どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「サザン」のお膝もと、茅ヶ崎海岸で…/     「若大将」世代爺っちゃの生シラス・ランチ

-No.2067-
★2018年05月20日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2993日
★ オリンピックTOKYOまで →  431日
★旧暦4月16日、十六夜の月・立待の月
(月齢15.6、月出20:06、月没05:32)








◆「爺っちゃの海岸物語」…

※目がゴソゴソして(うるさったくて…)、かなわない。かかりつけの眼科医に診てもらったら、麦粒腫(ばくりゅうしゅ=ものもらい)だと託宣され、点眼薬と塗り薬を処方してもらって帰った。うっとうしい…じつに。全治1週間ほどだろう、という。そういえば。「ものもらい」についても、いささか言いたいことがあったのだ…けれども、まぁ、それはまた、あとのことにして……

       ☆       ☆       ☆

 〝湘南〟を歩いてきた。

 「歩く」というのは、いうまでもない、動物としての本源的な活動である。
 だが、これが、なかなか一筋縄ではないのは、そこに自意識というやつが介在するからだ。

 一方に「歩こう」と心がける者があり、片やには「歩かないと気もちがわるい」者がある。
 ただ、それだけのこと…か、というと、これもなかなか、さにあらず、で。

 この立場の差は、結果として、大きな運動量の差をもたらす。
 「歩こう」派が趣味的あるいは努力目標的であるとすると、「歩かないと気持ちわるい」派は必然だから、そこに歴然の差があらわれるのは必然ということになるのダ。

  ……………

 ぼくは、すでに、このブログでも明らかにしてきたとおりの「歩こう」派である。
 あらためて「歩こう」気分にもっていかないと、一歩も歩かない。やっかいな奴めだ。

 中学・高校時代の友に、Sくんという、根っから「歩くのが好き」タイプの、「歩かないと気もちわるい」派の仁がいる。
 同期会などで、顔をあわせると「歩く」話しになる。
 どうも、ぼくに、分〔ぶ〕がない。

 …と感じるのは、ぼくが、これでもいっぱし<活動派>であり、自他ともに認める<元気印>であるからだ。
 それでいて、「歩こう」と思わないと、歩かない。
 したがって、Sくんのようには歩きに精がでない、歩きでいまひとつ稼げない…憾みがあるのだった。

  ……………

 そこで、昨年の暮。
 同期が集う恒例の酒席(同期が営む神田司町の酒場「みますや」)で、Sくんに申し出た。
 「大山(詣で)を、同期を誘って歩いてみないか」と。
 計画してくれまいか…そのことであった。
 しごくとうぜんにして、快諾をえた。

 これ、じつは…
 ぼくのコトバには、ウラに含みがあって。
 「大山詣で」が主眼なのであり、そのじつは、名物の豆腐料理かなにかで一杯やる…のに、かこつける名目ってやつ。

 ぼくの若き日に、板場の経験があることは前に記したけれど。
 そのときの<包丁の師匠>だった人が、浅草三社(祭りの)神輿会のなかでも、とびっきり鯔背〔いなせ〕な<先棒とり>が自慢というやつで。
 かれら仲間のたいせつな行事に、年始の「大山詣で」があった。
 粋な着流しに祭半纏羽織って、手には大島(紬)かなんぞの煙草入れ(袋)…(よっ、いいね!)ってやつ。
 いちど、ご一緒させてもらいましたっけが、気もちのいい連中に男がホレた。

 そんな情景が、アタマにあったわけで。

 だから、歩きたい(歩ける)者は登拝するもよし、歩きたくない(歩けない)者は、麓の茶屋で待ってもかまわぬ…くらいのノリであった、が。

 Sくんは、いうまでもない、歩く(登る)ことに主眼をおいた。
 歩いた達成感のもとで一献かたむけよう…との趣向である。ヤラレた……

 Sくんには、シャイなところがある。
 同じシャイといっても、いじこけるほうのタイプではなく、いわばシャイニー・シャイとでもいうべきタイプに属する。

 つまり、ぼくのマケである、仕掛けそこねた。

  ……………

 〝代替わり・改元〟の年が明け、春めいてきて。
 Sくんから、秋の「大山歩き」の計画を言ってきて。
 「おおいに徘徊しておいてほしい」旨の、フレも添えられてあった。 
 
 ついでに、近々、少人数で「生シラスでランチ」の会をするんだけれど、「きみも来ないか」と誘われた。
 ちょうどハマヒルガオのピンクの花が見ごろだから、後で軽く茅ヶ崎海岸を歩こう…とも言ってきた。

 この季節の海辺、風を友にを歩くのもいいな…だったが、なにより生シラスにぞっこん魅かれた。
 
  ……………

 ぼくの母方の在は、藤沢宿である。
 お爺ちゃんの知り合いに、江ノ島の漁師さんがあったおかげで、稚い日、いっぱし湘南ボーイ気どりのガキは、投網を投げさせてもらって得意だったのはいいが、網が脚にからまって海中へ転げ落ちるという為体〔ていたらく〕…なんて不態〔ぶざま〕も経験している。
 
