どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記28>-釜石市①-山田線からリアス線へ

-No.2027-
★2018年04月10日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2953日
★ オリンピックTOKYOまで →  471日
★旧暦3月6日
(月齢5.1、月出08:26、月没22:55)


※本日4月19日(旧暦3月6日)は七十二候の「鴻雁北(雁が北へ渡って行く)」頃。…ですが、春空の異変できょうは朝から冷雨、てんでそんなムードじゃありませんけど…。これで明日あたり晴れてくれれば、そんなことがありそうな気配も感じられなくはありません。それにしても寒ブ!








◆試験走行車両が走った!

 JR東日本に、「山田線」というローカルな鉄路があった。

 たとえば東京から、三陸沿岸の岩手県域を鉄道で目指す場合。
 東北新幹線の新花巻で釜石線に乗り換え、遠野を通って太平洋沿岸の釜石へ。
 ここから再び乗り換えるのが、岩手県沿岸部のライフライン山田線だった。

 山田線は、釜石から大槌町・山田町を経て宮古市宮古駅三陸鉄道北リアス線に接続)まで北上。
 そこから西へ方向を転じて県都盛岡までの157.5km。
 盛岡で再び新幹線と出会うことになる。
 (なお、山田線の名は沿線の山田町に由来する)

 ちなみに釜石線の各駅には、宮沢賢治にちなむエスぺラントの別名が親しまれていた(釜石はラ・オツェアーノ=大洋)が、山田線の釜石-波板海岸間(釜石管内)にも同様に採用されていた。

 山田線の沿岸区間、釜石-宮古間は東日本大震災に遭って以来、ずっと<不通>がつづき。
 したがって、東京方面以西からの震災ボランティアたちの多くは、高速バスで現地入りしたものだった。

  ……………

 釜石駅を出た山田線のレールは、すぐにトンネルを潜り、両石湾奥の深い谷に架かる鉄橋を渡る。
 下を通る国道45号からは仰ぎ見るほどの高さにあって…もし、あのとき、この橋が落ちていたら復旧にはもっと手間どることになっただろう…との感をふかくする。

 このたび(18年)の巡礼行で、釜石に入ったのは9月1日。
 その、わずか半月ばかり前の8月21日。
 山田線釜石-宮古間(55.4kmのうち約8.5kmを流失)の一部区間、釜石-大槌間(12.3km)でディーゼル機関車による初の試験走行が行われた。

 両石駅は、車の流れ頻繁な国道から岐れ、坂道を上がった山の中腹。
 ホームからは、遠く両石湾の狭まった海を臨むことができ。
 その高低差と距離感は、(ここまで来るほどの大津波ならヤムをえない諦めよう)気にさせる。

 JR時代、両石駅のエスペラント名は「フィシハヴェーノ=漁港」だったが。
 「さんてつ」移管後の愛称は、「恋の峠 愛の浜」。

  ……………
 
 これまでの(旧)JR山田線、釜石-宮古間。
 9月末までには駅舎など主要施設の工事をすませ、年が明け19年になってからは全区間通しの試験運行をくりかえして、3月23日からの運行再開にこぎつけた。

 再開後は、この釜石-宮古間を挟んで、「南リアス線」盛-釜石間と「北リアス線宮古-久慈間を運営する第三セクター三陸鉄道」に移管され、盛-久慈間(全長163km)が「リアス線」と路線名を変えて結ばれることになった。

 かつてのJRは、以上にくわえて気仙沼線前谷地-気仙沼間、大船渡線一関-気仙沼ー盛間を擁して三陸の鉄道網を支えていたのだが…この両線はすでにBRT(バス高速輸送システム)に移行。
 事実上、国として<鉄道の時代の終焉>を告げる事例のひとつ、となった。

◆消えた駅…新設なった「鵜住居〔うのすまい〕

 舞台は三陸……
 両石駅を出たレールは、もういちど、恋の峠のトンネルを潜って次の浜への下りにかかる。
 そこは、あの大津波の被害、惨憺たるものがあった鵜住居駅周辺の市街地。

 それから5年ほどは、浜街道(国道45号)に砂埃が舞うばかりの荒涼たる風景だったのが、いまは新たな区画整理にしたがって復興の街づくりが進み。
 すると、ついこの間までのあの寂寥感が、まるで夢か幻のようにも思えてくる佇まいになっていた。

 18年9月1日(土)
 駅はホームが完成したばかりで、まだ、そのほかの施設は工事中で近寄れない。
 やむをえず、少し大槌寄りの踏切から、これも新設の鉄路にレンズを向けた。

 こうして見るかぎりは、ここから大槌方面へは、しばらくは平坦な野面を行くことが知れ……
 しかしじつは、それもほんの束の間、その先にはまた、三陸特有のリアス海岸が待ち構えているのだった。

 見上げる西の山の手には、去年の巡礼で訪れた新しい文教地区の学校群。

 今後も決して油断はできない将来、またまた大津波に襲われる事態になったときには、ここ鵜住居に暮らす人々は、振り向きもせずに駅を捨て、高台へと駆け上がることになるだろう……

 JR山田線時代、鵜住居駅のエスペラント名は白砂の根浜海岸にちなむ「プラージョ=砂浜」だったが。
 「さんてつ」移管後は、愛称もこれに替わってラグビーにちなむ「トライステーション」になった。
 

  ……………

 東日本大震災釜石市の被害】
  ※震度(市街地)=5強~6弱
  ※津波高=釜石湾10.1m~両石湾22.6m 

  〇震災前の人口 39,464人(2010年度)
  〇震災後の人口 34,661人(2017年度)

  〇直接死者  779人
  〇間接死者  106人
       計 885人
  〇行方不明者 184人

  〇全壊家屋 2,957棟
  〇半壊家屋   699棟