どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記42>-下北半島…強風下の「まさかり」寸描-

-No.2092-
★2018年06月14日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 3018日
★ オリンピックTOKYOまで →  406日
★旧暦5月12日
(月齢10.7、月出15:45、月没02:12)






小川原湖「茫漠」

 2018年9月4日、火曜日。
 日本海を北上する台風、ますます接近。
 こちら太平洋側までは、それでもまだ距離があるから、直接の影響はないものの、雲行きが不安に、急速になり、晴れたり曇ったり、風に巻かれてときおり驟雨にも見舞われる…。

 そんな天候のもとでは、気もちも揺さぶられて、情けないが逃げ腰にならざるをえない。
 沿岸部北上をあきらめ、久慈市から山間の九戸〔くのへ〕村を経て、八戸自動車道を経由。
 八戸北ICから百石道路・第二みちのく道路の最短コースをとって、下北半島へと抜ける。

  ……………

 <まさかり>に譬えられる下北半島の、長柄のごとく滑らかな太平洋岸の根元に、〝三沢基地〟で知られた三沢市があり、大きな汽水の小川原湖がある。
 シラウオシジミ(ヤマトシジミ)、冬はワカサギの漁があり、ハゼもいればウナギもいる、が。
 湖面のふだんはいたって静かで、湖水をとりまく岸にもこれといった変化がないから、ぜんたいに「茫漠」とした印象をあたえる。

 青い森鉄道上北町」駅に近い西岸に、道の駅「おがわら湖」があって。
 ここから歩けば、すぐに湖岸に出られる。
 ぼくたちも湖岸の公園に車を停め、昼食休憩。

 ふだんは変化にとぼしい茫漠とした湖面に、この日ばかりは小舟一艘も見えず、吹き荒ぶ強風に漣を立て連ねているばかり。
 湖畔に、玉代姫・勝世姫の像がある(なぜか十和田湖畔の乙女の像を想わせる)。

 遠い飛鳥時代、都の公家橘中納言道忠公の姉妹、二人の娘姫にまつわる悲話の像に、風に千切られた木の葉がザンとばかりにうちつけて、この景もまたひたすら茫漠であった…… 












◆六ケ所村/環境科学技術研究所

 半島に入ると、内陸を南北に走る県道は、黙っていても「原燃」の六ケ所村を目指す。
 天候は最悪…だが、ぼくの頭には<こんなとき>の別なシナリオの用意がある。

 大小の湖沼群と原野とにかこわれた六ケ所村そのものが、「やませ(冷害を招く冷涼な夏の偏東風)」風の通り道にある。

 この風土には、原燃施設群のあるかぎり、晴れわたった空の下でも「快」の風情は似合わない。
 いっそ、荒れに荒れた黒雲の狭間に、居座る原子力施設群の写真を撮れないものか…とネラっていたのだ。

 ……が、現実は、それどころではなかった。
 あちらこちらと所を変え、車を路肩に寄せて望み眺めても、どうにも埒〔らち〕が明かない。
 てんで風景にならない。そんなことがある、ことに気づくばかりであった。

  ……………

 やむなく「避難」の気分で、明るいレンガ色の建物(この辺では珍しい)を認めて構内に乗り入れた。
 管理小屋から出てきて初老の男に「見学ですか」と尋ねられ、そういう施設なのだとはじめて知る。

 「予約してませんが、いいでしょうか」と問えば、「聞いてみましょう」と親切に。
 電話をかけてくれて、「ご案内できるそうです、どうぞ」とあいなった。
 ときに、とびこみ、おそるべからず……

 事務・総務関係者が入る本館で、まず、ここ施設の概説を受ける。
 ここは公益財団法人の「環境科学技術研究所(環境研)」。 
 核燃料サイクル施設(日本原燃関連)の設置に伴い、そこから排出される少量の〔放射性物質〕の、〔環境および人体への安全性確認のため〕、1990年に設立。

 主な研究課題とその成果をあげると。
 ①放射性物質の環境中での動態の解明とモデル化
 ②被爆線量の評価
 ③低線量率放射線長期暴露の健康影響の解明

 その研究の<必要>なことは、いうまでもない。
 ただ、<成果>の方がどれほどのもので、どう一般に知らされてきているのか…がはっきりしない。
 そこを忌憚なく伝えてもらえればありがたい、と思った。けれど

  ……………

 担当の方に案内されて、本館から研究棟へ。
 
 正直、言って
 ぼくも、こんな場面の取材は場数を踏んできており、その伝(経験)でいけば、政府系・諸事政治向き・お役所ごとに関しては、しっかりとした事前の準備と考えがなければ、うっかり質問はとかくマイナス要因になりかねないので、注意が要る。

 この場合、思いがけないパッタリ出逢いのようなものだったから、ぼくたちは、ほかでもない一般の見学者にすぎなかった。
 けれども、はたしてむこうは、どうとらえたか?
 こんなときに、こんな天候のなか、わざわざ個人的にやってきてまでの見学申し込みである。なんらかの別意識はあってとうぜんだろう…が、そこまではわかりかねた。

 研究棟の施設・設備は、たしか〔・・・〕なものであった。
 トリチウムを主とする放射性物質の環境への拡散と蓄積、土壌中への移行とその影響を研究しているのだから、厳重な管理とチェック機能はいうまでもなかった、けれど。

 下北半島六ケ所村という、この環境研の立地と風土を考慮して。
 冷害風の「やませ」など、さまざまな気象条件を再現できる大型人工気象室や、植物栽培室、放射線照射室などが整然と備え付けられていた。

  ……………

 およそ、小1時間。
 丁寧な説明をいただいて、あれこれ勉強になった。が…
 ひとつ
 気になったのは…

 ・放射性物質というものが、自然界にも存在するものであること。
 ・したがって不自然ではなし、その存在が人智によって制御されるかぎりは、けして怖れるようなものではないこと。

 以上の2つを、強調することに力点がおかれ、そそがれ。
 よ~く聞いていると、この理解がゆきとどかないのは、その人にあるべき知識がたりない。
 …というように結論される(そうは言わない…けれども意識は明らか)ことだった。

 つまり、これ。言ってみれば
「わからんのは、わからんやつがわるい(いけない)」
 のだ、と。
「わかる(理解される)ように、説明をつくす」態度を放棄している。

 このような態度は、古い時代の学者や知識人たちに、まま、見られた。
 いまどきはほとんど流行らない…と言いたいところだが、どっこい、なかなかどうして。
 いまも、まま、見かける。あるいは、ふだんは噯気〔おくび〕にもださない不遜な意識が、ひょんなときに吹きだすことがある。

 そのへんのところを、シカとわきまえておいてもらわないとイケナイ…のだが。
 〝原子力村〟関係者には、とくに、その(ワカランやつがわるい)意識を、つよく感じる。

 そのことを、折あらばヒトコト…と思っていたのだが、ついにそのチャンスなく、ぼくたちは鄭重に見送られて、黒雲垂れこめる荒れ模様の村の道に戻った……