どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記39>-田野畑村②-明戸海岸

-No.2078-
★2018年05月31日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 3004日
★ オリンピックTOKYOまで →  420日
★旧暦4月27日、有明の月
(月齢26.6、月出02:35、月没15:28)














津波の高さ18m超、引き波も凄まじかった…

 島越の港から、断崖を上って県道を北へ辿ると、〝さんてつ〟北リアス線の隣り駅は田野畑。
 そこから下った羅賀の海岸に、断崖を背に建つ宿、羅賀荘がある。
 鉄筋の建物は頑丈で、東日本大震災津波にも耐えた。

 ぼくたちは、この宿にも1泊しているが……
 眼下の海景を堪能する、というより、リアス海岸の断崖つづきと沖白波の海を眺め、窓際に立ち竦む感がつよかった。
 少し離れたところから、あらためてその立地を観ると、いまでも(よく眠れたものだ…)と想う。

 羅賀のすぐ北には、弁天崎が海に突き出し、その手前にぽっかり開けた海浜がある。
 断崖つづきの海岸線を来た身には、ほっとひと息の明戸〔あけと〕海岸。

 地名は、地形の成り立ちを正直に伝えていることになる…が、反面、津波に襲われたらひとたまりもない釜谷(釜の底のように外の開けた)地形の典型でもある。

 《11.3.11》以降ずっと、営々とつづけられてきた防潮堤工事がすんだいま、ここ明戸海岸の旧防潮堤が震災遺構として保存されてある。
 リアス海岸の一部をコンパクトに切り取って見せてくれるこの震災遺構は、津波の脅威をつぶさに知らせてくれる、かっこうの〝語り部〟といっていい。

 案内板の写真と解説を見ると……
 宮城県牡鹿半島の東南東沖約130kmで起きたマグニチュード9.0の大地震、発生は2011年3月11日の午後2時46分。

 ここ岩手県田野畑村、明戸海岸への津波、第1波の来襲はそれから約40分後の午後3時25分頃。
 東南方向からの津波は、弁天崎に行く手を遮られ、より威力を増すかたちで襲来したが、その前にはつよい引き波があり、海岸線から数百メートル沖まで海底があらわれた、という。
 この第1波の津波は推定高さ17.1m、防潮堤を難なく乗り越えて、浜を攫い、防潮堤を完膚なきまでに破壊した。
 
 つづく第2波の津波が来たとき、第1波の引き波に攫われていく瓦礫と、露わになった沖までの海底と、それらを巻き込んで盛り上がる津波の轟は、まさに〝海嘯〟そのものであったろう。

  ……………

 むかし明戸浜は、「明戸須賀」とも呼ばれていたとか。
 地名語源の「すか」は、(横須賀・須賀川・浜須賀など)川水や海水によって生じた砂地を指すので、あらためてナルホドの成り立ち。
 三陸には希少な〝浜〟だったことがうかがえる。 

 かつて江戸末期、嘉永時代の明戸浜には「塩釜」のあったことが知られていて、これは背後に広大な山林をかかえて燃料が豊富だったこと、くわえて「たたら製鉄」が盛んだったことによるもの、とのこと。
 また明治から昭和初期の時代には、イワシ地引網漁が行われていた、ともいうから、戸数こそ少なくても生業〔なりわい〕は確かなものだったらしい。

 なお、現在の明戸海岸には、新しく整備された防潮堤の奥、背後の園地に、明戸キャンプ場がある。
 (けれども…アウトドアだい好きの人間のぼくでも、まだ、ここにテントを張って寝る気はおきない)