どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記36>-宮古市①-黒森「廻り神楽」

-No.2068-
★2018年05月21日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2994日
★ オリンピックTOKYOまで →  430日
★旧暦4月17日、十六夜の月・立待月
(月齢16.6、月出21:04、月没06:17)


※きょうは、二十四節気の「小満(草木が周囲に満ちはじめる頃)」、旧暦4月17日。この日はまた、七十二候の「蚕起食桑(カイコが起き出て桑を喰む頃)」でもある。わが家の周囲にも草が充ちてきた、農家は作物を育てるため草取りに忙しくなってくる。






















◆陸中海岸の守り神が集落を廻る

 新年になると、神霊を移し(1月3日、本殿前で神おろし)た「権現様」と呼ばれる獅子頭を携え、陸中海岸の集落を諸所、予祝(あらかじめ祝う、前祝い)に訪れて廻る神楽があった……

 「廻り神楽」と称され親しまれた巡行は、日本に古〔いにしえ〕から伝わる放浪芸(人家の門口に訪れ立って獅子舞などを演じて廻る芸)のひとつ、と言っていいと思うが。
 この「廻り神楽」の場合は、あてもなく流離うのではなく、訪れるところが決まっていて、それが<陸中海岸の集落>ということ。

 宮古市の沿岸から、少し入ったところに頭を出す黒森山。
 標高はわずか330mながら、その名のとおり一山が黒々と、鬱蒼と生い繁る巨木に覆われて昼なお暗いお山。
 山頂には杉の大木が聳えて、宮古湾を航行する舟の目印(漁師たちのいう〝あて山〟)として崇められ。
 これが後には延〔ひ〕いては、漁業・交易を守護するお山として広く信仰を集めるようになった…という。

 黒森神楽の起源や、巡行の始まりは、不明だが。
 神社のある黒森山麓からは、奈良時代のものとされる密教法具が出土しており、古代から地域信仰の拠点であったろうことは疑いない。

 「廻り神楽」は……
 昼間は、訪れた集落の家々の庭先で、権現舞(獅子舞)を舞って悪霊祓いや火伏せの祈祷。
 夜は、宿(神楽宿と呼ぶ)になった民家の座敷に神楽幕を張り巡らした舞台で、五穀豊穣・大漁祈願・天下泰平などを祈って、人々を楽しませ祝福をあたえる舞、夜神楽のかずかずが演じられた。
 この<神楽の巡行>に携わる者もみな一般の在家の衆、漁師や職人たち。農閑期・休漁期に行われる民衆伝承の信仰だった。

 巡行は旧盛岡藩の沿岸部、宮古市から久慈市まで北上する「北廻り」と、宮古市から釜石市まで南下する「南廻り」と、隔年で行われ。近世初期(江戸時代の延宝6年=1678)にはすでに現行の範囲で巡行されていたことが古文書で確認されており。
 平成18(2006)年には、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

  ……………

 この黒森神楽、「廻り神楽」の巡行する浜沿いの、諸所の集落が津波に襲われた。
 それが、あの《11.3.11》東日本大震災
 だが、じつは、三陸の沿岸はそれまでにも、たびたび大海嘯(津波)に襲われてきている。
 「廻り神楽」は、ときに鎮魂の舞であったろう。

  ……………

 陸中の海辺は、長く荒れ果てたときをすごした、けれど。
 やっぱりヒトは、前を向かなければ生きていけない。
 「廻り神楽」が、その背中を押してくれた。

  …………… 

 これは「海の遠野物語」。
 …と、サブタイトルされたドキュメンタリー映画『廻り神楽』を東京で観たのは、この(18年)春さき。
 いまから、ちょうど1年前の今頃。
 www.mawarikagura.com

 ……………

 そのときから、ぼくは「廻り神楽」の里、宮古
 漁師たちの「あて山」、黒森山に鎮座する黒森神社を、訪れずにすますことはできない気分になっていた。

 下調べで、「廻り神楽」の里、宮古市山口の公民館に「黒森神楽展示室」があり。
 そこには、古くから歴代の権現様(獅子頭)20頭が、「御隠居様」として保存されているという。
 ぼくの情緒は、こういうのに、すこぶる感じやすくできている。

 いうまでもなく、まず、そこを訪ねた…が。
 その日は、9月3日の月曜日。公共施設に多い休館日。
 ぼくたちの2週間余り、予定のない巡礼旅には避けがたい巡りあわせ、やむをえず。

 黒森神社参拝にきりかえる。
 カーナビを頼りに、途中なんども地元の方たちに道を尋ねながら。
 やっと、それと思しき山道にさしかかると、狭い歩路から草むらに避けて道をゆずってくださる方があり。

 やがて,山の中腹あたりに「黒森ふるさと館」。
 どうやら、そこが神楽の稽古場になっているらしく、太鼓ほかの道具類がきちんと一隅に片づけられてあった…が、ここにも人影はない。

 「山の神」の祠や「いたこ石」など、霊場ムードの漂うなかを、なるほど黒々と鎮まるお山めざして、息をきらせて石段を登る。

 本殿は、いまこそ極く小さなものだった、が。
 社前には、ここで権現様(獅子頭)に「神おろし」が行われるのだろう、土の踊り場が均されてあって。
 ぼくは、ふと「みちのくのまほろば」を想って、高揚する気分を味わうことができた。

 土の踊り場には工事に働く人たちがおり、聞けば「ここに神楽殿ができる」とのことだった……