どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記23>-陸前高田①-高田松原・大防潮堤

-No.2005-
★2018年03月19日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2931日
★ オリンピックTOKYOまで →  493日
★旧暦2月13日、十三夜の月
(月齢12.8、月出15:43、月没04:37)








◆防潮堤の真実を見る…高田松原

 気仙沼から国道45号が唐桑半島をすぎ、只越峠をトンネルで抜けて下りにかかる…と。
 見えてくる海は、岩手県になる。
 向こう岸は広田半島で、その間は広田湾の大きな入江。
 陸前高田の名勝「高田松原」は、そのどん詰まりに広がっていた。

 東日本大震災の大津波は、唐桑半島と広田半島との間を、ほとんどドンピシャの角度、すなわち東南東から西北西に向けて押し寄せ、引き返したものであろう、湾奥の海浜を絶滅させた。

 広田湾の西側には、気仙川が流入する。
 震災・大津波の後、国道の下りがその河口に近づくと…風景が牙を剥いた。
 河口の気仙大橋を前に、車内は息を呑み、ドライバーはひきつった面持ちでハンドルを掴み絞め。
 橋の右手奥の岸に、唯一のこされた「奇跡の一本松」を見る……

 が、風景に気をとられたり、もたもたしている暇はない。
 災害支援の、泥まみれのトラック群に挟まれ、引きずられるように走らされて、しばらく走ってからようやく左折(陸側へ)のウィンカーを出すよゆうを得るのだった。
 
 この間
 広田湾の海を、ぼくはほとんど見ていない(というより見た記憶がのこっていない)。

  ……………

 そうして…しばらくして…気がつけば、<復興>と<再生>に向けたダイナミックなうごきのなかに、松原の海岸線には<休演中>の幕が引かれ、海はすぐ目の前から消えた。
 広田湾の海の存在を知るには、現在の役場がある高台に上がるか、あるいは広田半島の方へ回りこむか。

 超大な防潮堤というのは、そういう意味をもつものであった。
 「海を人の視界から消す(見えなくする)」ということが、ジツはどういうことなのか?
 〝異次元〟への扉を開くことになるのか、それとも〝牢獄効果〟をもたらすだけのことなのか…は、このさき復興後に経てゆく歳月をふくめて、もっともっと深く考察されていい。

 東北の沿岸各地で、東日本大震災による大津波被災のその後を見てきたボクたちだが、ここ「高田松原」の防潮堤ほど雄弁に、明瞭に、ヒトと海の関りはどうあるべきなのかを物語る構造物はなかった。

 高さ12.5m。
 それは、ナルホドこの高さがなければ大津波を防ぎきれないだろう、地理的条件を充分すぎるほどにナットクさせながら、なお、至近に立って見上げると絶望的な高さ。
 まさに、<此の向こうに海無きが如し>。

 そこから、(かつてあった)松原の全貌を視界におさめられる辺りまで陸側に移動してはじめて、やっと<海は海として眺められる>ようになる。

  ……………

 《11.3.11》被災地行脚をつづけながら、ボクが確信するにいたったのは……

 【①沿岸における人間の居住限界は、充分な高さと頑丈さを備えた防潮堤から、堤越しに親しく海が見える高さの位置まで下がること】である。

 【②それより海寄りで許される活動は、生産・遊学など、いつでも避難行動にうつれるものにかぎられ、未練な家屋を建ててはならない】ことになる。

 【③この究極の限界を知り、制限を守ることから、真の<国土強靭化>は達成され、その範囲でなら設備費にも無理がない】はずである。

 【④ほかの荒蕪地は、国境警備隊の守備範囲】とする。