どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.68~  やりすごす「沈下橋」の話し

-No.2106-
★2018年06月28日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 3032日
★ オリンピックTOKYOまで →  392日
★旧暦5月26日、有明の月
(月齢24.7、月出01:04、月没14:13)






★「沈下橋」は「潜り橋」★

 〈生きもの〉好きのボクは、あたりまえだ〈自然〉が好きだし、〈旅〉が好き。
 〈乗りもの〉も好きで、〈道中〉を愛し、途次に出逢う構造物がこれまた〈だいすき〉。

 暗いけど〈トンネル〉が好きデス! 開けた〈橋〉はもっと好きデス!

  ……………

 〈橋〉のなかでも、ぼくにとっての双璧は、〈吊り橋〉か〈沈下橋〉。
 見上げる高みに〈ゆらゆら揺れる〉か…ちかぢかと流れに添って〈水かさ増せば潜ってみせよう〉…。
 両極のありよう、ふつうではないところが、気に入っている。
 さらに、どちらか…といえば、沈下橋の方がイイのは、ぼくには高所恐怖症の気味があるからだった。

  ……………

 〈吊り橋〉にも〈沈下橋〉にも、幼いころから興味を惹かれた。
 実物に出逢ったのは〈吊り橋〉が先で、場所まではもう覚えていないが…奥多摩のどこかの渓谷をまたいで、怖々…渡った。
 その後に四国、祖谷の「かずら橋」も、奥大井峡の「塩郷の吊り橋」や「夢の吊り橋」の揺ら揺ら体験もあじわって、正直、暑い季節に<肝を冷やした>わけだけれど……

 「吊り橋は〝無念無想〟極上の仕掛け」とナットクした。
 ごく自然に雑念が頭から消えていく装置というのは、滅多にない。
 日常の情念世界から苦も無く…つまり「瞑想」とか「マインドフルネス」の境地に、無意識のうちに入っていける、ということが、高所恐怖気分をも帳消しにさせるのダ。

 とても、とっても、いい環境…だけれど、ざんねん…日々、散歩に行ける身近な存在ではなかった。

  ……………

 いっぽうの「沈下橋」は、ぼくの興味津々にもかかわらず、出逢いのチャンスは遠かった。
 そもそも「沈下橋」というのは、かぎりなく流れの水面に近く、低い川岸から対岸(もちろん、なるべく近い方がよい)へ橋を架けるもので、これは古い時代、まだ技術が未熟だったことにもよる架橋法。
 したがって、ふだんの流量・水嵩なら問題ないが、溢れる(洪水になる)ほどに増水すれば流れの下に沈む。水に潜り沈むことによって、流れの勢いを逸〔そ〕らし、橋の決壊を免〔まぬが〕れる。

 原始的といえば、なるほどそうかも知れないが、自然との付き合い方としては合理的ともいえる。
 低くて短いことから、費用が安くてすみ、架橋の労力も少なく、早くできるメリットがある。

 欠点は、いうまでもない。
 増水すると橋として機能しないこと…だが、「沈下橋」はそのデメリットをも巧みに利用しようとする。
 つまり、増水したら沈むのだから、たとえば欄干のような余計なものを設けない。
 橋はその上を歩けるように踏み板があるばかりで、頼りなく、まぁ怖いよう…でもある、が。

 渡橋が一時中断されても、決壊という大損害を被らないように難敵をやりすごす……
 ぼくは、こういった柔軟な思考が好きだし、この智慧と工夫に頭が下がる。

 むかしの「沈下橋」に対して、近・現代の技術力をもって、流れの影響をうけない水面から高いところに架橋する、いまあるほとんどの橋を「抜水橋」。
 あるいは「永久橋」などと呼ばれることもあるそうだ、けれども、「永久」はありえないし苦しい表現で、せいぜいが「耐久」といったところであろう。

  ……………

 「沈下橋」といえば
 もう、ずいぶん以前に、足摺岬から佐多岬への旅のおり、清流四万十川しまんとがわ〕に架かる「佐田沈下橋」に立ち寄れるかどうか…ということがあった。
 現在の土佐くろしお鉄道(かつてはJR四国の土讃本線)「中村」駅に途中下車すれば、片道タクシーで15分ほどと聞いていた(バスはあるが間遠にすぎて使えない)…のだけれども、どう乗り換え列車のやりくりをしても、旅程に組み込むのは無理…と知れてあきらめた経緯〔いきさつ〕があった。

 全長290m余の規模も稀に見るもので。
 いまだに惜しい気分が濃い。

 以来、「沈下橋」はぼくの脳裡に〈故郷の原風景〉となって棲みつくものになった。
 なにかのドキュメンタリーの映像で、増水した流れに潜る「沈下橋」を見たあと、ぼくは自身を「沈下橋」に置き換えて、濁流をやりすごすさまを想い泛べた。
 河童になったよう気分でもあった。
 
 それから遠い後に、思いがけないきっかけで、茨城県の小貝川に架かる「小目沼橋〔おめぬまばし〕」(つくばみらい市)に出逢えて、ようやく渇望は叶えられている。

  ……………

 然して
 きのう(27日)の記事で、「同期の会」は「沈下橋」といったのには、二つの意味があった。

 ひとつには、同窓会とか同期会とかいうモノは、世に浮かれ流されることなく、静かに沈潜してあるべし。
 もうひとつには、そういう会に顔を出すからには、個々それぞれもまた、世に浮かれ流されることなく、ましてや、こころ乱されることなく、静かに沈潜して吾をふりかえるべし。