どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.35~  「来訪神」ユネスコ無形文化遺産に

-No.1986-
★2018年02月28日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2912日
★ オリンピックTOKYOまで →  512日
★旧暦1月24日
(月齢23.6、月出01:45、月没11:56)


★今年も来たぞぅ~、来年もまた来るぞぅ~★

 ユネスコ(国連教育科学文化機構)が選ぶ「世界遺産」、ぼくには、いささか違和感があって。
 それは、〝有形〟のものを〝遺産〟としてのこそうという姿勢に、すでに<黴臭い>ものがあるからだ。

 <形あるものは滅びる>のが自然(ぼくは信仰心で言うんじゃない)なのだから、だいじなのは<形をのこす>ことじゃなく、そこに内包される<精神文化を見つめ>、<形は滅びていくのをシンと見守る>ことだ、とぼくは思っている。

 そこへいくと、同じユネスコの選ぶこと、選ばれるものでも、「無形文化遺産」というのは、いい。
 これがいいのは、いうまでもなく、形を超えて〝芯〟から来るからじゃ。

 ……………

 18年11月末に、日本から登録された、
 「来訪神 仮面・仮装の神々」
 代表されるのは、
  〇男鹿の「なまはげ」…秋田県男鹿市
  〇吉浜の「すねか」…岩手県大船渡市
  〇遊佐の小正月行事…山形県遊佐町
  〇米川の「水かぶり」…宮城県登米市
  〇能登の「あまめはぎ」…石川県輪島市・能都町
  〇見島の「かせどり」…佐賀県佐賀市
  〇甑〔こしき〕島の「としどん」…鹿児島県川内市
  〇薩摩硫黄島の「めんどん」…鹿児島県三島村
  〇悪石島の「ぼぜ」…鹿児島県十島村
  〇宮古島の「ぱーんとぅ」…沖縄県宮古島市
   ※以上はすべて国の重要無形民俗文化財

 ……………

 ぼくは、お祭りが好き。
 …だけれども、以上10の行事、じっさいに参観できたものは、ひとつもない。
 若い頃には、ずいぶん、スケジュール調整をこころみたこともあったけれど、それじゃ、とても稼ぎに追いつかない、ので諦めた。
 ましてや歳末・年始の行事となると、吾が身のまわりにも、それなりに慣例ごとがあるから、はじめから無理なことでもあった(そういうもんじゃネ)。

 しかし、よくしたもので、民俗系の放映にアンテナを張っているおかげで、ぼくは以上のすべての行事を疑似参加できている。

  ……………

 そこで、しからば、「来訪神 仮面・仮装の神々」の、どこがイイのか、といえば。
 〝建前なしの本音〟である。

 来訪神は年に一度、きまったときにやってくる。
 神さまは、この世のものではない、<異界>から来訪する神は<異形>をしている。
 神さまの<来訪>には、それを伝える者が必要になる。
 人が異形の神さまに変わるためには、仮面や仮装が役にたつ。

 神さまの来訪に、ことわりも、いやおうもなく、来訪を待つ人は、だれもが待ち望み、わけもなくよろこぶ。
 よろこんで、そのときが近づくと、いそいそと準備にかかる。
 一年に一度、おいでなさるの神さまには、こころをこめた<もてなす>ことこそがすべてだ。

 年に一度、神さまになりかわる人は、人々に知られている。
 それは約束ごと、と子供どもちにもワカッテいる。
 ふだんは、「〇〇の小父さん」だったり、「〇〇のお兄ちゃん」だったり。

 その人が、その日になると、仮面・仮装の身ごしらえをして、神さまになりかわる。
 じっさい、そのときには「神になりきる」と、異形の身代わり役は異口同音に言う。
 子どもたちにも、その日、そのときにかぎって、神さまは約束ごとではなくなる。

 でなければ、いまどきの子どもたちが、心底からの恐怖に顔こわばらせ、
「いうこと聞きますから、もう来ないでください」
 必死に泣き叫んだりするものか。
 そのとき、子にとって親は、はじめて甘える存在から頼り縋りつく存在に昇華する。

 それでよい、そのために「来訪神」はあるのだ。

 たとえば、いまはふだん、人は〝闇〟を怖れない。
 その「闇をあざむく」と形容された、人工の光あふれ明るすぎる夜の世界…は、高度経済成長の時代から始まった。

 けれども、そのせいで失われたのが、ヒトの、生きものとして自然〔じねん〕の、〝畏れる〟ということだった。

 「来訪神」の行事は、〝異形〟の神さまが〝畏れ〟をもって訪れ、人々の日々の営みにまつわる厄を払い除き、幸福をもたらして去る。
 人々の記憶には、それが、一年に一度の〝約束ごと〟としてのこる。

  ……………

 ユネスコ委員会が「無形文化遺産」に登録するにあたっては、
「来訪神行事は家族の絆をつよめ、子どもが地域の伝統に敬意を深めるなど、重要な役割を果たしている」
 と、認めた。

 その「来訪神」行事を伝えのこす、地方のつましい地域では、過疎化や少子高齢化による来訪神の担い手不足が、年々歳々、深刻になってきている。

  ……………

 いっぽう、都会地およびその周辺では、〝闇〟を忘れさせるイルミネーション流行りだけれど。
 いまの人にこそ必要なのは、むしろ、その〝闇〟に対する〝畏れ〟の念じゃないんじゃろか。

  ……………


 ところで、ぼく自身は。
 どうあっても、〝仮面〟を被〔かぶ〕る気にはなれない。
 それは、なにかの話に聞いたか、読んだか…被った面がとれなくなる(ついに顔面と化す)オソロシさに、ゾクッと身の竦む思いがするからじゃ(う~~~こわっ!)。