どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記45>-大間町②-翌早暁の大地震を越え…津軽海峡を越えて…函館へ

-No.2103-
★2018年06月25日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3029日
★ オリンピックTOKYOまで →  395日
★旧暦5月23日、下弦の月
(月齢21.7、月出....:....、月没11:22)


◆グラッと揺れた真夜中…北海道胆振東部地震

 台風通過の余波で連絡フェリーが休航、大間港で船待ちをすることになった9月5日。

 その夜。ぼくたちは
 いつものように、一杯やって、早々にベッドにもぐりこんだ。

 出航を間近にひかえた港の夜は、いまでも軽い興奮につつまれるボクだったが、それも経験をかさねたぶん、やや薄らいでいたのかもしれない。夢も見ずに……
 
 ぐっすりと寝入って、夜半(翌くる6日)に、ふと…目が醒めた。
 (前後関係は、じつのところ、よくわからないのだ、けれど)
 尿意で覚醒した意識に、ほとんど連動する感覚で身体が揺すられたか…と思う。

 極く大事ではなかった、けれども、けっして小さくもない(…と脳裡に速報があった)。
 起きて、まず部屋の扉を開けて(減災ポイント①いつでも逃げ出せる用意)から、トイレに入った。

 トイレの戸も、万が一のため開けたまま。
 便座に腰かけ、震源の方角を思い起こそうとしたがデキなかった。
 不案内な旅先の地、それにもまして、どうやら、ビジネスホテルの狭い空間に感度を鈍らされたらしい。
 (減災ポイント②宿の室内空間には余裕があった方がいい…狭いほどなにかと不利)

 ベッドサイドに戻ると、かみさんも起きて、テレビの画面には地震の速報ニュースが流れていた。
 9月6日(木)、午前3時8分。
 北海道胆振東部地震発生。マグニチュード6.7。最大震度7厚真町)。
 ここ津軽海峡を挟んで対岸の青森県下北半島大間町からは東北東の方角。
 速報アナウンスが「北海道では初めての大地震」と伝えていた。

 ぼくは、港に面した窓を開けて見た(上掲写真)。
 大間-函館便に就航する大函丸は、ぼくたちも乗船する明日、早朝便に備えて停泊中。
 岸壁とフェリーの周りには煌々と灯がともっていた、けれども、かくべつの動きや音はなかった。

  ……………

 (ぼくたちは、どうしたか?)
 もう疾〔と〕うに、眠気はけしとんでいたから、テレビ画面を注視しながら着替え、手荷物を整理しなおし。
 被災地<巡訪>モードから、<支援>モードに切り替えた。

 減災ポイント③こんな場面に遭遇したら、ふつうならまず、先の予定を中止・撤退することを考える。高齢者や幼児を連れている場合は、なおさらのこと。
 北海道は…いや日本という国のなりたちが、そもそも〈島国〉であることを、わすれてはいけない。

 ぼくたちにしても。
 車には、一応の備え(救命・救急用品一式、炊事・食事用品一式など…ただし、このたびはキャンプの予定がなかったためテントや寝袋までは持参していない、毛布くらい)はあったけれど、<準備ヨシ!>とまでは言えなかったことを、あとで反省させられた。

 なお、この間には、全道停電(ブラックアウト)、鉄道運休などの報もあったが、いずれも細切れ。
 海峡をひとつ隔てただけなのに、ずいぶん遠いできごとに思えたものだった。

 とまれ
 朝が明けるのを待って、朝食もそこそこに港へ。
 早朝便の出航を確認、乗船手続きをすませて待機。
 その間に…ここ大間で〝万が一〟があったときのことを、考えてみた。

 津軽海峡フェリー、大間-函館航路。就航する船は、大函丸一隻。ピストン輸送である。
 全長91m、1912総トン、18ノットは、フェリーとしても中クラスほど。
 積載トラック21台・乗用車60台、乗客定員478名。

 ちなみに、大間町の人口が5,500人弱。
 住民は半島に、ほかにもあり。
 避難手段、これだけでは、まことに心もとない。

 ときを追って、集まってくる乗船車両のなかに大型観光バスが2台。
 乗客を乗せたまま船腹に誘導されていくので、(どうするのだろう?)と半信半疑でいたら。
 しばらくして、バスだけが出てきて(そういうことだったのか)一件落着。

 乗客は、ひとあし先に船室へ案内されたものと見え。
 バスはこれで、青森側の役目をおえたことになる。
 これも高齢化時代の対応であろうか…はじめて見る光景だった。
 

◆海峡に下りてきた〝天使の梯子

 この日の天候は、すっきりしない、ぼってり雲の高曇り。
 いつものとおり風もつよい。
 そんな空から、出航してほどなく、雲の層を割って〝天使の梯子〟が下りてきた。

 天候の変わりやすい海峡では、間間あること。
 ひとつの気象(現象)にすぎなかった…けれども、人にはなにかしらもの想わせる。
 (しかし、船客のほとんどは、地震の影響を伝えるテレビの画面にくぎづけであった) 

  …………… 

◆函館の街は…ざわざわ…そわそわ

 大函丸は、定刻どおり、7:00大間発-8:30函館着。

 着岸後の車両下船に、一難。
 地震で岸壁の一部に損壊があったらしく、乗・下船用ランプウェイ(斜路)との間にできた間隙を避けるため、甲板員たちが一台一台、太い繋船ロープを車両のタイヤ下に敷くのに手間どり。
 その一部始終を撮ろうと、報道カメラが待ち構えている。

  ……………

 そんな、ひと騒動から、やっと逃れ出た街に、ふわふわ落ち着きがない。
 それは、ほかでもない、だれより自分の気もちがザワついていたからだ。

 (ぼくは、ふだんから取材意識をぬきにできない人間だけれど…)
 このときばかりは、ナマの一個の人間、年寄りオトコの分際で、混乱していた。

 〈支援モード〉に入ったハズの人間が、こんなハズじゃなかった!
 (そうなると、街に、人に、すでにカメラを向ける気も失せていた)

  ……………

 じつは、もはや日中なのだからアタリマエなのだ、けれど。
 ほとんどの店がシャッターを閉じ、あるいは灯りひとつ灯さずに沈みこんでいる(…と思える)のが、まるで異空間にでもまぎれこんでしまったようで。
 (都会はいつもそういうものだった…けれど)
 灯りが点って、開いている店はコンビニくらいで、そこにだけ買い物客があふれ、どの顔にも不安と不機嫌が綯い交ぜになっている。
 
 ぼくは不意に、(ガソリン!)、胸を衝かれる思いにうたれる。
 〈FUEL〉ゲージは、まだ半分ほど余力をのこしていたけれど。
 (なぜ、フェリー乗船前に給油しておかなかったのか…)、いまごろ気づいても遅い。

 スタンドを探す目が真剣になる、が。
 繁華な街すじには数あるGSが、軒並み〈休業〉のロープを張りまわしている。
 冷静になって、カー・ナビのリスト表示されるGS、上から順に何軒か電話してみるも…すべて「✖」。
 ガソリン・スタンドも、給油装置には電源が必要だったことに、やっと思いいたる。

 こりゃ、ダメだ。
 ぼくは思いきめた。
 街を出よう!