どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記41>-みちのく野田村-

-No.2089-
★2018年06月11日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3015日
★ オリンピックTOKYOまで →  409日
★旧暦5月9日
(月齢7.7、月出12:29、月没00:31)


※きょうは、七十二候の「腐草為蛍(腐った草が蛍になる頃)」。この感覚…いまの生活環境からは想いもおよばない感があります…けれども。






◆譜代村を通る

 田野畑村から、断崖絶壁の名勝北山崎をすぎると、沿岸を走る地方道は譜代浜への曲折した下りにかかる。
 譜代村は、譜代川の川すじから河口にかけて開けた小さな村。
 《11.3.11》の大津波を、大田名部の防潮堤と、譜代浜の譜代水門とで防ぎきり、村と村人を救ったことで称賛を浴びることになったが、ほかに手だてがない…こともたしかであった。

 台風の接近に追われたこのたびは、浜に近い魚屋さんに立ち寄り、1泊朝食付きの宿で食べる夕食用に、イカを刺身にしてもらう。事情をこころえた女将さんが、ゲソを即席の塩辛にしてくれて、こういう心づかいが旅の身にはシンと沁みる……










◆野田村「のだ塩」工房

 浜街道(国道45号)に合流して、走るとほどなく、お隣りの野田村に入る。
 安家〔あっか〕川、清流の河口を渡る。

 北上高地を源にするこの川は、岩泉町の安家洞を経て流れ下ってきたもので、野田村内には紅葉の名所安家渓谷をかかえ、この川はまた鮭の遡上でも知られている。
 
 この日の泊まりは、河口高台の国民宿舎えぼし荘。
 譜代漁港のイカ刺しに舌鼓をうって、早々に床に就く。
 列島を、ぼくらの後を追うように北上してきた台風が、いよいよ迫ってきていた。

  ……………

 早暁。
 宿の窓から望み見る太平洋の空が、不安をはらんだ色に赤黒く焼けている。

 背後から追い迫る台風の影響も、しかし…午前中はまだ緩く、空にはまだ陽射しがあった。

  ……………

 野田村も後背は山がちだけれど、リアスにあっては珍しい砂浜海岸が開けている。
 この野田村の浜では、むかし、製塩が盛んであり、その産物としての塩は内陸へと運ばれていった。
 (三陸鉄道北リアス線の陸中野田駅前の広場には、北の〝塩の道〟を行く牛方と牛〔べこ〕の像が建つ)

 海水から塩をとる製塩も、沿岸ならではの仕事のひとつ。
 海岸にあった製塩所も《11.3.11》の津波で流されて後、国民宿舎のある高台に再建(平成24年2月)されてあった。

 9月4日。
 この日のスタートは、その「のだ塩工房」から。
 野田港から汲み上げた海水を、ひたすら鉄鍋で煮詰める「薪窯直煮製法」の始業を見せていただく。
 同じ敷地内に移築されている南部曲屋〔まがりや〕造りの民家が、郷愁を添えていた。
 ちなみに、野田村の<村の花>はハマナス、<村の鳥>はセキレイ





◆野田村十府ヶ浦

 ぼくは…覚えにくい歴史も、地理的に覚えた。
 このあたり、野田村から下北半島にかけては、「やませ」と呼ばれる夏の冷たく湿った海風が、農家にとっては作物をいたぶる〔・・・・〕ありがたくない名物。

 ぼくたち夫婦にとっての、東日本大震災被災地〝巡訪〟毎年の旅も、福島県から順次北上してくると、このあたりでフィナーレに近いことを知るのだった。

 そこに、長くゆるやかな弧を描く景勝の浜がある。
 これで、その奥に富士の山でもひょっこり姿をあらわした日には…三保の松原もかくや…かと偲ばれようという。
 十府ヶ浦。
 むかし、むかしの歌枕にもなっている。

 …といっても、実際に見た人は極く稀であったろう。
 多くは伝え聞いた「みちのく」噺に、僻遠の地の果てを想い描いたに相違ない

  ……………

 この十府ヶ浦も、あの《11.3.11》の大津波で壊滅的な被害を被り。
 ライフライン浜街道(国道45号)も、やむなく大きく迂回せざるをえなかった。

 ぼくたちの〝巡訪〟毎年の旅でも、被災後すぐの瓦礫撤去から始まって、やがて〝復興〟のコンクリート壁に囲われていくさまを随時、見とどけ…ここでひとつ大きな溜め息をつくことが<旅の区切り>にもなっていた。

 その大障壁の背後を走り抜ける「さんてつ(三陸鉄道北リアス線」、「十府ヶ浦海岸」駅のホームに上がってみる…が、高すぎる障壁にはばまれて海は遠かった。

 この駅は、災害からの復興のため、地元野田村からの請願をうけて2017(平成29)年3月に開業した。
 ただし、まったくの新参というわけでもない。ここにはかつて(1986~1999年)、海水浴客向け夏季限定の臨時駅「十府ヶ浦」駅が存在した。
 
 この駅の愛称は「はまなす香る砂浜」。
 駅背後の丘陵地に、復興住宅団地ができている。

  ……………

 空はまだ明るかった、が。
 吹く風に、湿り気が多くなった。
 「やませ」ではない、台風の接近であった。

 ぼくたちは、この先の道をいそぐことにして。
 久慈市と、つづく洋野町とをスキップ。
 青森県へ。
 今夜の宿は下北半島
 津軽海峡沿いの下風呂温泉まで行く。

  ……………

※あれから8年になる<東日本大震災> 
【譜代村の被害】
 〇震災前の人口 3,088人(2010年推計)
 〇震災後の人口 2,672人(2018年10月1日推計)

 〇死者     なし
 〇行方不明者  1人

 〇倒壊家屋   なし
 ※震度5強津波高18.4m(譜代海岸)

【野田村の被害】
 〇震災前の人口 4,632人(2010年推計)
 〇震災後の人口 4,224人(2019年4月末現在)

 〇死者     38人
 〇行方不明者  なし

 〇倒壊家屋   479棟
 ※震度5弱、津波高21.4m(野田湾)

久慈市の被害】
 〇震災前の人口 38,153人(2011年2月末現在)
 〇震災後の人口 34,821人(2019年4月末現在)

 〇死者     2人
 〇行方不明者  2人

 〇倒壊家屋   278棟
 ※震度5弱、津波高14.5m(久慈南海岸)

洋野町の被害】
 〇震災前の人口 17,913人(2010年推計)
 〇震災後の人口 16,800人(2019年1月末現在)

 〇死者     なし
 〇行方不明者  なし

 〇倒壊家屋   26棟
 ※震度4、津波高12.0m(洋野海岸)