どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記40>-田野畑村③-机浜番屋群

-No.2082-
★2018年06月04日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3008日
★ オリンピックTOKYOまで →  416日
★旧暦4月27日、繊月
(月齢1.1、月出05:04、月没19:40)




◆どっこい、めげない、負けない……

 震災遺構防潮堤のある明戸海岸から、さらに北の北山崎を目指す途中、弁天崎のさき矢越岬のすぐ手前に、小さな流れの谷沿いに、なにやら〝隠れ里〟めいた小屋の並ぶのが見える。

 ここは、机浜番屋群。
 「はま」と呼ぶには細やかすぎる開口(港)の脇奥に肩を寄せ合っている。
 漢字は「机」とアテられていても、地名の由来はアイヌ語の「ツク・エツ(小山の・岬)」とのこと。

 「番屋」と言うと、むかしニシン漁で栄えた頃の北海道西海岸を想いだす。
 その豪壮なイメージからは遠く、小規模なものながら、機能は同じ番小屋。漁期の寝泊りや漁具の収納、さまざまな作業に使われた建物の集まりである。

 ここの住民たちの住まいは、時化〔しけ〕津波の難を避けた高台にあって、ふだんは農耕や炭焼きを営み、漁期になれば磯にウニやアワビを漁り、またコンブやワカメを採って暮らしてきた。

 この机浜、あらためて見直すまでもなく、いかにも狭小、いかにもアヤウい。
 実際、昭和三陸津波(昭和8年=1933)では、流された番屋を漁師たちがみずから建て直している。
 そうして、平成18年(2006)には水産庁の「未来にのこしたい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれもした、けれども、《11.3.11》東日本大震災の大津波で「一瞬のうちに跡形もなく流失」。

 それでも、しかし、めげないこの村の人々は「机浜番屋群再生プロジェクト」を立ち上げてボランティア作業にとりくみ、平成28年(2016)には再建・復元を果たし。
 現在は、「サッパ舟アドベンチャーズ」や「漁師ガイド」ほか、さまざまな「ばんぱく(番屋体験博覧会)」イベントを企画してガンバっているのだ。

 番屋群を見て歩いていたら、
「どうぞ、やすんでいってください」と、声がかかり。
 どうやら今日は、小グループの体験会でもあったらしい、なごりの野外テーブルでお茶と炭火焼のご馳走になる。

 この浜で、このたびの大津波に襲われながら命をひろった人に、またひとり、出逢うことができた。

 ぼくは想う……
 この田野畑村という、いかにも〝里山・里海〟然とした土地に暮らす人たちには、どう言ったらいいか…自然を相手にするのは並大抵のことではない、けれども、つまるところイイことばかりでも、ワルイことばかりでもない…どっこい、めげずに、負けずにガンバるのだ、といった覚悟と極意のほどを見る。
 そんな感が、つくづくと深いのであった。

www.tanohata-taiken.jp

  ……………

東日本大震災田野畑村の被害】

 〇震災前の人口 3,843人(2010年国勢調査
 〇震災後の人口 3,385人(2019年4月1日現在)

 〇死者   14人
 〇行方不明 15人
     計 29人

 〇倒壊家屋 270棟

※震度4、津波痕跡の最高は23m