どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.76~  アンソニー・ホプキンス主演の映画『日の名残り』

-No.2147-
★2018年08月08日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3073日
★ オリンピックTOKYOまで →  351日
★旧暦7月8日、上弦の月
(月齢7.4、月出12:35、月没23:27)


※きょうは、24節気の「立秋」で、もういっちょ、七十二候の「涼風至(涼しい風が立ち始める)」頃。なんて…とんでもない、まだまだ夏雲むくむく、やっと炎暑順応に漕ぎつけたあたりじゃ!





★執事の矜持と喪失★

 BS放送の録画で、カズオ・イシグロ原作の『日の名残り』を観た。
 懸案をクリアーした爽快感が、鑑賞後の気分を軽く甘いものにしてくれた。

 このブログの過去記事。
 -No.1545-で、「ノーベル賞カズオ・イシグロを読む」を投稿したのは、2017年12月10日(日)だった。
blog.hatena.ne.jp
 その記事の結びにも書いたとおり、ぼくは、アンソニー・ホプキンス主演で映画化(1993年、アメリカ)された『日の名残り』を、まだ観ていなかった。

 観ておきたいとセツに想った…にもかかわらず。
 ビデオを借りることもなく放っておいたのは、(いずれ放映されるにちがいない…)と思ったからで、そのとおり1年半後に課題は解決された、のだけれども。
 なんと、悠長なこと…ではある。

 想うに、ぼくがもっと若い頃だったら、待てずにアレコレ手を尽くしたはずで、歳をかさねたいまは、さほどの熱意に駆られなくなった…というより、〈積極的に迫る〉より〈めぐり逢い〉の機微にまかせたい、これも生き抜いてきた者にゆるされる余裕かと、思っている。

 そんなワケで、ノーベル文学賞小説『日の名残り』の〈あらまし〉を、いまここでくりかえす気はない。
 気になる方は、短い文章だから過去記事をご一読いただきたい。
 (原作小説を読んでおいてもらったほうが、いい…ことはいうまでもない)
 
 ひとこと、付け加えておくことがあるとすれば、それは原作小説とその映画化という関係においても、この『日の名残り』は、きわめてオーソドックスに堂々と王道を歩いた感がある。
 重厚といってよく、映像にして印象にのこる創り方に徹しており、こういう佳作が最近の映画には少ない。

  ……………

 以下は、名優アンソニー・ホプキンスについての、短い、ごく私的な、ぼくの断章。
 
 1937年生まれの、81歳。
 イギリス、ウェールズ出身のアンソニー・ホプキンスは、アメリカ国籍も取得しているが、本国は英国…隠しようもない。身長174cmと知って、ぼくなどには〝意外〟の感があった。もっと大男に思えていた。

 それほどに、この俳優さんは『羊たちの沈黙』(1991年、アメリカ/ジョナサン・デミ監督、共演ジョディ・フォスター)での存在感が、それこそ半端じゃない〈戦慄〉ものだったからである。
 映画は、 第64回アカデミー賞(1992年)で、彼の主演男優賞をはじめ主要5部門で受賞。これは、アカデミー賞の歴史のなかでも、『或る夜の出来事』、『カッコーの巣の上で』に次ぐ3作目の快挙である。

 彼が演じた、サイコパス(精神病質)の精神科医で猟奇殺人犯でもあるハンニバル・レクターが、あまりにも〈はまり役〉だった(…と思わせた)ために、続編『ハンニバル』ほかでも似たタイプの役柄が多かったけれども。
 『冬のライオン』(1968年、アメリカ/アンソニー・ハーヴェイ監督、ピーター・オトゥールキャサリン・ヘプバーン主演、ホプキンスの映画デビュー作)や『エレファント・マン』(1980年、イギリス・アメリカ/デヴィッド・リンチ監督、ジョン・ハート主演)でも、気品と知性に溢れ存在感あつい役柄をこなしている。

 舞台俳優のキャリアを積んだ俳優の持論は、「演技は絵空事、すべての要素はシナリオの中にある」で。あくまでも現実とは別もの。
 したがって脚本(台本)を徹底的のヨミ込み、台詞もふくむ役柄になりきって演技をする。
 ただし…ときに、役者によってはヤリすぎ(演じすぎ)の批判を浴びることもある。

 これにたいして、スタニスラフスキー派とも呼ばれるのが、「役柄の内面に注目し、感情を追体験することなどによって、より自然でリアリステックな演技・表現を行う」ことを目指す、メソッド演技法。
 ロバート・デ・ニーロなど、現代の数多くの俳優に支持されているもので、この〈俳優主体〉とも言える演技法は、反面、その役柄が役者の個性に支配されかねないアヤウさをはらむ。

 まぁ…映画は、なんといってもまず、観る人が愉しめれることが基本、だから、どっちでもいいヨケればいいし、ワルければ受け入れられないだけなのだ、が。
 ひとこと、演出の側から言わせてもらえば、その映画作品の目指すところとにマッチしてくれる俳優があってくれればイイので、つまりナットクさせてくれればいい、それだけ。 

 アンソニー・ホプキンスという役者さんは、これまで観た映画のすべてにおいて、ナットクさせてくれた稀有な人である、ことはまちがいない。

 ぼくは、舞台というものが本質的に〈恥ずかしい〉人間なので、舞台のことは正直よくわからないのだ、けれども。
 映画作品のなかから匂いたつ、これぞ舞台俳優の実質では、『アラビアのロレンス』のピーター・オトゥールを凌ぐ、アンソニー・ホプキンスではないか…とぼくは思う。