どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記38>-田野畑村①-島越

-No.2075-
★2018年05月28日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3001日
★ オリンピックTOKYOまで →  423日
★旧暦4月24日、二十三夜の月
(月齢23.6、月出01:08、月没12:37)


※26日の日曜日は、七十二候の「紅花栄(紅花が盛んに咲く)」頃であった。東京地方は早くも真夏到来の暑気に襲われた。この星の温暖化は、季節のめぐりにも拍車をかけている…らし…




◆巨大防潮堤が仕切るかつての漁村風景

 
 ぼくは、東日本大震災があって、かみさんと二人、被災地東北巡訪の旅をつづけるようになってから、このかた。
 いつだって
 じぶんの車の積荷に、二人分のライフ・ジャケットを忘れない。

 狭小な島国ニッポンの成り立ちと、あの《11.3.11》の震災・大津波の圧倒的な脅威とを思いあわせれば、とうぜんだし。
 おまけに、ぼくたち夫婦は揃って海が…海辺にあることが…海っぺりを走ることが、だい好き、ときているのだから、それよりほかに選択肢はない。

 一朝ことあれば、ライフ・ジャケットを羽織り、高みを目指して一目散…の心づもりだ。

 そんなボクが、海っぺリを走っていて(ここはヤバイぜ…)と、いまではナチュラル・センサーのスウィッチ・オンになるところがある。
 逃げ場なし!
 それは、もちろんまず視覚から来る絶対的な現実認識としてであり、また、それ以上に強烈にひきつる心理的な圧迫感でもある。

 そんな海っぺり、崖っぷちの代表的なひとつが、三陸海岸の、なかでも田野畑村から譜代村、野田村にかけての辺り。
 
 島越〔しまのこし〕の港に車を置き、絶壁の奇勝「北山崎めぐり」めぐりのクルーズ船に乗ったときなどは、この感きわまった覚えがある。

  ……………

 その島越。
 宮沢賢治グスコーブドリの伝記』ゆかりの駅(愛称はカルボナード)から、それこそ転げ落ちるように海辺の港へと下る辺り一帯は、ゲンジツ、津波被害のもっとも烈しかったところのひとつ。

 こんど(18年9月)訪れてみると、巨大に立ちはだかる壁の建設中。
 いうまでもなく、これは、港とそのさきの海と、背後の一段高いところを通る北リアス線や集落とを仕切るもの。山肌に沿って建ち並ぶ家々が、かつての素朴な漁村風景を彷彿とさせるだけに…ツ…と胸が痛む。

 かつての田野畑村には、こんな集落風景がほかにも見られたわけだが、いずれも、こんどの大津波に流失してしまっている。

 建設現場の重機から少し離れたところに、ぽつねんと佇み、あるいは杖に縋って腰を下ろしている年寄りの姿があった。
 
 あの大津波を経験しては…万やむをえないなりゆきだろう…が、ただひたすらに切なかった。