかセクシーな頽廃ムードが醸しだされる。
 (後世は2000年紀をどう評価することになるのだろう…)

 その頃(中学か高校生か…)のボクは、まだ、「世紀末」も「頽廃」も知識にすぎなかったが。
 クリムトの装飾(技法・精神とも)には、日本の「蒔絵」における「沈金」にかようものがある、とうけとっていた。
 (実際に、クリムトの作品にもジャポニズムのただよい…がある)

 この展覧会に、誘ってくれたのは高校同期、部活も同じ文芸部だったN君である。
 ちかごろ身内に不幸があったとかの彼は、「クリムトの頽廃が、なぜか懐かしい」と言った。
 
 ぼくの高校時代、態度からみごとなまでの不良には(トテモなりきれん…)から精神的不良に終始したのだが。そのボクから見てN君は、バリバリ音がしそうなほどの成績優秀&真面目人間であり、そんな彼から出た「頽廃」というコトバが妙に、くすぐったいような人間味を感じさせたことだった。

  ……………

 東京都美術館であった「クリムト展」には、没後100年を記念して、初期から晩年まで、日本では過去最多、25点の油彩画を中心に展示。
 なかでも、やはり圧巻は「黄金様式」と呼ばれる作品群だった…が、ふと。
 ぼくは、クリムト作品のなかを流れる血脈(?)に、深い「生命愛」を感じることができて、この展覧会に出逢えてヨカッタと思えた。

 クリムトという画家は、多くの裸婦像を描き、そのモデルたちの多くと「官能」を共にしたこと。そして、〈女性と胎内〉に溺れこむほどの憧憬を抱きながら生涯を独身をすごした、ことでも知られる。

 そうか(そういうことだったのか…)。
 ウィーンの博物館付属工芸学校に学び、優れた「装飾家」でもあったクリムトは、じつは〈技法〉の人でありながら、人生においては至って〈無器用〉に苦しんだのだ…と。

 『女の三世代』(1905年)や『ベートヴェン・フリーズ』(1984年)が称賛され、この展覧会でも人気を集めるなか、ぼくが(クリムトを理解できた)と思えた作品は『家族』(1909年)であった。

  ……………

 ぼくが、もうひとつ、驚いたのは、(ぼくの予想外に)来場者の多かったことと、なかでも女性の、それも世代的にはかなり若い姿が、目立つことだった。
 わけもなく、ぼくはイイと想う。

  ……………

 この「クリムト展」は、2019年4月23日~7月10日に開催されたもの。
 ぼくたちが行ったのは、展覧会期末に近い6月28日、金曜日。
 折から関西では「大阪サミット」の厳重警備中、東京にも警戒網が敷かれ、都美術館の入口でも「手荷物検査」が行われていた。

 これは、来年に迫ったオリンピックに備えてのこと(予行演習目的)もあったろう。
 オリンピック期間中の、ものものしい〝厳戒〟体制を想うと…こころもちゲンナリであった。