どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.65~  尾瀬は「シャクナゲ色に黄昏る」…か?

-No.2098-
★2018年06月20日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3024日
★ オリンピックTOKYOまで →  400日
★旧暦5月18日、居待月
(月齢16.7、月出21:23、月没06:43)






尾瀬ヶ原人気に火をつけた『夏の思い出』★

 かみさんに、シャクナゲの鉢植えをプレゼントした。
 べつに、誕生日の祝いではない。

 ぼくのプレゼントは、アボリジニー式。
 誕生日とかの、きまった日に祝うのではなく、その人の人生のときどきに、祝うか、礼意をしめすか、励ますか、の気もちをあらわす。
 ただ、たまたま、誕生月の春にプレゼントごころ、を誘われた。 

 かみさんは、シャクナゲが好き。
 格別という意識はないようだ けれど 花の季節になると、かならず想いで話しになる。
 
 シャクナゲのおおぶりな花は、よく「派手な」と表現されるけれど、それはこの花のジツと、ちと趣きがことなる。
 シャクナゲの花は、なるほど「派手やか」ではあるけれど、そのありようは、周囲の環境をこころえでもしたかのように、いつだって「おとなしやか」に気品をただよわせる。

 家の庭にもかつて、紅い花色のシャクナゲがあった。
 植木屋がもってきてくれたもので、根株の下にしっかり天然の石を抱いていた。
 そのせいか育ちがおそく、つつましく、石の外へはなかなか根を伸ばさないですごし。
 いまの町田に引っ越してきたときにも、一緒に移り住んだ…のだが、土があわなかったものか、大きくは育たないままに枯れて……

 そんなシャクナゲを愛〔お〕しむ気分が、ぼくにプレゼントの気をおこさせたのかも知れない。
 ぼくも、シャクナゲが好きであった。

 ぼくにとってのシャクナゲは、山路の花。
 とくに、どこの山…という記憶はないが。
 そのじつ、(初夏よりも早い)まだ浅い春の山行に、なくてはならない花だった。

 涼気(半日影)を好むシャクナゲは、亜寒帯から熱帯の高山帯にまで分布。
 ヒマラヤにも多く見られるそうな。
 (根っこに石を抱くことも少なくない…らしい)

  ……………

 シャクナゲに呼び覚まされる、歌は『夏の思い出』。

  〽夏が来れば 思い出す
   はるかな尾瀬 遠い空

 …で始まる曲は、江間章子作詞・中田喜直作曲とまで、いまも記憶に鮮明なくらい。

 こんど、あらためて調べてみたら、この歌の登場は1949年(昭和24年)。
 NHKラジオの番組『ラジオ歌謡』で、石井好子が歌って。
 またたく間に民衆のこころをとらえ、その後の<尾瀬>人気を飛躍させることになった…と。

 なるほど、まさに、そんな時世だったけれど。
 ぼくは、その頃、まだ4つ。ふしぎはない…にしても曲に親しむには、ちと早い。
 その後、『夏の思い出』は1962年(昭和37)の夏になって、同じNHKの『みんなのうた』で紹介されて、ふたたび波にのった。歌は、高木淑子とヴォーチェ・アンジェリカ。

 (このときだな!)まちがいない。
 姉が、胸の前に手を組んで、歌曲歌手風に歌った姿を想いだす。

 いまの人には、信じられないかも知れない…が。
 敗戦後すぐの、あの頃。国民がこぞって、新たな世に夢を託せるものを欲していた。

 唄でそれに応えた、戦後最初のヒット・ソングは、ボクが産まれたばかりの1945年(昭和20=『夏の思い出』の4年前)。
 『リンゴの唄』サトウハチロー作詞、万城目正作曲、並木路子唄。

  〽赤いリンゴに くちびる寄せて
   だまって見ている 青い空

 …で一世を風靡。
 そのながれの先に、天才少女「美空ひばり」の登場があった。

 (ちなみに、この唄の場合。作詞されたのは、じつは、まだ戦中のことで。その当時は<軟弱すぎる>という理由で検閲不許可になっていた…)
 まさしく、ときの流れが変われば、風の流れも変わる!

  ……………

 さて、そこで、もういちど『夏の思い出』。
 この歌には、2つの花が彩りを添える。
 水芭蕉ミズバショウ)と、シャクナゲ
 
 作詞の江間は、岩手山麓(岩手県八幡平市)に幼少期をすごし、そこにもミズバショウが咲いていた。
 後年、訪れた尾瀬ヶ原で、高原一面に咲き乱れるミズバショウに「夢心地」だっと、といわれる。

 それは、よくワカルのだ。
 ぼくも岩手山麓ほか、東北・北海道の各地にミズバショウの花を見てきた…けれど。
 それは、林間や湿地を縫う小流れの畔が多くて、尾瀬ヶ原のように空にむかって展けてはいなかった。

 もうひとつ
 ミズバショウは、北国では「べこのした(牛の舌)」と呼ばれていた。
 北海道産の、うちのかみさんにも、こんな証言がある。
 「こっちに来て、ミズバショウって言われて、まぁどんなにステキな花かしらと思っていたら…。えっ!…なぁんだぁ、ベコノシタのことだったんだ!…ねぇ」
 
 水芭蕉のスッキリと白い花が「夢見て咲いている」のは、やっぱり尾瀬ヶ原だからこそのこと、といっていいのだ。北国の「べこのした」は、またべつの環境にあって愛らしい……

 もうひとつ

  〽石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる

 …と歌われた、江間の詞に、ぼくはずっと、こころうばわれていた者で。

 夕焼ける空を、眺めるたびに、そこに(しゃくなげ色…)を追いもとめてきたのである、けれども。
 いま古希70をすぎて、断言できる。
 「ざんねんながら夕焼けにシャクナゲ色なんかない…夕焼けには夕焼け色があるばかり」だ。

 ちなみに
 作曲の中田喜直も、この曲を作った頃には、尾瀬ヶ原はまだ見たこともない高原であった…という。
 それでも、いい作品は、生まれるべくして生まれる。

 いま、わが家の、ふちに淡い紅色さした白いシャクナゲは。
 直射日光を避けた軒下にたたずんで、梅雨空をだまって見上げている……