 長じては、腰越や小動〔こゆるぎ〕の浜へ、「生シラス」や「しらす干し」求めて買い出しに出向いたこともあるのだ。
 江ノ島の西浜に出れば、(ちょいと遠いとは言え…)茅ヶ崎は目と鼻のさき。

  ……………

 …てなわけで、誘われて出掛けた茅ヶ崎海岸。

 浜料理の老舗「えぼし」は、わが同期の神田「みますや」にも、どこか通じるところがあるような。
 寄り合いの席に集った同期生は、8名。
 コース料理にビールで、ひさしぶりの邂逅と、たがいの無事息災を祝った。

 自己<その後>紹介の必要がある、高校卒業から半世紀ぶりの同期生たち。
 ひとめぐりする頃には、この少人数でも、それなりの時間を要して……
 
 ぼくは、昼どきのアルコールにほろ酔いながら、生シラスと対面。
 現代版「かまとと」のもと〔・・〕になったお魚ちゃん。
 (むかしのは<蒲魚>で、蒲鉾を見て…これもお魚か?…というやつ。いまのは<小魚の黒く目立つ目を見て…お魚がみんなでこちを見てる…ってやつ)

 「白子」と書くより「白素」のほうがふさわしい、色素のない稚魚のことで、そのじつはイカナゴ・マイワシ・ウルメイワシ・アユ・ニシンなどの<稚児>が混在するもので。
 (たまぁに…タコやイカカニの幼生なんかも混じって、子ども時分にはそれが楽しみだったりしたものだが、きょうの鉢には見えなかった…)
 新江ノ島水族館の展示水槽にも見られる。

 塩茹でにして干したのが「しらすぼし」とか「ちりめんじゃこ」(茹でかげんによって別な呼び方もあるが…ここでは省略)とか呼ばれるもの、海苔のように板状に固めて干したのが「たたみ(畳)いわし」。

 ぼくが、店(鉄板焼き)の雇われ板前だったときにも海鮮を供したが、生シラスはもっぱら常連さん向けの季節の付け出し。
 料理はキホン、手をかけすぎてはイケナイものだ…けれども、生シラスというのには<工夫>がほしくなるもので、供する側にはこれがむずかしい食材。
 じつは、もっとむずかしい(…と思っているの)が「たたみいわし」の供し方で、これ一品を小七輪の炭火で手ずから炙り焼いてもらいながら一献かたむけて満足してもらえたら…これにまさるものはない、だろう。

  ……………
 
 そのシラスの漁獲が、年々、減ってきている。
 たとえば、かつては庶民の酒の肴だった「たたみいわし」が、いまは高嶺の花になっており、その加工にまわされる量も減る一方…いずれは幻の一品になるやも知れない趨勢なのだ。

 原発爆発事故の影響深刻な福島県沿岸では、イカナゴ不漁の深刻が報じられてもおり。
 本音をいえば、ぼく、シラスのような仔魚・小魚の類を、われらヒトが食い漁ることをヨシとしない。
 つまり「食物連鎖」という動物界のルールでいくなら、その頂点に立つヒトこそ、つつしんで生態系のとり〔・・〕たる身分をわきまえるべし…と想う者なのであった……

  ……………

 てな、あれこれの想いを追いつつ同期仲間の、自己<その後>紹介に耳を傾けていたら、いつのまにか昼どきをすごしていた。
 品数は…かぞえなかったけれども、いろいろと供されて、仕上げに握り飯に汁、デザートまで付いて、ぼくには多すぎるくらいだったが。
 齢70を超えた面々の、健啖おそるべし。
 
 ところが
 浜へ、ハマヒルガオの顔を見に歩く段になると。
 まず、椎間板ヘルニアに悩む1人が、自家用車を転がして「お先に」と去り。
 つづいて、浜に出る前に、1人…もう1人…と退散。
 沖合いに烏帽子岩を望む砂丘ハマヒルガオの群落…茅ヶ崎海岸を闊歩組は5人になった。

 むかしは、奇祭「浜降祭〔なまおりまつり〕」で知られる程度だった茅ヶ崎も、いまは温暖な気候に恵まれた穏やかな近郊ベッドタウンの景。

 かつては「若大将」加山雄三の町も、『勝手にシンドバッド』『チャコの海岸物語』からは桑田佳祐サザンオールスターズの町に変身。
 海水浴客よりもサーファーたちで賑わう海岸になっている。
 ここで、Sくんに負けない「運動しないと気もちわるい」派のIくん、まざまざとその健在ぶりをさりげなくアピール……

 サザンビーチで、「若大将」世代の爺ちゃどもは、通りすがりの地元の方に記念写真のシャッターをお願い。
 正月の箱根駅伝では、近ごろ勝負どころになりつつある3区(戸塚-平塚)の海岸通りを渡って、帰路についたのであった。