どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.55~ ユーハイムの「バウム・クーヘン」

-No.2063-
★2018年05月16日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2989日
★ オリンピックTOKYOまで →  435日
★旧暦4月12日
(月齢11.6、月出15:45、月没03:03)


※きょうは、七十二候の「竹笋生(タケノコが生えてくる頃)」。竹林があったら覗いてみましょうか! すでに八百屋の店頭には、南の方からのタケノコ便りあり、もうこっちでも出てきていい頃です。



★いかにもドイツ…らしいカッチリ年輪のケーキ★

 左党(呑兵衛)であるボクは、菓子については無関心、こまかいことは言わない…かというと、なかなか、そうでない。
 好みもあるし、じつをいえば、もともと酒と甘味には芯から親しみかようところがある。

 「バウムクーヘン
 直訳すれば「木のケーキ」だけれど、いうまでもない「年輪に恋した菓子」。
 
 はじめてこの菓子に出逢ったとき、ぼくの心臓はドクンとひとつ息を呑んだ。
 菓子の名も知らないうちから、それは大きな切り株の年輪を連想させ……
 そればかりか、この菓子をどう作るか、までを想像させたのは、バウムクーヘンが初めてだった。
 後日、菓子職人がこれをつくるところを見たときには、吾が想像とのあまりの合致にビックリしたくらいだ。

 ごく簡単にいってしまえば、それ専用の太めのバーに、生地を塗りかさねながらバーナーで焼き、薄い層の積み重ねを〝年輪〟らしく見せるところが職人技。
 焼きあがった棒状の菓子を輪切りにして出来上がる。

 ぼくの父が、むかし魚河岸があった頃からの日本橋、砂糖屋の末裔であることは前にも話した。
 そのせいか「一流どこ」にヨワかった父は、けっこう当時のモボ(モダン・ボーイ)だったわけだが、食は和風、江戸好みであった。

 わが家に洋風を吹き込んだのは、母方の叔父さん。
 シェル石油(いまの昭和シェル石油)に勤務して、出張すればあちこちの名産を、ふだんは都心の名店品を土産に訪ねてきた。
 かなり父への対抗心があったとみえる。

 ぼくたち、ふだん和菓子系の姉弟は、この叔父さんから洋菓子のあれこれを知らされた。
 代表的なのがモロゾフのチョコレートであり、ユーハイムバウムクーヘンであった。

 いまは、小分け個包装の製品がよろこばれているようだ、けれど。
 バウムクーヘンの真髄は、輪切りの〝年輪〟をみずから切り分けて味わうことにある。
 

第一次世界大戦の置土産★

 そもそも、このバウムクーヘンを初めて訪日させることになったのが、ドイツのパティシェ(菓子職人)、カール・ユーハイムという人。
 話しはふるく、19世紀初頭あたりまで遡る。

 1919(大正8)年3月4日、広島物産陳列館(のちの〝原爆ドーム〟である)で開催された「俘虜製作品展覧会」で販売されたのが最初であり、これを記念して3月4日は「バウムクーヘンの日」。

*以下、すこし補足しておきます。
 それまでドイツの租借地であった中国の青島(チンタオ)で、カールは洋菓子店を営んでいました。が、第一次世界大戦で青島は日本軍に占領され。カールは青島から日本へ、俘虜(捕虜)の一人として広島市似島検疫所へ連行され、ここで終戦を迎えています*

 カール・ユーハイムは戦後、紆余曲折を経て神戸で開業。
 それからもなお、歴史の風浪にもてあそばれながらの紆余曲折があって、カールは第二次世界大戦終結直前に他界したが、社業は後世に引き継がれて現在にいたっている。

 このあたりまでは、まぁ、ドイツ菓子「ユーハイム」の店の栞かなにかを読んだ記憶がある…が。
 その「ユーハイム」の「バウムクーヘン」が、ことし100周年を迎えるとは、とんと気がつかないことだった。

 世の中には、なにかと気くばりの部局や人士があるもので、そのスジから高校時代からの友人に取材が入ったという。
 後日、彼から送られてきた新聞記事を見ると、上記のようなこと、100周年(と〝原爆ドーム〟)にまつわる回顧譚であった。
 その友は、高知大学の名誉教授(ドイツ文学)であり、カフカの研究者だが、著書に『青島(チンタオ)から来た兵士たち-第一次大戦とドイツ兵俘虜の実像-』(2006年)がある。
 
  …………… 
 
 とまれ
 ぼくの好きなケーキは、モンブランバウムクーヘンである。
 ほかは、どうでもいい、(子どもだましみたいなものだ)と思っている。

 ところが、世の中わからないもので、この「バウムクーヘン」。
 日本では、(〝年輪〟をかさねる)めでたい贈りものとして人気を博してきたけれど、本国のドイツではそれほど一般的な菓子ではなく、どちらかといえば珍しいくらいの存在だという。
 この話しは、ぼくも大学では第二外国語がドイツ語必修であったことから、講師からそんな「じつは…」話しを聞いている。

 そういわれてみれば、なるほど、「年輪をかたどった菓子」というのは日本人の感性にじつにフィットしやすいことに、思いいたるのだ……