どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

『天皇陛下の味方です-国体としての天皇リベラリズム-』

-No.2041-
★2018年04月24日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2967日
★ オリンピックTOKYOまで →  457日
★旧暦3月20日、寝待の月・臥待の月
(月齢19.1、月出23:16、月没08:27)





◆<副題>に惹かれて買った本

 言うまでもありませんが、本は、著者か書名(タイトル)に魅かれるか、あるいは書評に啓発されて読みます。
 そう、書名の副題(サブタイトル)はたいがい、カクニンの程度にすぎません。

 けれども、かつて編集者だった立場を思いおこすと、なかには副題が不可欠の本があって、そういう本には副題づけに苦労することが多かったのも、事実でした。
 その事情はさまざまですし、それこそ「曰く言い難し」なんです…けれども とにかく そういう本もあります。

  ……………

 『天皇陛下の味方です-国体としての天皇リベラリズム-』(鈴木邦男著、バジリコ刊)

 この本の場合は、「国体としての天皇リベラリズム」という副題が、まず、ぼくの視覚と嗅覚と感応に、高く汽笛を響かせました。

 著者はこれが言いたかったのだ…と、直感。すると、
 書名(表題)の『天皇陛下の味方です』は、副題に推され必然として出てきたもの、著者の思いの丈〔たけ〕であり、気がついてみれば時勢からしても、いま言わなければならないことであったでしょう。
 と、気づかされました。

 正直にいいますと
 著者の鈴木邦男さんという方の名が、ぼくの頭にはありませんでした。
 この「ない」というのが、これまた曰く言い難し。
 つまり、「まったく知らない」のではないと思う…のだけれども、しかし逢ったことはないし、名を見聞きしてはいたのだろうが、しかし覚えになってはいない…ということです。

 鈴木邦男さんは、ぼくより2つ歳がうえ。

 巻末の著者紹介によれば、学生時代から民族派運動の人で。『一水会』を率いたのち、既存の右翼とは一線を画した論理と行動様式で「新右翼」と称され、さらに後には、左右両派にとらわれない「民族派リベラリスト」の論客として現在にいたる。
  
  ……………

 ごめんなさい
 本の紹介があとまわしになりますが。

 ぼくは、1965年(昭和40)、1浪して入った大学で、ドンと正面衝突の感じで大学紛争(〝全共闘〟闘争)に迎えられました。
 その頃のぼくに、明確なイロは、まだありません。

 ただ、この国はどこか(歪んでいる)、(邪〔よこしま〕な風〔ふう〕がある)と感じ、その因〔もと〕はナニかを考えていました。

 ぼくが在籍したのは、上智大学文学部新聞学科。
 そのつもりで選んだわけじゃないのに、学内でも最左翼に位置して、<社青同開放派>に仕切られていました。

 大雑把にいえば、ほかにも、いくつかの社会党系左翼グループ(派)があって、左翼同士では共産党系の<民青>と敵対。<右翼>系もありましたが、学内での勢力はたいしたことはなかった。
 
 ぼく自身は、既成党派系に色分けされることをキラい、あくまでも<反権力ノンセクト>の立場。
 大学当局による弾圧を糾弾する集会で、話すことはあっても、いわゆる(我々わぁ…式かたり口の)<アジ演説>はしせんでした。
 でも、他人から見ればやっぱり「左翼」あるいは「左派」に違いない。

 つまり、鈴木邦男さんとは〝対極〟の立場にあったことになります。

  ……………

 ただ、この本を読みだしたときに、ぼくが、まず想い出したのは、次のような情景でした。
 
 大学紛争のデモのないとき、ぶらりと街を歩いていて、皇居前で警備の機動隊と遭遇。
 ノンポリ風のそ知らぬ顔で、重装備の隊列の顔ぶれを眺めたいたら、なかに、北国の生まれと思しき頬っぺの赤い青年(若者)が何人か混じっていて、彼らがまた、じつにいい純な顔をして、眩しそうにジッと正面を見つめている……

 デモ行進で対峙したときには、敵意を抱かないわけにはいかなかった相手に、そのときは心も騒がず、むしろ<よしみ>さえ感じたものでした。
 (ボクとカレらと、ドコでナニがドウちがって、いまそれぞれの立場にあるのか?) 
 
  ……………

 ぼくは、正直、そんな心もちで、この本を読みました。

 内容は…そう…書名のとおり。
 なお、よりよく見とおせるように、目次を列挙してみます。
  第1章 右向け右!          第4章 戦争と昭和天皇
    一 反日分子をやっつけろ       一 テロの季節
    ニ 右曲がりのニッポン        二 亡国戦争
    三 権力と大衆            三 聖断
  第2章 愛国を叫ぶ者たち       第5章 新しい国体
    一 愛国政権登場           一 マッカーサーの時代
    二 愛国憲法             二 戦後日本の明暗
    三 人は右翼というけれど       三 リベラルの砦、今上天皇
  第三章 天皇と日本人         第6章 私、天皇主義者です
    一 永きもの皇統           一 皇室の危機
    ニ 明治天皇と日本の青春       二 天皇リベラリズム
    三 皇太子裕仁親王          三 結語

 なお、この本の読了は、18年7月(本の初版発行は17年8月)。
 すぐに、この稿を書き起こしたのですが。

 待て、しばし。
 16年8月には、ビデオメッセージで天皇陛下の「お気持ち」表明、があった後でしたし……

 ぼくには、もうじき、もっと、この本の話をするのにいい機会が来るだろう、予感があってのことでした。
 
 そうして、いま、そのときが訪れた、ということです。

◆「天皇リベラリズム」の旗を揚げることも…あっていい

 彼は、こう訴えています。
「人は右翼というけれど、中国人や朝鮮人をやっつけろというのが右翼なら、日本人が一番エライというのが右翼なら、核武装せよいうのが右翼なら、そして「愛国」を強調するのが右翼なら、私、右翼ではありません。」

 そうして
 彼のいうことは、一部をのぞいて、ぼくには共感できるものであり。

 そうして
 この国の、芯を失った危うい政治状況を想うと。
 つまり、ポピュリズムを巧みに援用し、ファシズムに進みかねない現在の自民党、安倍政権が一方にあり。
 これに、手もなくゲタをあずけた格好の国民があり。

 もうひとつ、くわえるなら
 平成天皇と美智子妃を愛しながら、寄り添われることに馴れ親しむばかりで、みずからは誰も「象徴天皇とはなにか、どうあるべきか?」を考えようともしない、ダメな甘ったれた国民があり。

 また一方に、政権交代の意志も気配さえも感じさせられない野党の不甲斐なさがある。
 ことを思うと。
 
 これまでの政権・政治や、いわゆる<右翼>が、都合のいいときに都合のいいように、象徴天皇制を利用してきた、じつに怪しからん「愛国」連中にとって代わるものとして。
天皇リベラリズム〟を標榜する政党の誕生こそが、じつは待望されているのではないか、と思われるわけなのでした。

 しかし
 ジョーダンやヒヤカシじゃ、けっして、ありません。
 まさか、結党に「天皇」の名称をもちだすわけにはいかないでしょう、が。
 党是に「天皇リベラリズム」を掲げても、それはいいんじゃないか。
 
 「右」とか「左」とか、信号機みたいな狭い了見は捨てて、平成天皇が象徴天皇(はどうあるべきか…)一代をかけて考え成し遂げた「平和に寄り添う」姿勢を追求していく、そうしてけっして、都合のいい利益誘導に堕することはない、そういう新たな政党があっていいと、シンケンに思っているところです……

   

天皇陛下の味方です[単行本]

天皇陛下の味方です[単行本]